人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

女体を引き受ける覚悟をした(3)ミレーナ装着時の診察・施術

前回記事(以下参照)から1年以上経過してしまいましたが、私は元気です。

▲若干記事の内容加筆してます

 本日でミレーナ体験記完結となります!すみません経過報告は続きます

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舞台は2015年1月(当時23歳)に遡ります

前回までのあらすじ

ミレーナを装着したいと医者に相談→未産婦お断り(まだ若いし、気持ちが変わって出産したくなる可能性は高いし、万が一装着中に事故が起きた場合に責任を取れないと言われた)→泣きながら帰宅する

 

 

という流れで、途方に暮れていた私。

直後ツイッターに愚痴をつぶやいていると、フォロワーのお兄さんからDMが届く。

なんと『この病院なら未産婦でも可能かもしれませんよ』と情報提供の内容だった。(感謝しきれません。本当にありがとうございました)

そこで、翌月(2015年2月)に予約を取り、渋谷区の某産婦人科へGO!

 

 

診察室にて

私「今までピルを使用していたんですが、今後ミレーナを検討しています。出産未経験です」

医者『避妊目的ですか?』

私「避妊も理由の一つですが、もともと月経困難症の診断は受けていて、生理が重いことも理由です」

医者『そうなんだ。では、保険適用ということで。施術日はいつにしましょうか?』

 

という流れで超スムーズに決まる

 

そこから、前回記事にも書いたような、

ミレーナの値段(保険適用で1万弱)や効果(5年間効果継続で、装着して1年間は定期検診を受ける、2年目以降は年に1回の検診でOK等)の説明を受けました

 

※ちなみに、薬会社の説明はというと

  • 装着後3ヵ月以内の検診(医師の指示によっては1ヵ月後)
  • 1年後の検診(または必要に応じてそれ以前)
  • 1年以上装着する場合は、必ず年に1度(異常を感じなくても必ず検診をうける)

参照:定期健診について|子宮内黄体ホルモン放出システム ミレーナ®52mg|バイエル薬品

 

 

あとは、麻酔を使うかどうか?の選択を委ねられ…

実際、出産経験があれば問題ないらしいが、未経験の場合はかなり痛いという噂(実際に友達から痛すぎて倒れたと報告あり)。

ただ痛みに強いタイプだと自負していたところもあり、「どれくらい痛いのか感じてみたい」という自虐心と好奇心(?)もあり、「麻酔なしでお願いします!!!!!」と返答。

 

 

 

 

避妊希望する女性=性暴力被害者の可能性?

 

診察後、一人の看護師に呼び止められる。

『あの、あなたもしかして・・・・

彼氏が避妊してくれないとか・・・・

そういう理由でミレーナを選んだんじゃない?・・・・大丈夫ですか?』

 

突然の、DV被害疑惑!

その瞬間は驚いたんだけど、実際問題、そういう可能性は十分あり得ることなので(医療福祉の専門職は常に命に関わる最悪の事例を想定しながら働くものだと思うし)納得できる対応ではあった(でも聞き方が直球すぎたかな)。

もし実際にDV被害があった場合、医療側としては女性側の避妊の意思に協力しつつ、長期的な目線で、被害から抜け出せるよう適切に支援機関に繋いでいかないとだもんね…。

 

しかし当時の私は失恋直後でパートナーさえいなかった。笑

その場では「違います!大丈夫です!」と答えたものの、未婚/未産婦かつ若年層なので、余計に心配されたのかもしれない。

まだまだ、「パートナーの存在に関わらず*1」「主体的避妊をする」という性的選択は周囲に理解され難い現実があるのだろうなと思った。

性被害対処としてのやむを得ない選択ではなく、自己利益のために女性主体の避妊(ゴムではない避妊方法)を選んでいる場合でも、「避妊を自主的にする女性=男性に避妊してもらえない/避妊してと言えない弱者」「男性に避妊方法を強制されている被害者」という見方をされてしまうこともある。

医療側が最悪の事態(DV等の性暴力)を想定してこういう質問をするのは職業柄当然のことだと思うし「可能性」を想定されるぶんには不快じゃないけど、他の場面や文脈で「女性が自主的に避妊するのは男性に暴力を振るわれているからだ(女性の積極的な意思ではない)」という断定的な表現(偏見)を向けられるときは、本当に困ってしまう。パートナーに強制されない形で主体的避妊を望む人だっていると思うんだけど…って思う。

 

年齢関係なく、「やむを得ずの避妊*2」だけではなく、自分の体や性について学んで、自律的な「積極的選択としての避妊」という考え方が浸透して、複数を選択できる環境が広がればこうした誤解も減っていくのかなとも思った。

つまり暴力防止を目的としたDV支援と性的主体性に訴える性教育(正しい性知識を得て選択する力を得たり、パートナーシップ構築を培う教育)とが同時に行われなくてはいけないんだろうな。片方だけ重要視して片方を軽視するのも変な話だものね…。

 

▼ちなみに、恋人/パートナー/夫婦間の性的DVの例

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余談:DV防止法(家庭内DVやデートDV)における被害者の定義は女性だけでなく、男性も含まれています*3。ちなみに、こんな流れで改正されてきました。同居していない恋人間における暴力はまだ対象外。

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話を戻して施術当日

 

ついにやってきた施術日、不安とワクワクした気持ちが入り混じる中、渋谷へ。

乗りなれた分娩台の上で、股をカッ!!!!と開いて、意気込む私。

『力、抜いてくださいねー』と声掛けられて、フッと脱力した瞬間………

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!?

子宮頚管内をじわじわチクチクとしつこく細い針で刺されている感覚があり、時間としては、短くもなければそこまで長くなかったという印象。

その間は心の中で(ううううう・・・ううう・・早く終われ・・・・!)って歯を食いしばるしかなかった。

『終わりましたよ〜』という先生の声が聞こえた時、気づくと冷や汗ダラダラ。

分娩台から降りた後、若干の腹痛と不正出血があったので、ナプキンと痛み止め(ロキソニン)を頂いて終了。

※未産婦かつ痛みに弱い人は麻酔を使用したほうが良いかもしれません。

うん、普通に痛かったです。

 

 

 

ミレーナ装着から1年未満のこと

施術後一ヶ月後の検診。その後も、不正出血がわりと長く続いていたため、2ヶ月に1度は検診のため足を運んでいた。でも、毎回「きれいに装着されてます」と問題なし。

半年後には不正出血もおさまるという話だったけど、私は1年以上、生理期間周辺や性交後に少量の不正出血があった。他の病気を心配して、諸々の検査したけれど、どれも異常なし。もともと糜爛があったのと、子宮内膜が薄くなったことで起きるものだろうとの見解。とりあえず安心。

 

 

最近(装着から1年以降)のこと

問題ないから年1回の検診で大丈夫ですよと強く言われて産婦人科からは足が遠のいている。来年1月に再検診に行く予定。

追記:検診行ったら順調とのこと(2017年1月)

 

 

中間報告(2年半経ってみて)

ミレーナを使用してみて、本当に快適な生活を手に入れたと思う。性暴力被害や想定外の妊娠に対する不安軽減、避妊がほぼ確実という安心感と自己コントロール感。生理痛も経血量も激減&生理期間が短いという気楽さ。ピルよりもコスパが良く経済的なメリットも嬉しい。

そして、なによりも自分の体に対する意識が変わった。これまで去勢を望むほど女体として生きていくことを受け入れられなかったけれど、自己管理して自己尊重できている現在は、快適にカスタマイズしながら性に対する勉強もしてこの体を引き受けて生きていきたいと思えるようになった。いやあ、よかったです。

 

 

 

長くなったけど、これにて完結! すみませんまだお付き合いください

※続編

kmnym.hatenadiary.jp

 

最後駆け足でごめんなさい!

読んでくださり、ありがとうございました!!!!!!

 

 

*1:パートナーの有無、パートナーの人格や要求、性暴力被害の有無とは無関係な文脈で、主体的避妊をする人もいるはず

*2:これも自己防御術のひとつ。緊急性があるときほど重宝される。どんな状況であれ消極的選択であれ自分を守れた人の勇気は素晴らしいものだ

*3:しかし刑法での強姦罪については未だ男性は被害者対象外。来年改正されるかもという状況

「愛のないセックスには金を取れ」どう思う?

19歳の時、バイト先の年配女性にやたら可愛がられていた(愛を与えてくれる主婦たちは私にとって第2の母、TOKYOの母だった)。その日も退勤後夕飯に連れていってもらっていたんだけど、どういう流れだったか、性的な話題になっていた。内容はさておき、その主婦が私に言ったのは「私は女性が男性のあれを舐めるっていうのがどうも苦手というか嫌いなの。だから絶対に(オーラルセックスを)しないって決めていて、面と向かってお断りしているのよ」という言葉だった。1人の女性が、性的場面で譲らない態度を持っているという事実が強烈に印象に残った。当時の私は「オーラルセックスして当たり前(とにかく相手を喜ばせないと)」っていう価値観が刷り込まれていて、自分自身の価値観を持っていなかったからだ。

同じ時期に「自分はフェラを求めるくせにクンニは嫌がってしない男とかあり得ない」って友人が発言していたのも、今でも鮮明に覚えている。その場の状況や個人の嗜好もあるから、その価値観が絶対的に正しい、というわけではないけれど、この発言の中の"フェアに”奉仕しあうっていうニュアンスこそが大切だと今ならわかる。

当時の私は「性差がある中での公平(感)とは、何か」を意識して考えないようにしていたので、その友人の言葉もなんとなく受け流していた。

 

 

「愛のないセックスには金を取れ」

 

映画監督*1のこの台詞はわりと有名かもしれない。

そもそも愛(尊重)のない時点で性暴力に親和性があるのではないか。愛があることは大前提だ。(※ちなみに、愛=恋愛の類ではなくて、愛=個として尊重しあえることと解釈している)

尊重されるってことは、「自由に意思を表明できる関係性内にあって、選択を軽んじられない」ことだ。「少しでも嫌だな、違うな、と感じたらNOを言っていいし、NOを軽視されない」ってことでもある。女性だけが主語ではない。どんな性別、セクシュアリティ、肉体、関係性であっても。だれでも、どんな場面でも。性暴力から距離を取ろうとし、両者の意思が軽んじられない性的関係の構築に努めるための勇気を持っていけないものだろうか・・。

 

その場合、尊重されず人間として軽んじられても、金を払えば許せるだろうか?絶対に違うはずだ。金を払っているから何をやってもいい、好き勝手やらせろ、というのは本当におかしいことだ。金で「買える」のは、サービスを受けられる時間だ。相手の心身は買えないし、独占・所有できない。その人の体はその人のものだからだ。。

「恋人/配偶者なんだから」「愛し合ってるから」何をしてもいい、というのもおかしな話だ。どんな関係性であれ、相手の意思を軽視した時点で、相手の選択を待てない時点で、暴力的である(だれでも、初期なら自身の加害性を自覚して引き返すことはできるが、それから逃げて加害の回数を重ねると、いっそう麻痺して深刻化する。)

尊重されているならば、恋愛感情・関係がなくても性的快楽を求めていいに決まっている。そして自分の意志で自分の肉体を性的に使ってお金を稼いでもいいに決まっている。必ずしもロマンチックラブイデオロギーとセックスは一体じゃなくたっていいはずだ。

 

しかし、たとえば、自分にとっての欲望や快楽がさほど満たされない(あるいは存在しない)状況の場合は、「愛(尊重)」なり「満足感」を獲得することから遠ざかるかもしれない。

「暴力的だとも思わないが、能動的にしたいとも思えない」性的行為の難題さよ……。

 

 

●数年前の個人的事例 

合意で男性とセックスをした。嫌な思いもしなければ、自分の意思表示もしっかりできる関係性があり、なんの不自由もなかった。しかし、相手は途中で、射精したいからという理由で、オーラルセックスを求めてきた。私は射精やオーガズムにこだわらなくてもいいと思っているので、その価値観を説明こそしたが、相手は違う考えらしい。AVっぽいな、射精介助っぽいな、なんで私はこの人のオナニーを手伝ってるんだろうか…と内心思ってしまった。能動的にしたいと思えなかったけど、断るほど嫌な状況でもないので、なんとなくノリで抜いて「あげた」。

 

 

 「愛のないセックスには金を取れ」じゃなくて「アンフェアと感じるセックスには金を取れ」なのかもしれない

 

この「(一方的に)してあげた」という感覚に違和感があるし、できれば味わいたくないし、酔いしれたくもないと思う。上から目線で、フェアな関係性とは遠いように感じるからである。

おそらく「お互いに」「してあげる」という交感的なセックスであれば、こういった違和感は生じなかったのだろう。しかし一方的に奉仕/演技するような労働的なセックス*2に途中からすり替わってしまったったので、事後疲労感だけが残り、満足感が引っ込んでしまったのだ。

相手の欲望が嬉しいから、盛り上がってる流れで興奮しているから、相手の気持ちよさそうな顔が見たいからとか、そのような動機があれば、話は違ってくるのだろうけど。そうではなく不本意にシラけてしまう瞬間があると残念だ。ハイ!盛り上がったね!試合終了しましょう~!でよかったのに、「ごめん、最後に射精したいからお願い舐めて・・・」と頼まれて、まあ断るほどの理由も嫌悪感もなくて、いそいそと動いている時、脳内で誰かが「金を取れ!」と静かに囁く。その現象に対して長いこと目を瞑っていた気がする。でも、このままでいいのか?と開眼し、行動できるようになったのは最近の話である。

 

 

ではどうすればいいのか?金を要求すれば解決するのか?

一つの選択肢として、「今日は無理。そういう気分じゃないから自慰で済ませてくれ!」と断る日があってもいいのだと思う。*3

別の選択肢としてこんなのもある。やってる人からしたら既に当たり前のことなんだろうけど、自分も一方的に奉仕してもらえばいいのである。「○○してほしい」と頼まれたなら、一方的に従うのではなく、こちらからも「○○して」と自分の欲望を満たすための要求をする。そうすれば、自己中なのはお互い様だ。

能動的かつお互いに没頭できて楽しいセックス、非暴力的かつ主体的なセックスが理想的とされるけれど、圧倒的なリアリティの前ではそれは夢物語かもしれない。奉仕の色合いが強い「してもらう/してあげる」的な、つまり性欲処理的/性幻想的な欲求を相手に抱き、要求してしまうことも少なからずあるのだと思う(それが行き過ぎると相手を傷つけるので、減らしていけたら良いかもしれないが、欲望を持って生きている限り完全に0にはできないし難しい)。

 

もちろん大前提として、少しでも「したくない」「ちょっと嫌だな」とモヤっとするなら、NOと拒否していい(あなたは間違っていないし拒否する権利が最優先されるべきとも思う)。ただ、簡単に白黒つけられる場面ばかりでもなく、「この要求に応じることは特別嫌ではないし、暴力とまでは感じない」ということもある。しかし一方的なサービス精神を発動する機会ばかりだと、気づかないうちに消耗させられていることもある(≒労働的なので、金を取っていいとも解釈できる)。そんな無償のボランティア精神は不健康だし長持ちしない。それを強制することもできないし強制させられてもいけない。

この現象とうまく折り合いをつける方法として、性別は関係なく(女は欲望するなというのは論外)自分の立場からも性的奉仕を要求してもいいんじゃないか?というのが私の考えである。*4

相手に完璧さを求めずに、情けない部分も見せ合って、時々失敗もして、お互いさま感覚を共有できる関係性が出来ると大変気が楽でもある。肉体も感性も価値観も(時には妊娠によって生じるリスクも)異なる相手とどうやって向きあえば、少しでもフェアと感じられる性的関係に近づけるのか?それを考えることを止めずに生きていきたいと思う。

 

そうやって、開き直ったというか、自由に欲望を交渉できるようになってからは、わりと精神的に穏やかに生きられている感じもする。

 

(※2020年12月17日 微修正)

(※2023年6月17日 監督名削除)

*1:2022年性暴力加害を告発されたため、監督名を削除しました

*2:受け身な相手に対して相手が満足するまで能動的立場であれと要求される感じ。一方的にサービスしてあげているというアンフェアな感じ

*3:断られた側は怒ったり不本意に落ち込まないようにされたい。あなた自身が否定された訳ではないのだから。むしろ「今はしたくない」と断れる関係性があること自体すばらしいこと

*4:(こんなの当ったり前じゃ!と思う人もいるかもしれないけれど、個人として気づいて堂々とできるまでに時間がかかりました…)

「二人きり」「密室に来てくれた」「無言(明確なイエスはないけど雰囲気でいけそう)」「酔っている」「ボディタッチされた」=性交OKのサインではない

10代の頃、昼夜関係なく、他人(知人で同性代)(相手の性別問わず)の家に遊びに行っていた。当時の私は性的なことが好きではなくて*1、できるなら小学生みたいにじゃれあえることを期待していたし、相手が男性の場合でも、多くの女友達と同様に、性別や性欲を忘れるくらいの熱意で、共通トピックに対して一晩中語り明かすような夜がほしかった(それが達成できたかどうかは後述します)。

 

24歳になった今も、男性に対して「〇〇君は、そっち側の人間か」とちょっと失礼な物言いをしてしまうことがある。私がそう区切る「そっち側の人間」とは、接触が性欲に直リンクしてしまう人間、つまり【他人に向く性欲があって、性的対象となるか相手を判断して、その対象の肌に触れれば、性交の可能性を期待する人】を指す。

そういう人はマジョリティと括られることが多いが、それと比べ自分は感覚がずれている*2のでおかしいのかなと悩んだこともあるけれど、相手に激しく欲情していない限りは、裸で抱き合っても、軽くキスしても、直接的な性欲に繋がらないのだ。そのまま添い寝で満たされる。こういう性的感覚があるのと、自分が能動的に望み、「この人とやってみたい」と思わない限りは性欲が発動しないので、割と仲良い男性と二人きりでも、性的ニュアンスを含まないお家デートが出来るのだった。

それに対し、「男からしたら生殺し状態だよ。男が可哀想」といったマジョリティ側からの意見がある。10代の頃は、それをなんとなく感じ取っていて、トラブルになるのも嫌だし、性的マイノリティといわれるような男性とばかり遊んでいた(べたべたしても添い寝で完結するような)。しかし若かったし性格も悪かったので、生殺しのお付き合いもあった(恋愛関係で強者の立場で在れた為、恋人の性欲を全面拒絶していた)。今思えば、セックスを断るのではなく、相手の性欲や肉体そのもの自体を否定するような関わり方は相手を傷つける残念な方法だった。最近は少しは大人になってきて、「あっち側の人間(主に自分を性的対象とみる可能性のある異性愛者)とは、特にHする気がないなら、安易な気持ちで密室でいちゃいちゃしてはいけない。」とは思えるようになってきた。いわゆる「生殺し状態」は初めから起こさないほうが友好関係維持の上で得策だ(性関係が絡むと破綻する人間関係もある)とようやく気付いたからである(遅い)。

 

 

一人暮らしの男性の家に遊びに行っても別に性交OKのサインではない(都度意思確認)(交渉次第)

それでも、判断力が危うい状態(精神的不安定/酔っ払い)の女性や、欲情される事に無自覚な女性、特に考えなしの女性(特に若い女の子にありがちかも)があなたの暮らす密室空間に現れることはあるかもしれない。

そんなシチュエーションが起これば、彼女に性欲を抱いているあなたは期待するかもしない。しかし、前提として『密室で二人きりになった』=『性交ONのサイン(合意のサイン)』ではない。早合点するのは超危険だし、あとから「レイプだった(非合意だった)」と訴えられる可能性もあり、しんどいことになる。

だから、女性が自分の家に遊びに来たいと言って実際二人きりになれても、そこから願望達成(性交)に至るまでには、対話と交渉が必要なのである。(判断力のない状態にある人を巧く言いくるめるのは論外。まず、対話できない関係性の相手との性交は難しいことを理解されたい

 

 

誘う側は相手に性的選択の余裕を与えるべし 

「交渉不可能に思えて、性交を望まない男の家には遊びに行くべきでない」と女性に対する自衛論は多く見かける。正論かもしれないが、それが常識となった世の中では、被害女性に対する偏見が増すし(事実とは異なる被害状況を想像され)被害者ばかりに責任が押し付けられる恐れがある。それも含めて、私は自衛論に片寄りたくないなと思う。本来は、性交を望む側(この記事上では男性)が、ぎりぎりの理性を持って、自分をコントロールして、相手が明確な意思を持ってYESかNOを選べるような状態・精神的余裕を相手に与えないといけないと思う。

なぜなら、セックスにおいて「欲望の充足(暴力に成り得る危険性がある)」よりも「拒絶する権利(非暴力状態を維持する/侵害されない権利)」が優先されるべきだからである。

極論を言えば、相手から明確なYESがない限り、恋人だろうと、配偶者だろうと、同じ布団に寝ていようと、相手が裸でいようと、性的接触を始めてはいけない。その人の身体はその人のものであって、他人の所有物ではないからだ。

 

それをふまえた上で、気軽に交渉しあえる男女関係が発展する世の中になっていってほしいと思う。そういったシチュエーションにおいて、相手の性欲自体を拒絶するのではなく、性交の期待を提示された後に断る余裕もちゃんとある状況で、自分の意志で答えられるといいなと思う。性的交渉を「断られる」ことは決して人格否定ではないし、人間関係の終焉でもない(相手を軽視してコミュニケーションを怠れば関係は壊れるけど)。「自由に断れる」という対等に近い関係性の素晴らしさはもっと周知されてほしい。

 

 

自衛論だけでは無理がある 

女は密室で男と二人きりになるリスクを自覚しろ、という言説はあるけど、望まない性接触(性暴力)が生まれる可能性を「リスク」と呼んでいるのだろうか(なんのリスクなんだろう…)。そもそも先ほど述べたように対等に近い人間関係上では、性欲は生じても、それをコントロールするのは誘う側の問題であり、誘われる側には選択の自由がないといけない。なので誘われる側ばかりが注意されるのは無理がある(男性性欲を全受容する女性への自衛論よりも、男女ともに性的選択の自由がある関係性を構築する方向、少しでも違和感があればNOを言える/受け止められる自分になる、積極的なYESを言える/待てるという方向にもっていくのが性教育の役目かもしれない)。

性暴力の温床となるのは、上司と部下とか、先生と生徒とか、子どもと大人とか(あるいは酔っていたり精神的に病んでいたり判断力がつかない状況にあったり)実は内部*3で全く立場が対等ではない場合に多い。非対称な関係性の場合、立場の弱いほうは誘いを断りづらい。信頼したい相手からの好意を否定してはいけないという思考になりやすく、自分から誘ってしまうことだってある。自分の立場の強さに気づかない側は、ある意味で簡単にそういった状況を作れるので、気づかないうちに加害してしまう。

牟田和恵『部長、その恋愛はセクハラです!』

とても読み易くわかりやすくおススメ

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かつて居酒屋で働いていたときに、閉店時、上司から性暴力被害を受けたことがある。被害後、「そんな状況を作った(=そこで働いた、職場とはいえ男性と二人きりになった)あなたも悪い」「逃げなかったの?」「男性と恋愛関係にあったのでは」と知人から二次加害をされたことがあるが、自分を責める必要はなかった、あれは立場の違いを巧く濫用された暴力であったと私自身が気づいたのも、数年後だった。なかなか目には見えづらいが、<男女で密室になる>といっても、あきらかな立場の違いがあるかどうかで、性暴力というリスクの大きさが全く異なることは知識として共有されていってほしい。

 

セックス(だと思いたかったもの)が性暴力に変性する様は、グラデーションの濃淡で捉えるとわかりやすい。完全に白、黒だとわかる暴力のほうが少数だ。密室という条件があっても、触っていいか、相手が何をしたいか、そこを確認して初めてOKとなる。もちろん事前に合意がとれて、いざ性行為ができても、途中でNOと言われてやめなかったり、NOを言えない状況を作ってしまったら性暴力として黒に近づいてしまう、から注意していきたいよね…。

 

 

というわけで、難しい部分はいっぱいあるんだけど、それでも性は面白いものだと思っているから、今後も自分で可能性を切り開いていきたいし、身体格差はあったとしても、お互いの不平等な部分を自覚しつつ、その上でなるべく公平な関係性を模索して、男性(男体ユーザー)と仲良くやっていける道を発見していきたいなと思います。

<再掲>

「二人きり」「密室に来てくれた」「無言(明確なイエスはないけど雰囲気でいけそう)」「酔っている」「ボディタッチされた」=性交OKのサインではない(関係性と文脈次第だし、その都度意志確認をするのがベターというか前提にならないと)

*1:(むしろ人間扱いより先に女体扱いされるのが怖かったし嫌悪が強くて)

*2:そもそも、性的対象は性別問わないし、性的対象自体が狭い。10代の頃と変わって自分の性欲と肉体を肯定できるようになってからは、性的欲情されることも平気になったし、自己決定が尊重される性交を好んでいる。性交相手は恋愛対象でないほうが快適な展開になる。恋愛関係は要らなくて、気の許せる相手となら何の不快感も違和感もなく性交できる。

*3:第三者には気付かれない、むしろ合意と勘違いされてしまう状況

LOVEとは・・・

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よくわからない図で申し訳ありませんが

私には恋愛感情というものが何を指し示すのか毎回わからない*1ので、恋愛という表現を避けて、4つの「LOVE」という括りで個人的な感情を分類してみた。とりあえず、個人の感覚と経験から分析するに、私は「精神的LOVE・・・の相手と健康的な性的関係や安定/自立した生活が保てない」傾向が強い。

そのため、「現実(肉体と生活)」「精神」を区別して、それぞれのパートナーを探すことが自分の人生にとって快適だということを理解した。なので、これを実践している最中です(※H29追記:若干のハプニングあった*2結果、精神的パートナー不在でもなんとかなってる状況)

精神的LOVEの相手と、セックスを含めた人間関係を継続してる人を心底尊敬するし、拝めたい。みんなどうやって自身の葛藤や欺瞞、欲望と折り合いをつけて生きているのだろうな。何を諦めて、何を譲れずに、何のために生活をやりくりしているのだろうか。他人の感覚や選択もわりと気になるけれど、社会でそんな話題いちいち出来ないからひたすら寡黙に労働者してます。

  

 

 

H29.7.9 追記

肉体的世界と精神的世界、両方の良い所取りができるLOVE=「絶妙な距離感の友人関係」なのかも知れないと思う。

たとえば、

①肉体的LOVE+友人=セフレ(ヤリ捨てとかではなく安定した友情が土台にある)

②生活的LOVE+友人=同居人

③精神的LOVE+友人=添い寝フレンド   的なポジションが成り立つ。

個人差と相性によるけれど、①セックス②生活運営③精神的安らぎ、すべてを包括した関係に発展する可能性もある。

 

図には書かなかったけど、

逆に、「距離感を履き違えた人間関係」になってしまうと

⑤独占的LOVE(精神的世界)が発生して、閉じた関係に固執しすぎた場合は、暴力の温床(パワーバランスが偏った関係)となるのかもしれません。こわこわ。にんげんこわい。

 

 

※2年半前の「恋愛関係」をしていた時の文章がこちら。痴情を楽しみつつ矛盾を受け入れていた時期*3もあったんだよね……。

この頃と根本的な価値観は変わっていないけれど、今は、「恋愛関係(契約)」や「痴情」を捨てて得た、激しさから離れた人生もそれなりに肯定できているようです。よかったね。

*1:あと「付き合う」とかの謎の契約も現在は完全に無理になってしまった

*2:精神的パートナー(添い寝フレンド)が見つかった!と思いきや実際マッチングできずという結果に終わったということがあった

*3:しかし過去の私にとって、「付き合う」→「必ず来るであろう関係破綻にワクワクする」という意味合いが強かった

ピルを飲んでいると彼氏には言えない/言わない問題

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身の回りでも「ピルを飲み始めたけど、彼氏には秘密にしてる」と語る女性は一人や二人ではない。私自身も3年前までは、ピル使用中だと男性パートナーに話すのは止めておこうと思ったものである。それは男性陣が「彼女がピルを飲めば生でセックスできるってことだよね!?」「ビッチのイメージ」「男にとって都合がよすぎて最高」と膣内射精について興奮している場面に何度か遭遇したことが要因の一つだ。これと似たようなセリフをパートナーが呟いた際には、ショックを受けて別れを切り出したという知人もいるし、「話さなきゃよかった」と後悔したという声も上がる。

しかし、ピル→子宮内避妊具を選んだことを公言している今の私なら、「は?ゴムをつけないってことは性病リスク上がるじゃん!検査してから考えようよ。そもそもピルは男性都合じゃなくて女性の生活と性的選択を助けるための薬ってことわかってる?」と真面目な話題に切り替えて、ピルがどういう薬か説明して、それに対する反応を慎重に観察するだろう。自分の選択の意味をパートナーに(肉体の所有者はその人自身なので共感はできなくても)理解してほしいし、その上で信頼関係を築きたい。そして、避妊/性病/性暴力について二人で考えて選択できないのなら、セックスに没頭できるはずがないと思うからである(やるならやるで、安心しながら、没頭したい)。

そもそも、「生で中出し」つまり膣内射精に対し異様にテンションうなぎ上りの男性陣に対する違和感の正体はなんだったのかと、考えたこともなかったが、先日それが少し具体的になった。こちら、ズイショ仙人のブログを読んで、とにかく「ありがとう、ありがとう」と思った(笑)。面白さの中に潜む「ちょっとここは立ち止まらなけりゃあかんやろ」っていうツッコミをこういう形でしてくれる人がいる現実は、ネットで頻出するような「男ってやっぱりなぁ…。」という諦めとは、きっと対極にあるものだと思う。

 

 更新されない知識が他人を傷つける

 

深夜、自慰のネタを探していると、AVに限らないけど、多量の「中出し」「孕ませ」といったジャンルの作品が現れる。どんなに過激な内容であれ、創作物が存在していること自体やそれを好むことは問題ないと思うし、自分の肉体も欲望も汚いものじゃないけれど、「大好きなエロい話」どまりの知識が更新されず、妊娠や性病を蔑ろにしたまま行動してしまうと、生身の人間を目の前にしたとき、思わぬ悲劇を生んでしまうのだよねー。彼氏に対して幻滅したくない、傷つきたくないからこそ、ピル使用やら生理の話は沈黙に限る、という女体ユーザーが一定数いるのも正直頷ける。

日本は海外と比べ、コンドーム避妊しか選択肢がないような状況であるために、ゴムをつけてセックスしましょうと良識ある大人に教えられる(現状、避妊方法*1の中でゴムは安価でコンビニ等でも手に入るため、現実的なアドバイスだとも思う)。反面教師のように、性病のリスクを置き去りにして「ゴムなしセックス」への幻想/期待も、創作品を介して過剰生産されているように思う。

例えば、女体主体の避妊を選択した場合、生でやってみたいと望むことは別に悪いことじゃない。しかし、無知のまま、好奇心や性幻想に基づく価値観が先行してしまって、彼女がなんでピルを飲んでいるのか・ピルにはどういう効果があるのかに対して無関心な姿勢は、パートナーとして幻滅されても仕方ない。避妊について選択肢を検討して、性病検査もした上でゴムを使わないカップルだって割といるのではないか(ゴムをつけないことが非難されやすいので言えないだけで)。どんな選択をするかは各々の自由だけれど、相手の意志を軽視しないこと(合意を取ること)、自分と相手の心身を危険/不快にしないような努力*2が大前提じゃないのかな(性的関係を孕んだ人間関係は、なんて面倒臭いのでしょう…)。

 

ピル=ビッチ(なので俺もヤれるかな)は超偏見だけど

ピルを活用する健やかビッチがいてもええじゃないか

 

ピルは病気の治療薬としても、月経痛やPMS*3予防としても、月経周期を安定させる手段としても役立ち、女体特有の苦痛を和らげる代物である。しかし、避妊のイメージが強く、かつビッチだと強調するような偏見もいまだ残っている。

ピル以前にビッチへの偏見は根強い。「だれにでも」股を開くんだよね?俺にもヤラせてくれるかも?という勘違いする人。肉体所有者であるビッチさんの意志を確認せず、コミュニケーションせずに性的言動をぶつける人。いや、どんなにエロくて性的奔放だとしても、だれとヤるかは本人が決めることだし、公共物扱いするなよと思う。そもそも、相手の属性に関係なく、関係性や状況を無視した性的言動は、合意を軽視した性的言動は、セクハラ/性暴力である(被害者が非処女/童貞であっても、風俗経験があっても、ビッチでも、たとえ被害者側から性的に誘ったのだとしても、結果、それを理由に暴力自体が軽視されて、自己責任だと詰られて、加害者擁護につながることはおかしい)という認識は、絶えず訴え続けたいなぁ。

 

 

 

 

毎度お世話になっています

 まあ、とりあえず、お互い童貞/処女からの~生涯の性的パートナーは一人のみ!という例外を除き、性交経験があるのなら(オーラルのみ含む)性病検査に行っておきましょう。保健所は無料なのでおすすめ。外出する気力がなければ、郵送タイプの検査キッドもある。

 

29年6月追記:素晴らしい記事に出会いました

 リスペクトしかないので是非みんな読んで!

 

*1:日本とは異なり海外ではピルはお手軽価格だし、避妊方法にバリエーションがある。参考:間違った避妊の知識 | ラルーン

*2:厳密にいうと、性的接触において、危険/不快な状態の発生は完全には避けられないものだ。むしろ、トラブル発生を前提として、そこから関係性をどう維持/改善しようとするか、トラブルに対してどう責任を取り、どう身を守れるか、という過程こそが肝心

*3:月経前症候群PMSの症状を知ろう | 知ろう、治そう、PMS【月経前症候群】