人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

幽霊に二者択一を迫られる(2022年5月日記)

青野くんに触りたいから死にたい、という漫画のことを以前も書いた。この物語はおとぎ話の世界よりも現実の世界のほうがずっとずっと怖いという事を教えてくれる。人を愛する、人とコミュニケーションを取る、と簡単に言えてしまうけれど、その中にどれほどの暴力的な要素が入り混じるのか、生き延びるための栄養や土地が剥奪されうるのかを教えてくれる。萩尾望都『残酷な神が支配する』とつながるテーマだ。弱い立場の人間は知らずのうちに誰かの供物になっている。供物にならないためには、何も捧げないという意志が必要になるのだが、それ自体がとてつもなく苦しくて難しい。意志だけでなく構造がそれを許さないこともある。どうしても(あなたが)ほしい、助けてほしいと乞われると、揺さぶられてしまう。それが愛されたい人または自分が生き延びるために必要な条件を持つ人からであればなおさらだ。自分の時間を自分の身体を自分の心を明け渡してしまう。与えたのか、それとも奪われたのか、その主体性を問う議論はいつも途中で空中分解する。アンパンマンは顔を失ってもいつでも原状回復できるおとぎ話だが、現実はそうはいかない。失ったものは戻ってこない。そして失った地点から私たちは復権を願う。しかしその時、与えた(奪った)相手に直接「返してほしい」と直談判することができるだろうか。現実はいつもひんやりしていて無関心だ。それでも、青野くんに触りたいから死にたいと名付けられた物語はそれに果敢にチャレンジする。

 

幽霊になった青野くんは、ずっと二者択一の物語に苦しめられてきた男の子だ。生者であった頃、選ばれた側の子どもとして、選ばれなかった弟と引き裂かれてきた。「すべての親はすべての子どもを愛するものだ」が真実ではないこと、親も時に不完全な子どもであり不誠実で不器用な人間である事実に気付けたとき、選ばれなかった子どもはどこへでも行ける。坂口安吾も、太宰治を追悼する中で、親なんかいなくても(いないほうが)人は自分の生を全うできると断言した。けれど、選ばれた側の子どもはどこへ連れて行かれるのだろう?冷たい土に埋められて供物になるしかないのだろうか?*1

青野くんは供物だった子どもで、優里ちゃんは供物になりたかった子どもだった。同じくらい寂しかった。しかし優里ちゃんは幽霊となった青野くんと出会い、自身を捧げたことで、はじめて生者との接点を得ることになった。友人と呼べる存在が出来たのだ。その一人である堀江さんが生者と死者の世界は並行世界にあることを導く。優里ちゃんを中心とした皆はあの世とこの世に優劣をつけず大切な人たちを守るため、交差し合おうとする。しかしいつもトラブルに見舞われるし、青野くんは望まない自分になってしまう。かつて自分が嫌悪した、相手を供物にしようとする欲望に食われそうになるのである*2

 

「わたし」か「わたし以外」かどちらかを選んで!と相手に二者択一を迫る行為は、ドラマチックで恐ろしくてなんだかホラー映画みたいだ。この社会では、恋人とそれ以外、配偶者とそれ以外、親子とそれ以外、という風に「最も大切な人 選手権」が当然のように開かれる。お馴染みのお祭り。私はその二者択一の物語にずっと苦しめられてきた当事者である。どうしても大切な人たちがいて、それは二人以上で、業務みたいに綺麗に役割を割り切れるものでもなかったから、私は私なりにそれに抗ってきた。臨死体験としての性暴力被害があって、その先に添い寝フレンドという象徴と出会って、そこからずっと二者択一の物語に回収されないための、復権のための旅をしてきた。供物(贈与)に関することはずっと命題であった。そして踊りを望むのは、故郷のような世界、供物としての幽霊/非人間と共に存在する世界に触れたいからなのだと思う。

 

the能ドットコム:ESSAY 安田登の「能を旅する」:第3 回 能的『おくのほそ道』考

能のワキ僧にあこがれて旅をした人はたくさんいますが、もっとも有名なのは江戸時代の俳人、松尾芭蕉でしょう。

 

舞踊家が能楽師に聞く能の本質:能とはあらゆる人を癒すもの|まゆかかく|note

何かを見せているというより、回って次元を変えているのです。天の岩戸でも、アメノコヤネノミコが祝詞を詠み、アメノウズメが踊る。巫女の神格化、最古の巫女と言われる「ウズメ」には「渦」、渦巻くという言葉が入っています。

 

今月から芸術ワークショップに参加している。テーマはロードムービーである。松尾芭蕉が能と深く関わっていたというメンバーからの語りを聴く。能舞台には目付柱、目柱、ワキ柱、笛柱、シテ柱、そして「あの世からこの世」の道がある。能におけるシテ(幽霊、土地に佇むもの)とワキ(旅人、土地にやってくるもの)のような存在について皆で考えるとき、青野くんを取り巻く交流が思い出されるのだ(そういえば、青野くんのお母さんは、能面のような顔をしている)。最新刊で、山の頂上で優里ちゃんが「青野くんと出会う前の私は、現実の世界にいたけど(プールの水面下で)死んでいた」と語る場面がある。その上で、今自分が確かに生きていることを実感し、「生きる」とは時を進めること(変化すること)なんだね、と結ぶ。芭蕉の奥の細道も、青野くんに触りたいから死にたいも、この世のものではない存在(幽霊/非人間/象徴)と出会ってしまった者が映し出す、ひとつの旅のように思える。

 

ひょっとすると、小松原織香さんが『性暴力と修復的司法』で書かれていたこととも重なるのかもしれない。能/舞いと幽霊の話を考えるとき、小松原さんが加害経験と別の時間軸で生きるまでの過程を「解体的対話」と名付けていたことが腑に落ちるのである。(※「瞬間的で魔術的な力をもつ出来事」を他の出来事と同列に扱えるようになったとき、性暴力被害者と加害者が、その二者関係から解放される、お互いの関係に必然性がなくなるということを指す)

 

 

今ここに生きている私が私の人生を解体していくこと、二者択一の物語から解放されること、それに気付かせるような象徴と出会い時を進めるための意志を持つこと、それがロードムービーの核にあるのではないか。今年は、添い寝を出発点として、ものを生み出すための一年としたい。その他近況としては手術後かなり体力が落ちてしまい通勤するにも一苦労である。今日は主治医から自分の筋組織や骨の画像を見せてもらったんだけど、紅くて白くて綺麗だった。跡が残るのは全然気にならないから再発だけを防ぎたい。松葉杖生活はそろそろ終わるだろうけど、年内まではリハビリが続いて外出の機会は減るだろうから、この不運な状況も力に変えていけたらいいなぁという感じです。

 

 

*1:残酷な神が支配する、のラストではそれが逆転した。土の中で供物となり埋葬されたのはサンドラになった

*2:その時、悪霊という意味の黒青野くんとして区別される

「都市と芸術の応答体 2022」応募にあたってのプロフィール/活動歴

「都市と芸術の応答体 2022」応募にあたってのプロフィール/活動歴

 

※氏名、年齢、性別、職業については、応募フォームにより記載済

・群馬県出身/東京都江東区在住

・これまでの活動歴(以下)

 

ソーシャルワーカーとしての活動

 

過去の経験業務

・地域密着型介護施設でのケアワーカー(デイサービス・ショートステイ・居宅介護)

・自立生活センターでのケアワーカー(地域で生活する重度障害を持つ方を対象とした重度訪問介護)

・病院での医療相談員

・デートDV相談員

・HIV/AIDS相談員

・精神障害を持つ方を海外に派遣する就労支援員(イタリアの社会的協同組合に共に滞在)

・高次脳機能障害者支援専門員(公務委託事業)

 

過去の担当企画

2019年担当企画

2020年担当企画

2021年担当企画

 

現在の担当業務

上記の専門経験から、既存の制度に当てはまらない場やネットワークシステムの創造を目的とした企画を提出し内定。脳卒中や交通事故による後遺症を持つ方(高次脳機能障害者や失語症者)を対象とした地域作りを展開しています。

 

関連資格

・社会福祉士、精神保健福祉士登録

・妊娠葛藤相談窓口の支援員養成研修(2019受講修了)

・失語症者向け意思疎通支援者養成事業(2021受講修了)

・労働問題や社会保障の専門家を目指し社会保険労務士受験予定

 


講演登壇経験

・リハビリテーション病院での研修講師

・ケアマネジャー協会での研修講師

・高次脳機能障害者就労支援支援者向け研修講師

・東京都社会福祉士会での登壇

・業界内インターンシップフェアでの登壇

・芸術文化による社会支援助成活動報告会(アーツカウンシル東京主催)での登壇 等

 

 

アートプロジェクト参加活動経験

・精神障害や依存症・犯罪歴等、社会的疎外を経験した当事者で構成された劇団との共同演劇プロジェクト(日本公演の企画実行/障害当事者も支援職も巻き込んだ日本人役者の養成)の運営事務補助を経験

文化庁委託事業「令和3年度障害者等による文化芸術活動推進事業」

 

精神障害者でつくるプロの劇団 イタリアから来日、公演:朝日新聞デジタル (asahi.com)(2018年演劇舞台公演)

「マラー/サド(マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者によって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺)」 アルテ・エ・サルーテ | THEATRE for ALL(2021年演劇映像※コロナ禍により上映会と後日配信を実施)

 パンフレット – Marat/Sade マラー/サド (marat-sade.com)  (編集を担当)

 

 

 

・個人として、知人アーティストの企画に参加

 

 

その他、個人としての活動

①エンパワメントグループ「奔女会」主催(2019年5月より江東区にて毎月運営)

奔女会趣意(weebly.com)

立ち上げの背景には、様々な人生経験を持つ数々のサバイバーや演劇作品との出会いがあります。人は誰でも「生きることの危機」に陥る可能性があり、その危機を脱するために必要なのは、同情でも医学的診断でもなく、薬物療法や専門家主体の試みでもなく、その人自身が表現者/生存者として存在できる環境、これまでの苦労を分かち合える安全な場所、そこで織りなされる人と人とのつながりであると感じます。気が狂うような経験をしたことを、哀れまれたり矯正させられるのではなく、誰かと共有できたと信じられる時間を持てるなら、それはあまりに愉快で愛おしい瞬間だろうと思います。生き方も属性もバラバラの私たちがこの夜だけは「奔放に生き延びた」という一点で連帯しうる、そんな場を目指しています。自己紹介(自身の生に関する技術を紹介)し続けることに主軸を置いています。

 

そして私自身がかつて性暴力を経験したサバイバーであり、身体表現や身体の統合について強い関心を持っています。今後、大学院進学を検討しています。

・性暴力経験/贈与経験に関する日記/詩(抜粋)

わたしを引き受けていくために在る身体 - 人生、添い寝にあり! (hatenadiary.jp)

 

 

②東京都江東区を拠点とした有志団体「クロスオーバー・こうとう」メンバー

性的マイノリティ当事者として、自治体に対してパートナーシップ制度や性別を問わないDV相談窓口等を求める活動をしています。

 

 

③契約結婚当事者

知人と公正証書を交わしオルタナティブな家族としての共同生活をしています。

恋愛/結婚/生殖/ケアにまつわる既存の価値や制度慣習を問い、それに属さない形あるいは拡張しうる形で、人と人とが生きていける方法を生活実践の中で創造しています。

・契約結婚に関する日記/詩(抜粋)

複数ある親愛関係の運用についての私見(リレーションシップ・アナーキー/ポリアモリーという言葉では括りきれない何かについて) - 人生、添い寝にあり! (hatenadiary.jp)

 

 

以上、お読みいただきありがとうございました。

 

都市を一つの生きる場所、そして芸術をつかさどる場所と捉えた時、私がこれまで経験した演劇プロジェクト、社会的疎外を経験した当事者を中心にした場と空間作り、オルタナティブな人と人の関係性の在り方を切り結ぶためのトライアンドエラーの実践が、『都市と芸術の応答体』という試みに通じていく可能性を感じます。

鼎談を拝読し、あらゆる芸術には、有形有無を問わず「詩」が必ず存在している(必要条件である)というご指摘に頷かずにはいられませんでした。芸術についてまったくの素人であり最低限の知識理論さえ持ち合わせていないのですが、旅の先々で、死者や非人間を含むあらゆる他者と生きていくための接続器官としての詩が在ることを痛感しました。土台となるその存在を通して、ひとつの表現に出会うとき、それは紛れもない贈与の体験です。その返礼として何が出来るかを考えた時、芸術というものを一から学ぶことで、別の誰かとつながっていけるのではないかということを期待します。

貴プロジェクトを通して、新たなものと邂逅し、都市と芸術のより深い関係を問い、マネジメントを含めた実践を学ぶとともに、自身の作品をつくることを目指します。

性暴力と贈与

(支離滅裂な思考のメモです でも大事な内容だと思うので公開します)

 

慈善事業を行う裏で地位を利用して性暴力加害を繰り返していた人がいる。被害者たちを心理的・経済的・社会的にサポートするための手立てが不十分な中、彼の周囲が「社会的制裁は受けたし更生しようとしているから許してあげるべき」「まだ若いし、本でも出して再出発すれば良いのでは」とイネイブラーのような立場で安易な擁護を行っていた。

 

被害者たちの声を聞き続けた女性がそれを批判した上で「被害者も加害者もまともに生き直せない社会をどうしたら変えられるか」「大切なものを奪ったのだから、自分の大切なものを差し出さないと釣り合わないのではないか」というようなことを書いていた。

 

それを拝読し、加害行為者やその周囲が加害の事実を忘れようとする(なかったことにしようとする)社会だから、サバイバーは自分に起きた出来事に釣り合うものが見つからず彷徨うことになるんだなと腑に落ちた。

 

『加害側が贖罪の方法(自分のためではなく被害者の復権のために何を差し出せば良いか)を見つけること』『被害側が自分の復権に適う報復とは何かを見つけること』その両方が必要なのだとわたしは思う。社会はその困難とも思われる選択肢を用意することから目を逸らさないものであってほしい。わたしが小松原織香さんの修復的司法研究に惹かれたのは、この実践に果敢に挑んでいたように見えたからだろう。

 

先月はじめて、自身の性暴力経験を公の場で語る機会を頂けた(何をされたのかという具体的な加害行為や加害者の特徴について語ることを11年間ずっと沈黙してきたが、皆さんは穏やかに聞いて下さった)。憑き物が落ちたような感覚でとても有難い経験だった。

前述の「等価交換(贖罪としての贈与)」について思うことがある。性暴力という形で私を貶した加害者は40歳ほど年上だった。当時その人を法的に訴えることはできなかったし(弁護士の助言に従って手紙を送ったが応答はなかった)直接的な制裁も告発もできなかった。だが、相手が自分よりも先に老いぼれて死を迎える(私は死なずに生き延びる)という事実が私にとっての等価交換であり贈与で、それが自分の中でなんとか折り合いをつけられた理由だったのかもしれないことに改めて気付いたのだ。

であれば、加害行為者が簡単には老いぼれない場合、能力主義が浸透する社会の中で有能だからと復帰を望まれている場合には、どうやって折り合いをつければ良いのだろう?被害を受けさえしなければ損失せずに済んだものがあったかもしれない。思い描いていた未来の選択肢が奪われてしまい途方に暮れている中で、世間の声(加害行為者の再出発を声高らかに望む声)が聞こえてくる。「金目当て、売名目的の告発」「漬け込まれるような落ち度があったのでは」「加害者と被害者の問題だし、周りを巻き込むな」といった二次加害発言が聞こえてくる。被害を経験した者にとって、こんなに理不尽な仕打ちはないだろうと想像する。折り合いがつけられるはずがない。予期せぬ出来事によって人生が変化せざるを得なくても、再出発の機会を得られる社会でなければ、信じるに値する社会でなければ、なんのためにサバイブしたのか自問自答することになりかねない。

 

そもそも加害者は被害者を対等な人間(というよりも尊厳のある存在)と思っていない(暴力を振るっていい人と振るわない人を選別していて、暴力を振るわれなかった人たちはその二面性を受け止めきれず分断される)側面が少なからずある。なのできっと「相手の大切なものを奪ったのだから、自分の大切なものを差し出さないと釣り合わないのではないか」なんていう論理は、加害者にとっては破綻していて現実味を帯びないだろう。(相手も自分も権利を持つ人、虐げられてはいけない人、対等を目指しうる関係だと思えないとき、愛情や教育やケアといった建前で暴力が正当化される。最悪なことに、助けてあげた、与えてあげた、愛していたという認知になっていることもある)

 

復権に関する贈与が成り立ちにくいことは百も承知の上で書いておく。それでも本来の意味での更生支援とは、暴力を振るわれた相手は下位の存在ではなく、尊厳と権利を持つ個体であると学ぶことを土台とする。そのうえでようやく加害の事実を見つめることができる。加害行為によって相手の大事なものを奪ったことに対峙できる。相手の復権のための返礼について思いを巡らす時、どうかそれを手伝える社会であってほしい。

 

もう一度繰り返す。

『加害側が贖罪の方法(自分ではなく被害者の復権のために何を差し出せば良いか)を見つけること』『被害側が自分の復権に適う報復とは何かを見つけること』この両方が必要なのだとわたしは思う。

 

最後に、被害を経験した側も、自分なりの報復や復権の仕方を最終的には自らで選ばないといけないだろう。他人に判断や行動を期待し委ねてしまうのではなく。

 

自分の痛みが放置されたまま忘却される社会、復権のための選択肢が用意されない社会に対して、抗議し選択肢を求めるアクションは本当に重要なことだ。怒りと連帯(一時的な連帯であっても)によってエネルギーを取り戻せる側面もある。ただこれは、本来は非当事者(社会の構成員)の役割ではないだろうか。告発を通して社会運動を巻き起こさなければ、被害当事者は回復できない/社会が変わらないという構図を安易に賞賛してしまえるのは、サバイバーへの甘えのように思うし、社会運動を選べないサバイバーと間の分断を作ってしまうことになりかねない。あくまで報復や復権の仕方を探すための手段や過程として社会運動を選んでも良いし選ばなくても良い社会、どんな形であれ自分ために生きられる、そんな社会になってほしい。

 

性暴力の記憶や後遺症から、被害者という色に染まりきってしまったアイデンティティから、自分という存在(個)を取り戻すこと、再出発できること、サバイブした意味を見い出せること、誰にも決して侵食されない自分の領域と内なる力を信じられること、それを困難とさせない社会がほしい。そして性暴力を含むあらゆる暴力被害経験によって生きられなかった人々がいること、生き延びた人々がいることを決して忘れないでほしい。

 

 

突然の松葉杖生活7/入退院詳細/家族主義と異性愛規範に対する奮闘

無事に手術が終わり退院した。術後創部からの感染が起こらないようひとまず自宅で安静にしている。記憶が鮮明なうちに入退院にまつわるあれこれを記録しておく。(侵襲的な手術内容が記載されているので苦手な方はご注意ください)


 

①入院前の準備について

■用意しなければならなかった書類

・手術同意書―インフォームドコンセント(手術名、手術方法、退院条件、合併症、術後の検査とリハビリについて)/親族又は代理人署名も必要

・身体拘束に関する同意書―術後せん妄が起きた場合の転落や管類抜去の恐れがあるとの説明/本人の署名のみ

・麻酔同意書/親族又は代理人署名も必要

血液製剤(成分輸血)療法同意書/親族又は代理人署名も必要

身元保証書―本人が治療費を払えない場合に連帯責任を負うというもの/保証人の署名が必要

・問診票―家族構成などを確認される。緊急連絡先などの指定が必要

・おむつ使用同意書/本人の署名のみ

・手術前後の口腔ケア同意書(提携歯科診察申し込み書)―全身麻酔の影響で歯が折れたり、術後感染や誤嚥性肺炎を引き起こす恐れがある/署名せず

※入院前にかかりつけ医で検診して問題なかったため(参考:「外科手術の前には、虫歯の治療が必要」って?口腔ケアと手術の知られざる関係とは|公益社団法人神奈川県歯科医師会 (dent-kng.or.jp)

・特別療養環境室に係る費用同意書―差額ベッド代/署名せず

※前日に個室しか空いていないと電話があって口頭で承諾したが、厚労省通達で「病院都合の特別療養環境室費用について患者本人は支払う必要がない」とあるので、支払いに関して署名せず。結果、個室代は支払い不要となった(参考:差額ベッド代の対策は支払拒否に限る (webshufu.com)

 

■持参して良かったもの

・紐パン—術後は安静指示であり、可動域も狭くて片足で立ったり膝を曲げたりができないため着替え時に本当に役に立った

・虎パン—年明けに関西のお姉さんから贈られた虎柄パンツ。手術室でパンツ一丁になったんだけど私も医療スタッフも気が和らいだ

・使い古しのバスタオル—捨て時に悩んでいたので院内で使用した後処分してもらえて良かった

・資格試験のテキスト—手術前後は読む気にならなかったが術後2日目から良い時間つぶしになった(Wi-Fiのある病院だったけどSNSを見れる気力を持てなかった)

・イヤホン—ZOOM会議に参加した時に役立った(入院中なのにちょっと仕事をしてしまった)

・紙コップと使い捨て歯ブラシ—退院時に処分できてかさばらず良かった

・松葉杖等歩行補助具―自費購入済のものを持参、再購入せずに済んだ

・キャッシュカードとクレジットカード、現金は数百円のみ(ペットボトル購入程度)―盗難の不安もなく、ちょうどよかった

アトピー性皮膚炎治療薬―術後抵抗力低下により酷い肌荒れが起きたので

 

②入院初日について

・10時、同伴者なしで入院手続きをした—自宅に誰もいないので、冷蔵庫を空にして鍵をしめてから移動した

・保険証を忘れた—同月受診歴があったので保険診療扱いになった(健康保険の請求単位は月毎なので、入院期間が翌月を跨いでいたら危なかった・・)

・入院診療計画書(検査、処置、薬、注射、食事、安静度、排泄に関しての一日毎の指示)、看護計画書、リハビリテーション計画書の説明と確認

・看護師との面談―緊急連絡先を夫以外に依頼していることを書面上でも口頭でも丁寧に伝えた*1が、「ご主人に連絡でなくて良いのでしょうか」と念入りに確認されてしまった。家族主義*2を前提とする現場の空気を強く感じた

 

③手術詳細

今回行うのは靱帯再建術(移植手術)。患部付近を4㎝ほど切開、加えて足の骨に2ヶ所穴を開けて内視鏡を通しながら自身の腱を移植し金属固定する、というもの。

入院診療計画書では、尿道カテーテル使用予定だったが実際はパンツのままでオムツになることはなかった(管を入れやすいように剃毛したが活用ならず)。3時間程度の短い手術だったからかな?

13時に病室から担架で運ばれた。院内をぐるぐる回って、天井だけを冷静に見つめていた。やたらと白くて綺麗な部屋(手術室)に到着したところで、指示がありパンツ一丁になった(タオルを身体の上にかけてもらえたので裸を晒しているという自意識にはならなかった)。麻酔科医と看護師に囲まれ、全身麻酔と硬膜外麻酔を経験。硬膜外麻酔は手術台の上で横向きになり、海老のように腰を曲げて膝を抱え込む姿勢になって、背中から注入するというもの。「きれいに曲がっていて挿しやすい」と褒められた。続けて「もっといい場所に挿せたかも・・」という麻酔医の悔しがる声が聞こえた気がしたが、その先は記憶がない。点滴による全身麻酔が効いて完全に眠ってから(自発呼吸ができないため)人工呼吸器をつけられたらしいが、それも当然記憶がない。目覚めた時は少し喉が渇いているくらいで呼吸に違和感もなく、背中の挿管部から医療麻薬が入っていたので痛みも十分コントロールされていた。あっという間に終わったなあ、と思った。意識もはっきりしていたので主治医にお礼を伝えた。夫ではなくて友人に術後報告の連絡がいくよう医師と看護師に伝えることもできた。唯一の後悔は、体内から取り出した自分の靱帯を自分の目で確認できなかったことかな。もう一緒に生きていくことができなくなった身体の一部に別れを告げたかった・・・。

 

④手術後

手術当日は食事禁のはずだったが、体力をつけるためだろうか主治医の判断で夕食可となった(お粥)。吐き気はなかったので7割くらい食べられた。結局尿道カテーテルは使用しなかったので寝たきりではなく、都度看護師を呼びトイレまで車椅子を押してもらった。この日の自撮りを確認すると顔色が結構悪い。親しい友人が電話をくれて、ふにゃふにゃと応答したのを覚えている。手術侵襲による免疫機能変化(体温を38℃付近に上げるような寒冷反応)のためか、37.5℃の微熱が3日ほど続いた。皮膚トラブルも酷かった。

 

⑤それ以降の入院生活(忘備録

手術日翌日も医療麻薬のお世話になっていたのでそこまでの痛みは感じなかった。友人とのLINEで生理痛のほうが辛いかもと笑っていたほどだ*3。術後は激痛という噂もあって身構えていたがそこまでではなかった。そもそも事故直後、足を曲げる痛みで涙した時期があった。もうそれを経験しているので、2回目以降は耐えられるだろう。得体の知れないもの、未知のものが怖いだけであって、程度がわかれば現実的な想像力の中で付き合うことができるはずだから。

個室差額ベッド代を払わないための交渉が出来たので、早期に大部屋に移動していた。同室の人たちが個性的で良かった。真向いの80代のおばあちゃんと親しくなったのだが、ケアを受けるための振る舞いが上手くてかわいい人だった。発する言葉一つ一つがやけにくっきりしているというか、カーテン越しの「あのね・わたし・おしっこ・行きたい・のよ」という一言だけでも聞き惚れてしまうような魅力があった。他者を歓待することが大好きで、いつも色々な人に料理をふるまってきたという。与えることに長けている人は与えられることも長けている。同居家族は日中不在なので近隣住民に花の水やりなどを頼んできたという。息子が30代で脳腫瘍を経験してからずっと支えてきたという。ウクライナ侵攻の報道は東京大空襲の経験を思い出すので見ていられないという。戦争はいつも嘘をつく、親から子を奪う、終戦後にこそ被害国としてだけでなく加害国としての責任をどう果たすか—そういった語りの中にサバイバーとしての自負を感じるというか、放つ言葉の隅々に批判的精神がある。なんだかとても好きになってしまった。他の患者さんたちも彼女の存在に巻き込まれ「こんなに賑やかな入院は初めてよ」と言っていた。

・食事面

手術当日以外の食事はすべて完食だった。同室の人たちは不味いとブーイングだったけど笑、私としては人が作ってくれるご飯というだけで美味しさ倍増だし給食的な大衆向けの味付けが好きなので毎食楽しみに過ごした。

・睡眠と日中活動

特に手術後1~2日は背中の管の違和や創部の鈍痛もあって何度か目が覚めてしまった。

6時起床、21時就寝のリズムはとても良かった。日中はゴールデンカムイ最終話(街の灯のオマージュだった)を読んだり、院内にいる亀を眺めたり、リハビリに励んだり、時々資格勉強をしたり、疲れたら自慰して昼寝をしていた。あとはカプースチン聴いたり、気になるバレエ公演やrie fuのライブ日時を確認したりした。コロナ禍のため面会も手術立ち合いもNGだったので、院外の世界との隔離はちょっと寂しかったな。

・精神面

手術の不安で二度不正出血があった。身体はいつも正直である。このような諸々の不安そして患者という管理される立場から、看護師や医師の表情や言葉の使い方に敏感になってしまう場面があった。特に手術前後では、患者として軽んじられずに扱われているかどうか疑うような防衛反応(被害意識)が芽生えた。実際は医療従事者の方々親切だったしきっちり仕事してくれたんだけどね。置かれている状況次第でこういう認知になるんだなと体感できた。慌ただしくても、目を合わせて、名前を呼んでもらってから声掛けされるだけで心が軽くなる。逆の立場になったときにはこの感覚を忘れないようにしたいと思う。

友人たちが迎えに来てくれるという約束が何よりの心の支えだった。育児に奮闘する友人から子どもの動画を送ってもらえたのもかなり良かった。本調子でない日の職場からの業務連絡は結構な心的負担だったかな(教育担当なのに複数の新人を現場に残して入院した私も私だが・・)。

 

⑥退院日

入院病棟は外部の来訪NGだったため、看護師に荷物を持ってもらって一階ロビーまで降りた。迎えがまだ到着していないので、先に会計を済ませることにした。請求額は約31万円。限度額認定証(予め支払い上限額を示して会計時の出費を最小限抑えられるもの)を事前に作っていなかったので、とりあえず院内ATMで現金を引き出して全額窓口で支払った。これから高額療養費制度を使って自己負担限度額と差額分の返還を申請する予定(口座に振り込まれるまで3か月くらいかかる。参考:高額療養費制度を利用される皆さまへ |厚生労働省

 

11時、友人たち(以下、AとBとする)が迎えに来てくれる。友人Bと顔を見合わせてハグする。どちらも病院から遠方に住んでいる。今日のために朝早く起きて1時間以上かけて迎えに来てくれた。LOVE。2人は昨年一瞬顔を合わせたことがあるくらいで「私と親しい人」という共通点があるのみ。友人Aの自家用車に乗り病院を出る。友人Bがどこかでランチしようと提案してくれて亀戸のアトレでハンバーグとステーキを頬張る。友人Aの使い切れないという大量のクーポンを使って皆でアイスクリームとバナナジュースを味わう。自宅近くのスーパーで買い物を手伝ってもらい、帰宅。少し家事をお願いして一息つく。各々がソファにもたれて眠り始める。寝息を聴いて、眠る姿を眺めて、個々人を、そして2人が居てくれるこの空間を、とても好きだと思った。

19時、仕事の打ち合わせがある友人Bを駅まで送った。友人Aは我が家に残ってくれた。たくさんお喋りした後、シャワー浴の創部保護(濡らしてはいけないので厳重にサランラップを巻いた笑)を手伝ってもらって有難かった。同じ布団で眠った。翌日は久々の自炊が出来る歓びで、筍ご飯を炊いて、鰹を小麦粉ではたいて焼いて檸檬を添え、蕪と油揚げの味噌汁を作って食べてもらった。親しい人との遠慮のない時間が、退院という現実感につながった。ほっと胸をなでおろした。ゴールデンウイークは、ブブさんの展示とか『爆クラ』100回記念フェスとかすごく行きたかったけど、訪問者を待ちながら自宅で安静に過ごす予定。

 

⑦家族主義と異性愛規範に対する奮闘

今回の手術と入院を経験して、今後別の病を患ったり困難な状況に至った場合の選択肢や思考の幅を広げておく必要性を強く感じた(6年前24歳時点で既にエンディングノートは作っていたし、あれこれ考えていない訳ではなかったが今回の経験によってより鮮明な視野を持てたというか)。私が奮闘したいのは、公助や親族に頼ること以外の選択肢である*4。特に社会的又は法的立場としては弱い(広義の)友人という関係性をどうカスタムするか。世間や医療現場からはあまり想定されていない生き方、有事の可能性をもっと探っていきたい。

そこで最後に、患者の立場として感じた家族主義と異性愛規範の課題を記録しておく。

 

・今回入院した病院ではLGBTQフレンドリーを公的に発信していて同性パートナーを代理人として認めるシステムがあったが、未婚同士でないと登録申請できなかった—信頼する友人が既婚者の場合利用できない。私も含めみんなで未婚に戻ったら、ネットワークを構築してうまく活用できたかもしれない

・(法律婚や内縁関係問わず)配偶者的存在は一人という前提―現実的な対処法としては元配偶者の数を増やすのがやはり良いと思う。元親族という社会的立場は便利。遠からず近すぎずその時の状況次第で関わる範囲を検討調整もしやすいし

・病院側からその一人の配偶者への期待(代理人やケア役割)が強くてどうしても優先順位が最上位になる—配偶者以外を代理人に立てても、本当にこれで良いか確認をされる、配偶者の圧倒的強者感。私の望む生き方とはしっくりこない

・友人に代理人を依頼する場合、叔父/叔母・従兄弟/従姉妹という関係性を名乗るのは悪手ではない―加えて選択制夫婦別姓が成立すれば名字の違いにより関係性を疑われる頻度も減ると思う(現状、配偶者や兄弟を名乗る場合は名字が揃っていないと厳しいかもしれない。大多数の女性が名字を変えざるを得ない社会だから、女性にみえる友人を姉妹という設定にすることについては納得されやすいかも)

・女性枠で医療を利用する際に、男性に見える友人が面会に来た場合―異性愛規範の中で配偶者と誤認されることがある。それを逆手にとる(内縁関係の配偶者と名乗ってキーパーソンになる)ことの利便性もあるが異性愛規範を強化してしまうようでしんどい。そもそも医療機関では「親族以外の異性(に見える人)」の参入は想定外の異物のような扱い。信頼する友人なのに、不倫相手とか非公式な関係だとか邪推される可能性もある

・逆に女性枠で医療を利用する際に女性に見える友人が面会にきた場合―異性愛規範の中では、改めてパートナー/親族であると説明しない限り医療機関にそれが伝わりづらい。上記の異性同士とみなされる場合と比べると、関係性の詳細を詮索されにくいかもしれない

・患者の性別や通称名の取り扱い、入院時の個別対応については、本人が事前に相談することになる(現在はWHO基準で性同一性障害というカテゴリはなくなったが過去の報道参考まで:【声明】厚生労働省が2017年8月31日に発出した「被保険者証の氏名表記について」に関する通知について | ニュース | LGBT法連合会 )が、本人の親族や代理人は見た目で勝手に性別を想像されてしまうだろう。そこに異性愛規範が重なって上記の課題が生じるのでしんどい

・同居家族の有無を問診で聞かれること―世間や医療現場は同居関係=ケア役割を期待するが、ケア能力やケア関係としての相性はあまり考慮されていない。家族が不適切に介入することで患者本人の不利益につながることも多々あることを念頭に、同居家族の有無にかかわらず非親密圏の他者(公助)を介入させる視点を取り入れてほしいと思う。その上で非親族の友人等に適宜協力を仰げると良いのではないか(一人に責任が集中せずに分担制でうまく回れば理想的だけど、まあそんなに上手くはいかないだろうと思う)

 

以上、また思い出せることがあれば補足していく。お互い奮闘していきましょう!

*1:契約結婚8年目になる夫がいるが、彼は携帯電話を持っておらず、冬季春季は別居中であり東京におらず、緊急時判断を頼れる相手ではないため、緊急連絡先を身内という設定で別の友人に依頼した。私の容態が急変した場合にはその友人から連絡がいくことは親もすんなり了承していた

*2:”家族主義の社会というのは、言い換えれば、依存できる相手が家族に限定された社会である。しばしば日本の親子同居率の高さについては、若者に自立心がないことや「甘え」の問題として語られる傾向にある。しかし、真の原因は個人よりも社会の側にある。北西欧には家族以外の多様な依存先が存在しており、それゆえに若者が家族から「自立」することが可能となっている。一方、日本では、依存先が家族に限定されているがゆえに、困難に陥ったときに家族に依存せざるを得ない。個人に原因を帰属するのではなく、社会制度の視点から「依存先」を増やすことで「自立」の問題に対処しなければならないのだ。” 変化するパートナー関係と共同生活――家族主義を問う/阪井裕一郎 - SYNODOS

*3:ピルやミレーナでホルモン療法をする前は授業を早退したり、毎晩冷や汗が出て眠れないくらい生理痛が酷かったので

*4:行政サービスや後見人制度の使い方は一応理解しているのでそれ以外の

突然の松葉杖生活6/明日手術をする


f:id:kmnymgknunh:20220424205034j:image

明日、足の手術を予定している。初の入院。全身麻酔、口と患部への挿管、酸素吸入マスク、点滴栄養と抗生剤、オムツと尿道カテーテル、ドレナージ(ドレーンを使って体内に溜まる体液・血液・消化液・膿などを体外へ排出する)、麻酔が切れたあとの激痛に備えて坐薬。全て経験がないため不安だけど皆通ってきた道だから頑張ろう。今週は入院に備えて仕事をなんとか終わらせるため、早朝出勤していたので、毎日6時間も眠れていなかった。謎の不正出血も2度あったし、肌荒れもひどい。身体はいつも正直だ。手術が怖いんだと思う。

 

早く良くなって外出しようという声掛けが本当に嬉しくて泣いてしまう。私と外に出ること、私と会うこと、私とお喋りすることが好きな人々がいて、支えて待ってくれている。

 

無事に手術終わりますように!あとから合併症起こりませんように!創部の痛みも大したことないと良いな…。