人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承 (移転前 https://kmnymgknunh.hatenablog.com/)

夏の涙は信頼できる(2025年6月近況)

六月の御茶ノ水

六月半ばの御茶ノ水はそこまで暑くなかったので、汗ばむことなくドラッグストアに入店した。これまでの人生で一度も探したことのない物品を代理購入してからあなたたちの元へ向かった。唐突に、能動的に会いたいと伝えることはあまりない私だけど、今回は率直に会いたいという言葉が漏れだして、東京駅から総武線に飛び乗った。

 

■健気な弱さに降参する(続・生殖と養育)

しばらくブログを更新しないうちに色々なことがあった。国際女性デーの頃から書きたいことはあって、下書き途中の記事がいくつかある。しかし今回書き始めているのはその部分ではなくてさらに最近のことになる。

生きることも、人との付き合いも、働くことも、何かを創るということも、勝ち負けの話ではないとは思うのだけど、降参するしかない時がある。いつだって勝ちたくもなければ負けたくもなくて、抜け道を開通させてはそっと外枠に足をくぐらせて、きらきら光る湖を越えて、自分の信じるものだけを抱いていたいと思う。しかし稀に相手の意思の強さと弱さを前にして、もうお手上げですと抜け道までの路を閉じて相手の望む方角を見据える時がある。ということを書きながら、これまで私から提案交渉して対等だと感じていた選択の大体は、実際は相手が降参してくれていたんだろうなと気づく。誰かを降参させ続けてきた人生だったのかもしれない。負かしたことには気づかないのに、負かされたときは明確にそれがわかる。そこに降参する意思があるからだろう。大事なのは、摩擦は少なく、穴は空いていないけれど風通しが良く、なめらかな生々しい関係の中でしか降参はしたくないということだ。

フェミニストとしての側面では完全に納得しているわけではないが*1、色々あって一時的に妊娠可能な状態で生きることに決めた。ミレーナ(子宮内避妊システム)を外してから、避妊管理されていない体で日々を生きている。閉経までそれを続けると自分の心が病んでしまうのがわかるので今年の誕生月までの期間限定の体ということにした。十年ぶりの鮮やかに滴る経血や腹痛以外にも新鮮さを感じている。それは月経を、理屈や知識ではなく動物的サイクルとして肉体で知る心地だったり、妊娠する欲がないのに到来する生理に嫌気が指して拒絶してきた過去の自分の真っ当さだったりする。あるいは新しい気色の悪さにも遭遇している。母体の可能性があるものとして人からやたら優しくされたり感謝されたりとか、周りから期待されたりしている。しかし「どんな形でもあなたに起きたことはサポートするよ」と三人目を帝王切開してすぐにオンラインミーティングに出席している上司の言葉は、新しいお守りのようだ。過去のお守り――予期せぬ妊娠や性暴力への恐怖もあって、避妊具を身に着けて持ち歩いていた十三年間とは全く違う景色の中にいる。といっても期間限定であるので、今秋にはこの状態は終了してひとまずピル再開が濃厚で、来年かその後かに永久避妊するつもりでいる(医師とうまく交渉できれば)。特定生殖補助医療法改正案が不成立になる少し前、デンマークでお世話になったhelle(ADHDを公言している医師、3人の子を育てる女)に「日本で改悪法案が通りそうで困った」とメールで愚痴をこぼしたら「今すぐデンマークか近隣諸国で精子バンクを利用したらどう?来なよ」と即答されて(もともと個人的な利用予定はなかったけど)それが嬉しかった。

どんな形であれ子どもを育ててみたいと今年ブログに書いた。しかし里親や女性パートナー申請登録の話は自分の検査と治療(の準備)が優先となり、頓挫とまではいかないが保留になってしまっている。と思えばまた別のルートで蕩けるような季節が始まってしまい、あまりにやわらかい日夜の渦中で北島三郎を歌い出してしまう。私の人生は展開の読めないボーナスステージでほとんどが構成されているのかもしれない。

 

■夏の涙は信頼できる

見つめていたはずが見つめられている。たいていは見つめ合っていても照れて途中から目をそらしてしまうものだけど、裸表現をする人の中には見つめ(続け)ることがどうしようもなく巧みな人、瞳の巨匠のような人がいる。それが友坂麗さんという人で、今年も川崎まで祝いに行けて良かった。21周年おめでとうございました。

ハッキリ言わないとわからない人に対しては「私の意識がないときに、私の服の中には絶対に手を入れないで」と伝えてから隣で眠るようにしてきた。機を織る鶴のようにそれだけは確実に守ってほしいと伝えてきた。つい先日、十年以上その約束を守る人の、明け方の穏やかな視線を感じてうっすら目が覚めた。こんな瞳で眠る私を見ていたのかと知ってしまったら、それを知らなかった昨日には戻れないなあと、すするように泣いて職場に向かった。そして今月頭に池袋で春野いちじくさんの「ファンタジーソープ」という作品を初めて観た時、まばゆく照らされたベッドの中の彼女を通して放心状態になり、人に優しく、人を大事にしようという思いでいっぱいになった。あなた(たち)という存在を確かな手触りで感じたいという意欲に満ち溢れた。再び「ファンタジーソープ」を観るために、今週水曜日は仕事を早退して渋谷へ向かった。ストリップ劇場の面白いところは、舞台が変われば照明やステージの形が変わって作品を何度でも楽しめるところでもある。劇場で泣いていると、せつなそうな表情をした老紳士から声をかけられ「私もありがたくて泣いています」という話を交わしたあとに握手をした。劇場に通うようになってから、他者を見つめたり他者に見つめられることができるようになって、私を包んでいた薄皮が全部めくれていくように、そこにはもう不純物がなくてあけすけで、真っ直ぐの視線しか存在しない。隠すべきものはもうほとんどない。春は花が咲くのが嬉しくて気が狂っているし、秋は誕生月があるので気が狂っているし、冬は記念日反応が起こり気が滅入っているので、夏の私だけは信頼できる。真夏の空へ向かう噴水のように、あの川の源流となっていく湧き水のように、夏にあふれる涙は格別にいいものだ。この体に伝わるすべての汗と一緒にすべての季節の涙も流れてしまえばいい。

(余談)劇場で一青窈が流れると中高生の私と再会できてとても嬉しい*2


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■あなたが夢に出てきた

私が誰かの夢に出てきたという報告をちらほら聞く。交通事故に遭って入院している奔放な女から「二日前にあなたと自転車の二人乗りをしていてそこでも事故に遭いそうになった夢を見た」という連絡が入った。骨が折れて車椅子生活というからかなり心配していたのにそれを聞いて吹き出してしまった。(夢で会えて嬉しいけれど)元気になってまた会いましょうね、と返事を書いた。

こどもの頃あるいは物心ついた頃、自分の眠りがどんなものだったか、ましてやどんな夢を見ていたのかちっとも思い出せない。先週最終回を迎えたアニメ「前橋ウィッチーズ」の主人公が見た夢のことをずっと考えている。私がもし高校生だったなら、私がもし前橋で暮らしていたのなら、あの子たちのように魔女を目指すことはなかっただろう。当時の私は元カノさえいれば良いという狭い社会の中で、桃源郷としてのインターネットや東京(初めて電車で東京に向かった16歳の時、その降車駅は御茶ノ水だったが)に過剰な希望を見出していて、地元で誰かとつながり生きていく未来はちっとも想像できなかった。

読み応えのあるレビューはいくつかある*3が、私の感想を書いておく。まず、日本で誕生してきた少女漫画/アニメがいかに多くの人を支えてきたか(少なくとも私の心の基盤にもなっていることを)を思った。それを大衆に届けるために企画を練り製作し配給してきた数多のクリエイターや表現関係者の偉業を思った。大島弓子の世界にいた少女たちのことも思い出している。少女(たち)の悩み、あるいは空想を通して社会構造が丸裸になる。政治家の声よりも一人ひとりに響く、そして残る、世直しのためのアジテーション。「前橋ウィッチーズ」は、将来の展望も特にない、欲求の薄い浅くてペラペラの人間も肯定的に描く。目の前の人間への配慮思慮に欠けていて、健やかであるが故に女の子のコミュニティでは浮いてしまいがちな人間の強みを描く。欲求/要求の薄い人間であるからこそ、他者の欲望を発見する手助けをし、適切な応援ができる可能性を示唆する。わかってほしい!と他者にぶつけるほどの欲望がないことは他者の欲望を(決して歪めずに)理解しようと努める余白があるということを。あなたがいるから自分の輪郭が明確になるという関係を。「わたしは何も持っていない」を理解する人の強度のある薄さ――その美しさに焦点があたっていて、それが本当によかった。

もともとは「前橋ウィッチーズ」という文言がタイムラインに流れてきて、何のことだろうと思って調べ、長時間バス移動の日に一気見をしたという流れだった。特に中盤では仕事とも関連する要素があって急いで業務関係者に「前橋ウィッチーズおすすめです!」と連絡をしたほどだ。とあるエピソードでは、こどもや少女少年を狙った性暴力について再考するきっかけを得た。たとえば露出狂(相手の同意なしに性器や裸を顕にする暴力)に対して、大笑いして跳ね飛ばすマインドと、性犯罪として怒り再犯を許さないマインドその両方を死守することの意義を思い出せた。他にもたとえば小学生の頃、痴漢被害が増えて遊びに行けなくなった公園の記憶を、緑の中を走り回ったみずみずしい記憶として再度取り戻すための新しい提案をしてもらえた気がするのだ。

 

■拡張していく布団(ZINE新作、他誌寄稿、陶芸、ダンボール屋台)

ブログにてなかなか宣伝する機会がなかったが、創作活動を続けている。『添い寝と生還』も150部無事に売り切ることができた*4。店舗やオンライン販売をせず原則筆者手渡しで、かつ約一年のデンマーク滞在を挟んでいたことを考えると、大変ありがたいことです。感謝申し上げます。

田中美津と社会運動と万引きエピソードに感銘を受けて作成

今年5月の文学フリマ東京では、直前の数日で新しいZINE『現在の幸せは過去の幸せを捏造する―解離から病変の身体で生きる私から田中美津へ』を勢いのまま書き上げた。敬愛するストリッパーに対する手紙も新たに作成し、奔放な仲間のフリーペーパーと合わせて約300枚を配布した。そして有志による『投げるためのお玉』という雑誌への寄稿依頼があり料理とケアについてを書いた。そのまま月末には(かなり怪しかったと思うが)近所の公園でダンボールを継ぎ接ぎし白いスプレーを吹きかけてハリボテの屋台を作った。生き延びたあなた(たち)へおめでとうを伝えたくて。布団でも自宅でもなく路上で。

*詳しくはこちらへ

文学フリマ東京40出店(奔放なフリーペーパー約300枚配布)

万能な屋台(千住・人情芸術祭参加)

今月頭には岐阜・本屋メガホン様の企画に参加させていただき既刊を持ち寄った。今年8月には大阪、11月には東京、翌1月には京都の文学フリマに出店するので、それまでに一部修正したうえで『添い寝と生還』を増刷予定。

春から異動の希望が通り、東京ではあまり暮らしていない。出張先にある陶芸教室を訪ねてみて、愛すべき女の人たちのことを考えていると力が湧いて(?)三種の器を作った。魅力を感じる女性と個別に親しくなることは諦めてその情動は作品に向けたほうがいいんだろうなあとか考えながらひたすら手を動かした。色づいて焼き上がったものは自室のピアノ部屋に飾ってある。

デンマーク渡航前に『添い寝と生還』を渡してから添い寝フレンドだった人とは連絡を取っていない。自分からはもう連絡しないと決めている。しかし、裸で包まる毛布のあたたかさを、あの夜のしずけさを、あの朝のよろこびを、すべてが入れ替わっていくような循環を、あの布団の記憶をもっと外側へ開いていくための実践を引き続きしていけたらと願っている。

それでは、また会いましょうね。

*1:ネタバレ注意だが、コペンハーゲン出身でノルウェーで活躍する映画監督ヨアキム・トリアーによる『Verdens verste menneske(英題:Worst Person In The World)』のこの記事であるとか【映画解釈/考察】『わたしは最悪。』「“母性”に寄りかかるパターナリズム(父権主義)①」|takesky|映画を読む

*2:このアルバムの冒頭~3曲目の流れ(ライブ収録アルバムなので連続性がある)が本当に好き。特に「あこるでぃおん」はこどもの頃ハマりすぎて弾き語りの練習もしていた。一青窈の歌詞はイノセントであるのにどこか艶めかしくて怪しさもあってその両面性が好きだったことなど、性的な陰りが内包される魅惑的な詩の魅力を、ストリップを通して思い出すのだった

*3:ネタバレ注意:「前橋ウィッチーズ」が見せた執着や依存への容認|hazennokuiとか、あの花屋は一体何だったのか 『前橋ウィッチーズ』10話感想・他(2025年6月8日の日記)|人間が大好きとか、ユイナのペラペラさについて 『前橋ウィッチーズ』11話感想・他(2025年6月15日の日記)|人間が大好き

*4:ありえないデモ、そして知人によるハラスメント対応についてのお知らせの手紙を用意したので、過去に購入した方で受け取っていない方がいたら連絡がほしいです