人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

平均顔女が豊かに生きていくということ

東京タラレバ娘の最新刊を買ったぞい

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本編については語る気はない。そして「東村アキコ」という文字を眺めるたびに、この人は漫画家が天職なんや〜才能や〜才能の塊や〜!!!という感想しか抱かない。

そして今回面白かったのは巻末タラレBar(東村先生が悩める子羊の恋愛相談に乗るというか辛辣にぶった斬るという企画)

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「本当はアイドルとかタレントになりたかった病の人」「自分は普通の女の子より可愛くて魅力的なはず」という自意識から男性にチヤホヤされる遊び(男性を自分の価値を確認させてくれる道具扱いする)(男性側の気持ちは一切無視)をこじらせてメンヘラっぽくなって彼女持ち男とエッチしまくるけど最終的には35歳くらいでどうでもいい男と結婚するって話

ある!ある!ってなったわ

東村先生は「こういう女の子、全国にいっぱいいる。」とさらに突っ込んでて笑った

周囲を見渡しても、たとえば大きな世界で活躍している女性は顔だけじゃない美しさや自分の武器をちゃんと持ってるし、たとえば自分の可愛さを賢く理解している女性は「私はいま若いから勝ててるだけ」「あと3年したらこの(顔面を売りにする)戦略じゃ、やっていけない」といってキラキラ遊ぶ傍ら、コツコツと資格取得の勉強してる。そういう友達が年齢問わずいるけど個人的に大好きだなって思う。私は男性以上に女性(心身問わず)が大好きで、女性であれば誰とでもフレンドリーだし性悪の強かな女性とか好みなんだけど、「35歳くらいでどうでもいい男と結婚する」タイプの人とはあんまり仲良くなれない傾向にある。オタサーの姫のような(自分以外の女を利益を奪う危険性があると一方的に認識して敵対視してくる)女性とは仲良くなれない(仲良くしてもらえない)。すべての女性LOVEな私としては、ほんとうに残念である。

 

中途半端に可愛い云々といえば2年前にこんな記事かいた

要約「チヤホヤして可愛がっているように見えて実際はあなたを玩具扱いしている“環境”に依存するとしんどいからやめろ(殴り返す力があるなら話は別)」です

 “中途半端に顔がいいと、対人関係がうまくいかない原因である内面をフォーカスしないまま、とりあえず、ちやほやしてくる人が現れ、なんとなく生きていけちゃった系みたいになる(残念ながら、歳を重ねるたびになんとかならなくなる)。また、あわよくば、と性的対象にもされやすいし、顔目当てで寄ってきた奴に「期待通りの人じゃない」と勝手に突き放されることもあるようだ。いい迷惑である。”

“顔面至上主義な価値観を持つ人にとっては他者を「かわいい・美人・イケメン」などと褒めることは全く悪いことではないらしい。単に思ったから、褒めているだけだという。ただ、「美しさは長所の一つ(他にも自分は素晴らしいところがいっぱいある)。ありがと!」とさらっと受け止められる人なら問題ないが、自尊感情が低い人の場合、その人が「容姿」に自分の価値の唯一を押し込んでしまう危険性があるんじゃないか?ある程度の年齢までなら市場価値としての「容姿」は充足されるが、人はかならず老いる。それ以降、どう生きていくか。他者に承認され難くなった「私」はどう生きていけばいいのか、どんな「私」であればいいのか、露頭に迷ってしまわないだろうか。”

 

あと性犯罪で被害者の外見を強調するのはアカンとも2年前に書いてた(同様に加害者の外見を強調するのももちろんNG。なぜかというと、偏見につながるから)

“美人=女性として魅力的=狙われやすいから仕方ないことだったんだよ=元気だして☆は決して正解じゃないのに、あたかも常套句のように囁かれる。これじゃ誰も「被害に遭いました」だなんて名乗り出れない。再度傷つくだけだもの。被害の原因を詮索されることなく、「つらかったね」「あなたは悪くない」と、ただあなたが寄り添ってくれたなら、どれだけ救われるか。”

 

このタラレBarの相談を読んで思い出したのは、2年前、恋人を寝取られたこと笑。しかも相手の女性と友好的でいられる浮気じゃなくて、敵対視される浮気だったのでしんどかった(友好的な浮気ってなんだよwって思うかもだけどとりあえずスルーでw)。セックスすることで恋愛感情や独占欲が出てきちゃうタイプの女性がパートナーの浮気相手だと泥沼ですね(粘着系女だと判断できないパートナーがむしろ残念ですね)。かなり面倒臭かった。私は浮気自体はそこまでダメージない(むしろ性的独占を約束することが無理)けど、そこでトラブって「生活が崩される」と暴れて凶器を持ちだしてしまうので、自分自身もつらかった。1年半で引っ越し5回もしたし。しかしその寝取りレディには「35歳くらいでどうでもいい男と結婚する女」でいてほしくないと思ってる。自分の納得のいくパートナーと非暴力的な関係を築いて幸せになっててほしい。性別とか顔とか性的価値にとらわれすぎると加齢で詰むので、人生豊かに生きれる方法を模索してほしい。もう二度と会うことはないんだろうけど。平均顔女という言葉は罵りだったんだろうけど、賛辞と解釈しちゃう。自分の限界を冷静に見極めて、他人を信頼して、お互いに自覚して利用しあう力を磨けば、そこそこやっていける。コンテンツ性の低い、沈黙の多い人生に移行し始めているなと思う。かつての性暴力被害から回復できなくてもいい、ただ、少しずつ解放されること(「魔術的な共同性/加害者との二者関係」から抜け出して自分の時間を生きること)。いつ死ぬかわからないけど死ぬまで歩いていかないと。添い寝しながら踊っていこう。女の身体で。そんなことを思う。