うれぴっプルン戦記

性的主体性と添い寝とダンス

「愛のないセックスには金を取れ」どう思う?

19歳の時、バイト先の60代女性にやたら可愛がられていた(愛を与えてくれる主婦たちは私にとって第2の母、TOKYOの母だった)。その日も退勤後夕飯に連れていってもらっていたんだけど、どういう流れだったか、性的話題になっていた。内容はさておき、その主婦が私に言ったのは「私は女性が男性のあれを舐めるっていうのがどうも苦手なの。だから絶対に(オーラルセックスを)しないって決めていて、面と向かってお断りすることが多いんだよね」という言葉だった。人生の先輩でもある1人の女性が、性的場面での自分の意志を持ちそれを大事にしているって事実が、強烈に印象に残った。当時の私は「フェラして当たり前(男性を喜ばせないと)」っていう価値観が刷り込まれていて、自分の価値観を持っていなかったからだ。

同じ時期に、「自分はフェラを求めるくせにクンニは嫌がってしない男とかあり得ない」って友人が発言していたのも、今でも記憶に鮮明に残っている。その場の状況や個人的嗜好もあるから、その価値観が絶対的に正しい、というわけではないけれど、この発言の中の"フェアに”奉仕しあうっていうニュアンスこそが大切だと今ならわかる。当時の私は「性差がある中での公平(感)とは、何か」を意識して考えないようにしていたので、その友人の言葉もなんとなく受け流していた。

 

「愛のないセックスには金を取れ」

園子温のこの台詞はわりと有名かもしれない。

でも、個人的には『一方的奉仕を求められる(労働的)セックスには金を取れ』のほうがしっくりくる。

 

そもそも、愛のない時点で性暴力に親和性があると考えている。愛があることは大前提だ。

※ちなみに、愛=恋愛の類ではなくて、愛=人間として尊重し合うこと、と解釈する。

人間として尊重されるってことは、「自由に意思を表明できる関係性内にあって、自己選択を軽んじられない」ことだ。「少しでも嫌だな、違うな、と感じたらNOを言っていいし、NOを軽視されない」ってことでもある。女性だけが主語ではない。どんな性別の人、どんな肉体の人、どんな関係性であっても、性的選択権がある。だれでも、どんな場面でも、性暴力に注意できる、両者のNO(拒否権)が軽んじられない性的行為ができるような関係性構築に努めたいと自覚者が勇気を持っていけたら良いし同時に性教育が浸透していってほしい。

愛(=尊重)のないセックスとは、性暴力のことではないだろうか。人間として軽んじられても、お金を払えば許せる?―絶対にそうでない。金を払っているから何をやってもいい、好き勝手やらせろ、というのはおかしい。金で「買える」のは、相手の体でも心でもない、相手の時間だ。性交相手の心身は買えないし、独占・所有できない。その人の体はその人のものだからだ。。

同様に、「恋人なんだから」何をやってもいい、「愛し合ってるから」好き勝手やらせろ、というのもおかしい話だ。相手の意思を軽視した時点で、相手の選択を待てない時点で、暴力的である(だれでも、初期の加害に気づいて引き返すことはできるが、それを認めず加害の回数を重ねると、いっそう深刻化する)。

また、恋愛感情・関係がなくても、性的快楽を求めていいに決まっている。そして、自分の積極的な意志で、自分の肉体を性的に使ってお金を稼ぐ女がいてもいいに決まってる。そこに人間関係と尊重意識があるならば。ロマンチックラブイデオロギーとセックスは一体じゃなくたっていいはずだ。

しかし、たとえば、快楽がさほど無い(あるいは無い)性的状況の場合は、「愛(尊重)」なり「満足感」を獲得することが難しくなるかもしれない。「暴力的だとも思わないが、能動的にしたいとも思えない性的行為」の難題さよ……………。

 

 

●数年前の個人的事例

合意でセックスをした。嫌な思いもしなければ、自分の意思表示もしっかりできる関係性があり、なんの不自由もなかった。しかし、相手(男体)は途中で、射精したいからという理由で、オーラルセックス(フェラ)を求めてきた。私は射精やオーガズムにこだわらなくてもいいと思っているので、その価値観を説明こそしたが、相手は違う考えらしい。AVっぽいな、射精介助っぽいな、なんで私はこの人のオナニー手伝ってるんだろうか…と内心思ってしまった。能動的にしたいと思えなかったけど、断るほど嫌な状況でもないので、なんとなく、ノリで抜いて「あげた」。

 

 

 「愛のないセックスには金を取れ」じゃなくて「アンフェアなセックスには金を取れ」なのかもしれない

この「(一方的に)してあげた」という感覚に違和感があるし、できれば味わいたくないし、酔いしれたくもないと思う。上から目線で、対等な関係性とは遠いように感じるからである。おそらく、「お互いに」「してあげる」という相互的なセックスであれば、こういった違和感は募らなかったのだろう。しかし、一方的に奉仕するような(アンフェアな)労働的セックス*1だったので、事後疲労感が残り、あんまり満たされなかったのだ。例えば、大好きな相手だから能動的にしたいとか、盛り上がってる流れで興奮しててむしろしゃぶりたいとか、相手の気持ちよさそうな顔が見たいという動機があれば、話は違ってくるんだけど。内心シラけてしまう瞬間があると残念だ。自分では、ハイ!盛り上がったね!そこで試合終了だよ!でよかったのに、「ごめん、最後に射精したいからお願い舐めて・・・」と頼まれて、まあ断るほどの理由も嫌悪感もなくて、いそいそと動いている時、脳内に園子温が現れて、「金を取れ」と静かに囁く。その現象に対して、長いこと目を瞑っていた気がする。でも、このままでいいのか?と開眼し、行動できるようになったのは最近の話である。

では、どうすればいいのか?金を要求すれば解決するのか?

「今日は無理。そういう気分じゃないから自慰で済ませてくれ!」と断る日があってもいい。*2

あるいは、別の選択肢として、こんなのもある。やってる人はやっている、当たり前のことなんだろうけど、実践できるまでに時間がかかった。

 そう、自分も一方的に奉仕してもらってもいい。のである。

 

「○○してほしい」と頼まれたなら、一方的に従うのではなく、こちらからも「○○して」と自分の性欲/性癖を満たすための要求をする。そうすれば、自己中なのはお互い様だ。

お互いに無我夢中になれて楽しいセックス、非暴力的かつ能動的で主体的なセックスが理想ではあるけど、それとは別に奉仕の色合いが強い「してもらう/してあげる」的な、つまり性欲処理的/性幻想的な欲求を相手に抱き、要求してしまうことも少なからずあると思う(それが行き過ぎると相手を傷つけるので、減らしていければいいけど、完全に0にはできない難しいものだ)。

もちろん大前提として、少しでも「したくない」「ちょっと嫌だな」とモヤっとするなら、NO(拒否)の選択肢でいい(あなたは間違っていない)。ただ、簡単に白黒つけられる場面ばかりでもない。その要求に応じることは、特別嫌ではないし、暴力とまでは感じないという場面もある。そういう場合、一方的なサービス精神を発動する機会が溜まると、気づかないうちに消耗させられていることもある(≒労働的なので、金を取っていいとも解釈できる)。そんな無償のボランティア精神は長持ちしない。それを強制することもできないし、強制させられてもいけない。

この現象と、うまく折り合いをつける方法として、女だからとか性別は関係なく(女は欲望するなというのは論外)、自分の立場からも性的奉仕を要求してもいいんじゃないか?というのが私の考えだ。*3

相手に完璧さを求めずに、情けない部分も見せ合って、時々失敗もして、お互い様感覚を共有できる関係性が出来ていると大変気が楽でもある。肉体も感性も価値観も(時には妊娠というリスクも)異なる相手とどうやって向きあえばフェアな性的関係(人間関係)に近づけるのか?それを考えることを止めずに生きていきたい。そうやって、開き直ったというか、自由に欲望を交渉できるようになってからは、わりと精神的に穏やかに生きられている感じもする。

 

*1:全くの受け身な相手に対して相手が満足するまで能動的立場を要求されたりする感じ。一方的にサービスしてあげている、というニュアンス。男性でも労働と感じる性行為はあると思う

*2:断られた側は怒っちゃあかんし不本意に落ち込むのは間違い。むしろ「今はしたくない」と断れる関係性があること自体すばらしいことなので

*3:(こんなの当ったり前じゃあ〜!!って思う人もいるかもしれないし、それが当然の社会認識になると良いけど、個人としては気づいて堂々とできるまでに時間がかかりました…)