人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

突然の松葉杖生活3/ケアと色気

事故から3週間が経とうとしている。急性期を脱して痛みも引いたので今日から通院リハビリが始まった。可動域を広げてから手術日を決める予定。自宅から一歩外に出れば「常にケアを要する(とみなされる)人」として割り振られる日常にも慣れてきた。周囲から優先席を譲られる(そもそも優先席以外の選択肢がない)。立ち入ったお店で「非常時はおみ足が悪い方のお手伝いをいたします。」と目線を下げて丁寧に接客される。もし今日のウクライナのような事態になったら十分に避難しうる身体はもうない*1。だれかの世界で私はさらに異質な存在となり、独り、街中で似たような存在を目で探してしまう。そして不自由になったからこそ、かつての関係性に捻れが生じ、これまで縁のあった人たちの新たな側面を知ることができる。この出会い直しを幸運なことと思う。お互いに気を遣わず、息をするようにケアをする/されるというのはとてつもなく難しい。高度な技術やコミュニケーションが発揮されるためには独特の合意形成が必要であることもよくわかってきた*2

 

 

障害者地域自立生活運動の中で、障害を持つ人の介助者を「手足」とする考え方がある。主体性はケアを必要とする本人にあるのだから、本人が自身の生活への責任と選択を持ち、介助者に指示を出す。介助者はそれを遂行する役割に徹し、自身の意思表示はしない。従来それが望ましい自立生活とされてきた。しかし近年、労働者の権利・対等なケア関係という文脈で介助者の個性や感情に焦点があてられるようになり、「手足論」以外の視点も取り入れられるようになってきた。私はそれを知っていたつもりだったが、ケアされる側として初めて、この手足論について考えを巡らせている。つまり自身の身体が拡張された先にある無数の手足のことを想うようになった。未来に散らばった可能性として、魅惑的な出会いという意味で。


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それは先日の出来事だった。退勤後に駅まで迎えに来てくれた人が私の負担感を確認した上で「おれのことを(あなたの)手足の延長だと思っていいから」と言った。驚いて、その手足という言葉にうっすらと色気を感じた。私のリュックサックを代わりに背負い、階段の上り下りで松葉杖を当然かのように受け取ってもらえたとき、自身の身体が拡張されたような信頼があった。

家族でも恋人でも主従関係でもなく、報酬又は対価のある契約や依頼でもなく、搾取や暴力でもない形で、相手の身体の一部になろうとする意志(あるいは身体を拡張・複製する意志)にきっと感銘を受けたのだと思う。直に触れあって身体を預け合うときのように、触れ合わない生活空間でも近しい現象が起こり得ることに対しても。彼は、過去に私が「多くの社会的弱者は、マジョリティ中心社会の中で助けを乞わないと生きられない。しかし常に謝罪し謝礼しなくてはいけない構造に疲れてしまう」と語ったことを覚えていたので、その台詞を選んだのだという。こういうときに心から尊重されていると感じる。

だれかの身体を生きる(演じる、ではなく)。そしてわたしの身体をだれかが生きる。手足としての介助だけでなく、代わりに涙を流す・食べる・歩く・手続きをする・眠る*3、…そういう場面が幾つもあっただろう。境界線を絶対に踏み荒らすまいとする自分と、交換し分け与えられる身体によって生き延びられることを知る自分とがいる。複数の身体を生きるということは、自分の存在を捨て去ることと同義ではない。意志も身体もまるで無いかのように、誰かに侵食され侵入される、その一方通行の意思と行為を暴力と名付けるならば、その対局にあるもの。愛と呼べるような物語や支配(隷従)の快楽に迷い込まず、その上で互酬性を見出し、輪郭を確かめ合い、ケアする/ケアされていることを忘れさせるその一瞬に私は生々しい希望を抱く。いつもそれはどこか色っぽさを感じさせるものである。

 

*1:戦争というのはより弱い存在に皺寄せがくるものだから、個人の生活や声を掻き消すものだから、連日静かに負傷し亡くなる人たちを思う。そしてその哀しみは遠い国の話ではなくて自国の加害と被害の歴史、在留外国人への差別や米軍基地問題に全部つながってくるということ。戦時における兵士のPTSDと性暴力被害者のPTSDどちらが重いかなんて比べようとしちゃいけないということ。荒川洋治の「文学なら人々を理解できるかもしれない」という言葉を聞いて、9.11以降に書かれた詩人(井上瑞貴)のブログを訪問した。報復の形を私たちはどう探し得るのだろうか?私がこの詩人に出会ったのは東日本大震災の後だったが、あの頃は生きるか死ぬかみたいな綱渡りの音楽の中にいたので、添い寝と詩だけが必要だった

*2:好意や関心があったとしても誘いを断ることも本当に増えた。これまでのように「楽しいか(楽しそうか)」のみで物事を選べなくなった。それを覆すような「疲れ」が生じることがあり、結果的には楽しめなくなってしまうからだ。なので、他者とのコミュニケーションも外出も「後から疲れるか」という自己判断ありきになった。相手の要因ではなくて、自分自身の疲れが要因なのだからどうしようもない。誰かと出掛けるより一人で美術館を回るという風に。会いたい人はたくさんいるのに、とても残念

*3:代わりに食べようとするとき、相手の胃袋も自分の身体にあるようだったし、添い寝についてはどちらかが先に眠ったのかいつも思い出せなかった。それはどちらの身体も自分と相手の身体だったからだろう