
『青土社 ||現代思想:現代思想2026年6月臨時増刊号 総特集=フェミニズムから問う』に奔女会名義で寄稿しました。
本会(=奔女会 ぽんじょかい)は、奔放な女/人たちがいてくれているからこそ継続できている会、私が中心に位置する会ではないのもあって、主宰の名は伏せながら様々な奔(ぽん)たちの発言や作品、活動の紹介に徹したつもりです。ただ、末尾に記述した推薦書は私自身の強い思いがあって引用しています。全体的にどんな会なのかいまいち腑に落ちないような、あまりにふざけているような、「都市伝説・超常現象」を称する会としては平常運転、そんな感じの寄稿となっています。本書ではセックスワークについて複数論じられていますが、ストリップについて言及したのは本会だけかもしれません。歴代の『現代思想』でも、ビッチという言葉がこれほど踊るように登場する回はなかったんじゃないでしょうか。編集部の寛大さに感謝します。
さらっと目を通したのですが全ての執筆が面白い。多彩な語りと共にあるフェミニズム、その中の一席をいだたけたことを光栄に思います。やはりというか、田中美津の登場率は高いです。ナンシー・フレイザー氏のことは勉強不足で全くわかっていませんが、おきく氏の高市政権批判や須納瀬氏の『フェミサイドとは何か?植民地主義的資本主義における「女性に対する戦争」』など多くの論考が、不平等と性差別の広がりと虐殺を許す現代社会の連続性を深く映し出しています。個人的には関氏の『ともにいるための方法』で、第三者(友人)の立場でハラスメント被害者と共に闘ってきた実践記録とその思いが読めたこと、それが本書の締めに掲載されていることも含めて大変嬉しかったです。
今回の寄稿を機に、奔女会というコレクティブ活動を始めてからの七年間と、私にとっての「フェミニズム」ってなんだったんだろうとも振り返ってもいます。私のフェミニズムとは、もともとは産まない/産みたくない体、そして労働現場で性暴力を受けた体からはじまったフェミニズムでした。
拙著『添い寝と生還』でも細かく書いたように、十代の終わりに性暴力被害に遭いました。それまでも(性的かを問わず)被害の経験はありましたが、その日の出来事は、これまで蓋をしてきた傷を直視せざるを得ない、私の人生を大きく転換させるものでした。自分の体が今ここにあるのだ、という感覚は添い寝フレンドだった人との添い寝の日々によって取り戻せたものの、生活していくための力や自分の心身を掌握する力、それを作るための土台(私は自由であるという確証、美への感性、恐れずに拒否ができる安全性、危機管理と判断力、白黒思考ではない柔軟性、統合感覚)を見失いました。証拠が残せるうちに警察や病院に行けなかったり、裁判準備をしたものの断念せざるを得なかったり、被害を語れば人間関係が崩れたり、労働組合へ相談しに行っても加害者に無視されて解決には至りませんでした。心のケア(それは「連帯」と呼ばれるものだった気がしていますが)を求めて、主に(シス)女性で構成される性暴力サバイバーの会に勇気を出して行ってみたことがあります。自身を女と言い切ることに違和感のある私は「女同士ならわかりあえる、大丈夫」というナラティブが肌に合わず、というよりも疎外感でいっぱいになり、二回目以降の訪問はできませんでした。美しいという感覚を取り戻す助けになったのは詩や書物、そして大自然の力でした。自由という感覚を取り戻す助けになったのはフェミニズムとウーマンリブ、そして実験的な性的行為*1でした。安全という感覚を取り戻す助けになったのは転がり込んだ色々な人の家、再演的な試行錯誤の中にある未知との遭遇でした。私は加害者にアプローチするための支援者には恵まれませんでしたが、インターネットや私生活でサバイバー仲間と出会うことができました。かつて沈黙をやぶってくれた何人もの男性の性暴力サバイバーたちは心の友です。様々なバックグラウンドを持つサバイバーたちと精神障害支援団体やシェアハウスで起きた性被害の再発防止を一緒に考えることもあったり、とある恩人は私のかつての被害現場に同行し、私が石を投げようとするのを見守ってくれました。窓ガラスは割れてはくれませんでしたが。
その恩人がバーテンダーとして勤務していたのが「メンヘラビッチバー」でした。精神疾患も性的奔放さも人生の大失敗も支離滅裂と罵られた経験もすべて含めて愉快に働いている姿、メンヘラやビッチという言葉を(他者からのレッテルではなく)自分を表現する極上のフレームとして譲らない姿(少なくとも私にはそう見えた)にとんでもなくエンパワメントされました。自分は対人支援職として生計を立ててきましたが、それまで「エンパワメント」って実感としてなんだかわかっていなかった。それがメンヘラビッチの皆さんの勢いあるエネルギーによって理解できたとも言え、奔放に生きる女性のことが大好きだなんだって自覚しました。同時期に、相模原障害者施設殺傷事件の衝撃で病院を退職して転職した先で何故か偶然イタリアに行けることになり、そこで「狂う」ことが肯定された国と街(脱精神科病院運動)に大きな力をもらって帰国しました。エンパワメントとは自分自身を祝うという感覚で満ち足りることでもあったのです。
これらの流れで、奔放な女をいたわり祝うための会「奔女会」を始めました。私(主宰)が彼女らを祝うという目的が根底にありましたが、回数を重ねるごとに「自分自身を祝いたい」という段階に来た人こそを歓迎すべき会なのだと気づいて、グラウンドルールを更新し続けた経緯があります。「自分を祝いたい」の前の段階、「自分は祝われるべきではない」「自分を祝えないから祝ってほしい」だと従来の福祉的支援あるいは(専門家が介入すべき)治療になってしまう。そうではなくて、被害の側面だけではなく、誤りや至らなさ、加害的経験も含めて自分の責任として人生を捉えられた節目にこそ本会があるべきだと考えて、現在の運用に至ります。近年、女性に限らない性別不問の「奔人会」の活動(ストリップ活動部、文学フリマ出店、表現活動と作品委託など)も行っていて、その点も今回の『現代思想』にて紹介しました。
生きていると決定的な喪失に立ち会う瞬間があります。それは自分の心や体がどこにあるか行方不明になってしまう経験でもあります。それが故意にせよそうでないにせよ「相手」によって壊されたものであるとき、そこには被害と加害の関係が生まれます。相手の心身に同じくらいの傷を与えたい、社会的に罰したい、復帰できなくなってほしい、目の前から消えてほしい、謝罪がほしい、相手より優れた地位について見返したい、被害を支援してくれる人がほしい、自分をケアしてくれる親密な人がほしい、あの被害者のように注目されたい、誰にも知られずにいたい、二度と繰り返されないでほしい、忘れたい、もう一度あの日をやり直したい。それらは当然の希求です。ただし理想と現実の狭間には大きな葛藤と限界もあって、(本人が求めた段階での支援や治療は手厚くなるように是正されていくべきですが)にっちもさっちもいかないことのほうが多いです。しかし復讐と復権の在り方は一つではないはずで、各々が自身で手繰り寄せたり発見できるものだと思っています。加えて、生き延びる過程で要求や欲望は変化してもいいはずです。私自身、遠回りをしながらも十五年の月日が経ちましたが、なんとか生き延びています。年齢差があったので加害者はもう死んだかもしれません。その仮定が救いのように感じる時もあります。しかし同時に、トラウマと闘い床に伏していたり、近親者からの(性)暴力、小児期や青年期の信頼していた人物からの(性)暴力、社会的影響力のある人物からの(性)暴力、大切にしてきたコミュニティ内での(性)暴力など、穏やかに生活したくてもその存在や記憶が消えないという状況にあるサバイバーのことをいつも思い出します。復讐と復権の先に、修復があるとも考えます。それは、一人ひとりのオリジナルな創造であり、応答*2でもあります。過去には戻れない。完全な元通り(修復)にはならない。しかし息をして生きていくうちに、心と体も、他者との関係も変化し続けていく。凍っていた時間は差し込んだ光によって動き始める。その時何をするか、そして何をしないかを、わたしたちは自分自身で選ぶことができるはずです。
私にとっての復讐と復権、そして修復のための実践が添い寝であって、その延長線上に奔女会の設立がありました。七年間、様々な奔放な女たちが私の人生と(一瞬でも)交差してくれたから、私自身も生き延びることができました。彼女たちなしには本会は成り立たちません。「支離滅裂で混乱するものは尊いものだ、壊してあたらしい局面を開いて再建する力を持っているから」という価値観が根底にあるのは、喪失して精神を病んでめちゃくちゃになって周囲に嫌われたり疎まれたり嘲笑われた経験が、「奔放」な流れの中で治療やパターナリズムを拒否して愉快に生き延びる瞬間と連続していると知っているからです。今回、奔放な女/人たちがそこに存在していたという記録を後世に残せて本望です。貴重な機会をいただき、様々な方に感謝を伝えたいです。あなたもわたしも、生き延びたよおめでとうございます。
そして今、私自身は産まない立場ではなく、産んだ立場からのフェミニズムを考えるという転換期に来ています。女であることへも母役割へも迎合せず、それでも(誰かにとっての、あなたにとっての)母であること*3を引き受ける私のフェミニズムとは何なのか。「母」になったことで、パレスチナにいるお母さんたち、自分の産みの母、東京の母*4、母になった友人たちと再度つながれる近況があります。あるいは産まない/育てない私を願われていたのかもしれない幾つかの関係性があります。自分の選択によって生じた耐え難い離別があります。誰かの理想や社会の規範のためには生きられないのだから、「家族」「(母)親」に対するジャッジの目線に対抗/抵抗していくための思想が改めて必要だなと痛感しています。産後二ヶ月が経ち、精神的に参ってもいて、月の大半は引きこもり体調も安定せず社会生活が送れるか不安なのですが、『妊ZINE』完成版を作成するのと、妊娠中に開業した個人事務所(スタジオ奔人)をぼちぼち動かしていければと思います。



