人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

「愛のないセックスには金を取れ」どう思う?

19歳の時、バイト先の年配女性にやたら可愛がられていた(愛を与えてくれる主婦たちは私にとって第2の母、TOKYOの母だった)。その日も退勤後夕飯に連れていってもらっていたんだけど、どういう流れだったか、性的な話題になっていた。内容はさておき、その主婦が私に言ったのは「私は女性が男性のあれを舐めるっていうのがどうも苦手というか嫌いなの。だから絶対に(オーラルセックスを)しないって決めていて、面と向かってお断りしているのよ」という言葉だった。1人の女性が、性的場面で譲らない態度を持っているという事実が強烈に印象に残った。当時の私は「オーラルセックスして当たり前(とにかく相手を喜ばせないと)」っていう価値観が刷り込まれていて、自分自身の価値観を持っていなかったからだ。

同じ時期に「自分はフェラを求めるくせにクンニは嫌がってしない男とかあり得ない」って友人が発言していたのも、今でも鮮明に覚えている。その場の状況や個人の嗜好もあるから、その価値観が絶対的に正しい、というわけではないけれど、この発言の中の"フェアに”奉仕しあうっていうニュアンスこそが大切だと今ならわかる。

当時の私は「性差がある中での公平(感)とは、何か」を意識して考えないようにしていたので、その友人の言葉もなんとなく受け流していた。

 

 

「愛のないセックスには金を取れ」

 

映画監督*1のこの台詞はわりと有名かもしれない。

そもそも愛(尊重)のない時点で性暴力に親和性があるのではないか。愛があることは大前提だ。(※ちなみに、愛=恋愛の類ではなくて、愛=個として尊重しあえることと解釈している)

尊重されるってことは、「自由に意思を表明できる関係性内にあって、選択を軽んじられない」ことだ。「少しでも嫌だな、違うな、と感じたらNOを言っていいし、NOを軽視されない」ってことでもある。女性だけが主語ではない。どんな性別、セクシュアリティ、肉体、関係性であっても。だれでも、どんな場面でも。性暴力から距離を取ろうとし、両者の意思が軽んじられない性的関係の構築に努めるための勇気を持っていけないものだろうか・・。

 

その場合、尊重されず人間として軽んじられても、金を払えば許せるだろうか?絶対に違うはずだ。金を払っているから何をやってもいい、好き勝手やらせろ、というのは本当におかしいことだ。金で「買える」のは、サービスを受けられる時間だ。相手の心身は買えないし、独占・所有できない。その人の体はその人のものだからだ。。

「恋人/配偶者なんだから」「愛し合ってるから」何をしてもいい、というのもおかしな話だ。どんな関係性であれ、相手の意思を軽視した時点で、相手の選択を待てない時点で、暴力的である(だれでも、初期なら自身の加害性を自覚して引き返すことはできるが、それから逃げて加害の回数を重ねると、いっそう麻痺して深刻化する。)

尊重されているならば、恋愛感情・関係がなくても性的快楽を求めていいに決まっている。そして自分の意志で自分の肉体を性的に使ってお金を稼いでもいいに決まっている。必ずしもロマンチックラブイデオロギーとセックスは一体じゃなくたっていいはずだ。

 

しかし、たとえば、自分にとっての欲望や快楽がさほど満たされない(あるいは存在しない)状況の場合は、「愛(尊重)」なり「満足感」を獲得することから遠ざかるかもしれない。

「暴力的だとも思わないが、能動的にしたいとも思えない」性的行為の難題さよ……。

 

 

●数年前の個人的事例 

合意で男性とセックスをした。嫌な思いもしなければ、自分の意思表示もしっかりできる関係性があり、なんの不自由もなかった。しかし、相手は途中で、射精したいからという理由で、オーラルセックスを求めてきた。私は射精やオーガズムにこだわらなくてもいいと思っているので、その価値観を説明こそしたが、相手は違う考えらしい。AVっぽいな、射精介助っぽいな、なんで私はこの人のオナニーを手伝ってるんだろうか…と内心思ってしまった。能動的にしたいと思えなかったけど、断るほど嫌な状況でもないので、なんとなくノリで抜いて「あげた」。

 

 

 「愛のないセックスには金を取れ」じゃなくて「アンフェアと感じるセックスには金を取れ」なのかもしれない

 

この「(一方的に)してあげた」という感覚に違和感があるし、できれば味わいたくないし、酔いしれたくもないと思う。上から目線で、フェアな関係性とは遠いように感じるからである。

おそらく「お互いに」「してあげる」という交感的なセックスであれば、こういった違和感は生じなかったのだろう。しかし一方的に奉仕/演技するような労働的なセックス*2に途中からすり替わってしまったったので、事後疲労感だけが残り、満足感が引っ込んでしまったのだ。

相手の欲望が嬉しいから、盛り上がってる流れで興奮しているから、相手の気持ちよさそうな顔が見たいからとか、そのような動機があれば、話は違ってくるのだろうけど。そうではなく不本意にシラけてしまう瞬間があると残念だ。ハイ!盛り上がったね!試合終了しましょう~!でよかったのに、「ごめん、最後に射精したいからお願い舐めて・・・」と頼まれて、まあ断るほどの理由も嫌悪感もなくて、いそいそと動いている時、脳内で誰かが「金を取れ!」と静かに囁く。その現象に対して長いこと目を瞑っていた気がする。でも、このままでいいのか?と開眼し、行動できるようになったのは最近の話である。

 

 

ではどうすればいいのか?金を要求すれば解決するのか?

一つの選択肢として、「今日は無理。そういう気分じゃないから自慰で済ませてくれ!」と断る日があってもいいのだと思う。*3

別の選択肢としてこんなのもある。やってる人からしたら既に当たり前のことなんだろうけど、自分も一方的に奉仕してもらえばいいのである。「○○してほしい」と頼まれたなら、一方的に従うのではなく、こちらからも「○○して」と自分の欲望を満たすための要求をする。そうすれば、自己中なのはお互い様だ。

能動的かつお互いに没頭できて楽しいセックス、非暴力的かつ主体的なセックスが理想的とされるけれど、圧倒的なリアリティの前ではそれは夢物語かもしれない。奉仕の色合いが強い「してもらう/してあげる」的な、つまり性欲処理的/性幻想的な欲求を相手に抱き、要求してしまうことも少なからずあるのだと思う(それが行き過ぎると相手を傷つけるので、減らしていけたら良いかもしれないが、欲望を持って生きている限り完全に0にはできないし難しい)。

 

もちろん大前提として、少しでも「したくない」「ちょっと嫌だな」とモヤっとするなら、NOと拒否していい(あなたは間違っていないし拒否する権利が最優先されるべきとも思う)。ただ、簡単に白黒つけられる場面ばかりでもなく、「この要求に応じることは特別嫌ではないし、暴力とまでは感じない」ということもある。しかし一方的なサービス精神を発動する機会ばかりだと、気づかないうちに消耗させられていることもある(≒労働的なので、金を取っていいとも解釈できる)。そんな無償のボランティア精神は不健康だし長持ちしない。それを強制することもできないし強制させられてもいけない。

この現象とうまく折り合いをつける方法として、性別は関係なく(女は欲望するなというのは論外)自分の立場からも性的奉仕を要求してもいいんじゃないか?というのが私の考えである。*4

相手に完璧さを求めずに、情けない部分も見せ合って、時々失敗もして、お互いさま感覚を共有できる関係性が出来ると大変気が楽でもある。肉体も感性も価値観も(時には妊娠によって生じるリスクも)異なる相手とどうやって向きあえば、少しでもフェアと感じられる性的関係に近づけるのか?それを考えることを止めずに生きていきたいと思う。

 

そうやって、開き直ったというか、自由に欲望を交渉できるようになってからは、わりと精神的に穏やかに生きられている感じもする。

 

(※2020年12月17日 微修正)

(※2023年6月17日 監督名削除)

*1:2022年性暴力加害を告発されたため、監督名を削除しました

*2:受け身な相手に対して相手が満足するまで能動的立場であれと要求される感じ。一方的にサービスしてあげているというアンフェアな感じ

*3:断られた側は怒ったり不本意に落ち込まないようにされたい。あなた自身が否定された訳ではないのだから。むしろ「今はしたくない」と断れる関係性があること自体すばらしいこと

*4:(こんなの当ったり前じゃ!と思う人もいるかもしれないけれど、個人として気づいて堂々とできるまでに時間がかかりました…)