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添い寝の伝承

突然の松葉杖生活7/入退院詳細/家族主義と異性愛規範に対する奮闘

無事に手術が終わり退院した。術後創部からの感染が起こらないようひとまず自宅で安静にしている。記憶が鮮明なうちに入退院にまつわるあれこれを記録しておく。(侵襲的な手術内容が記載されているので苦手な方はご注意ください)


 

①入院前の準備について

■用意しなければならなかった書類

・手術同意書―インフォームドコンセント(手術名、手術方法、退院条件、合併症、術後の検査とリハビリについて)/親族又は代理人署名も必要

・身体拘束に関する同意書―術後せん妄が起きた場合の転落や管類抜去の恐れがあるとの説明/本人の署名のみ

・麻酔同意書/親族又は代理人署名も必要

血液製剤(成分輸血)療法同意書/親族又は代理人署名も必要

身元保証書―本人が治療費を払えない場合に連帯責任を負うというもの/保証人の署名が必要

・問診票―家族構成などを確認される。緊急連絡先などの指定が必要

・おむつ使用同意書/本人の署名のみ

・手術前後の口腔ケア同意書(提携歯科診察申し込み書)―全身麻酔の影響で歯が折れたり、術後感染や誤嚥性肺炎を引き起こす恐れがある/署名せず

※入院前にかかりつけ医で検診して問題なかったため(参考:「外科手術の前には、虫歯の治療が必要」って?口腔ケアと手術の知られざる関係とは|公益社団法人神奈川県歯科医師会 (dent-kng.or.jp)

・特別療養環境室に係る費用同意書―差額ベッド代/署名せず

※前日に個室しか空いていないと電話があって口頭で承諾したが、厚労省通達で「病院都合の特別療養環境室費用について患者本人は支払う必要がない」とあるので、支払いに関して署名せず。結果、個室代は支払い不要となった(参考:差額ベッド代の対策は支払拒否に限る (webshufu.com)

 

■持参して良かったもの

・紐パン—術後は安静指示であり、可動域も狭くて片足で立ったり膝を曲げたりができないため着替え時に本当に役に立った

・虎パン—年明けに関西のお姉さんから贈られた虎柄パンツ。手術室でパンツ一丁になったんだけど私も医療スタッフも気が和らいだ

・使い古しのバスタオル—捨て時に悩んでいたので院内で使用した後処分してもらえて良かった

・資格試験のテキスト—手術前後は読む気にならなかったが術後2日目から良い時間つぶしになった(Wi-Fiのある病院だったけどSNSを見れる気力を持てなかった)

・イヤホン—ZOOM会議に参加した時に役立った(入院中なのにちょっと仕事をしてしまった)

・紙コップと使い捨て歯ブラシ—退院時に処分できてかさばらず良かった

・松葉杖等歩行補助具―自費購入済のものを持参、再購入せずに済んだ

・キャッシュカードとクレジットカード、現金は数百円のみ(ペットボトル購入程度)―盗難の不安もなく、ちょうどよかった

アトピー性皮膚炎治療薬―術後抵抗力低下により酷い肌荒れが起きたので

 

②入院初日について

・10時、同伴者なしで入院手続きをした—自宅に誰もいないので、冷蔵庫を空にして鍵をしめてから移動した

・保険証を忘れた—同月受診歴があったので保険診療扱いになった(健康保険の請求単位は月毎なので、入院期間が翌月を跨いでいたら危なかった・・)

・入院診療計画書(検査、処置、薬、注射、食事、安静度、排泄に関しての一日毎の指示)、看護計画書、リハビリテーション計画書の説明と確認

・看護師との面談―緊急連絡先を夫以外に依頼していることを書面上でも口頭でも丁寧に伝えた*1が、「ご主人に連絡でなくて良いのでしょうか」と念入りに確認されてしまった。家族主義*2を前提とする現場の空気を強く感じた

 

③手術詳細

今回行うのは靱帯再建術(移植手術)。患部付近を4㎝ほど切開、加えて足の骨に2ヶ所穴を開けて内視鏡を通しながら自身の腱を移植し金属固定する、というもの。

入院診療計画書では、尿道カテーテル使用予定だったが実際はパンツのままでオムツになることはなかった(管を入れやすいように剃毛したが活用ならず)。3時間程度の短い手術だったからかな?

13時に病室から担架で運ばれた。院内をぐるぐる回って、天井だけを冷静に見つめていた。やたらと白くて綺麗な部屋(手術室)に到着したところで、指示がありパンツ一丁になった(タオルを身体の上にかけてもらえたので裸を晒しているという自意識にはならなかった)。麻酔科医と看護師に囲まれ、全身麻酔と硬膜外麻酔を経験。硬膜外麻酔は手術台の上で横向きになり、海老のように腰を曲げて膝を抱え込む姿勢になって、背中から注入するというもの。「きれいに曲がっていて挿しやすい」と褒められた。続けて「もっといい場所に挿せたかも・・」という麻酔医の悔しがる声が聞こえた気がしたが、その先は記憶がない。点滴による全身麻酔が効いて完全に眠ってから(自発呼吸ができないため)人工呼吸器をつけられたらしいが、それも当然記憶がない。目覚めた時は少し喉が渇いているくらいで呼吸に違和感もなく、背中の挿管部から医療麻薬が入っていたので痛みも十分コントロールされていた。あっという間に終わったなあ、と思った。意識もはっきりしていたので主治医にお礼を伝えた。夫ではなくて友人に術後報告の連絡がいくよう医師と看護師に伝えることもできた。唯一の後悔は、体内から取り出した自分の靱帯を自分の目で確認できなかったことかな。もう一緒に生きていくことができなくなった身体の一部に別れを告げたかった・・・。

 

④手術後

手術当日は食事禁のはずだったが、体力をつけるためだろうか主治医の判断で夕食可となった(お粥)。吐き気はなかったので7割くらい食べられた。結局尿道カテーテルは使用しなかったので寝たきりではなく、都度看護師を呼びトイレまで車椅子を押してもらった。この日の自撮りを確認すると顔色が結構悪い。親しい友人が電話をくれて、ふにゃふにゃと応答したのを覚えている。手術侵襲による免疫機能変化(体温を38℃付近に上げるような寒冷反応)のためか、37.5℃の微熱が3日ほど続いた。皮膚トラブルも酷かった。

 

⑤それ以降の入院生活(忘備録

手術日翌日も医療麻薬のお世話になっていたのでそこまでの痛みは感じなかった。友人とのLINEで生理痛のほうが辛いかもと笑っていたほどだ*3。術後は激痛という噂もあって身構えていたがそこまでではなかった。そもそも事故直後、足を曲げる痛みで涙した時期があった。もうそれを経験しているので、2回目以降は耐えられるだろう。得体の知れないもの、未知のものが怖いだけであって、程度がわかれば現実的な想像力の中で付き合うことができるはずだから。

個室差額ベッド代を払わないための交渉が出来たので、早期に大部屋に移動していた。同室の人たちが個性的で良かった。真向いの80代のおばあちゃんと親しくなったのだが、ケアを受けるための振る舞いが上手くてかわいい人だった。発する言葉一つ一つがやけにくっきりしているというか、カーテン越しの「あのね・わたし・おしっこ・行きたい・のよ」という一言だけでも聞き惚れてしまうような魅力があった。他者を歓待することが大好きで、いつも色々な人に料理をふるまってきたという。与えることに長けている人は与えられることも長けている。同居家族は日中不在なので近隣住民に花の水やりなどを頼んできたという。息子が30代で脳腫瘍を経験してからずっと支えてきたという。ウクライナ侵攻の報道は東京大空襲の経験を思い出すので見ていられないという。戦争はいつも嘘をつく、親から子を奪う、終戦後にこそ被害国としてだけでなく加害国としての責任をどう果たすか—そういった語りの中にサバイバーとしての自負を感じるというか、放つ言葉の隅々に批判的精神がある。なんだかとても好きになってしまった。他の患者さんたちも彼女の存在に巻き込まれ「こんなに賑やかな入院は初めてよ」と言っていた。

・食事面

手術当日以外の食事はすべて完食だった。同室の人たちは不味いとブーイングだったけど笑、私としては人が作ってくれるご飯というだけで美味しさ倍増だし給食的な大衆向けの味付けが好きなので毎食楽しみに過ごした。

・睡眠と日中活動

特に手術後1~2日は背中の管の違和や創部の鈍痛もあって何度か目が覚めてしまった。

6時起床、21時就寝のリズムはとても良かった。日中はゴールデンカムイ最終話(街の灯のオマージュだった)を読んだり、院内にいる亀を眺めたり、リハビリに励んだり、時々資格勉強をしたり、疲れたら自慰して昼寝をしていた。あとはカプースチン聴いたり、気になるバレエ公演やrie fuのライブ日時を確認したりした。コロナ禍のため面会も手術立ち合いもNGだったので、院外の世界との隔離はちょっと寂しかったな。

・精神面

手術の不安で二度不正出血があった。身体はいつも正直である。このような諸々の不安そして患者という管理される立場から、看護師や医師の表情や言葉の使い方に敏感になってしまう場面があった。特に手術前後では、患者として軽んじられずに扱われているかどうか疑うような防衛反応(被害意識)が芽生えた。実際は医療従事者の方々親切だったしきっちり仕事してくれたんだけどね。置かれている状況次第でこういう認知になるんだなと体感できた。慌ただしくても、目を合わせて、名前を呼んでもらってから声掛けされるだけで心が軽くなる。逆の立場になったときにはこの感覚を忘れないようにしたいと思う。

友人たちが迎えに来てくれるという約束が何よりの心の支えだった。育児に奮闘する友人から子どもの動画を送ってもらえたのもかなり良かった。本調子でない日の職場からの業務連絡は結構な心的負担だったかな(教育担当なのに複数の新人を現場に残して入院した私も私だが・・)。

 

⑥退院日

入院病棟は外部の来訪NGだったため、看護師に荷物を持ってもらって一階ロビーまで降りた。迎えがまだ到着していないので、先に会計を済ませることにした。請求額は約31万円。限度額認定証(予め支払い上限額を示して会計時の出費を最小限抑えられるもの)を事前に作っていなかったので、とりあえず院内ATMで現金を引き出して全額窓口で支払った。これから高額療養費制度を使って自己負担限度額と差額分の返還を申請する予定(口座に振り込まれるまで3か月くらいかかる。参考:高額療養費制度を利用される皆さまへ |厚生労働省

 

11時、友人たち(以下、AとBとする)が迎えに来てくれる。友人Bと顔を見合わせてハグする。どちらも病院から遠方に住んでいる。今日のために朝早く起きて1時間以上かけて迎えに来てくれた。LOVE。2人は昨年一瞬顔を合わせたことがあるくらいで「私と親しい人」という共通点があるのみ。友人Aの自家用車に乗り病院を出る。友人Bがどこかでランチしようと提案してくれて亀戸のアトレでハンバーグとステーキを頬張る。友人Aの使い切れないという大量のクーポンを使って皆でアイスクリームとバナナジュースを味わう。自宅近くのスーパーで買い物を手伝ってもらい、帰宅。少し家事をお願いして一息つく。各々がソファにもたれて眠り始める。寝息を聴いて、眠る姿を眺めて、個々人を、そして2人が居てくれるこの空間を、とても好きだと思った。

19時、仕事の打ち合わせがある友人Bを駅まで送った。友人Aは我が家に残ってくれた。たくさんお喋りした後、シャワー浴の創部保護(濡らしてはいけないので厳重にサランラップを巻いた笑)を手伝ってもらって有難かった。同じ布団で眠った。翌日は久々の自炊が出来る歓びで、筍ご飯を炊いて、鰹を小麦粉ではたいて焼いて檸檬を添え、蕪と油揚げの味噌汁を作って食べてもらった。親しい人との遠慮のない時間が、退院という現実感につながった。ほっと胸をなでおろした。ゴールデンウイークは、ブブさんの展示とか『爆クラ』100回記念フェスとかすごく行きたかったけど、訪問者を待ちながら自宅で安静に過ごす予定。

 

⑦家族主義と異性愛規範に対する奮闘

今回の手術と入院を経験して、今後別の病を患ったり困難な状況に至った場合の選択肢や思考の幅を広げておく必要性を強く感じた(6年前24歳時点で既にエンディングノートは作っていたし、あれこれ考えていない訳ではなかったが今回の経験によってより鮮明な視野を持てたというか)。私が奮闘したいのは、公助や親族に頼ること以外の選択肢である*4。特に社会的又は法的立場としては弱い(広義の)友人という関係性をどうカスタムするか。世間や医療現場からはあまり想定されていない生き方、有事の可能性をもっと探っていきたい。

そこで最後に、患者の立場として感じた家族主義と異性愛規範の課題を記録しておく。

 

・今回入院した病院ではLGBTQフレンドリーを公的に発信していて同性パートナーを代理人として認めるシステムがあったが、未婚同士でないと登録申請できなかった—信頼する友人が既婚者の場合利用できない。私も含めみんなで未婚に戻ったら、ネットワークを構築してうまく活用できたかもしれない

・(法律婚や内縁関係問わず)配偶者的存在は一人という前提―現実的な対処法としては元配偶者の数を増やすのがやはり良いと思う。元親族という社会的立場は便利。遠からず近すぎずその時の状況次第で関わる範囲を検討調整もしやすいし

・病院側からその一人の配偶者への期待(代理人やケア役割)が強くてどうしても優先順位が最上位になる—配偶者以外を代理人に立てても、本当にこれで良いか確認をされる、配偶者の圧倒的強者感。私の望む生き方とはしっくりこない

・友人に代理人を依頼する場合、叔父/叔母・従兄弟/従姉妹という関係性を名乗るのは悪手ではない―加えて選択制夫婦別姓が成立すれば名字の違いにより関係性を疑われる頻度も減ると思う(現状、配偶者や兄弟を名乗る場合は名字が揃っていないと厳しいかもしれない。大多数の女性が名字を変えざるを得ない社会だから、女性にみえる友人を姉妹という設定にすることについては納得されやすいかも)

・女性枠で医療を利用する際に、男性に見える友人が面会に来た場合―異性愛規範の中で配偶者と誤認されることがある。それを逆手にとる(内縁関係の配偶者と名乗ってキーパーソンになる)ことの利便性もあるが異性愛規範を強化してしまうようでしんどい。そもそも医療機関では「親族以外の異性(に見える人)」の参入は想定外の異物のような扱い。信頼する友人なのに、不倫相手とか非公式な関係だとか邪推される可能性もある

・逆に女性枠で医療を利用する際に女性に見える友人が面会にきた場合―異性愛規範の中では、改めてパートナー/親族であると説明しない限り医療機関にそれが伝わりづらい。上記の異性同士とみなされる場合と比べると、関係性の詳細を詮索されにくいかもしれない

・患者の性別や通称名の取り扱い、入院時の個別対応については、本人が事前に相談することになる(現在はWHO基準で性同一性障害というカテゴリはなくなったが過去の報道参考まで:【声明】厚生労働省が2017年8月31日に発出した「被保険者証の氏名表記について」に関する通知について | ニュース | LGBT法連合会 )が、本人の親族や代理人は見た目で勝手に性別を想像されてしまうだろう。そこに異性愛規範が重なって上記の課題が生じるのでしんどい

・同居家族の有無を問診で聞かれること―世間や医療現場は同居関係=ケア役割を期待するが、ケア能力やケア関係としての相性はあまり考慮されていない。家族が不適切に介入することで患者本人の不利益につながることも多々あることを念頭に、同居家族の有無にかかわらず非親密圏の他者(公助)を介入させる視点を取り入れてほしいと思う。その上で非親族の友人等に適宜協力を仰げると良いのではないか(一人に責任が集中せずに分担制でうまく回れば理想的だけど、まあそんなに上手くはいかないだろうと思う)

 

以上、また思い出せることがあれば補足していく。お互い奮闘していきましょう!

*1:契約結婚8年目になる夫がいるが、彼は携帯電話を持っておらず、冬季春季は別居中であり東京におらず、緊急時判断を頼れる相手ではないため、緊急連絡先を身内という設定で別の友人に依頼した。私の容態が急変した場合にはその友人から連絡がいくことは親もすんなり了承していた

*2:”家族主義の社会というのは、言い換えれば、依存できる相手が家族に限定された社会である。しばしば日本の親子同居率の高さについては、若者に自立心がないことや「甘え」の問題として語られる傾向にある。しかし、真の原因は個人よりも社会の側にある。北西欧には家族以外の多様な依存先が存在しており、それゆえに若者が家族から「自立」することが可能となっている。一方、日本では、依存先が家族に限定されているがゆえに、困難に陥ったときに家族に依存せざるを得ない。個人に原因を帰属するのではなく、社会制度の視点から「依存先」を増やすことで「自立」の問題に対処しなければならないのだ。” 変化するパートナー関係と共同生活――家族主義を問う/阪井裕一郎 - SYNODOS

*3:ピルやミレーナでホルモン療法をする前は授業を早退したり、毎晩冷や汗が出て眠れないくらい生理痛が酷かったので

*4:行政サービスや後見人制度の使い方は一応理解しているのでそれ以外の