うれぴっプルン戦記

性的主体性と添い寝とダンス

転職してすぐに失業したけれどなんとか落ち着いた人生に戻った

半年で仕事を辞めてしまった

わりと手厚く送別会をやってもらったのに、今年2月に入社した会社を半年で退職してしまった。理由は幾つかあるが、挙げるとすれば

・労働契約と違うことが多かった(休日出勤が強制、夜間外来の対応をする可能性が出た)

・部署が全員新人で、上司も指導者もSVもいなかった(けれど、もちろん、責任は重かった)

・結果、いろいろと判断に迷い、不燃焼と感じるケースが多かった

 

こんな感じ

で、5月くらいから通勤が辛くなってきて、体調崩す前に辞めようかなと考えだして、平日休みを取りながら公共職業安定所に通った

採用検討すると言ってくれた会社があったので、6月初旬に「辞めます」と宣言して、翌月には有給(半年勤務したので10日間)消化して退職の運びとなった

「労働者の権利だから有給はすべて使わないと」と部署の仲間が口を揃えて言ってくれて、急だったのにもかかわらず、私が担当していた仕事を全部引き継いでくれたのは有難かった

 

でも、検討すると言ってくれた会社から正式返事が待っても来なくて(笑)

次の仕事が決まらないまま、退職の日が来てしまい、想定外の無職となった

結局、7月中旬から再び、公共職業安定所に通い始めた

 

 

公共職業安定所(ハロワ)のお世話になりすぎた

雇用保険の仕組みを体感できて良かった

・相談を受ける立場から、相談をする立場になり、「相談する」スキルを得た

・週3回ほど通った

・本当は担当1人でいいんだけど、7人の支援員をローテーションしながら相談をした(相性の合う人とマッチングする目的と、面接援助の仕方に個性があることを学ぶ目的)

・4社不採用となった(犯罪被害者支援センターなど意気込んだけど書類選考で即落ちた)

・かなり自信を失いかけていた 

奨学金返済を一旦停止する手続きをした

・念の為、職業訓練校を受験して合格していた

・加えて、公務員試験の面接日が決まっていた

・専門実践教育訓練給付*1雇用保険の資格要件を満たした離職1年以内の者又は在職者について、新たな資格取得に要した教育費用の最大60%が還付される)を申し込むことにした

・そこでようやく担当支援員を1人に定めた

・準備なしで面接したり自己流で職務経歴書を書くのをやめて、きちんと指導を受けたら1社受かった

 

 

9月入社が決まった

・面接後は、眼鏡がかなり汚れていたことに気づかず帰宅して落ち込んだ

・けれど、採用されてホッとした。精神が軌道修正できた感じがした

・それからはずっとドラクエ11をしている(裏ボスまでクリアして現在リメイク8をプレイ中)

・入社して1周間で、海外赴任が決まった(早速パスポートを取得した)

・受給要件に当てはまったので再就職手当を申請した(私の場合は30〜40万出るようだ)

・夫の扶養から抜けた(事実婚なので、社会保険の扶養に入れてもらっていた)

 

2ヶ月間、扶養に入ってみたことへの振り返り

・「扶養」に抵抗があったので、はじめは健康保険と国民年金の全額免除をうけようと思っていたんだけど、夫と同一世帯で世帯収入があるため、免除がうけられず。扶養に入る以外に選択肢がなかった

・諸手続きが夫名義となって、夫不在では問い合わせする権利もなくなりつらかった

・無収入なのに住民税徴収日はやって来るのでつらかった

・財布別で生活費を折半していた頃とはガラリと生活が変わり戸惑った

 

・一切頼らず、すべて貯金でやりくりする選択も浮かんだ。でも「頼っていいよ」と言ってもらえた。そこで、悩みに悩んで夫に提案したのは、食費と水光熱費(生活費)を頼ることだった。私用で使う物品や交際費は貯金から崩した

・「主婦は私には向いていないのでニートになります」と主張していた。ニート(家事手伝い)くらいの気持ちで過ごそうと思っていた

・なぜかというと、家事や育児を担う主ふ業が、業務内容としても対価の見えづらさからしても重労働だと感じているので、その役割を主体的に担える自信がなかったからだ

・でも、時間に余裕があるし、何かしないと申し訳なくなってきて、積極的に家事全般をやっていた(調理だけは今まで通り手を抜いていたが)

・家庭内労働は、「愛」という名の下でのやりがい搾取の温床というか、労働価値が見えづらいので、家庭内の力関係が揺らいだり主ふ側の精神的な不安定に繋がるのではと体感した

・とはいえ、夫は、常時態度を変えずに接してくれたので救いがあった

 

・ただ、誰かのお金に依存して(養われて)生きていく時間がいつまで続くのか…夫の金ありきで生きることになるのか…二者関係内で立場が弱くなっていく気がして怖くなっていた… 

・つまり扶養に入ったことで、精神的に不安定になっていた

・扶養義務という形の苦行(大黒柱という責任感が生じて離職しづらい不自由さ)(稼ぐという役割を一方的に任せられることの不平等さ)を担う*2ことになった夫に申し訳なくて、どうすれば対価を支払えるか悩んだ

 

『役割』*3を交代できない関係性は不自由だ

「扶養されること」の対価は「家事労働や相手のケアをすること(癒やしやセックス含め)」ではなくて、「相手が困った時に、今度は自分が相手を養えるような経済力をもつこと」ではないかと思うようになった。ちゃんと職を見付けて、キャリアアップして、夫が失業した時に支えられる収入を得たいと思うようになった。夫が私を経済的に(時々精神面も)支えてくれたように、これからは私も経済的に強くなりたいと思った

怪我や病気、死別や離別のリスクは高齢になるほど付き纏うものだからこそ、「一方しか稼げない/家事が出来ない」という状態は避けたい。「臨機応変に助け合える」状態を目指したいなと改めて感じた

どんな役割も交代しあえる関係性こそが、自由で対等に近い力関係だと感じる

もちろん、お互い頑張ってもどうしようもない事態も起こるだろうし、その時には、周囲にSOSを出したり、社会保障(公的扶助含め)をどんどん活用していきたい

 

www.amazon.co.jp(知人の紹介で知った本だけど買っていない…)

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(読書中)

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(家事労働や愛という名の搾取に異議申し立てた作品でもあったけれど、コミカルな作風と演出で多くの人の心を掴んだ、原作漫画も面白い)

www.gentosha.jp(男も母になれるー取り替え可能な役割論。大島弓子作品おもしろい!)

 

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こんな感じの夏でした

毎年この時期が誕生日なので近況報告記事を書いているんだけど、今年は職探しや新しい環境に適応することに精一杯で、誕生日どころではなかった…

でも、お祝いのメッセージや贈り物(花束、オーダーメイドのマグカップ、お菓子、化粧品など)嬉しかったです

 

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ありがとうございます

26歳になりました

20代前半までは年上の知人・友人から「我が子」「孫」扱いされることが多かったけれど、20代半ばになって「姪っ子」扱いされることが増えた気がして色々と楽になってきた

 

親は、私が「誰かの為でなく、自分の為に生きていること」が嬉しいようだから「毎日、自分の人生を楽しく生きてるよ〜」って報告メールをしておいた

会話するうちに、「そういえば、出産予定はあるのかな」「日本の未来が」とおもしろいこと言われたので「あなたは日本の未来のために私を出産したの?!違うでしょ(笑)」って返しておいた

 wow…wow…wow…wow…

 

とはいえ、ミレーナ(子宮内黄体ホルモン放出システム*4)を装着して3年が経ったので、2年後(28歳)には、ミレーナを「外す(妊娠を望む)」か「継続装着する」かを選ぶタイミングが来る(ミレーナは最大5年間、ホルモン効果が持続するので入れっぱなし状態なのです)

 

そもそも、妊娠できる体かもわからない(これは男女共に)。それに流産というリスクもあるので、「出産できる」を前提に話がすすむのもおかしいことではあるけれど

もし、自分の肉体を使った生殖*5を生涯望まないと決めたら、永久避妊(卵管結紮手術)という選択や、里親制度やそれに準じた方法を利用する選択も浮かんでくるかな、とか

すこしだけ、悩む時間も増えた気がする

強制避妊状態(モラトリアム期間)が出来たお陰で深刻に悩まずに済んで助かっていたんだけどね…

この先2年で、考えがまとまるといいな。今は勤め仕事だけで精一杯という感じだけど

まずは、海外赴任をなんとかクリアするところからだな〜がんばります

※短期赴任なのですぐに日本に帰ってきます 

 

 

 

>去年の誕生日付近に書いた記事

kmnym.hatenadiary.jp

 

 おしまい

 

*1:

*2:これは私ならではの価値観やリスク思考かもしれない。「家族を養っていく責任感」を、生きがいやメリットと捉える男性の存在もあることだし。そして実際に夫が「扶養する立場」をどう捉えていたかは正直不明である

*3:家庭内分担「家事」「育児」「稼ぎ」役割だけでなく、「母」「父」「子」や「大人」「幼児」役、「リーダー」「補佐」役などなど

*4:

minacolor.com

*5:他の子宮に外注できるなら是非頼みたい