人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

生殖の結婚/生殖と結婚

愛する腐れ縁の子を初めて抱いたとき、この日のためにわたしは生き延びたのかもしれない、なんてそんなことを思った。嗚咽のなかで諦めそうになりながら待ち望まれた命。一歳半になる頃には血縁家族と猫の次にわたしの名前を覚えたらしい。定期的に会って遊んでビデオ通話をして成長を見守っているからだろう。この子にのっぴきならない愛情を注ぐことを当然に歓迎し、配偶者とは別枠の深さと重みをもって接してくれる彼女にいつも感謝している。

 

今まで「自分は産めないけど、元カノと元カレとの間に子どもが産まれたら最高なのに」と願うことが何度もあった。愛する人たちの間に産まれた子ならば惜しまず尽くすのにという妄想。わたしが考える親密圏のケアネットワークの最たるものがそれなのだろう。残念なことにその通りになるはずもなく、元恋人たちと再会すればみんな他のだれかと幸せに生きているのだが。

 

 

『ダイエット』という作品で、大島弓子が非婚姻関係による「成人間(高校生なので成人というには語弊があるが)ケアネットワーク」を描いている。摂食障害のため入退院を繰り返す主人公。その友人である女の子と男の子(二人は恋人という名前を持っていたがその子の存在により関係性はより親密にヘンテコリンに転換する)が、自分たちでその子を「育て直そう」と決意して物語の幕は閉じる。生贄にすることとは真逆で、子という名を持つその人を、責任を途絶えせずに愛することが大人たちの関係を満たすのかもしれない。『ダリアの帯』では、産まれてこれなかった我が子を想い続けた女性が、現実をくぐり抜けきるまでを描いた。大島弓子は喪失と再生を繰り返し描いてきた漫画家で、それはいつもリアリズムの中で息をしている。

昨日偶然出会った大島弓子評がそれを明確にとらえていた。世界にたしかに実在していたもの、神さまの視線さえ届かないくらい怖ろしいようなある場所で起こったこと、その現実を伝えることができるのは作家しかいないのだとある。それが大島弓子だという。納得しかない。

 

過去にも何度か書いているが、母が子を失い泣き崩れる痛みの記憶が(当時9、10歳だった)わたしの身体に刻みこまれている。 

その記憶、出生主義への違和感、自身が性的マイノリティだという自覚が相絡まって、高校生になる頃には「私は生涯子どもを持たない気がする、孫の顔は見せられないから許してね」と親に伝えていた。ずっと産むこと自体に関心がなかった。しかし今までそれを考えずに済んだことはない。

 

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なぜ私たちは、産む性として生まれてきたのだろう。産みたいか産みたくないかにかかわらず、人生そのものが、自分のためではなく出産のためのように扱われるのはなぜなのか。萩尾望都山岸凉子、アトウッド、よしながふみも、問い続けてきたのは、その一点ではなかったか。

 

読み応えのあるエッセイを読んだ。女のからだを「産めよ、増やせよ」政策と結びつける政治がある。女のからだは、その人個人のものではなく国家のものだというメッセージとも受け取れる。それに抗ってきたのがフェミニズムだ。しかしまあ「産む機械」という侮蔑的な言葉の凄みを思う。奇妙なことに、この身体の中に産む機械としてのわたしが一部存在しているようにも思えてくる。能力があるかもわからないのにね。

10代、性別違和が強く子宮摘出が出来ないか調べる中で、本当に必要としている人のために機械になれたらと苛まれる日があった。19歳、特に性暴力被害に遭ってからは、予期せぬ妊娠をどうやって防ぐかそればかりを考える日があった。ピルそしてミレーナを使用してからは薔薇色の人生であり、得体のしれない近未来の恐怖を一旦脇に置けること、その上で他者の身体に触れられることが喜ばしくて仕方なかった。人生で一度だけ、生殖欲求というのかな、形見がほしいと感じた出会いがあったが、薬物による幻覚だったのだろう…。酔狂しすぎたことを後悔し恋愛を辞めてからの人生は、現実という地に足をつけて晴れやかでそれは健やかなものになった。

 

 

家庭内暴力や虐待を受け、生き延びてきた沢山の人たちの話を聞くとき、坂口安吾の「親がなくても、子が育つ。ウソです。親があっても、子が育つんだ。」という言葉が脳内で何度も再生される。何十年も施設に閉じ込められている人たちに出会う。壮絶な現実に耐えきれなくなり、人口が減っているのは良いことだし、このまま人類は消えたほうが良いのではないかと、進撃の巨人ジークに共鳴する日もある。

 

しかし、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うはやすく、疲れるね。しかし、度胸はきめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません、ただ、負けないのだ。(坂口安吾『不良少年とキリスト』)

 

別の文脈で、優生保護のもとに子を持ちたいという欲求さえ否認され続けてきた人たちの声を聞く。子を持ちたかったが、それは叶わなかったという年上の友人たちの声を聞く。その現実を引き受けた先で生き方を切り開く激しくて静かな意志の、なんと格好良いことか。

同時にオルタナティブな子育てにチャレンジしている友人らの顔も浮かぶ。社会的疎外とケアの辛さや愚痴を聞く。育て続けることが難しく誰かに託すという勇気や、暴力被害の結果の出産する/しないという選択に立ち会う。当然なんだけど一人ひとりの唯一無二の生き方があって、一つだって裁くことなんてできない。しかし欲しいものがある人、選択肢がなかった人には切羽詰まるような有限性がある。決断をいつも見送り、相手の人生を自分の都合で長引かせることをすることを私は良いとは思わない。柔軟な選択肢があり生殖のモラトリアム期間を持てる立場はある種の特権と感じる。生き方を比較しても仕方ない、しかしセンシティブな話題だけに言葉を選ぶのはとても難しい。とはいえ、添い寝フレンドとの添い寝によって生かされた身だから、降りかかる現実を抱きしめるしかないと結論づけてもいる。

 

先日、男友だちに生殖機能の検査をしに行こうと提案されることがあった。結局実現には至らず、今週ひとりでクリニックを訪ねる予定だ。生殖を強く望んでいなくても、生殖を望みあう関係でなくても、パートナーでなくても「自分の身体について知りたい」という動機だけをもって一緒に検査を受けるという発想がすごく嬉しかった。クィア仲間というか、自分の身体を出発点にするフェミニズム的な試みがほんとうに好ましかった。しかしそれを冒頭の腐れ縁に何気なく話したら「何それ、不妊治療で悩んでいる、時間がない人のことを考えてほしい…。」と言われてしまった。固有の経験に想いを寄せられず、彼女の傷を無神経に開いてしまったことを謝罪した。

 

だからこの文章もある立場の人が読めば、本当に不快で仕方がないものだと思う。火に油を注ぐようなものなので、ここには書かないけれど「自分が生殖の実践主体になるとしたら」というシュミレーションも頭の中にはある。予測不可能で何が起こるかわからないが、これから始まる30代の人生を想像する。契約結婚をしている同居人や、今ある親密な人たちとの付き合いの中で、何らかの形で育児にコミットメントしたいと考えている。生殖は突き詰めれば能力主義と運任せの行為であると思うし、だからこそ実践主体となることから距離を取りたいという自分もいる。同時に生殖/家族/愛等の厄介なイデオロギーから距離を取りつつも、生殖の実践主体となろうとする知人らと疎遠になるのではなく、愉快な切り口で付き合い続ける道はないものか。そういった話ができる場がほしいので、試しに開いてみることにした。どうぞよろしくお願いします。