人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

金柑の木

私が生まれた家の庭には結構立派な金柑の木が立っていて、それをずいぶん溺愛していた祖母は残念ながらなにかを育て続けることができない人間だったので、母が苦労しながら定期的に枝切りをし、害虫を駆除し、育った実を収穫し、木の周りに乱雑に植えられた花々が枯れないように水をやり、十年以上その庭の手入れをしていた。料理が美味しくないとか、男の子を産んでほしかったとか、義母である女の心のない言動に心をすり減らしていた母は、彼女が死んですぐさま、嬉々としてその庭を一気に更地にしたのだった。

今年十二月、付き合ったことはないけど元カノと呼ぶことが許された子との祝いの席、温泉上がりの蕎麦懐石に金柑のジュレが添えられていた。たしか「金柑、好き?」などと聞かれたタイミングで、切られてしまったその木のことを久々に思い出した。祖母の思い出の一つでもあったから、少しさみしくもあったけど、虐げられた側の母の怒りとやるせなさが優先されるべきだと二十歳の私は確信していたから、たいして大きな喪失ではなかった。それよか、祖母に対する激しい嫌悪と憎しみを抱えながらも折れず、生まれてからずっと誰かと私を比較せず「あなたという個人はかけがえのない人間だ」という基本姿勢を崩さなかった母の精神力って凄まじかったのだと振り返る。それでも私は特定の誰かを悪者にすることも、嫌いになりきることもできなかったから(というか私の感情は私だけのものなので、誰かの強い感情をそのまま垂れ流されるなんて御免だったから)、相容れない二人の女の傷や弱さ(可愛さ)を労って、かつ面白がる方針とすることに決めたのだった。それは、今私がはみ出やすい女たちを祝う原動力にもなっている。

 

二週間後にそんな祖母の十三回忌が予定されている。「十三回忌までやるなんて、はあ」と少し呆れながら連絡調整をし親族の集いを計画するしっかり者の母。その傍らで、祖母に振り回されたこどもであった父が「そういえば彼女は殺人被害者家族だったらしい」「こどもの頃、頭を縫う大事故もしていたらしい」などと、やっと度数の合うメガネを手に入れ、ぼやけていた景色が鮮明になったように記憶の断片を語りだした。祖母よ、あなたはどれだけ傷ついてきた人生だったのだろう。そしてどれほどの人を傷つけてきた人生だったのだろう。不思議なもので死んでしまってからのその人との出会いのほうが濃厚であることがあって、十三年後の今もひたすら驚かされている。あなたは切られてしまった金柑の木のことを根に持っているのだろうか。きっとその存在さえも綺麗さっぱり忘れてしまって、死後の人生を謳歌しているんじゃないか。そう思う。

 

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架電座『ピーキーファジーメモリーズ』で十人の筆者が分け与えてくれたお話がどれも貴重な忘れがたき思い出だったので、どうやって感想を書こうと悩んだ結果、代わりに私の記憶を差し出すことにしました。良いものを読ませてくださりありがとうございました。

今年十二月一日の文学フリマでは、十年ぶりくらいに対面したズイショさんに新刊『デンマーク奔紀行』を渡すことができて、一ヶ月経つ今もじわじわと喜びが身体中に広がっています。心の兄貴(?)のようなズイショさんが生きていてくれて、再会できて本当に嬉しかった。ずっとブログを続けてきた結果、SNSでつながって十三年ほど経つ人たちと今もこうして縁がほそぼそと続いていることが、間違いだらけの試行錯誤もなかなか悪いものではなかったと思わせてくれるのです。私だけの静寂と孤独を絶対に誰にも渡さない、そういう思いでずっと書いてきたし、これからもそれは変わらないけれど、「書くこと」をやめられない人とは何度も交差し出会い直せるのだろうな。

人生って突然事故るし、病に伏すし、失い続けるけれど、誰かとのめでたい昼夜が時々やってくるので、心は曇ることを知らないでいられる。しかし最期は好きな人たちに寄りかかる欲はなく、公的サービスを駆使して、添い寝フレンドだった人との眠りの記憶を抱えて一人で死にたいと望んでいる。ただ、腐れ縁の男を看取ると約束したし、お互いの好きな男が死んだら同居しようよと言う二人目の元カノとの途方もない約束もあるので、それはあまり早すぎないほうがいいとも思う。叶うかわからない幻想や生きる理由(破れるのに破らない約束)を幾つか結ぶことを拒絶しなくなったのは、加齢の良さに違いない。

年末のこと。これまで(密室では)ずっと寝かせてもらう側だったのに、「そろそろ眠ったほうがいいんじゃない?」と他人を寝かせようとするという新鮮な経験をした。この世で一番好きなものは誰かの寝息かもしれない。最近とても目覚めがいい。自分が深い眠りから覚めたからこそ、案内人はいらなくなって、遠くのその深みまでひとりでも飛び込めるのだろう。

贈り物

ということで、変化に富んだ一年も終わります。来年も各々の一年が奔放さと喪失を恐れず愉快なものでありますように。離れていくものや亡きものの手触りを深い呼吸で感じることができますように。どうぞよろしくお願いします。