人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

突然の松葉杖生活5/手術の準備と心構え

前回の投稿から少し時間が経ってしまったのは、仕事が立て込んでいたからかもしれない。あんまりよく覚えていない。新年度からは今以上に裁量的に働けるようだ。助成金額をこの一年で管理しなければいけないので、年間計画を立てていた。そうするうちに春がきた。あっという間のことだ。咲き誇る木蓮を横目に、ようやく定期リハビリが終わり、あとは手術に備えることになった。片方の足だけ一足先に未来に行ったというか、老いた(機能が落ちた)のだなぁという認識になっている。でもどうしてもタップダンスを習いたいので、手術が無事成功することを願いたい。

 

入院予定の病院は「多様な家族」への医療同意等に賛同しており、専用アプリに未婚のパートナーの個人情報等を入力すると家族/キーパーソンとみなされる仕組みがある。素晴らしい取り組みなのでもうちょっと強くアナウンスしてほしいなとも思う。ホームページでその情報を発見したあと、それだけで心理的に安心できたからだ。ただ私の場合は既婚者(知人男性との間に公正証書/婚姻契約書を作成している)のため、対象から外れることがわかった。手術の立ち会いを申し出てくれた腐れ縁の女の情報を登録したかったのにとても残念だった。医療から法律婚(=異性愛と生殖を前提とした単数婚)に準じる必要性を示された場合は太刀打ちができないのだ・・。

 

日本の婚姻制度は単数婚(モノガミー)という文化慣習の中にある。配偶者は一人という前提で、その人が緊急連絡先かつ意思決定の代行者とされがちだ。パートナーが複数いることはあまり想定されていない。複数の身内がキーパーソンを兼務できるのは成人した子どもと(元)配偶者/叔父叔母のチームであるとか、極めて限定的だ。特に法で定められていない関係は社会的信用を得にくい。しかし有事の為に社会的関係を何が何でも維持させるという発想を私はあまり好まない。自由に解消できるように一年更新制の婚姻関係としたのもそのためだ。そういう意味では「元」配偶者を複数持てたら良いのかもしれない(重婚が認められていない社会でのライフハックとして)。

 

しかしとりあえず、今は現実に対処しなくてはいけない。全身麻酔のための麻酔同意書、そして手術同意書、そして術後せん妄があった場合の身体抑制同意書が必要で、説明を受ける。「お身内の方にサインを、そして手術の結果を知らせるための緊急連絡先を教えてください」と指示を受けて帰宅する。

さて、どうしたものか。家族に頼らなくては、という発想が薄い(そもそも夫は山奥暮らしで東京に戻らないし携帯も所持していない)ので、夫を含む縁のある4名に相談をした。

 

結果、

Aさん:医療同意書のサイン

Bさん:手術日の緊急連絡先、クレジット決済不可の場合の立替

Cさん:メンタルケア(彼女の子ども=愛するメタモアの動画を送ってもらう)

Dさん:退院日迎え→車で自宅送迎、食材買い出し

 

みたいな分担ができあがった。※書類には続柄の記載がないので、口頭で親戚等と表現するかもしれない*1

みんなの厚意が本当にありがたいし、それが回復への意欲にもつながっている*2。そして一生免許を取るつもりがなかったのに、逆の立場になったときに運転能力があると人助けが出来そうなので、教習所に行くのを検討し始めてもいる。

今回の分担は一度きりかつ緊急性の低い手術だからこそ成り立ったけれど、命にかかわる場合・病院と密に関わり長期的な治療体制を形成する場合・意思表示が出来ない又は重度障害が残り退院後の継続的ケアが見込まれる場合にはこのような形は難しいとも思われる。その時はその時で、まず現実を引き受けて対処して、困ったら外部に助けを求めてやっていくしかないだろう。基本単位は自分一人で、身内はいませんと堂々と振る舞っても良いだろう。先回りして準備しすぎても不自然なので(これまでの個別の関係を軽視して未来のケア役割を押し付けるのは乱暴だと思うので)、その都度対応するしかない。やはり元配偶者を増やしておくのが良いかもしれない(自分が相対的に健康なら、喜んで元配偶者という名前を活用して、緊急連絡先等になれるし、そして関係を壊さない範囲でケア役割も担えるかもしれない*3)。

 

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家族/パートナーだから●●しなくてはいけない、という掟がそもそも私の中に組み込まれていないのだ。現行の婚姻制度がマイノリティの存在を排除している状況、例えば大事な人の死に目に立ち会えない状況を許しているのが腹立たしいという理由等も重なって、ごく当然のこととして、荒らし方・壊し方・創り方・オルタナティブな在り方を模索している。役割を放棄して、時に引き受ける。譲れないままで、変化を愛する。誰かのために怒り、誰かが代わりに怒ってくれる。名前が定まっていなくても、他者*4との繋がり方は、本来多様であるはずだ。それを社会生活の中でこそ、開放的に実践していきたい。いつもそんなに上手くいっていないんだけど、静かに見守って下さる人の存在に助けられている。疲れたときは、良かったら私のことを思い出してほしい。

 

*1:つまり関係性を偽らないといけない

*2:気分を上げるため、入院部屋着を新調し、美容院でパーマをかけた。松葉杖を凸るためのステッカー情報も引き続き募集中(既に一件素敵な情報ありがとうございます)。美味しいものを贈ってもらうのも嬉しい。しかし誰かのケアをしたり御礼に回る余裕が今はないのでお返しは出来ません、すみません

*3:戸籍上同性同士でも公正証書を作成したらなんとか元配偶者という属性を手に入れることができるかもしれない

*4:非人間の場合もある。私にとっては実家の犬のような愛らしい存在だったりする

突然の松葉杖生活4/子ども時代のこと

「あなたって地元の話、あんまりしないよね?というか地元とあなたが結びつかない」と言われることがある。地方で生まれ育ち、進学をきっかけに上京したのが12年前のこと。当時二世帯住宅で同居していた祖父母がいたが、東京に出てからまもなく亡くなった。地元の思い出は、当時付き合っていた女の子との記憶で実は8割くらい埋まってしまう。それほど、彼女の存在は田舎で生きる10代の私のすべてだった。閉塞感を見失う開放感も、突き動かされる新しい感情も、償いの苦しさも、性的行為の入口も、すべて彼女が教えてくれた。今でも、彼女と自転車で走り抜いた畦道を薔薇色と思い込んでいるので非常に気色が悪い。高校卒業後、死闘を繰り広げた内に性愛が一切絡まない親友という形に変わって現在に至る。そういう意味で地元の話はよくしているはずである。

 

昨年末、我が家に来てくれた人が偶然同郷で、吹奏楽や俗謡の記憶を思い出せたことがとても楽しかった。また別の人には、亡き祖母の話を聞いてもらった。祖母は精神科病院に入院するたびに強制退去となり、何度も出禁を言い渡されていた奔放な女だった。大抵大人たちは迷惑がっていたし、私も複雑な思いを持っていたが、気まぐれに贈ってくれたオルゴールを今も大切に自宅保管している。周囲を振り回し*1迷惑がられる人だって、ちゃんと息ができる場所が必要であるし、血が汚れているだの言われていいはずがないと今は思う。祖母の扱いに困っていた大人たちは子どもたちに負担を強いることがないよう、見えないところでうまくやってくれていたのだろう。それなりに子どもとして子ども時代を謳歌できたと感じているのはそのお陰だから。しかし、家庭内で不穏な空気が漂うことがあり心地が良いとはいえず、自室でインターネットの世界に逃避して知らない人のブログを読み漁るか、元カノの家でよく寝ていた記憶がある。反抗期も相まって、元カノには甘えまくっていた。そして椎名林檎rie fu、彼女の好きな洋楽*2BUMP OF CHICKENRADWIMPSとかを聴いていた(2000年代)。

 

身体が不自由になった今気付いたのは、子ども時代に大人と大人が支え合っている場面をちゃんと見れていなかったかもしれない、ということだ。両親は「病んでいない社会不適合者」と言うべきか、社会になじめなくても自由に自分という存在を生きられる、運のよい人たちだった。しかし両親が支えあったり、労いあっている場面が全く思い出せない。ひょっとすると、一切なかったのではないか?彼らは癒しやストレス発散の場を家庭以外にちゃんと持ってもいた。その影響か、私も家庭をそのようなものとして認識している部分があるかもしれない。生育環境って恐ろしいなと思う。家庭の外(親しい友人や同僚、インターネットの人々等)に必要時ケアを求める/引き受けることはあっても、家庭内でケアを求める/引き受ける「べき」という感覚がないのだ。みんな家族は支えあうものとか言うけど、実際に支えあう素敵な家庭もたくさん見聞きするけど、自分は渇望しないし困っていないのだから必要がない。世間とのギャップがあるんだなあ、とは思うんだけど。ケア役割を分担できる人と暮らしたほうが良いと理解しているから契約結婚を選んだはずなのに、何故かこうなってしまった。とはいえ、自分一人を生かす分には自律した夫の存在が私を精神的に助けてくれることは多々あった*3。ただ、彼は今は雪山で暮らしている。かたや私はハイハイしながら一人暮らしである。「適切なケア関係が成り立たないのなら別居のほうが良いのでは?」と自分から提案してしまったという経緯がある。たまに友人がご飯を作りにきてくれるし読書の習慣も出来てきたし、それなりに暮らせているから妥当な判断だったとは思う。しかし手術が急に怖くなった夜は困った。元カノから事前に日にちがわかれば仕事休んで手術日に駆けつけるよとLINEが返ってくる。育児で大変だろうに嬉しかった。同時に私が泣きながら助けを求められる人はそんなに多くはないのだなとも思った*4

結論、私にとっての家族は、自分があまり介在しない現実の外で元気で笑っていて欲しい象徴的な存在で、私にとっての友人は、より親密で泥臭く、支えあいたい存在であるようだ。この価値観でこの先もっと体調を崩した場合、生きていけるのだろうか?と少し考えこんでしまう。けれど天涯孤独であっても、自身の心身を動かせなくなっても、福祉制度を活用して新たなケア関係を生み出し元気にやっている人達をたくさん知っているのであまり心配もなかったりする。まあなんとかなる。先日、大好きなお姉さんが快気を願って紐パンを贈ってくださった*5。実用的で本当に助かる。こういう厚意に支えられている。パンツ何枚貰っても嬉しいです。お姉さんもパンツも大好き。いつもありがとうございます。
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*1:本人の意思というよりも本人も病に振り回されているのだが

*2:彼女は帰国子女だった

*3:ケア能力はそんなに期待できないが、他者に与えることを厭わない、喜ばせるために行動ができる男だし、抑うつ状態の時は強引に風呂に入れてくれたり、ご飯を食べせてくれるなどもあった。ありがたい

*4:19歳時の性暴力被害経験が影響して、力をもらえて、これでもかなり人に頼ることが出来るようになったのだが、立ち止まってしまう日もある。添い寝フレンドだった人が自転車で30分以内の場所にいるけど、自分から助けてとは言えないなと思った。なぜかというと、すでにあのとき一生分助けられたからである

*5:今年3枚目のパンツの贈り物

突然の松葉杖生活3/ケアと色気

事故から3週間が経とうとしている。急性期を脱して痛みも引いたので今日から通院リハビリが始まった。可動域を広げてから手術日を決める予定。自宅から一歩外に出れば「常にケアを要する(とみなされる)人」として割り振られる日常にも慣れてきた。周囲から優先席を譲られる(そもそも優先席以外の選択肢がない)。立ち入ったお店で「非常時はおみ足が悪い方のお手伝いをいたします。」と目線を下げて丁寧に接客される。もし今日のウクライナのような事態になったら十分に避難しうる身体はもうない*1。だれかの世界で私はさらに異質な存在となり、独り、街中で似たような存在を目で探してしまう。そして不自由になったからこそ、かつての関係性に捻れが生じ、これまで縁のあった人たちの新たな側面を知ることができる。この出会い直しを幸運なことと思う。お互いに気を遣わず、息をするようにケアをする/されるというのはとてつもなく難しい。高度な技術やコミュニケーションが発揮されるためには独特の合意形成が必要であることもよくわかってきた*2

 

 

障害者地域自立生活運動の中で、障害を持つ人の介助者を「手足」とする考え方がある。主体性はケアを必要とする本人にあるのだから、本人が自身の生活への責任と選択を持ち、介助者に指示を出す。介助者はそれを遂行する役割に徹し、自身の意思表示はしない。従来それが望ましい自立生活とされてきた。しかし近年、労働者の権利・対等なケア関係という文脈で介助者の個性や感情に焦点があてられるようになり、「手足論」以外の視点も取り入れられるようになってきた。私はそれを知っていたつもりだったが、ケアされる側として初めて、この手足論について考えを巡らせている。つまり自身の身体が拡張された先にある無数の手足のことを想うようになった。未来に散らばった可能性として、魅惑的な出会いという意味で。


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それは先日の出来事だった。退勤後に駅まで迎えに来てくれた人が私の負担感を確認した上で「おれのことを(あなたの)手足の延長だと思っていいから」と言った。驚いて、その手足という言葉にうっすらと色気を感じた。私のリュックサックを代わりに背負い、階段の上り下りで松葉杖を当然かのように受け取ってもらえたとき、自身の身体が拡張されたような信頼があった。

家族でも恋人でも主従関係でもなく、報酬又は対価のある契約や依頼でもなく、搾取や暴力でもない形で、相手の身体の一部になろうとする意志(あるいは身体を拡張・複製する意志)にきっと感銘を受けたのだと思う。直に触れあって身体を預け合うときのように、触れ合わない生活空間でも近しい現象が起こり得ることに対しても。彼は、過去に私が「多くの社会的弱者は、マジョリティ中心社会の中で助けを乞わないと生きられない。しかし常に謝罪し謝礼しなくてはいけない構造に疲れてしまう」と語ったことを覚えていたので、その台詞を選んだのだという。こういうときに心から尊重されていると感じる。

だれかの身体を生きる(演じる、ではなく)。そしてわたしの身体をだれかが生きる。手足としての介助だけでなく、代わりに涙を流す・食べる・歩く・手続きをする・眠る*3、…そういう場面が幾つもあっただろう。境界線を絶対に踏み荒らすまいとする自分と、交換し分け与えられる身体によって生き延びられることを知る自分とがいる。複数の身体を生きるということは、自分の存在を捨て去ることと同義ではない。意志も身体もまるで無いかのように、誰かに侵食され侵入される、その一方通行の意思と行為を暴力と名付けるならば、その対局にあるもの。愛と呼べるような物語や支配(隷従)の快楽に迷い込まず、その上で互酬性を見出し、輪郭を確かめ合い、ケアする/ケアされていることを忘れさせるその一瞬に私は生々しい希望を抱く。いつもそれはどこか色っぽさを感じさせるものである。

 

*1:戦争というのはより弱い存在に皺寄せがくるものだから、個人の生活や声を掻き消すものだから、連日静かに負傷し亡くなる人たちを思う。そしてその哀しみは遠い国の話ではなくて自国の加害と被害の歴史、在留外国人への差別や米軍基地問題に全部つながってくるということ。戦時における兵士のPTSDと性暴力被害者のPTSDどちらが重いかなんて比べようとしちゃいけないということ。荒川洋治の「文学なら人々を理解できるかもしれない」という言葉を聞いて、9.11以降に書かれた詩人(井上瑞貴)のブログを訪問した。報復の形を私たちはどう探し得るのだろうか?私がこの詩人に出会ったのは東日本大震災の後だったが、あの頃は生きるか死ぬかみたいな綱渡りの音楽の中にいたので、添い寝と詩だけが必要だった

*2:好意や関心があったとしても誘いを断ることも本当に増えた。これまでのように「楽しいか(楽しそうか)」のみで物事を選べなくなった。それを覆すような「疲れ」が生じることがあり、結果的には楽しめなくなってしまうからだ。なので、他者とのコミュニケーションも外出も「後から疲れるか」という自己判断ありきになった。相手の要因ではなくて、自分自身の疲れが要因なのだからどうしようもない。誰かと出掛けるより一人で美術館を回るという風に。会いたい人はたくさんいるのに、とても残念

*3:代わりに食べようとするとき、相手の胃袋も自分の身体にあるようだったし、添い寝についてはどちらかが先に眠ったのかいつも思い出せなかった。それはどちらの身体も自分と相手の身体だったからだろう

突然の松葉杖生活2/親密性に溺れない

事故から1週間が経過した。痛みは少ないが腫れが引かないのでシャワー後にアイシングを行っている。

 

以下、近況と所感を記録しておく。

  • 外出はリュック一択になった(鞄の開け閉めが負担なので交通ICカードを首からぶら下げている)
  • 新たに都バス定期券を購入した(本当に便利)
  • 普通に働いている(えらい)
  • 身体感覚に合わせた時間軸に切り替えて逆算するのがしんどい(走って滑り込みセーフみたいな予定の立て方が出来ないし、GoogleMapの乗換案内があてにならなくなった)
  • 本当は避けたいんだけど公共機関の手すりを使用せざるを得ない(感染症対策で手袋使用)
  • 自炊が楽しい(というか食事が娯楽)ので患部に負担が少ないよう台所をカスタマイズした(重いものを持ち運びせずに済むように調整した)ぜひ美味しいものをプレゼントされたい
  • 駅前のイトーヨーカドーまで歩けないのでネットスーパーを登録、初利用した
  • 美術館に行きたいのに行けなくてとても悔しい(会期終了近い展示をいくつか観に行きたいのだけど、駅から距離があったり複数の部屋と順路を移動することを考えると気力が尽きてしまう。車椅子を押してくれる人がいないと厳しそう)
  • 舞台芸術は座りっぱなしなのでなんとかなる(上野水香東京バレエ団最後の「白鳥の湖」諦めず良かったが東京文化会館はエレベーターがないし手すりも完備してなくて、周囲に迷惑かけないよう4階中央席で3時間座り続けた私えらい)
  • 患部を使わない身体接触や性的行為を新たに開発するの楽しい(ただし慣れ親しんだ相手に限る)
  • 夜道が危険なので22時以降の外出が厳しい(坂道もあるし、最寄りバス停が稼働していないのでタクシーを活用)
  • 視覚障害を持つ方に対する性被害実態調査をよく思い出す、親切心に見せかけた申出の劣悪さ、そしてそれを断りにくく逃げられない立場を容易に想像できる*1
  • 外出先で嫌な目に遭ったから出掛けたくない、という患者さんたちの顔を何度も思い出した なんか出先でつらそうな人いたら親切にしてあげてほしいわ、その積み重ねが外出意欲というか生きるための気合いにつながるんだわ
  • やたら道端でお姉さんが「大丈夫ですか」と声掛けしてくれる LOVEすぎる、超絶幸せになってほしい
  • ケア行為は性的行為と同じで意思確認と都度の合意(依存と支配関係に敏感になること)が不可欠である
  • とはいえ毎日自家用車で送迎してくれる人がいたらどんなに助かるだろうとか弱音も吐きたくなる(笑)

 

kmnym.hatenadiary.jp

本日は、前回触れなかった「有事のパートナーシップと親密圏」について書き留めたい。

 

まず「パートナー(準ずる関係を含)であるならば、相互協力・扶助が義務である」という罠について考えている(婚姻制度はそれを民法上明記している)。他者を「自分のケアのために役立つ人間か否か」とジャッジする(※生存が関わるのでジャッジ自体は非難される行為では決してない)行為が、贈与ではなく対価という感覚やそのためのコミュニケーションを生み出す。それは金銭や公平なシステムを介在させなければ結果として能力至上主義にもつながるし、ジェンダーの歪み(女性や女の子がケア役割を押し付けられやすい等)も絡み合ってくる。それがすごく複雑で雁字搦めになりそうにもなる。

個人のケアスキルを磨くという発想は重要だが、ケースバイケースだとも思う。同居していようと、パートナー・親族だろうと、どんなに意思して努力しようと個人の能力には限界があるからだ。「重度障害者や重度認知症者の介護は、親族以外に任せても良い」という社会的合意がある程度は取れてきたものの、出産育児や重度とはいえない成人の介助については「家族が担うべき」という価値観は根強い。また下記のように、ケアが必要といっても段階によって必要なものは変わってくる*2

(例)

  • 急性期のケアー救急搬送の判断、外部との連絡調整、医療手続き(入院手術の場合は同意書や緊急連絡先のサイン)、治療費、本人と代理受傷者への情緒的支援等
  • 回復期のケアーリハビリのための環境整備(住まいや移動の代償手段確保)、一時的な生活介助(周囲が手伝いすぎると完治寛解が遅れることもある)、治療費、諸経費、情緒的支援等
  • 慢性期のケアー心身に後遺症が残った場合の恒常的な生活介護・介助(生命維持のための医療行為、排泄、食事、掃除、外出時の同行等)、治療費、諸経費、情緒的支援等

 

私は、公的支援(公的扶助や社会保障)も大事だし、類縁(職場や近所の繋がり)や親密圏の支援(親しい人との共助)も大事という価値観・立場を持っており、どうすれば両方を充実させられるか、そのバランスを取れるかについて日常で格闘してきた。しかし社会的に弱い立場となり生活の細部が揺るがされる時、心身に弱っている時は特に気楽で居られる親密圏に寄りかかりたくなるものだなあとも実感した。

そんな中で、先週参加したポリアモリーウィーク2022で、メタモア(親密な相手が親密にしている自分以外の他者)の存在が、ポリアモラスな関係を豊かにするという話がとても印象的だった。「同時複数の恋愛や性的関係」と限ると共感されにくいが、ポリアモラスな人間関係やコミュニケーションは実は多くの人が経験していることである。我が子のうち一番愛しているのは誰か?という問いが無意味というか無神経であると同様に親密な他者を順位つけることは難しい。付き合いの長い友人・親族・同僚など、同時に複数の親密関係を持つ可能性はいくらでもある。ポリー関係を共同プロジェクトとするならメタモアは同僚的存在(メタモア同士がコミットする頻度が高い)で、ある種の腐れ縁とするならメタモアは親戚的存在(メタモア同士の相性が大きくてほとんどコミットしないという選択肢もあり得る)とイメージできるかもしれない*3。話を戻すと、今回の怪我と必要なケアに対して親密な人達が抱く夫(≒彼らにとってのメタモア)への感情が様々で、とても面白かった。親しい人たちが私という個人を、そして私と夫の関係を大事にしてくれるのがわかるから賛否両論の多様な意見が本当に嬉しくて、そのメタモア愛(?)によって活力を貰えたというか、なんだか泣けてきてしまった。

 

特定の能力や技術、コネクションを持っていることを条件に親しい関係が醸成されていくわけではない。また、親密性と同居適性もまた別物だ。ある程度の能力・技術や経済力がないと共同生活や関係性が不安定になるという側面も当然ある。ただ当事者間にしかわからない均衡の保ち方があり、わりきれない情や質感もあるだろう。完璧で完全なものはないし、そしてすべてのものは変化していく。今回のような有事の際にはまったく役立たないが、他者の「鈍感さ」みたいなものに救われてきたのだということを思い出している。私が落ち込んでようと俊敏には気づかない、理解しようという発想には至らない、あるいは無理ない程度の厚意と配慮で支える―そういう態度と存在感にずっと癒やされてきた。「自他の魂の自由を守る(踏み荒らさない)」「善意や好意で他者を振り回さない」「自分への関心を他者への関心とすり替えない(自分の問題を覆うために他者を利用しない)」この3点を重んじている人かどうか、自由を愛する人であるかどうかが私にとっては最重要事項で、いつもそれを問うているのだった*4

 

今回の出来事を振り返り、自身を奮い立たせる文章に出会った。高島鈴さんの「BEASTARS」批評である。

第1回 くたばれ、本能――『BEASTARS』論(3)|くたばれ、本能。ようこそ、連帯。|高島 鈴|webちくま(1/2) (webchikuma.jp)

 

これはすなわち、愛の肯定者/愛の否定者という線引きの本質化ではないのか。前者――つまり「愛の遂行」を熱烈に志向するレゴシが革命を起こすとき、後者に分類された者たちの行く末は宙吊りにされてしまう。だが物語はそのまま幕を下ろすのだ。革命は革命である、かもしれない。だがそれはレゴシの革命であって、メロンの革命として開かれることはないのである。

最終的に浮かび上がってくるのは、別の誰かを取りこぼしたまま「気持ち」で閉じる、素朴な「愛の世界」なのである。(中略)現状の社会で重んじられているのは自己啓発的・自己責任論的な「私」の革命であって、構造を揺さぶる「公」の革命に対する関心がなりを潜めているという認識は、まず間違いない現実だろう。そして同時に「私」に閉じた状況に対する承認・許しが、強烈に求められているように見える。

(中略)状況は確かに苦しい袋小路であるが、信じるべき革命とは隣人を愛するための可能性ではなく、感情的には繋がれない隣人と、生存を守るための共同戦線をいかに張るかという実践であり、公も自己も解体してしまうような強い変化の可能性ではないか。しかし後者のような革命の語りは、残念ながら圧倒的に不足しており、また関心を持たれてすらいないような気がしてならないのである。

 

「私」に閉じた状況に対する承認・許しという箇所に正直ヒヤッとした。人生から恋愛を排他しても、他者との親密性(公的に開かれているようで、でも緊急時には閉ざされてしまう可能性が高いもの)をどうしても手放せない私がいるからだ。それは、革命や解体を恐れる保守的で気弱な自分が存在することを露呈させる。しかしこうした有事の際ほど、親密性に溺れないようにしないといけないと身を引き締めた。それは、いわゆる愛と呼ばれる親密性に依拠しない生き方をしていく人たちが社会から関心を持たれること、その上で生きていける公や自己を探っていくための強い変化を、私自身が求めているからだ。

 

あなたを助けたい、あなたに助けてもらいたいーあなたとわたしの役割が固定化されることを私は拒絶する。支配と依存の甘い誘惑を私は拒絶する。「あなたがいないとダメなの」と遭難していく関係性を私は拒絶する。支援され続ける立場って本当に苦しい。でもその立場を経験した先人たちが、その葛藤と共に生き延びている(革命している)ということに大変勇気づけられる。生殺与奪の権を他者に託したとしても魂は自由でいられるはずだ。「私」は「私」を超えて開かれていけるかもしれない。そういう生き方をしている(きた)人と数えきれないくらい出会ってきた。だからこそ、隣人愛に、そして親密性だけに寄りかからないように、片足で踏ん張ってみたい。

*1:明らかな暴力や犯罪行為でなく、悪意のない親切心であっても、逃げるという選択肢を持ちにくい状態での「好意」や相手の逃げ道を用意しない「好意」は厄介だなとも

*2:救命医療につながりさえすれば、身寄りやカネがない人間でも一応なんとかなる社会制度設計にはなっている。身体の後遺症に加えて知的機能、記憶障害や注意障害等認知機能の低下を併発した場合は相当日常生活に負荷がかかることが身を持って想像できるようになった

*3:複数の親密関係を持つことに対して合意が取れたとしても「メタモア同士仲良くしてほしい(したい)」はエゴであるという話題もあった。全員が親しいという状態を維持出来ないことは失敗でもない。感情や意向は多様だからこそ、関係者全員で悩める過程を私は愛したいなと思った。「エゴだと自覚した上でお互いがエゴをぶつけあえる関係」が望ましいと考えるが、対人スキル次第なので難しい。「メタモア同士が私抜きでも親しくなってほしい」という欲望はあるけど、あまりそれが叶った経験がない(軽い友人にはなるけど私ありきという感じ)。良い意味で非社交的というか、個の関係に集中するタイプの友人が多いのかもしれない

*4:私の意向を確認する前に先回りしてなんでもやってくれたり、変化が怖くて私の顔色を常に伺うような人、相手を慮るあまり強い自己主張ができない人とはうまくやれないことが多い

突然の松葉杖生活1/喪失と発見

転倒して歩行不可、レスキュー隊に運ばれ下山するという経験をした。現在松葉杖で生活している。想定外の30代の幕開けだ。骨折と靭帯損傷(MRI検査上では断裂しているか微妙な線とのこと)の診断で、患部を保護しながらの生活、その不便さにびっくりしている。通勤時間は倍かかるし、エレベーターが見つからないし、地下鉄の階段の長さは禍々しい試練のようだし、バスの昇降は恐怖体験である。もともと交通事故後のリハビリに携わる仕事をしていたのもあり、経験者が語る(語れない)哀しみ、後悔、苛立ち、期待、希望が反芻され、彼らの訴えていたその不便さが身に降りかかってきて不思議な気分でもある。想像力を働かせその上で言動を選ぶようにしていたものの、事故に遭うまでは本来の意味での共感は難しかった。後遺症の程度や生活背景と課題は異なるので、安易に共感とは言い切れないが、身体健常者向けに設計された社会から外れた地点という意味ではやはり共振するものがある*1

 

自身がいかに身体の健康に依存していたということがわかった。筋力で時間を買っていたというか。行き当たりばったりに動けたのも、予定を詰めて高速でスケジュールをこなせたのも、遅刻寸前で必死に走り抜けられたのも、思い立ったが吉日で遠くの海を訪ねられたのも、気になる美術館にふらっと立ち寄れたのも、毎日起床後10分以内に着替えてバスに飛び乗れたのも、小さな失敗を繰り返しても直ぐ修復可能だったのも、身体が健康だったからである。これからは傷んだ身体に合わせて生活様式を変えないといけないから、今までの成功体験を一旦捨てないといけない。一度エラーを起こすと修正に膨大なエネルギーが必要になる。だからこれからは、余裕を持って準備して行動する癖を持たないといけないし、そうしないと焦燥感と果たせない予定だけが残る。

もっぱらの不安は筋肉量の低下と身体のバランスが悪くなることである。もともと腕の筋肉量が多いのと体幹を鍛えていたので松葉杖はすぐに使い慣れたが、下肢が弱ってしまわないかが心配。直近二か月ほどボクササイズで鍛えて引き締まってきた尻を手放すことになったら悲しい。せっかく長湯とストレッチのお陰で血行も良くなってきたのに冷え性の身体に逆戻りである。しばらく計画性のない外出も、負荷のかかる運動も難しいだろう。しかしメリットもある。在宅時間が増えることで資格勉強が捗るだろうし身体そのものに集中できる機会でもある*2。そして、非常時だからこそ家族や親密性とは何かについて改めて考えていきたい。

まあ、そんな感じで新しい身体となんとか付き合っていけるだろうと思う。

 

ひとまず、親、夫、職場*3、腐れ縁には報告済。あんまり心配をかけないようにと思い、直近で会う約束をしている方以外に連絡する余力がなかった、許してください。室内では松葉杖なしで歩行可能なのでそこまで困ってはいないが、米を運んでもらえたら助かるかもしれないな。ネットスーパーを活用すればなんとかなりそうだけど。いつもありがとう、それではとりあえず来週手術検討してみます。

*1:自立生活運動の一環で、重度障害を持つ人達が交通公共機関や民間店舗に対してバリアフリーな社会設計を求めるために交渉していたり、高齢化に対応するために社会保険制度が整えられてきたり、精神疾患や依存症など見えない困難についての啓発が盛んになってきていることを考えると、腐らずに生きていけるのは過去の社会運動や先人らによる恩恵も大きいのだなと感謝するとともに、「社会が変わってくれ」というマインドを持ち続けようと周囲と笑いあったりした

*2:自由自在に動かせない身体でどうやって他者と触れあえるかについて試行錯誤するのも愉快かもしれない

*3:上司が使える保険がないかすぐに調べてくれ、同僚なんだから家のことも手伝うよと申し出てくれて有難かった