人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

ZINE(30年の人生振り返り)を作りました

奔ZINE「添い寝と生還」

ついに、三十年の人生に、一区切りつけることができました。

目次は以下の通りです。



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~購入方法~

【面識のない方】

氏名(ペンネーム不可)と連絡先+可能ならSNSアカウントを明記の上、メール下さい。kmnymgknunh★gmail.com

【面識のある方】

気軽に声かけてください。次回会える時に持っていくか、郵送します。

 

価格とお渡し方法は改めてご連絡いたします。(11月文フリでは1000円で販売。)

84ページ。表紙カラー/本文白黒。

A5冊子で文字がかなり小さいです(フォントサイズ9にしてしまった)。

ひとりでは入稿作業が出来ず、うさぎいぬさんに助けていただきました。心から、ありがとうございます。

 

※私の野良文体(?)が約9万文字続きます。ご参考までに1エッセイ転記します。

 

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わたしを癒してくれたもの

 

 生身の誰かに癒された気になってはいけない。それは相手を供物にすることだから。そう強く心に刻むようになった。その人が個人であることを奪う行為は、傷つける・苦しめるとも次元の異なる不幸、そう感じるようになった。喪失した対象にしがみつくのと喪失そのものにしがみつくのは全く違うことだ。だから私はナマモノ以外に救いを求めていった。


 性的行為を拒否して別れてしまった高校時代の元カレに連絡を取ることがあった。コミュニケーションを拒んだ私のことを彼は恨んでいたはずだが、彼は私が性暴力被害に遭って人生が一変したことを伝えた時ただしく哀れんでくれた。なんとも不思議なもので、私は私を憎む人からの同情になら耐えることができた。その際贈ってくれたのが、「重力と恩寵」だった。シモーヌ・ヴェイユの生き方と思想は、先述のハーマンと合わせて生き延びる指標になった。私は自分が癒されるためにハーマンとヴェイユの翻訳をいつも写経し、Twitterで出会った詩人mさん*1を四六時中インターネットの海で追いかけて、博多まで会いに行った。彼の「坂のある非風景」というブログは詩集だった。影響を受け、吉本隆明ジジェク、フォークナー、ピーター・グリーナウェイ、その他多彩な思想と作品に出会った。自分の中にある美しいもの、美しいと感じられる心を探すうえで重要な時間だった。また、叔父の影響で漫画が好きだったので、よく古本屋に出向いて掘り出し物を探しにいった。萩尾望都ならトーマの心臓残酷な神が支配する大島弓子ならロストハウス、バナナブレッドのプディング、夏の終わりのト短調山岸凉子なら日出処の天使、バレエ表現全般。植芝理一ディスコミュニケーション三浦健太郎ベルセルク*2よしながふみの大奥と愛すべき娘たち。阿部共実の月曜日の友達。そして私の生きる世界の延長上を生きるトランスジェンダー、ノンバイナリー、非異性愛者、非性愛者が登場する作品全般は宝物になった。Wacoalのブラジャーも自分の身体を肯定するきっかけになり、感謝している。人に会えない日は、原っぱで眠った。山に登ったり、間伐をしたり、海で泳いだり、浜辺で黄昏たり。自然とのふれあいも私の中にある美しいという価値を呼び起こしてくれるものだった。

 

 性暴力被害の翌年、大久保さんのソイネ論*3を拝読し、衝動的に秋葉原のソイネ屋*4に何度か通った。ソイネ担当になった女の子と同じ布団に入りまどろむ意識の中でおしゃべりをして終わったが、かわいくて無害な少女という条件の下に成り立つ添い寝は、私の遭遇したそれと全く異なるものだった。私が頂いた添い寝は、対価や報酬・ケア役割・セックスや親密関係への期待が排除されていた。「ただそこに在る」だけのもの、剝き出していて何でもないもの。そして手ぶらで、待ち時間もなかった。子どもの頃、学校を休んで、真っ昼間に眠り続ける私を発見した母が「え?死んでるの?」と問いかけてきたことがあった。暗闇の中から聞こえるその声が、なんだか嬉しかったのを覚えている。眠る姿はいつも夢と現の間にあって、吸い込まれそうな暗さがあって、無防備で恐ろしいほど可愛い。寝息が聞こえなければ、体温に触れられなければ、生きているかもわからない。眠ることは滅びの方法でもある。それでも共に眠れたなら「君もひとりだったのか」とその孤独を受け入れる、唯一の方法になる。

 

Sophie Calleというフランス人の現代作家が一九七九年に行った変なパフォーマンスに『眠る人々(Les Dormeurs)』(publié en 1980)というのがある。この作品の中で、Sophie Calleは自分のアパートに八時間ごとに二十八人(母、自分を含める)を招待し、自分が毎日眠っているベッドで八時間、眠ってもらい、彼女はその間彼らの寝姿を撮影する。二十八人の招待者達は、人と決してすれ違わない日本のラブホテルとは違って、交代がしらお互いに顔を見合わせる。そして、彼らが寝ていたぬくもりの残るベッドに入り、八時間を過ごす。シーツを変えたのはたった数回であるらしいから、シーツも枕も共有することになる。この作品において、Sophie Calleは彼らと添い寝している訳ではない。しかし、彼女はある意味で、添い寝を仕事として雇われる少女達のように他者として眠る人々の横(à côté)に存在し、彼らを見つめている。「見守っている(observe)」といった方がいいかもしれない。彼女は眠る人々と共にベッドに入ることなく、一定の距離を保ってプロジェクトを遂行するが、それでも、知らぬ人々(四人だけが知人で、見知らぬ人もたくさん含んでいた)の寝息を聴き、寝返りを打つ姿を眺めながら、狭い寝室で八時間という時間の長さを共有することは、「眠る」という行為が本質的にもつ親密さゆえに、奇妙な感情を呼び起こす経験であったことを証言している。
(大久保美紀さんブログ「添い寝/Soine がなぜ気になるのか」2012/10/4) 

 

 その頃eiko/komaというダンサーと出会い「sleeping together」を踊った。十数人の人間が床の上で無心に転がるというもので、目を瞑って自由に寝返りし続けると、いつか必ずだれかに触れてしまう。その交錯がなんとも愉快だった。自分でも何かを作ろうと思い立ち、添い寝映像を撮影することにした。安藤裕子「のうぜんかつら(リプライズ)」をBGMにして、私が添い寝を語り、偶然居合わせた三人に広々とした布団に寝転がってもらう(眠ろうとしてもらう)というものだった。当時はそれをYouTubeに投稿するので精一杯だったが、いつかリベンジしたいと思う*5。また、辺見庸「自動起床装置」に登場する起こし屋と植物や、太宰治「斜陽」で眠る僕にそっと毛布をかける奥さんに、添い寝の片鱗をみていた。

 

 萩本創八・森田蓮次の漫画「アスペルカノジョ」の第一二〇話を何度も読み返している。かつていじめっ子だった少女が今度はいじめの標的になる。給食のシチューの中に虫を入られてから、中身の見えないものが食べられなくなってしまうというエピソードがある。見て見ぬふりをした友人に許しを要求された時、「許してほしいならこの虫食べてよ」と突き返す。中立を気取られて腹が立たないはずがない。しかし同時に「でもあいつらを憎むほど自分も同じことをやってたって思いしらされる」と押し潰されそうな思いを吐露する。元通りには戻らない身体がここにあっても、誰かを同じくらい傷つけた過去が、自分への抱擁を許さない。かつてその少女にいじめられた「斎藤さん」は、項垂れる彼女を眺めて、顔を歪ませる。絶対に許さないと決めたのに、癒しを拒絶された身体を目の前にしたとき、撤回のことばが零れ出る。自分と同じ低さまで降りてきて、初めて目を合わせられたから。そして語り部のような役割の男が、自販機の前で「透明な水」を探す。その描写にふれるたびに涙が止まらなくなってしまう。

不幸があまりに大きすぎると、人間は同情すらしてもらえない。嫌悪され、おそろしがられ、軽蔑される。同情はある段階まで降りて行くが、それより下へは降りて行かない。愛がその下まで降りて行くのは、どうしてだろう。—そう問うた、シモーヌ・ヴェイユの言葉が反芻する。

 

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ZINEの最後には、生まれて初めて作った戯曲(未完)も掲載しています。

添い寝をテーマにした、15分程度の戯曲「代わりに眠って」です。

 

私が愚かで至らないあまりに会えなくなってしまった方々、そして社会にある差別、暴力被害や疎外の結果亡くなってしまった方々もたくさんいました。今まで出会ってくださったすべての方のことを思い出して余生を過ごします。この30年(特に高校時代からのブログの読者さんとは13年くらいになるかも)の間、私と出会ってくださって、ありがとうございました。あなたの身体のことを私は忘れません。(あなたと私の人生を祝って)

*1:アカウントは@Entwurf。「夜の生き物は光の尊さを知っている。昼の生き物は夜の生き物とは出会えない。出会えない関係のほうが利害がぶつからず長続きしたりする。長続きする関係には瞬間がないので、永遠の愛を語ることがけっしてできない。永遠と持続の交換」と書き写された手帳を見つけた。学生最後の春休みに博多に会いに行った。何故か一日に三回くらい駅内でラーメンを啜った。同時期、非性的であるために自らのペニスを切除して食す会を開いたアーティストもこの詩人に会いに来たとのこと

*2:ガッツは性暴力サバイバーだったから、仲間を見つけたと思えた。彼が他者を通して自身の裸と対峙した時はわんわん泣いた

*3:「添い寝/Soine がなぜ気になるのか」http://www.mrexhibition.net/wp_mimi/?p=990( 2012/10/4)/「追記:添い寝/Soine論 少女達のぬくもりを、さがすなかれ。」http://www.mrexhibition.net/wp_mimi/?p=1014(2012/10/07)

*4:2012年~2013年頃に秋葉原で営業されていた風俗店。性的サービスは禁じられており、コース時間に応じて女の子と眠ることができた

*5:今年「都市と芸術の応答体2022」に参加して、ロードムービーをやってみている。眠りの路、添い寝をいつか映像にできるだろうか