生命を撒き散らしてなにかを捧げるかのように踊る人を見上げるとき、全身の体液がこの目に集まって、過去から今までのすべての涙が訪れて、顔中の産毛をべっしょりと濡らす。そんなとき、「わたしが差し出せるものは涙しかない」という気になっている。
いつもどこかからだを千切って差し出そうとしていた。それを、『青野くんに触りたいから死にたい』の最終回を読み切ってからしみじみとさめざめと実感した。青野くんと同じように「特に恋は気を付けなければならない」とずっと思っていた。わたしがそれを求めているのかもわからないのに、与えてくる人があまりに多かったし、その都度消耗していたからだ。《自分のことを被害者だと思った人がわたしに飽きるまでの物語を作らないといけない》ことがしんどくて、どんどん苦手になっていた。わたしはあの日を境に憎まれ役を引き受けて恋愛を止められたけど*1、青野くんはまだ小さな子どもだったから「ごめんね(あなたの気持ちに応えることはできない)」と拒絶することができないまま死んでしまった。「ごめんね」が言えない人たちは、そこに肉体があるはずなのにふわふわしていて透き通った幽霊みたいだ。でもあなたたちは本当は怯えられる存在でも憎まれる存在でもない。「ありがとう、でもごめんね、自分はこうしたいんだ」を言えなくさせたのは誰か、どうしてそれが起きてしまったのか、その謎を怪奇現象の力を借りて九年もの月日をかけて教えてくれた、そんな凄まじい物語が完結した。


物語における性的行為(えっちな行為)の重要性
一巻を捲れば、「交通事故」により幽霊になってしまった青野くんと、彼に触れたい優里(ゆうり)ちゃんによるラブコメディが始まる。二人が身体接触を試みるにも電柱や枕越しだったりと、とにかくひょうきんでコミカルだ。しかし青野くんが生者に憑依し直接の接触が可能になる場面から官能かつ不穏な空気を帯び始める。他者の肉体であろうと青野くんの意識化であればそれは青野くんとキスをしているのだと優里は解釈し、束の間の逢瀬と刺激に満たされる。二人が性交や社会経験のない十代であることは重要で、「好き(かも)」という感情と新鮮で強烈な快楽(性愛)は、区切られずに融合して加速していく。際限がつかなくなり、どんどん深まろうとする。ここでの深まるとは、様々な身体接触がある中でも、「唇から舌へ、手のひらからやわらかくて突起した指(または性器)へと、触れられる範囲が広がっていくこと。そこから粘膜に入り込み、体液が混ざりあうような行為」「皮膚の先にある、やわらかくて傷つきやすい粘膜をズブズブになるまで味わう行為」を指す。
『青野くんに触りたいから死にたい』漫画家・椎名うみが語る、欲望の扱い方 | iro iro iroha 女性のきもちよさに寄り添う情報をお届けします
上記でも語られているが、作者は「恋愛感情=性的に触れたい」という感覚を持つ人だ。「触れたいから死にたい」とは、「(幽霊になってしまった彼氏に一瞬でも)触れたい」というロマンティックで切ない恋慕のようにも描かれるが、読み進めるうちにそれはややミスリードであり、明確に「性的行為がしたい」の意味だったのではと思わされる。それほどに性的行為(それに付随する性欲やセックス、生殖と呼ばれるものの暴力性/欲望に支配される時の逸脱性や衝動性)が物語のキーになっている。同時に、目の前の存在を渇望する性的行為とは、性器接触を頂点あるいは要件とするようなものではなく、いかに多様で創造的かを示唆する。ゾクゾクするような、体の隅々まで侵犯して感覚を研ぎ澄ますホラーと官能の類似点はもちろんのこと、本作に、アップテンポかつ歯止めの利かない「十代のえっちな欲望」は欠かせない要素だ。
憑依を通して好きな人の粘膜にまで触れられるようになった二人。「いいよ」と許可されることで、青野くんは優里の肉体に何度も侵入していく。彼を招き入れるたびに、触れ合うどころではなく文字通り一心同体になる。しかしそれは自分の命と引き換えに青野くんを妊むことでもあった。そこから始まる身の毛もよだつ怪奇現象は、「青野の呪い」と噂され、友人らを含む親密圏から、学校へ、次第に街全体に広がっていく*2。
生者の時の青野くんは渦巻いた怒りが自分に向かう人間(自分を破壊したいというか生まれたことをなかったことにしたい人間)だったが、死して優里に触れてはじめて、自身の欲望を他者*3にぶつけることの快楽を得る。暴力を振るっている時の記憶がないという人は案外多いのだが、青野くんもその時は「黒青野くん」になって一切覚えていないという具合だ。同時に、青野くんも優里も性的行為が深まった先で、生まれてはじめて「断る」という選択肢が脳裏に浮かぶ。謝罪ではなく拒絶としての「ごめんね」が言えるようになっていくまでのそのプロセス、もらいすぎたもの不要だったもの相手のものを返還するプロセス、自分という人間を生み直すプロセス*4、それがあまりに緻密でドラマチックで感服せざるを得ないのだ。詩的な言い回しや見せ場が独特で、特に得体のしれない怒りの表情は救済で、心の底から、どうしようもない気持ちにさせられる。
「触れられない」境界線の愛しさ
「青野くんに触りたいから死にたい」というタイトル。最終話を迎えた今は、「青野くんに触れたから、生きていく」という優里ちゃんの意思を想った。
重要なのは、もう二度とあなたに触れられないこと。だからこそ、わたしは生きていけるということだ。
とにかく濃厚で自分とあなたが入り混じって自分が誰かも忘れてしまうくらいの身体接触(感情接触)は長くは続けられない。続くとしたら、どちらかまたはお互いが死んでしまう(心身を喪失する)ような破滅の道しかない。それはどんなホラーよりも恐ろしい*5。
私の心に染み付いて離れないのは、「幽霊はいちいち俺が何をしたいか聞いてくる でもいつも他愛もないどうでもいいことばかり 本当の願いを叶える力はないくせに」という台詞だ。意思を聞くこと(それが聞こえるまでじっと待つこと)、それが尊重という意味での人を愛するということだからだ。
本当の欲望はなにか? それを問うて、それを叶える/諦めるために動けるのは自分自身しかいない。他者はいつだってヒントをくれるが、わたしの欲望を満たすためにあなたは存在しているのではない。自分と相手は違う人間で、それを表現する時のために「ありがとう」と「ごめんね」があり、ともに生きる日々の些細にもみえる「私はこうしたい/したくない」という意思表示をいちいち積み重ねることが、あなたは誰かの所有物ではなく独立した存在だと伝える唯一の手段なのではないか。
満ちてゆく(わたしの手探り)
臨時受診した結果無事だったのだが、胎児が生きているかわからなくてひとりで泣きながら布団の中で丸まっている日があった。息ができなくなっているかわからない状態、まさに「手探り」で自分の腹に手をあてて胎動を探しに行く時間の遠さを経験して、添い寝の時間が思い出された。ひとりでは明日を迎えられず、隣から聴こえる呼吸音や心拍を頼りに眠っていた私を、輪郭が曖昧で透けていきそうな私の身体を、暗闇から手探りで見つけてくれた人がいたことを。もう触れることができないあなたを今もこの体が記憶していて、だからこそ別の誰かの鼓動を探しにいけることを。
優里ちゃんもきっと、自分の想定していなかった現実とこの先を、青野くん以外の誰かと過ごし生きていくのだろう。そして、触れられないからこそ触れた気になるためのあらゆる創意工夫が、キスもハグもできないならばともに踊ろうと取り合った手が、いかに豊かな時間だったかを、ふとした瞬間に思い出すのだろう。
昨日は渋谷に向かっていた。六周年を迎えるストリッパーの舞台を、春に生まれるかもしれない人(わたしのお腹で生きるあなた)と青野くん(死んでしまったあなた)と共に観ていた。裸でポーズを決める彼女の、美しく在るための表現とそれを満たしうる肉体を他でもない自分のために追求し、理解や評価を拒絶するような姿に勇ましさと愛しさと懐かしさを覚えた。どこにも捧げられることなく、こぼれ落ちるだけの涙がそこにはあったかもしれない。
性暴力被害を契機に添い寝に出会い、非暴力な性的行為を追い求め生き延びる中で、「触れる」ことの効力を実感した後の今、ストリップ劇場が自分の居場所になっているのは、ここが「触れられない」かつ「えっち」な現場だからなのかもしれない。触れ合えないことに私はすっかり安堵している。透明な隔たりがあって、その皮膚までこの指は届かない。相手が許可しなければそのドアノブを引いてもいけない。しかしドア越しに見つめ続ければ、見つめ合えた可能性に満たされる。その手で自分の裸や性器を労るように触れる人の表現を通して、私たちは自分のからだを馳せる欲望をこの手で探り、抱きしめることができるのだ。
↑「青野くんは、恋と冒険(90年代のりぼん)」
作者が十代は演劇部で、ロジカルホラーのシナリオ書いていたことには納得(過去作にも本作にも演劇のステージが出てくる)
ラジオその3がめちゃくちゃ面白い。「はじまり(すべて材料を準備する)」「後戻りできない展開(坂道からカートが転がり始める)」「上昇の展開(ストレスとプレッシャーが高まりすぎ)」「クライマックス(全部使い切る)」「下降」「オチ」という物語のセオリーについて、ロジカル椎名節。一話のベースはまさかの『寄生獣』と『俺物語!!』。ベルセルクを読み返したくもなった。ハチワンダイバーは未読だったが面白すぎる!
↑どんどん眉毛が太くなる素晴らしき藤本論
【最新話のお知らせ】
— 青野くんに触りたいから死にたい(公式) (@aonokunnn) 2021年5月24日
本日5/25発売アフタヌーン7月号に第44話「変わる」掲載です。
今回久々の巻頭カラーです。やったー!!
そしてなんと…今回『チェンソーマン』藤本タツキさんが登場!
巻頭ポスター表面に青野くんイラストを、裏面に『青野くん〜』についてのコラムを熱筆!
ぜひご覧下さい!! pic.twitter.com/GlXpA8M7uK
↑この号は本誌を購入した。山頂で交わす二人の会話/見開きは歴史に残るべき美しい場面である
終わりに
椎名うみ先生、初連載にして傑作を生み出してくださり本当にありがとうございました。
二〇二五年、妊娠中の身体で完結に立ち会えてよかったのと、個人的な思いを述べていいなら、まず一つは美桜ちゃんを祝いたい。壁や画面越しに人とつながることの親密さ、それを世間が望むような「脱引きこもり」という形で終わらせなかったことが嬉しかった。もう一つは藤本にはどうか自分の心に納得がいく形で幸せになってほしい(これはすべての読者の総意だろうな)。そして最後に、毒親と簡単に切り捨てられるようには描かれなかった、瞳さんという一人の女(人間)を偲びたい*6。
コミックDAYSアプリ最終話で瞳さんに共感を示すコメントが少なくなかったことに少し驚いたというか、当事者性を持つ人がそれを書いて良いと思える社会になったんだなと感じた。今は彼女への共鳴はない(想像ならできる)けれど、これから養育の困難に直面したら私の中にも瞳さんの感情が登場するかもしれない。だからこそ、たくさんの人に頼らなくては、なんてことを思った。
※家族というものに苦しめられたことがある人、家族支援や心理領域を扱う対人援助職、誰かと親密に混じり合いたいという欲望に関心のある人には特に手に取ってほしい。未見の方はぜひ一話から読み進めることをお勧めする。ただ、性描写、グロテスク描写、ホラー描写、身体虐待・心理的虐待・きょうだい間差別や暴力描写があるため、苦手な方は体調と相談しながらでご無理のないように。
子宮頸がん精密検査の経過とか、精子提供してひとり親をやりたい方の募集とか、税務署に開業届を出したこととか、今年の振り返りと来年の抱負を書こうかなと考えていたのですが、『青野くんに触れたいから死にたい』完結の衝撃がちょっと強すぎて、これを今年の最終エントリとします(笑)
それでは、奔放な年をお迎えください!
今回のブログはこれを聴きながら書きました
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*1:あれから十年以上経った今、何も差し出さなくていい穏やかな恋をしている。とても幸せだ
*2:最終的にはドラゴンボール的展開になっていく
*3:厳密にいえば、青野くんにとって母は他者ではない
*4:私は、青野くんの「安定期」までの口裂け怪獣姿は、セルフイメージの表出だったのかなと考えている。人に擬態した異物、人として生まれられなかった怪物だと本気で自認していたのではと思う。なにより容赦なく描かれ続けた愛の惨めさに感服する。でもその惨めさを受け止めることからしか始められないのかもしれない
*5:それはあまりに現実を落とし込んだ秀逸な表現だった。妊娠や性感染症のリスクを極力減らして、パートナーなどの親密な名前を拒絶して、カジュアルにスポーツやゲームのように性的行為を楽しめる才能がある人同士のそれは、純度が高いというか非暴力なものに近いと思うのだけど、そうでない、妊娠や性感染症の機会が有り得たり、親密さの延長線と捉える性的行為は境界線が揺らぐので、暴力的要素は隣り合わせにある。恋愛感情/関係の中で行う性的行為はその最たるものであり、感情/関係の揺らぎを巻き起こす。その境界線を引き直して前進するには変容の痛みを引き受けないといけないのである
*6:彼女は拒絶ができても、嫌だと言えても、その意志を繰り返しなかったものにされてきた人だった。弱い人というのは最初から弱かったんじゃなくて、弱者でいること以外を許されないまま年を重ねてしまった人なんだと思う