人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

愉快な生を助けることについて

一昨日のことだ、compagno(仲間)の語源はパンを共に食べるもの、分け与えるものだという話を大阪で語った。私は、パンをもらうように身体を作り直したので、返礼と伝承の方法をいつも探していた。私の身体があなたの身体の中をうまく渡り歩いているのがわかって、思わず拍手したくなることもあった。即席であればあるほど欲しいものは遠ざかる。触れる/触れられるという贈与を考えるとき、純度を高めるためには世の中の規範や価値から抜け出す一瞬から目を離さないようにしなければならない。そして触れずに触れる方法も、いくらでもある。砕いて溶かして液状にして頭上から浴びてもいいし、部屋に引きこもって詩をうたってもいい、真横にあるその壁を叩いて振動を感じるのでもいい。そして、今回ブログ「人生、添い寝にあり!」を印字する(ZINEにする)という方法は、二つの思いがけない贈り物を私にもたらしたのだった。

 

国内最後の奔女会にて、うさぎいぬさんからのミモザのブーケ

一つは、私の愛する言葉『奔放な人生を祝って』と名付けられたセミナーへの登壇(鼎談)の機会をもらえたこと。もう一つは、ZINEの再販を強く勧められて編集と印刷を手伝ってもらえたことである。

 

セミナーのテーマは「規範」「自立/支援」「回復」を問うことでもあった(登壇者3名に共通する問いでもあり、トントン拍子で打ち合わせが進んだ)ので、以下を本棚から取り出して、仕事の合間にぺらぺら捲っていた。

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そして小松原さんの書かれた以下の記事をよく思い出していた。

私たちは、かわいそうな人をみるとドキドキする。そのとき、私たちは、誰のために、何をしようとしているのだろうか。

小松原織香「「言葉にできない痛み」とは何か」 (parc-jp.org)

 

数年おきに何度も読んでいるのでそろそろ暗記できるかもしれない(笑)。消費に食い尽くされること・飽きられて捨てられること。どちらとも距離をとるには、あるいはそれに上から跨り抵抗するにはどうしたら良いのか?そう考えて、性暴力に遭ったことをさらりと話したとしても、その具体的詳細は私だけの痛みとして守り抜いてきた。

傷の舐め合いという言葉があるが、正直舐め合える身体なんてそこにあるの?と思う。一過性の快楽があるだけで、境界線がゆるまるだけで、相対的に強い側が、一方的に乗っ取ってしまうのがオチではないか。語りや癒しの誘惑に敏感でないと、自分の身体を抱きしめる腕を失っている事にさえ気づけないかもしれない。それが最も怖かったから、常に添い寝のあの日を思い出して自分の身体の所在地を確認していた。

 

サバイバー同士の哀しい話。たとえば、親しくなりたいと接近される過程で、相手が性暴力経験(生々しい詳細)を突然カムアウトし、私が受け取った途端に縁を切られてしまうことが度々あった。すると、その人の経験だけが私の身体に残留する。親密さを育む上で性暴力経験はうってつけの促進剤である。それは猛毒でもあるから、その仮初めの親密さを拒絶して別の親密さを問わないといけなかった。あちらは吐き出したものの味を忘れていても、私の存在丸ごと忘れていても、吐瀉物(それは決して汚くなんてない)を飲み込んだ私の喉元は今も潤い続け、分解できず肉体はみるみる硬直してしまう。そのとき、私は誰かにとっての旅先の地蔵だったのだなと感じ、私も連れて行ってほしかったと先ゆくその背中を眺めるしかないのだった。

 

 

ZINEにも書いたが、性的関係を持った一部の男性にだけは、どれだけ注意してもこの傷を伝染させてしまうことがあった(そもそも性暴力サバイバーであることを伝えずには人に触ることができない人生になってしまった)。相手にとって魅惑的な告白であったとして、その後飽きられることも、悲しませることも、ファンになられて消費されるのも、驚かせて戸惑わせるのも、すべてがつらかった。私のせいで、あなたが本来必要のなかったであろう感情に支配されたならと、自責の念でいっぱいになった。基本的に沈黙を破らなかったが、身体とは厄介なもので、非言語の表現として傷口が綻んで破れてしまうことがあった。だから私にとっての被害経験は、加害経験と地続きで、絶対に切り離せないもので、忘却を許さない苦痛なのだとセミナーでも語った。

傷を受け取った彼らの反応は様々だった。ただしく放置してくれたり、鍋を囲んでくれたり、自分の言葉で私を批判してくれた男たちがいた。(過去にも書いたが)ひとり、数日後に電話をかけてくれ、それは衝動的な反応だったのだと思うがー嗚咽を漏らしながら泣いてくれた人がいた。「この人は私の10年分の涙を流してくれたのか」と解釈できるほど全身で泣いてくれた。次に会ったときはけろりとしながら性欲をぶつけてくれて、その切り替えの早い、あっさりした魂を愛しいと思った。これから何があっても私はこの人のことをほんとうの意味では嫌いになれないだろう、自分からもう連絡することはないとしても、ずっと大事な人なのだろう。それほどに、あの瞬間をなかったことにできる回路は、この身体のどこにもない。

 

封印してきたことを一つ語ってしまおうと思う。「性暴力からの回復や闘いを恋人が支えてくれている」という語りやその事実に、かなり自覚的に距離をおいてきた。それは、恋人に連れられた場所で被害に遭い、被害当日に恋人に助けを求め、恋人に別れを切り出した過去の私がどんなに欲しくても手に入らない物語だからだ。でも最近ようやく、「恋人(パートナー)が支えてくれている」と語るサバイバーのことも当たり前に祝えるような気持ちになってきた。奔女会という場で自分を祝いたい人たちと出会い、生きられなかった人生を交換こし、分け隔てなく人を祝うことを続けていたから、最も遠くに感じていた人達を祝うための準備が整ったのかもしれない。だれかを羨む必要がなくなって、ようやく開かれる傷跡がある。そこには、一つの旅が終わるような寂しさと安堵がある。

 

2023年3月19日大阪 Freeedomセミナー『規範からの脱却〜奔放な人生を祝って』
Freeedomセミナー『規範からの脱却〜奔放な人生を祝って』2023.3.19 | Freedom 薬物依存家族支援 (freedom-osaka.jp)

つばきさん&めばさんと「規範からの脱却〜奔放な人生を祝って〜」に登壇することになってから、うさぎいぬさんの提案でZINEを刷り直すことになってから、毎日が愉快でたまらなくて、連絡が来るたびに嬉しくて顔がくしゃくしゃになるくらい笑っていた。私はまさに今、"支援”を受けているのでは?と感じもした。

 

セミナー当日は、百人を超える方が視聴してくださり、つばきさんからは生活保護行政の中で息苦しかった経験とそこから脱却するための書籍や出会いの数々が語られた。彼は不思議な人で、これまで私が出会ってきた「本を読む知識人」とは一線を画していた。フェミニズムトランスジェンダーの生を、自分の生と地続きで祝っている人で、はじめて喋った時、年上と理解しつつも私よりも突き抜けて若いみずみずしい魂がそこにはあると思った。

鼎談では、めばさんが「奔になれない人がポンをやる」という名言を生み出して、裸になることの面白さをかろやかな身体で語ってくれるから、「奔放、ポン、すっぽんぽん」という三拍子のリズムで踊りだしたくなるほどだった。山戸結希『おとぎ話みたい』という作品でバレエダンサーを目指す志帆という女の子が、ピナ・バウシュやメルロ・ポンティを語り、踊りとは(意味付けない、そのままの、生々しい肉体を晒すという意味で)下品な見世物になることだと悟るのだけど、それが思い出されて、表現者としての美しさに圧倒された。

 

私も彼女のように魅力的な見世物になりたいと思う。これまでは、時を止めて抱きしめる布団の中か開けっ放しの家の中でしか脱いだり裸になったりしてこなかったから。

見世物として長けていても家庭の中では立場の弱い者たちを食い尽くすという在り方が嫌すぎて、まずは家庭や布団の中(※家庭というのは家族規範、布団の中というのは性愛規範の意)からの変革だと信じてやってきたが、次に進む時期が来たのかもしれない。

 

髙橋りりす「サバイバーよ、勇気を出すな」の朗読(私の声ではぐだぐだになってしまったが)はサバイバーとしてのPRIDEというのかな、"これ以上の勇気を出す必要はない。私の勇気は、私のものだ"というバトンをただしく明け渡してくれた。やたらと落ち着いて話し終えた後、光が差し込んで、目の前の景色が変わるのがわかった。ぼそぼそ声のサバイバー・フェミニストが覚醒したかもしれない(笑)

 

セミナー会場では持参したZINEがほぼ完売した。打ち上げでは、めばさんとDumb Typeの話をしていて、アーティスト古橋悌二HIVと共に生きる身体を、これまでの人生を、自身の亡き後の愛する友人たちの未来を、信じるように「古橋悌二の新しい人生を祝って」から始まる手紙を書いたエピソードが私の「奔放な人生を祝って」の土台にあることをネタバレ(?)できて嬉しかったし、別れ際のハグは、あまりに必然だった。

そしてなにより驚いたのは、その翌朝、感極まっている(?)つばきさんの計らいで、狂ったような「奔LOVE」ツイート(以下)がタイムラインに流れてきたことである(笑)。

 

 

https://twitter.com/shientoha/status/1637584075262406656?s=20

 

ほんとうにびっくりした!

 

朝7時、新大阪駅近くのホテルのベッドでこれを目撃してしまい、ひとり声を上げて大笑いして、一瞬の空白がやってきて、そのまま静かに泣いた。(泣き笑いがただしい)

 

性暴力の話をした翌朝って、しんみりして抱き合うか、切り替えて、何事もなかったように日常を引き受けるしかなかったから。こんなに愉快な気持ちになった朝は初めてだった。今このタイミングだったから受け取れた、というのは大きいと思うんだけど、なんだかもう想像を超えることしか起きなくて可笑しかった。初対面の時はこうはならないと思っていた出会いが、後になって、恵みの雨のように降り注ぐので、ああ、また生かされたのか、とふと我に返る。いろいろな人に出会う。私が興味があるのは傷や愚かさを前提としてどう生きていくか、どう謝罪し、どう修復し、どう喪失し、どうやって自分を軽蔑しつつ抱きしめるかである。裸になろうとする勇気が「あなたは今も哀しいままなのか?」と問いかけ、揺さぶってくる。年を重ねるほど身体が開かれるほど奔放な出会いが訪れる。パン*1/奔(ぽん)を分け与えあう関係って友愛そのものだと思う。

 

関わってくれている(くれていた)すべての方へ、改めてありがとうございます。ありがとうございました。

 

▓お知らせ▓

4月1日木場公園にてZINEを販売します。

5月の文フリではストリップ同人誌「イルミナ」さんのブースにてZINEの委託販売をさせてもらえることになりました。

購入希望の方、どうぞよろしくお願いします。

*1:どうでもいいことだけど、高校時代の吹奏楽部のあだ名がパンだったんだよね。突然思いだした。ほんとうにどうでもいいことだけど。