人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承 (移転前 https://kmnymgknunh.hatenablog.com/)

魅力的な親であることあれないこと(2026年6月近況)

左目のみに涙が伝う二つの額縁(コマ)が私にとっての絶景

内省的な生活を送っていて、今月は週1~2回しか外に出れなかった。それでもなんとか行くことのできたストリップ劇場で「Hello, my friend」が流れた瞬間つい号泣し、それはうとうとする瞼に継承する子守唄に変わり、眠る子を縦に抱きしめながら大島弓子を読んだ。育児自体には慣れてきて、まだ寝返りのできないあなたは仰向けになりながらバタバタと布団の上を泳ぐ。衣類をめくって半裸になる姿や、枠組みを超えていくような寝相に我が身を投影する。腹が減ると蟹のように泡を吹く。歯のない口腔内遊戯で一日が満ちる。私もかつて発していたのだろう覚えのない愉快な声を何度も繰り返して。母乳は血液でできているそうだ。授乳という関係性(性的興奮の伴わない性的関係)がほんとうに面白くて、それだけで小一時間は熱弁できる。泣いてしまっては兵に見つかるからと無理やり乳で口を塞いだり、最終的に子殺しをせざるを得なかった第二次世界大戦中の親らの悲痛を読む。そんな状況は絶対に嫌だと思う。そう思うし、今すでに起きている戦地で大事なものを失う人たちがたくさんいる。戦時性暴力が肯定され、生殖の権利はないものとされる。常時も非常時も弱いものから順番に体と心と命が奪われる。現政権を憂う。

 


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生きる意味についてまた考えて、いつものように「稀に(偶に)どうしても忘れられない光景に出会うことがあるから」という結論に落ち着く。それを絶景と呼ぶとしたら、特に少女漫画には見事に収まる額縁がいくつも浮かぶ。観劇しに行く場合は客席から見える絶景があり、親密な他者と過ごす時間の中では自分たちはその絶景そのものになれる。少し時間が経ってから脳内に突然その光景が再生される。何度もだ。だから、おかしいほど必要でいとしいものだったのだと後になってわかる。自身のみじめさと愚かさでできた深い水たまりは何色なんだろう。間違い探しの続きについて文章に残すしかない自分をどうしようもない奴だと思う。

 

 

最近は、第二子について考えている。生理再開の予兆はなく(母乳育児では生理再開が遅れる傾向だが、生理がなくても妊娠する場合があると聞く)、ひとまず待機という状況だが、異形成細胞の経過を考えると、一年以内に妊活チャレンジをした後、子宮を使い切って切除してしまいたい。しかし肝心の第二子を持つための相手がいないので困っている。産む前までは条件があえば(妊娠出産に関する私の健康管理コストと医療費等の実費を負担できて、かつ単身での養育の意思が明確な人であれば)誰でもOKという感覚があったんだけど、産んでみると自分の欲望の形がくっきりして、全然誰でもよくなかったし、自分は選択的シングル親の才能があったのかもしれないと気づいた(自分の体を使って子を持つという欲望がなさすぎて産むまでピンときていなかった)。

精子バンク利用者やシリンジ法選択の友情結婚者(性的交渉なしの妊活)について改めて調べると、かなりの個人体験談(匿名ブログ)が出てくるので驚いた。いわゆる恋愛やセックスを介さずに子を持ちたい人がこんなにもいる。産後に対面で出会ったとして、今現在の子育ての話題が中心で、妊娠までの経緯や方法を公開する人はほとんどいない。しかし見えないだけで、十人十色のプロセスがあったのだろうと想像できる。

第二子のみ精子バンクを利用予定の人が身近に現れ、私は同じ方法を検討する余地があるのかと考えている。(その理由はZINEに記載する予定だが)第一子があまりに可愛く自分も積極的に関与したくなってしまったので産前と見立てが変わった。自分の価値観的には、第一子と第二子の間で差別的な扱い(大きな格差)があってはいけないと思うのだが、自分の経済力だけではどうしても養育環境に格差が生まれそうで悩んでいる。第一子には父がいて、第二子には私しかいない(逆にいえば第一子は私を独占できず、第二子はできるように見えるという)状況も愛着形成に影響があるかもしれない。はじめから選択的シングル親の道か離別後シングル親になる道であれば、自分主体で自己責任で自由に動けたかもしれないのだが、屈強な親権者がもう一人いる状況だと、環境調整が段違いに難しい。年子の難易度と比べれば、第一子が小学生くらいになった後に(遺伝子上の父親が異なる)第二子を持つことの難易度は下がりそうだが、そうすると病気のほうが私を待ってはくれないだろう。子は一人だけと決めて手術の検討をしてもいいが、出来るならもう一度子宮を活用したい。しかし私も第一子の父もイカレポンチで人付き合いの仕方に難があるので、ポリアモリー的な複数人との共同育児はまた夢の夢でもある。当たり前だが理想は現実の前に簡単に破れる。あっけない。

 

先月末、中学生の子を育てる奔放な女が家に来てくれて、「世間にとっての理想の親を演じることへの抵抗の他に、こどもにとっての理想の親を演じることに悩むことがあるかもしれない。我が子に『こういう親であってほしい』と直接言われた時、私はこうしたよ」という話をしてくれた。どこからどこまでを演じて、どこからどこまでを演じずに生きていくのか。子の幸福と福祉のために犠牲になるという考え方とは別の形で良い塩梅を模索したい。

 

 

『子は親を救うために「心の病」になる』を読んで考えた自分と親の形質|バターンひやま

ほとんど人に会わない生活の中で、インターネットを彷徨っていたら上記の記事を見つけた*1。2020年に当時23歳だった筆者が自身の家庭環境を分析しながら、自分に暴力を振るっていた精神的に弱い母親のことを以下のように表現していた。

 

 中学生のとき、母親は自分にとって魅力的な人間ではないと気づいた。母子関係ゆえに同じ家で日常的に生活を共にしているが、この人の性格や生き方は一個人としての自分がつきあいたい人間ではないのだと気づいた。たとえば年齢が近い知人として現れたとしてもそこまで仲良くできないだろうと。
 それで家族について悩んだり苦しんだりするときは「自分の問題」として処理してきた。
 母が魅力的でないというのは間違いではないし、自我の獲得、自尊心の防御という点で良い気づきだったと思うが、そうはいっても、母親という存在が特別なことはかわらない。母親のことをかつて乳飲み子であった私の精神は愛しているし、母親のことを心配していて、それでずっと苦しいのだとようやく今になってわかった。

 

親のことを嫌いでも憎いでも毒でもなく、「自分にとって魅力的でない人間」と形容した筆者に大変好感を持った。自分の核を濁さずになんとか手繰り寄せて自己表現してきた人だなと感じたし、「強い縁はあったけれど好みでない(けれど特別ではある)他者」について自分もそう表現していいかもしれない、と思えた。

私は自分の親のことを「個人としては魅力的だけれど、親としては頼りない(役割をうまく遂行できない)人間」だと感じて生きてきて、適切な距離を探ってきた*2

しかしこれからは、我が子に評される番なのだ。自分が奔放なイカレポンチだという自覚はそれなりにある。社会生活の中で子が不利にならないための演技擬態をすることは恐らくできる。ただ自分の元来の性分はきっと変えられない。「あなたを思って」は子ども本人にとってありがた迷惑かもしれないし、人間としての相性もあるだろう。「魅力的でない人間/親」になるかもしれない可能性を引き受けながら、それにしがみついてはならないと思う。自分が子にとって魅力的でなかったとしても、何かに魅力を感じる感性と、魅力的な他者と出会うためのきっかけを阻まないような人間でありたい。

子育てが始まっても私は私のままで何も変わらないけれど、「養育者側の視座」で(も)作品や物事を見つめられるようになってきた。過去に産まない立場や感性で読んできた育児エッセイなどを再読したら、斬新な読み方ができるかも知れない(瀧波ユカリ『はるまき日記』を再読したい)。

 

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今年9月13日の文学フリマ大阪への出店が決まりました。なのでなんとか秋までに体調を整えたいです。フリーペーパーを書きたい、作品を委託したいという声が届くので、それに応えられるよう頑張ります。いたいけでいじらしい夏の来訪をおそれながら。そして待ち侘びながら。

*1:こちらの心理士のレビューを読むと、専門家的には注釈付きの読み方が必要ともある:「子は親を救うために『心の病』になる」という本を読みました

*2:元凶の祖母が亡くなってからそれはだいぶ楽になって十年が経った。昨年妊娠報告の際に「私は家族のケアをしすぎていたよね」と母に伝えてみたら、母は驚いた後に同意していた

復讐、復権、そして修復(『現代思想2026年6月臨時増刊号 総特集=フェミニズムから問う』に寄稿しました)

現代思想2026年6月臨時増刊号 総特集=フェミニズムから問う

青土社 ||現代思想:現代思想2026年6月臨時増刊号 総特集=フェミニズムから問う』に奔女会名義で寄稿しました。

 

本会(=奔女会 ぽんじょかい)は、奔放な女/人たちがいてくれているからこそ継続できている会、私が中心に位置する会ではないのもあって、主宰の名は伏せながら様々な奔(ぽん)たちの発言や作品、活動の紹介に徹したつもりです。ただ、末尾に記述した推薦書は私自身の強い思いがあって引用しています。全体的にどんな会なのかいまいち腑に落ちないような、あまりにふざけているような、「都市伝説・超常現象」を称する会としては平常運転、そんな感じの寄稿となっています。本書ではセックスワークについて複数論じられていますが、ストリップについて言及したのは本会だけかもしれません。歴代の『現代思想』でも、ビッチという言葉がこれほど踊るように登場する回はなかったんじゃないでしょうか。編集部の寛大さに感謝します。

さらっと目を通したのですが全ての執筆が面白い。多彩な語りと共にあるフェミニズム、その中の一席をいだたけたことを光栄に思います。やはりというか、田中美津の登場率は高いです。ナンシー・フレイザー氏のことは勉強不足で全くわかっていませんが、おきく氏の高市政権批判や須納瀬氏の『フェミサイドとは何か?植民地主義的資本主義における「女性に対する戦争」』など多くの論考が、不平等と性差別の広がりと虐殺を許す現代社会の連続性を深く映し出しています。個人的には関氏の『ともにいるための方法』で、第三者(友人)の立場でハラスメント被害者と共に闘ってきた実践記録とその思いが読めたこと、それが本書の締めに掲載されていることも含めて大変嬉しかったです。

 

 

今回の寄稿を機に、奔女会というコレクティブ活動を始めてからの七年間と、私にとっての「フェミニズム」ってなんだったんだろうとも振り返ってもいます。私のフェミニズムとは、もともとは産まない/産みたくない体、そして労働現場で性暴力を受けた体からはじまったフェミニズムでした。

拙著『添い寝と生還』でも細かく書いたように、十代の終わりに性暴力被害に遭いました。それまでも(性的かを問わず)被害の経験はありましたが、その日の出来事は、これまで蓋をしてきた傷を直視せざるを得ない、私の人生を大きく転換させるものでした。自分の体が今ここにあるのだ、という感覚は添い寝フレンドだった人との添い寝の日々によって取り戻せたものの、生活していくための力や自分の心身を掌握する力、それを作るための土台(私は自由であるという確証、美への感性、恐れずに拒否ができる安全性、危機管理と判断力、白黒思考ではない柔軟性、統合感覚)を見失いました。証拠が残せるうちに警察や病院に行けなかったり、裁判準備をしたものの断念せざるを得なかったり、被害を語れば人間関係が崩れたり、労働組合へ相談しに行っても加害者に無視されて解決には至りませんでした。心のケア(それは「連帯」と呼ばれるものだった気がしていますが)を求めて、主に(シス)女性で構成される性暴力サバイバーの会に勇気を出して行ってみたことがあります。自身を女と言い切ることに違和感のある私は「女同士ならわかりあえる、大丈夫」というナラティブが肌に合わず、というよりも疎外感でいっぱいになり、二回目以降の訪問はできませんでした。美しいという感覚を取り戻す助けになったのは詩や書物、そして大自然の力でした。自由という感覚を取り戻す助けになったのはフェミニズムとウーマンリブ、そして実験的な性的行為*1でした。安全という感覚を取り戻す助けになったのは転がり込んだ色々な人の家、再演的な試行錯誤の中にある未知との遭遇でした。私は加害者にアプローチするための支援者には恵まれませんでしたが、インターネットや私生活でサバイバー仲間と出会うことができました。かつて沈黙をやぶってくれた何人もの男性の性暴力サバイバーたちは心の友です。様々なバックグラウンドを持つサバイバーたちと精神障害支援団体やシェアハウスで起きた性被害の再発防止を一緒に考えることもあったり、とある恩人は私のかつての被害現場に同行し、私が石を投げようとするのを見守ってくれました。窓ガラスは割れてはくれませんでしたが。

その恩人がバーテンダーとして勤務していたのが「メンヘラビッチバー」でした。精神疾患も性的奔放さも人生の大失敗も支離滅裂と罵られた経験もすべて含めて愉快に働いている姿、メンヘラやビッチという言葉を(他者からのレッテルではなく)自分を表現する極上のフレームとして譲らない姿(少なくとも私にはそう見えた)にとんでもなくエンパワメントされました。自分は対人支援職として生計を立ててきましたが、それまで「エンパワメント」って実感としてなんだかわかっていなかった。それがメンヘラビッチの皆さんの勢いあるエネルギーによって理解できたとも言え、奔放に生きる女性のことが大好きだなんだって自覚しました。同時期に、相模原障害者施設殺傷事件の衝撃で病院を退職して転職した先で何故か偶然イタリアに行けることになり、そこで「狂う」ことが肯定された国と街(脱精神科病院運動)に大きな力をもらって帰国しました。エンパワメントとは自分自身を祝うという感覚で満ち足りることでもあったのです。

これらの流れで、奔放な女をいたわり祝うための会「奔女会」を始めました。私(主宰)が彼女らを祝うという目的が根底にありましたが、回数を重ねるごとに「自分自身を祝いたい」という段階に来た人こそを歓迎すべき会なのだと気づいて、グラウンドルールを更新し続けた経緯があります。「自分を祝いたい」の前の段階、「自分は祝われるべきではない」「自分を祝えないから祝ってほしい」だと従来の福祉的支援あるいは(専門家が介入すべき)治療になってしまう。そうではなくて、被害の側面だけではなく、誤りや至らなさ、加害的経験も含めて自分の責任として人生を捉えられた節目にこそ本会があるべきだと考えて、現在の運用に至ります。近年、女性に限らない性別不問の「奔人会」の活動(ストリップ活動部、文学フリマ出店、表現活動と作品委託など)も行っていて、その点も今回の『現代思想』にて紹介しました。

 

生きていると決定的な喪失に立ち会う瞬間があります。それは自分の心や体がどこにあるか行方不明になってしまう経験でもあります。それが故意にせよそうでないにせよ「相手」によって壊されたものであるとき、そこには被害と加害の関係が生まれます。相手の心身に同じくらいの傷を与えたい、社会的に罰したい、復帰できなくなってほしい、目の前から消えてほしい、謝罪がほしい、相手より優れた地位について見返したい、被害を支援してくれる人がほしい、自分をケアしてくれる親密な人がほしい、あの被害者のように注目されたい、誰にも知られずにいたい、二度と繰り返されないでほしい、忘れたい、もう一度あの日をやり直したい。それらは当然の希求です。ただし理想と現実の狭間には大きな葛藤と限界もあって、(本人が求めた段階での支援や治療は手厚くなるように是正されていくべきですが)にっちもさっちもいかないことのほうが多いです。しかし復讐と復権の在り方は一つではないはずで、各々が自身で手繰り寄せたり発見できるものだと思っています。加えて、生き延びる過程で要求や欲望は変化してもいいはずです。私自身、遠回りをしながらも十五年の月日が経ちましたが、なんとか生き延びています。年齢差があったので加害者はもう死んだかもしれません。その仮定が救いのように感じる時もあります。しかし同時に、トラウマと闘い床に伏していたり、近親者からの(性)暴力、小児期や青年期の信頼していた人物からの(性)暴力、社会的影響力のある人物からの(性)暴力、大切にしてきたコミュニティ内での(性)暴力など、穏やかに生活したくてもその存在や記憶が消えないという状況にあるサバイバーのことをいつも思い出します。復讐と復権の先に、修復があるとも考えます。それは、一人ひとりのオリジナルな創造であり、応答*2でもあります。過去には戻れない。完全な元通り(修復)にはならない。しかし息をして生きていくうちに、心と体も、他者との関係も変化し続けていく。凍っていた時間は差し込んだ光によって動き始める。その時何をするか、そして何をしないかを、わたしたちは自分自身で選ぶことができるはずです。

 

私にとっての復讐と復権、そして修復のための実践が添い寝であって、その延長線上に奔女会の設立がありました。七年間、様々な奔放な女たちが私の人生と(一瞬でも)交差してくれたから、私自身も生き延びることができました。彼女たちなしには本会は成り立たちません。「支離滅裂で混乱するものは尊いものだ、壊してあたらしい局面を開いて再建する力を持っているから」という価値観が根底にあるのは、喪失して精神を病んでめちゃくちゃになって周囲に嫌われたり疎まれたり嘲笑われた経験が、「奔放」な流れの中で治療やパターナリズムを拒否して愉快に生き延びる瞬間と連続していると知っているからです。今回、奔放な女/人たちがそこに存在していたという記録を後世に残せて本望です。貴重な機会をいただき、様々な方に感謝を伝えたいです。あなたもわたしも、生き延びたよおめでとうございます。

 

そして今、私自身は産まない立場ではなく、産んだ立場からのフェミニズムを考えるという転換期に来ています。女であることへも母役割へも迎合せず、それでも(誰かにとっての、あなたにとっての)母であること*3を引き受ける私のフェミニズムとは何なのか。「母」になったことで、パレスチナにいるお母さんたち、自分の産みの母、東京の母*4、母になった友人たちと再度つながれる近況があります。あるいは産まない/育てない私を願われていたのかもしれない幾つかの関係性があります。自分の選択によって生じた耐え難い離別があります。誰かの理想や社会の規範のためには生きられないのだから、「家族」「(母)親」に対するジャッジの目線に対抗/抵抗していくための思想が改めて必要だなと痛感しています。産後二ヶ月が経ち、精神的に参ってもいて、月の大半は引きこもり体調も安定せず社会生活が送れるか不安なのですが、『妊ZINE』完成版を作成するのと、妊娠中に開業した個人事務所(スタジオ奔人)をぼちぼち動かしていければと思います。

*1:それは一種の踊りでもあった

*2:世界への、そして自分自身への

*3:産んだけれど『母』ではないというアイデンティティの在り方も当然ある

*4:私をこどものようにかわいがってくれる年長者の女性たち

わたしの感性を母性というやさしい言葉で包まないでほしい

人を産んだ(人が産まれた)けれど、「自分の」「こどもが欲しい」という人の気持ちは今もずっとわからないままだ。特に子孫や遺伝子を残したいというのは、健康で知的で自分よりも長く生きてくれるだろうという漠然とした想像の産物だと思うし、自分の中にそれは明確にない。私は根の暗い人間だから、自分がこうして生きているのだって偶然の産物に過ぎないし、皆がみんな同じように生きていけるとも思っていない。祈りのような、願いのような、いやそんな美しい言葉ではなくて、内側から湧き上がる「あなたに生き延びてほしい」という欲望はあなたを縛り付ける呪いのようだ。

ただ、「自分のこどもが欲しい」という欲望を持つ人がいなければ、こどもをお腹で育てるという経験も、生み出すという経験も、こうして日々伸びていく睫毛の美しさに涙する経験も出来なかっただろう。自分には皆無の欲望を持つ人のおかげでこの人に出会えたのだと思うと、欲望を諦めなかった人に対して、想定していた人生を揺らがせてくれたことへの感謝の気持ちも強く芽生える。

 

自分の胎内にこんなに大きな人が居たことが、いまだに信じられない。子宮内に他人の両手が二度も入って私の中で踊った。内心願っていた帝王切開に緊急で切り替わった。妊娠線や切腹跡も含めて新しい身体が手に入った。前屈姿勢が取れるようになって久々に自分の性器と対面できた。ホルモンバランスの急激な変化については今のところ大丈夫で、というか妊娠中から驚くほど穏やかに過ごせていた。これは性暴力被害後の生還のために命懸けで費やした20代のすべてが為せるものだったかもしれない。既に精神状態最悪な状態を経て学んでいたからこそ、ホルモンの悪戯に負けない鋼タイプに進化したというか。大好きでずっと尊敬している女性からも「ホルモンバランス崩壊ワクチン接種済み?!」とツッコまれたので、大笑いしてしまった。

 

安静指示のベッドの上で、大島弓子『バナナブレッドのプディング』の沙良の手紙を何度か読み返していた。政権がめちゃくちゃなことになっていて、正直怖くて、衣良のような心理状態にもなる。でも沙良の "わたしはいいました「まあ生まれてきてごらんなさい」と 「最高に素晴らしいことが待ってるから」と 朝起きて考えてみました いったい私が答えた「最高の素晴らしさ」っでなんなのだろう 私自身もまだお目にかかっていないのに" という言葉は、お守りのように嵐を鎮めていく。お守りといえば、松田青子『自分で名付ける』をずっと肌身離さず持っていた。大好きな人から贈られた本で、妊娠初期だけでなく、救急搬送後、充電器を忘れて携帯を触れない入院一日目の夜にも何度か読み返した。

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陣痛中、ストリッパーささきさんの周年作である、まばゆい光に包まれるようなベッドショーの動きを思い出しながら痛みに耐えていた。ゆっくりと呼吸するのにとても丁度よいリズムでもあった。子宮口全開の直前については、確かにこれまで経験した痛みの中で最も痛かった。ただ「痛い、痛い……」と言えていたし、気絶もしていないので、医療従者からしたらさらなる痛みに耐えられると評価されていたと思う。周産期の現場はとてもやりがいのある領域なんだろう。百人いれば百通りの妊娠/お産があると言うけれど、それってそれほどにいくつかのトラブルが複合的に絡まって結果が読めないということでもある。

新生児って舟越桂の彫刻みたいだというのが生後一日目の感想。少しだけさみしくて、あまりに美しいなあ、という感情で脳内が埋め尽くされた。そして体からは涙と母乳と血液(悪露)が絶え間なく流れ出ていく。妊娠中やたら『進撃の巨人』と『ハンターハンター』キメラアント編のことを考えていたんだけど(主題が生殖、種の保存、差別を問うものだからだろう)、カルラの「ただこの世界に生まれてきたこと」を歓ぶ心*1を想い、自分の産後の体については蟻のヒナ(ヒリン)の体がシンクロした。冨樫は妊婦や経産婦の身体を知っている男なんだ……と地味に感動した。

また、孫はさておき私のことがただ心配でかけつけた母の「"あなた"は大丈夫なの」と訴えかける瞳に、アルモドバル『オール・アバウト・マイ・マザー』の母たちが映った。田舎の閉塞感や実家での所在のなさから解放されたくて上京した十代、新しい地で出会ったたくさんの「母的な人(これは性別問わない、役割や条件なしで存在まるごと受け入れてくれる人とでも言おうか)」の存在も同じように思い出された。私が血縁関係や遺伝子上の母父に特段こだわりがない(里親などの社会的養育に強く関心がある)のは、これまでの人生で私が私のままであることを信じさせてくれた、たくさんの母的な人たちがいたからなのだ、だからその役割を今度は自分が担う番だと感じているのだ、という答え合わせが出来た。

退院後、機械のように動かざるを得ないけど、そういう種類の労働なんだな、というくらいで自分を見失うみたいな状態にはなっていない。わたしはわたしで、この子はこの子で、それぞれが主役。そして、いくら与えようともすり減ることはなく、わたしの体はわたしのもののままである。でもこれは、代理出産の意識で、今後も続く養育の主たる責任を子の父に任せられるという約束/環境があるからかもしれない。ホルモンの影響だけではなくて、寝不足の日々、子の体調や経済状況、様々な未来への不安が養育者に押し寄せるのは当たり前で、産んでいない人も男性も産後鬱になる可能性があることはしっかり周知されていってほしい。

素敵だなと思ったのが、アーティストSangawaさんのマタニティブルーTシャツ(自分の不安を笑うために作ったとある)。購入は間に合わなかったが。

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さて、退院後は完全ミルクでいこうと思っていたが、「搾乳」が愉快すぎて混合ミルクでいくことにした。もともと自分の身体にふれるのが好きだからか、胸の硬いしこりをほぐして、ぎゅうっと摘んで、白濁色の液体がこぼれ出るという変化が楽しくてたまらない*2。自分の乳とは長い付き合いだが、その扱いも役割もあまりに多彩で、そのたびに新しい感情が生まれるので、ポテンシャルの豊かさに驚かされる。小学生の時に路上で性被害に遭って自分のものじゃなくなった乳、第二次性徴で運動するにも張って痛くて切り取りたかった乳、興味本位で指さされないように猫背になって隠したかった乳、丁寧にサイズを測ってもらって繊細なレースを所有するブラジャーに守られた乳、その時はじめて綺麗だと感じた乳、フェミニズムとウーマンリブの影響で堂々と自分の身体の一部だと開かれていった乳、30代になって少し垂れてきた乳、大好きな人の前で脱いだら「かわいい!」って微笑まれた乳、妊娠で黒ずんで肥大する乳、そしてこどもの食糧となるために稼働する乳、授乳が終われば干し葡萄みたいに萎むかもしれない乳。すべてが愛しい。

 

 

「自分の体から出てきた子に触れる手つき、これまで出会ったかけがえのない存在である、大好きな人に触れる自分の手つきとおんなじで(あるいは私に触れてくれたあの手つきとおんなじで)子だけが特別だってことではないな、と思ったんですよね」と面会に来てくれた恩人に伝えた。人生の中で決して忘れられない瞬間や時間を共にしたことのある、親密な他者がひとり増えた、という感覚。

どうしても世話なしでは生きられない個体ではあるので一旦この子に割く時間は増えていくけれど、そこに順列順位はなく、やっぱり元カノたち(付き合ったことはない元カノを複数含む)や添い寝フレンドだった人はかけがえのない存在だ。子が大きな病気で臓器移植するというシュミレーションもしてみたのだけど、この子だから、ではなくて親密な他者であれば同等に私の臓器を使ってほしいという思いがあることにも気づいた*3。出産直前、遺書とまではいかないが万が一の時のために簡単に一筆書いておいたのだけど、ひとまず自分自身が死なずに退院できたことを祝いたい*4

 

最後に、心身の疲労により周囲への連絡が滞ってしまっていて申し訳ないです。同時に、生殖という大きな決断について見守ってくださり本当にありがとうございました。

 

それでは、皆さま

とっておきの春をお迎えください🌸


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*1:長く元気に生きられるかではない、誕生と実存に対するそもそもの祝福

*2:搾乳とは別の話題だけど、いざ授乳したくても直接乳首を吸われることへの不快症状が現れる人もいて、その症状はディーマと呼ばれている:あなただけじゃない!授乳が不快という感覚…D-MERとは?|たまひよ

*3:逆に私に対して臓器移植してほしいという願望は一切ない

*4:第二子については、里親申請にもう一度チャレンジするか、同じ人かまた別の人の子を代理妊娠検討するか、という考えでいる。とはいえ帝王切開と子宮頸がんのフォローも必要なので、最低半年以上はピルを飲んで判断していく予定