
内省的な生活を送っていて、今月は週1~2回しか外に出れなかった。それでもなんとか行くことのできたストリップ劇場で「Hello, my friend」が流れた瞬間つい号泣し、それはうとうとする瞼に継承する子守唄に変わり、眠る子を縦に抱きしめながら大島弓子を読んだ。育児自体には慣れてきて、まだ寝返りのできないあなたは仰向けになりながらバタバタと布団の上を泳ぐ。衣類をめくって半裸になる姿や、枠組みを超えていくような寝相に我が身を投影する。腹が減ると蟹のように泡を吹く。歯のない口腔内遊戯で一日が満ちる。私もかつて発していたのだろう覚えのない愉快な声を何度も繰り返して。母乳は血液でできているそうだ。授乳という関係性(性的興奮の伴わない性的関係)がほんとうに面白くて、それだけで小一時間は熱弁できる。泣いてしまっては兵に見つかるからと無理やり乳で口を塞いだり、最終的に子殺しをせざるを得なかった第二次世界大戦中の親らの悲痛を読む。そんな状況は絶対に嫌だと思う。そう思うし、今すでに起きている戦地で大事なものを失う人たちがたくさんいる。戦時性暴力が肯定され、生殖の権利はないものとされる。常時も非常時も弱いものから順番に体と心と命が奪われる。現政権を憂う。
生きる意味についてまた考えて、いつものように「稀に(偶に)どうしても忘れられない光景に出会うことがあるから」という結論に落ち着く。それを絶景と呼ぶとしたら、特に少女漫画には見事に収まる額縁がいくつも浮かぶ。観劇しに行く場合は客席から見える絶景があり、親密な他者と過ごす時間の中では自分たちはその絶景そのものになれる。少し時間が経ってから脳内に突然その光景が再生される。何度もだ。だから、おかしいほど必要でいとしいものだったのだと後になってわかる。自身のみじめさと愚かさでできた深い水たまりは何色なんだろう。間違い探しの続きについて文章に残すしかない自分をどうしようもない奴だと思う。
最近は、第二子について考えている。生理再開の予兆はなく(母乳育児では生理再開が遅れる傾向だが、生理がなくても妊娠する場合があると聞く)、ひとまず待機という状況だが、異形成細胞の経過を考えると、一年以内に妊活チャレンジをした後、子宮を使い切って切除してしまいたい。しかし肝心の第二子を持つための相手がいないので困っている。産む前までは条件があえば(妊娠出産に関する私の健康管理コストと医療費等の実費を負担できて、かつ単身での養育の意思が明確な人であれば)誰でもOKという感覚があったんだけど、産んでみると自分の欲望の形がくっきりして、全然誰でもよくなかったし、自分は選択的シングル親の才能があったのかもしれないと気づいた(自分の体を使って子を持つという欲望がなさすぎて産むまでピンときていなかった)。
精子バンク利用者やシリンジ法選択の友情結婚者(性的交渉なしの妊活)について改めて調べると、かなりの個人体験談(匿名ブログ)が出てくるので驚いた。いわゆる恋愛やセックスを介さずに子を持ちたい人がこんなにもいる。産後に対面で出会ったとして、今現在の子育ての話題が中心で、妊娠までの経緯や方法を公開する人はほとんどいない。しかし見えないだけで、十人十色のプロセスがあったのだろうと想像できる。
第二子のみ精子バンクを利用予定の人が身近に現れ、私は同じ方法を検討する余地があるのかと考えている。(その理由はZINEに記載する予定だが)第一子があまりに可愛く自分も積極的に関与したくなってしまったので産前と見立てが変わった。自分の価値観的には、第一子と第二子の間で差別的な扱い(大きな格差)があってはいけないと思うのだが、自分の経済力だけではどうしても養育環境に格差が生まれそうで悩んでいる。第一子には父がいて、第二子には私しかいない(逆にいえば第一子は私を独占できず、第二子はできるように見えるという)状況も愛着形成に影響があるかもしれない。はじめから選択的シングル親の道か離別後シングル親になる道であれば、自分主体で自己責任で自由に動けたかもしれないのだが、屈強な親権者がもう一人いる状況だと、環境調整が段違いに難しい。年子の難易度と比べれば、第一子が小学生くらいになった後に(遺伝子上の父親が異なる)第二子を持つことの難易度は下がりそうだが、そうすると病気のほうが私を待ってはくれないだろう。子は一人だけと決めて手術の検討をしてもいいが、出来るならもう一度子宮を活用したい。しかし私も第一子の父もイカレポンチで人付き合いの仕方に難があるので、ポリアモリー的な複数人との共同育児はまた夢の夢でもある。当たり前だが理想は現実の前に簡単に破れる。あっけない。
先月末、中学生の子を育てる奔放な女が家に来てくれて、「世間にとっての理想の親を演じることへの抵抗の他に、こどもにとっての理想の親を演じることに悩むことがあるかもしれない。我が子に『こういう親であってほしい』と直接言われた時、私はこうしたよ」という話をしてくれた。どこからどこまでを演じて、どこからどこまでを演じずに生きていくのか。子の幸福と福祉のために犠牲になるという考え方とは別の形で良い塩梅を模索したい。
『子は親を救うために「心の病」になる』を読んで考えた自分と親の形質|バターンひやま
ほとんど人に会わない生活の中で、インターネットを彷徨っていたら上記の記事を見つけた*1。2020年に当時23歳だった筆者が自身の家庭環境を分析しながら、自分に暴力を振るっていた精神的に弱い母親のことを以下のように表現していた。
中学生のとき、母親は自分にとって魅力的な人間ではないと気づいた。母子関係ゆえに同じ家で日常的に生活を共にしているが、この人の性格や生き方は一個人としての自分がつきあいたい人間ではないのだと気づいた。たとえば年齢が近い知人として現れたとしてもそこまで仲良くできないだろうと。
それで家族について悩んだり苦しんだりするときは「自分の問題」として処理してきた。
母が魅力的でないというのは間違いではないし、自我の獲得、自尊心の防御という点で良い気づきだったと思うが、そうはいっても、母親という存在が特別なことはかわらない。母親のことをかつて乳飲み子であった私の精神は愛しているし、母親のことを心配していて、それでずっと苦しいのだとようやく今になってわかった。
親のことを嫌いでも憎いでも毒でもなく、「自分にとって魅力的でない人間」と形容した筆者に大変好感を持った。自分の核を濁さずになんとか手繰り寄せて自己表現してきた人だなと感じたし、「強い縁はあったけれど好みでない(けれど特別ではある)他者」について自分もそう表現していいかもしれない、と思えた。
私は自分の親のことを「個人としては魅力的だけれど、親としては頼りない(役割をうまく遂行できない)人間」だと感じて生きてきて、適切な距離を探ってきた*2。
しかしこれからは、我が子に評される番なのだ。自分が奔放なイカレポンチだという自覚はそれなりにある。社会生活の中で子が不利にならないための演技擬態をすることは恐らくできる。ただ自分の元来の性分はきっと変えられない。「あなたを思って」は子ども本人にとってありがた迷惑かもしれないし、人間としての相性もあるだろう。「魅力的でない人間/親」になるかもしれない可能性を引き受けながら、それにしがみついてはならないと思う。自分が子にとって魅力的でなかったとしても、何かに魅力を感じる感性と、魅力的な他者と出会うためのきっかけを阻まないような人間でありたい。
子育てが始まっても私は私のままで何も変わらないけれど、「養育者側の視座」で(も)作品や物事を見つめられるようになってきた。過去に産まない立場や感性で読んできた育児エッセイなどを再読したら、斬新な読み方ができるかも知れない(瀧波ユカリ『はるまき日記』を再読したい)。
********
今年9月13日の文学フリマ大阪への出店が決まりました。なのでなんとか秋までに体調を整えたいです。フリーペーパーを書きたい、作品を委託したいという声が届くので、それに応えられるよう頑張ります。いたいけでいじらしい夏の来訪をおそれながら。そして待ち侘びながら。
*1:こちらの心理士のレビューを読むと、専門家的には注釈付きの読み方が必要ともある:「子は親を救うために『心の病』になる」という本を読みました
*2:元凶の祖母が亡くなってからそれはだいぶ楽になって十年が経った。昨年妊娠報告の際に「私は家族のケアをしすぎていたよね」と母に伝えてみたら、母は驚いた後に同意していた


