人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

突然の松葉杖生活4/子ども時代のこと

「あなたって地元の話、あんまりしないよね?というか地元とあなたが結びつかない」と言われることがある。地方で生まれ育ち、進学をきっかけに上京したのが12年前のこと。当時二世帯住宅で同居していた祖父母がいたが、東京に出てからまもなく亡くなった。地元の思い出は、当時付き合っていた女の子との記憶で実は8割くらい埋まってしまう。それほど、彼女の存在は田舎で生きる10代の私のすべてだった。閉塞感を見失う開放感も、突き動かされる新しい感情も、償いの苦しさも、性的行為の入口も、すべて彼女が教えてくれた。今でも、彼女と自転車で走り抜いた畦道を薔薇色と思い込んでいるので非常に気色が悪い。高校卒業後、死闘を繰り広げた内に性愛が一切絡まない親友という形に変わって現在に至る。そういう意味で地元の話はよくしているはずである。

 

昨年末、我が家に来てくれた人が偶然同郷で、吹奏楽や俗謡の記憶を思い出せたことがとても楽しかった。また別の人には、亡き祖母の話を聞いてもらった。祖母は精神科病院に入院するたびに強制退去となり、何度も出禁を言い渡されていた奔放な女だった。大抵大人たちは迷惑がっていたし、私も複雑な思いを持っていたが、気まぐれに贈ってくれたオルゴールを今も大切に自宅保管している。周囲を振り回し*1迷惑がられる人だって、ちゃんと息ができる場所が必要であるし、血が汚れているだの言われていいはずがないと今は思う。祖母の扱いに困っていた大人たちは子どもたちに負担を強いることがないよう、見えないところでうまくやってくれていたのだろう。それなりに子どもとして子ども時代を謳歌できたと感じているのはそのお陰だから。しかし、家庭内で不穏な空気が漂うことがあり心地が良いとはいえず、自室でインターネットの世界に逃避して知らない人のブログを読み漁るか、元カノの家でよく寝ていた記憶がある。反抗期も相まって、元カノには甘えまくっていた。そして椎名林檎rie fu、彼女の好きな洋楽*2BUMP OF CHICKENRADWIMPSとかを聴いていた(2000年代)。

 

身体が不自由になった今気付いたのは、子ども時代に大人と大人が支え合っている場面をちゃんと見れていなかったかもしれない、ということだ。両親は「病んでいない社会不適合者」と言うべきか、社会になじめなくても自由に自分という存在を生きられる、運のよい人たちだった。しかし両親が支えあったり、労いあっている場面が全く思い出せない。ひょっとすると、一切なかったのではないか?彼らは癒しやストレス発散の場を家庭以外にちゃんと持ってもいた。その影響か、私も家庭をそのようなものとして認識している部分があるかもしれない。生育環境って恐ろしいなと思う。家庭の外(親しい友人や同僚、インターネットの人々等)に必要時ケアを求める/引き受けることはあっても、家庭内でケアを求める/引き受ける「べき」という感覚がないのだ。みんな家族は支えあうものとか言うけど、実際に支えあう素敵な家庭もたくさん見聞きするけど、自分は渇望しないし困っていないのだから必要がない。世間とのギャップがあるんだなあ、とは思うんだけど。ケア役割を分担できる人と暮らしたほうが良いと理解しているから契約結婚を選んだはずなのに、何故かこうなってしまった。とはいえ、自分一人を生かす分には自律した夫の存在が私を精神的に助けてくれることは多々あった*3。ただ、彼は今は雪山で暮らしている。かたや私はハイハイしながら一人暮らしである。「適切なケア関係が成り立たないのなら別居のほうが良いのでは?」と自分から提案してしまったという経緯がある。たまに友人がご飯を作りにきてくれるし読書の習慣も出来てきたし、それなりに暮らせているから妥当な判断だったとは思う。しかし手術が急に怖くなった夜は困った。元カノから事前に日にちがわかれば仕事休んで手術日に駆けつけるよとLINEが返ってくる。育児で大変だろうに嬉しかった。同時に私が泣きながら助けを求められる人はそんなに多くはないのだなとも思った*4

結論、私にとっての家族は、自分があまり介在しない現実の外で元気で笑っていて欲しい象徴的な存在で、私にとっての友人は、より親密で泥臭く、支えあいたい存在であるようだ。この価値観でこの先もっと体調を崩した場合、生きていけるのだろうか?と少し考えこんでしまう。けれど天涯孤独であっても、自身の心身を動かせなくなっても、福祉制度を活用して新たなケア関係を生み出し元気にやっている人達をたくさん知っているのであまり心配もなかったりする。まあなんとかなる。先日、大好きなお姉さんが快気を願って紐パンを贈ってくださった*5。実用的で本当に助かる。こういう厚意に支えられている。パンツ何枚貰っても嬉しいです。お姉さんもパンツも大好き。いつもありがとうございます。
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*1:本人の意思というよりも本人も病に振り回されているのだが

*2:彼女は帰国子女だった

*3:ケア能力はそんなに期待できないが、他者に与えることを厭わない、喜ばせるために行動ができる男だし、抑うつ状態の時は強引に風呂に入れてくれたり、ご飯を食べせてくれるなどもあった。ありがたい

*4:19歳時の性暴力被害経験が影響して、力をもらえて、これでもかなり人に頼ることが出来るようになったのだが、立ち止まってしまう日もある。添い寝フレンドだった人が自転車で30分以内の場所にいるけど、自分から助けてとは言えないなと思った。なぜかというと、すでにあのとき一生分助けられたからである

*5:今年3枚目のパンツの贈り物