人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

サーティワン(2022年9月10月近況)


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阿佐ヶ谷は一番の安全圏だったのかもしれない。

8年ぶりくらいに友人らと再会することになり、阿佐ヶ谷に集った。だいたいのこと、みんな覚えていなかったり、朧気に覚えていたりした。私は当時は学生で、でも生きるのに精一杯だったから、学業に専念できず、色々な人に小銭を借りては寝床を転々としていた。周りに迷惑をかけすぎていてそれはもう酷い評判だったらしい。当時の日記を読み返すと、ハーマンやヴェイユの言葉を書き写した後に、懺悔の嘆きが並んでいる。私を叱ってくれる懐の深い人がいて、その人たちのお陰で踏みとどまれた部分があったのだろう。露頭に迷ってしまって、身体の感覚を失って、進学の意欲も失って、なにかを楽しむ心を失って、西東京で恋人と友人を失って、財布も紛失しまくっていた19歳の自分を哀れだったと今なら振り返ることができる。哀れだったねと代わりに泣いてくれた人たちの涙が集まり、乾いた皮膚が再び息を吹き返す。それを証明するかのように、今もこの身体に留まっている瑞々しい記憶がある。


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阿佐ケ谷の二軒目、おでんBARに入る。みんな口を揃えて"大根が美味い"と笑顔になった。

自己紹介も自己開示もしない。お互いの友人が突然合流しても誰も気にも留めない。沈黙の中でゆったり時間だけが過ぎていく。その空気を浴びたら、シェアハウスという場に助けられていたことを思い出した。何者ですかと尋ねないしあなたの社会的役割にもアイデンティティにも興味はないという場。基本全てが流れていくだけだからあんまり助けてもらえはしないが、誰からも説教されたり憐れまれたりしない環境、何者であるかを名乗らずに床に伏せていて良い環境にどれほど救われたことだろう。あれから12年が経つけれど、セーブデータをどうやって30代に引き継ぐかを迷い倦ねている。とりあえず来月文フリに向けて人生をまとめるzineを書いている。そのために、この秋はお世話になった人たちに寄稿文を書いてもらったりインタビューをお願いしたりしている。


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添い寝フレンドだった人もそのうちの一人だ。再会してからというもの、毎年誕生日祝いをしてくれるようになった。今年は公園で美味しい自家製コーヒーを淹れてくれた。汗ばむ秋の昼下り、当時を振り返るために路上で色々語り合った。どうして私と寝てくれた?とかそういう話だ。「私ら30代のスタートを切ったけどもう疲れたよね?」と頷きあった後に「40代で自由奔放にやれる人はさ、生まれつき生命力の強い人なんだよ」とその人は笑って言った。自宅で金木犀の鉢植えを愛でて3年になるらしい。残業ばかりで若白髪が増えていたようにも見えた。この人になら私の寿命をあげられるのになぁと思う。先にもらったのは私のほうだから、元の場所に返す(差し出す)というだけなんだけど。一緒に眠った阿佐ヶ谷の日々があるから今もこうしてここに存在できている。それがとても嬉しい。

誕生月、(私にとっては)大きな決断をした。13年滞在した東京を離れる。リセットが必要で、有り金すっからかんにしたい。そしたらこれから財布を落としても困らないし‥。最近はそのことばかり考えている。

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年末は関西のストリップ劇場を回る予定です。それでは皆さんお元気で!