人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

「愛のないセックスには金を取れ」どう思う?

19歳の時、バイト先の年配女性にやたら可愛がられていた(愛を与えてくれる主婦たちは私にとって第2の母、TOKYOの母だった)。その日も退勤後夕飯に連れていってもらっていたんだけど、どういう流れだったか、性的な話題になっていた。内容はさておき、その主婦が私に言ったのは「私は女性が男性のあれを舐めるっていうのがどうも苦手というか嫌いなの。だから絶対に(オーラルセックスを)しないって決めていて、面と向かってお断りしているのよ」という言葉だった。1人の女性が、性的場面で譲らない態度を持っているという事実が強烈に印象に残った。当時の私は「オーラルセックスして当たり前(とにかく相手を喜ばせないと)」っていう価値観が刷り込まれていて、自分自身の価値観を持っていなかったからだ。

同じ時期に「自分はフェラを求めるくせにクンニは嫌がってしない男とかあり得ない」って友人が発言していたのも、今でも鮮明に覚えている。その場の状況や個人の嗜好もあるから、その価値観が絶対的に正しい、というわけではないけれど、この発言の中の"フェアに”奉仕しあうっていうニュアンスこそが大切だと今ならわかる。

当時の私は「性差がある中での公平(感)とは、何か」を意識して考えないようにしていたので、その友人の言葉もなんとなく受け流していた。

 

 

「愛のないセックスには金を取れ」

 

映画監督*1のこの台詞はわりと有名かもしれない。

そもそも愛(尊重)のない時点で性暴力に親和性があるのではないか。愛があることは大前提だ。(※ちなみに、愛=恋愛の類ではなくて、愛=個として尊重しあえることと解釈している)

尊重されるってことは、「自由に意思を表明できる関係性内にあって、選択を軽んじられない」ことだ。「少しでも嫌だな、違うな、と感じたらNOを言っていいし、NOを軽視されない」ってことでもある。女性だけが主語ではない。どんな性別、セクシュアリティ、肉体、関係性であっても。だれでも、どんな場面でも。性暴力から距離を取ろうとし、両者の意思が軽んじられない性的関係の構築に努めるための勇気を持っていけないものだろうか・・。

 

その場合、尊重されず人間として軽んじられても、金を払えば許せるだろうか?絶対に違うはずだ。金を払っているから何をやってもいい、好き勝手やらせろ、というのは本当におかしいことだ。金で「買える」のは、サービスを受けられる時間だ。相手の心身は買えないし、独占・所有できない。その人の体はその人のものだからだ。。

「恋人/配偶者なんだから」「愛し合ってるから」何をしてもいい、というのもおかしな話だ。どんな関係性であれ、相手の意思を軽視した時点で、相手の選択を待てない時点で、暴力的である(だれでも、初期なら自身の加害性を自覚して引き返すことはできるが、それから逃げて加害の回数を重ねると、いっそう麻痺して深刻化する。)

尊重されているならば、恋愛感情・関係がなくても性的快楽を求めていいに決まっている。そして自分の意志で自分の肉体を性的に使ってお金を稼いでもいいに決まっている。必ずしもロマンチックラブイデオロギーとセックスは一体じゃなくたっていいはずだ。

 

しかし、たとえば、自分にとっての欲望や快楽がさほど満たされない(あるいは存在しない)状況の場合は、「愛(尊重)」なり「満足感」を獲得することから遠ざかるかもしれない。

「暴力的だとも思わないが、能動的にしたいとも思えない」性的行為の難題さよ……。

 

 

●数年前の個人的事例 

合意で男性とセックスをした。嫌な思いもしなければ、自分の意思表示もしっかりできる関係性があり、なんの不自由もなかった。しかし、相手は途中で、射精したいからという理由で、オーラルセックスを求めてきた。私は射精やオーガズムにこだわらなくてもいいと思っているので、その価値観を説明こそしたが、相手は違う考えらしい。AVっぽいな、射精介助っぽいな、なんで私はこの人のオナニーを手伝ってるんだろうか…と内心思ってしまった。能動的にしたいと思えなかったけど、断るほど嫌な状況でもないので、なんとなくノリで抜いて「あげた」。

 

 

 「愛のないセックスには金を取れ」じゃなくて「アンフェアと感じるセックスには金を取れ」なのかもしれない

 

この「(一方的に)してあげた」という感覚に違和感があるし、できれば味わいたくないし、酔いしれたくもないと思う。上から目線で、フェアな関係性とは遠いように感じるからである。

おそらく「お互いに」「してあげる」という交感的なセックスであれば、こういった違和感は生じなかったのだろう。しかし一方的に奉仕/演技するような労働的なセックス*2に途中からすり替わってしまったったので、事後疲労感だけが残り、満足感が引っ込んでしまったのだ。

相手の欲望が嬉しいから、盛り上がってる流れで興奮しているから、相手の気持ちよさそうな顔が見たいからとか、そのような動機があれば、話は違ってくるのだろうけど。そうではなく不本意にシラけてしまう瞬間があると残念だ。ハイ!盛り上がったね!試合終了しましょう~!でよかったのに、「ごめん、最後に射精したいからお願い舐めて・・・」と頼まれて、まあ断るほどの理由も嫌悪感もなくて、いそいそと動いている時、脳内で誰かが「金を取れ!」と静かに囁く。その現象に対して長いこと目を瞑っていた気がする。でも、このままでいいのか?と開眼し、行動できるようになったのは最近の話である。

 

 

ではどうすればいいのか?金を要求すれば解決するのか?

一つの選択肢として、「今日は無理。そういう気分じゃないから自慰で済ませてくれ!」と断る日があってもいいのだと思う。*3

別の選択肢としてこんなのもある。やってる人からしたら既に当たり前のことなんだろうけど、自分も一方的に奉仕してもらえばいいのである。「○○してほしい」と頼まれたなら、一方的に従うのではなく、こちらからも「○○して」と自分の欲望を満たすための要求をする。そうすれば、自己中なのはお互い様だ。

能動的かつお互いに没頭できて楽しいセックス、非暴力的かつ主体的なセックスが理想的とされるけれど、圧倒的なリアリティの前ではそれは夢物語かもしれない。奉仕の色合いが強い「してもらう/してあげる」的な、つまり性欲処理的/性幻想的な欲求を相手に抱き、要求してしまうことも少なからずあるのだと思う(それが行き過ぎると相手を傷つけるので、減らしていけたら良いかもしれないが、欲望を持って生きている限り完全に0にはできないし難しい)。

 

もちろん大前提として、少しでも「したくない」「ちょっと嫌だな」とモヤっとするなら、NOと拒否していい(あなたは間違っていないし拒否する権利が最優先されるべきとも思う)。ただ、簡単に白黒つけられる場面ばかりでもなく、「この要求に応じることは特別嫌ではないし、暴力とまでは感じない」ということもある。しかし一方的なサービス精神を発動する機会ばかりだと、気づかないうちに消耗させられていることもある(≒労働的なので、金を取っていいとも解釈できる)。そんな無償のボランティア精神は不健康だし長持ちしない。それを強制することもできないし強制させられてもいけない。

この現象とうまく折り合いをつける方法として、性別は関係なく(女は欲望するなというのは論外)自分の立場からも性的奉仕を要求してもいいんじゃないか?というのが私の考えである。*4

相手に完璧さを求めずに、情けない部分も見せ合って、時々失敗もして、お互いさま感覚を共有できる関係性が出来ると大変気が楽でもある。肉体も感性も価値観も(時には妊娠によって生じるリスクも)異なる相手とどうやって向きあえば、少しでもフェアと感じられる性的関係に近づけるのか?それを考えることを止めずに生きていきたいと思う。

 

そうやって、開き直ったというか、自由に欲望を交渉できるようになってからは、わりと精神的に穏やかに生きられている感じもする。

 

(※2020年12月17日 微修正)

(※2023年6月17日 監督名削除)

*1:2022年性暴力加害を告発されたため、監督名を削除しました

*2:受け身な相手に対して相手が満足するまで能動的立場であれと要求される感じ。一方的にサービスしてあげているというアンフェアな感じ

*3:断られた側は怒ったり不本意に落ち込まないようにされたい。あなた自身が否定された訳ではないのだから。むしろ「今はしたくない」と断れる関係性があること自体すばらしいこと

*4:(こんなの当ったり前じゃ!と思う人もいるかもしれないけれど、個人として気づいて堂々とできるまでに時間がかかりました…)

「二人きり」「密室に来てくれた」「無言(明確なイエスはないけど雰囲気でいけそう)」「酔っている」「ボディタッチされた」=性交OKのサインではない

10代の頃、昼夜関係なく、他人(知人で同性代)(相手の性別問わず)の家に遊びに行っていた。当時の私は性的なことが好きではなくて*1、できるなら小学生みたいにじゃれあえることを期待していたし、相手が男性の場合でも、多くの女友達と同様に、性別や性欲を忘れるくらいの熱意で、共通トピックに対して一晩中語り明かすような夜がほしかった(それが達成できたかどうかは後述します)。

 

24歳になった今も、男性に対して「〇〇君は、そっち側の人間か」とちょっと失礼な物言いをしてしまうことがある。私がそう区切る「そっち側の人間」とは、接触が性欲に直リンクしてしまう人間、つまり【他人に向く性欲があって、性的対象となるか相手を判断して、その対象の肌に触れれば、性交の可能性を期待する人】を指す。

そういう人はマジョリティと括られることが多いが、それと比べ自分は感覚がずれている*2のでおかしいのかなと悩んだこともあるけれど、相手に激しく欲情していない限りは、裸で抱き合っても、軽くキスしても、直接的な性欲に繋がらないのだ。そのまま添い寝で満たされる。こういう性的感覚があるのと、自分が能動的に望み、「この人とやってみたい」と思わない限りは性欲が発動しないので、割と仲良い男性と二人きりでも、性的ニュアンスを含まないお家デートが出来るのだった。

それに対し、「男からしたら生殺し状態だよ。男が可哀想」といったマジョリティ側からの意見がある。10代の頃は、それをなんとなく感じ取っていて、トラブルになるのも嫌だし、性的マイノリティといわれるような男性とばかり遊んでいた(べたべたしても添い寝で完結するような)。しかし若かったし性格も悪かったので、生殺しのお付き合いもあった(恋愛関係で強者の立場で在れた為、恋人の性欲を全面拒絶していた)。今思えば、セックスを断るのではなく、相手の性欲や肉体そのもの自体を否定するような関わり方は相手を傷つける残念な方法だった。最近は少しは大人になってきて、「あっち側の人間(主に自分を性的対象とみる可能性のある異性愛者)とは、特にHする気がないなら、安易な気持ちで密室でいちゃいちゃしてはいけない。」とは思えるようになってきた。いわゆる「生殺し状態」は初めから起こさないほうが友好関係維持の上で得策だ(性関係が絡むと破綻する人間関係もある)とようやく気付いたからである(遅い)。

 

 

一人暮らしの男性の家に遊びに行っても別に性交OKのサインではない(都度意思確認)(交渉次第)

それでも、判断力が危うい状態(精神的不安定/酔っ払い)の女性や、欲情される事に無自覚な女性、特に考えなしの女性(特に若い女の子にありがちかも)があなたの暮らす密室空間に現れることはあるかもしれない。

そんなシチュエーションが起これば、彼女に性欲を抱いているあなたは期待するかもしない。しかし、前提として『密室で二人きりになった』=『性交ONのサイン(合意のサイン)』ではない。早合点するのは超危険だし、あとから「レイプだった(非合意だった)」と訴えられる可能性もあり、しんどいことになる。

だから、女性が自分の家に遊びに来たいと言って実際二人きりになれても、そこから願望達成(性交)に至るまでには、対話と交渉が必要なのである。(判断力のない状態にある人を巧く言いくるめるのは論外。まず、対話できない関係性の相手との性交は難しいことを理解されたい

 

 

誘う側は相手に性的選択の余裕を与えるべし 

「交渉不可能に思えて、性交を望まない男の家には遊びに行くべきでない」と女性に対する自衛論は多く見かける。正論かもしれないが、それが常識となった世の中では、被害女性に対する偏見が増すし(事実とは異なる被害状況を想像され)被害者ばかりに責任が押し付けられる恐れがある。それも含めて、私は自衛論に片寄りたくないなと思う。本来は、性交を望む側(この記事上では男性)が、ぎりぎりの理性を持って、自分をコントロールして、相手が明確な意思を持ってYESかNOを選べるような状態・精神的余裕を相手に与えないといけないと思う。

なぜなら、セックスにおいて「欲望の充足(暴力に成り得る危険性がある)」よりも「拒絶する権利(非暴力状態を維持する/侵害されない権利)」が優先されるべきだからである。

極論を言えば、相手から明確なYESがない限り、恋人だろうと、配偶者だろうと、同じ布団に寝ていようと、相手が裸でいようと、性的接触を始めてはいけない。その人の身体はその人のものであって、他人の所有物ではないからだ。

 

それをふまえた上で、気軽に交渉しあえる男女関係が発展する世の中になっていってほしいと思う。そういったシチュエーションにおいて、相手の性欲自体を拒絶するのではなく、性交の期待を提示された後に断る余裕もちゃんとある状況で、自分の意志で答えられるといいなと思う。性的交渉を「断られる」ことは決して人格否定ではないし、人間関係の終焉でもない(相手を軽視してコミュニケーションを怠れば関係は壊れるけど)。「自由に断れる」という対等に近い関係性の素晴らしさはもっと周知されてほしい。

 

 

自衛論だけでは無理がある 

女は密室で男と二人きりになるリスクを自覚しろ、という言説はあるけど、望まない性接触(性暴力)が生まれる可能性を「リスク」と呼んでいるのだろうか(なんのリスクなんだろう…)。そもそも先ほど述べたように対等に近い人間関係上では、性欲は生じても、それをコントロールするのは誘う側の問題であり、誘われる側には選択の自由がないといけない。なので誘われる側ばかりが注意されるのは無理がある(男性性欲を全受容する女性への自衛論よりも、男女ともに性的選択の自由がある関係性を構築する方向、少しでも違和感があればNOを言える/受け止められる自分になる、積極的なYESを言える/待てるという方向にもっていくのが性教育の役目かもしれない)。

性暴力の温床となるのは、上司と部下とか、先生と生徒とか、子どもと大人とか(あるいは酔っていたり精神的に病んでいたり判断力がつかない状況にあったり)実は内部*3で全く立場が対等ではない場合に多い。非対称な関係性の場合、立場の弱いほうは誘いを断りづらい。信頼したい相手からの好意を否定してはいけないという思考になりやすく、自分から誘ってしまうことだってある。自分の立場の強さに気づかない側は、ある意味で簡単にそういった状況を作れるので、気づかないうちに加害してしまう。

牟田和恵『部長、その恋愛はセクハラです!』

とても読み易くわかりやすくおススメ

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かつて居酒屋で働いていたときに、閉店時、上司から性暴力被害を受けたことがある。被害後、「そんな状況を作った(=そこで働いた、職場とはいえ男性と二人きりになった)あなたも悪い」「逃げなかったの?」「男性と恋愛関係にあったのでは」と知人から二次加害をされたことがあるが、自分を責める必要はなかった、あれは立場の違いを巧く濫用された暴力であったと私自身が気づいたのも、数年後だった。なかなか目には見えづらいが、<男女で密室になる>といっても、あきらかな立場の違いがあるかどうかで、性暴力というリスクの大きさが全く異なることは知識として共有されていってほしい。

 

セックス(だと思いたかったもの)が性暴力に変性する様は、グラデーションの濃淡で捉えるとわかりやすい。完全に白、黒だとわかる暴力のほうが少数だ。密室という条件があっても、触っていいか、相手が何をしたいか、そこを確認して初めてOKとなる。もちろん事前に合意がとれて、いざ性行為ができても、途中でNOと言われてやめなかったり、NOを言えない状況を作ってしまったら性暴力として黒に近づいてしまう、から注意していきたいよね…。

 

 

というわけで、難しい部分はいっぱいあるんだけど、それでも性は面白いものだと思っているから、今後も自分で可能性を切り開いていきたいし、身体格差はあったとしても、お互いの不平等な部分を自覚しつつ、その上でなるべく公平な関係性を模索して、男性(男体ユーザー)と仲良くやっていける道を発見していきたいなと思います。

<再掲>

「二人きり」「密室に来てくれた」「無言(明確なイエスはないけど雰囲気でいけそう)」「酔っている」「ボディタッチされた」=性交OKのサインではない(関係性と文脈次第だし、その都度意志確認をするのがベターというか前提にならないと)

*1:(むしろ人間扱いより先に女体扱いされるのが怖かったし嫌悪が強くて)

*2:そもそも、性的対象は性別問わないし、性的対象自体が狭い。10代の頃と変わって自分の性欲と肉体を肯定できるようになってからは、性的欲情されることも平気になったし、自己決定が尊重される性交を好んでいる。性交相手は恋愛対象でないほうが快適な展開になる。恋愛関係は要らなくて、気の許せる相手となら何の不快感も違和感もなく性交できる。

*3:第三者には気付かれない、むしろ合意と勘違いされてしまう状況

LOVEとは・・・

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よくわからない図で申し訳ありませんが

私には恋愛感情というものが何を指し示すのか毎回わからない*1ので、恋愛という表現を避けて、4つの「LOVE」という括りで個人的な感情を分類してみた。とりあえず、個人の感覚と経験から分析するに、私は「精神的LOVE・・・の相手と健康的な性的関係や安定/自立した生活が保てない」傾向が強い。

そのため、「現実(肉体と生活)」「精神」を区別して、それぞれのパートナーを探すことが自分の人生にとって快適だということを理解した。なので、これを実践している最中です(※H29追記:若干のハプニングあった*2結果、精神的パートナー不在でもなんとかなってる状況)

精神的LOVEの相手と、セックスを含めた人間関係を継続してる人を心底尊敬するし、拝めたい。みんなどうやって自身の葛藤や欺瞞、欲望と折り合いをつけて生きているのだろうな。何を諦めて、何を譲れずに、何のために生活をやりくりしているのだろうか。他人の感覚や選択もわりと気になるけれど、社会でそんな話題いちいち出来ないからひたすら寡黙に労働者してます。

  

 

 

H29.7.9 追記

肉体的世界と精神的世界、両方の良い所取りができるLOVE=「絶妙な距離感の友人関係」なのかも知れないと思う。

たとえば、

①肉体的LOVE+友人=セフレ(ヤリ捨てとかではなく安定した友情が土台にある)

②生活的LOVE+友人=同居人

③精神的LOVE+友人=添い寝フレンド   的なポジションが成り立つ。

個人差と相性によるけれど、①セックス②生活運営③精神的安らぎ、すべてを包括した関係に発展する可能性もある。

 

図には書かなかったけど、

逆に、「距離感を履き違えた人間関係」になってしまうと

⑤独占的LOVE(精神的世界)が発生して、閉じた関係に固執しすぎた場合は、暴力の温床(パワーバランスが偏った関係)となるのかもしれません。こわこわ。にんげんこわい。

 

 

※2年半前の「恋愛関係」をしていた時の文章がこちら。痴情を楽しみつつ矛盾を受け入れていた時期*3もあったんだよね……。

この頃と根本的な価値観は変わっていないけれど、今は、「恋愛関係(契約)」や「痴情」を捨てて得た、激しさから離れた人生もそれなりに肯定できているようです。よかったね。

*1:あと「付き合う」とかの謎の契約も現在は完全に無理になってしまった

*2:精神的パートナー(添い寝フレンド)が見つかった!と思いきや実際マッチングできずという結果に終わったということがあった

*3:しかし過去の私にとって、「付き合う」→「必ず来るであろう関係破綻にワクワクする」という意味合いが強かった

ピルを飲んでいると彼氏には言えない/言わない問題

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身の回りでも「ピルを飲み始めたけど、彼氏には秘密にしてる」と語る女性は一人や二人ではない。私自身も3年前までは、ピル使用中だと男性パートナーに話すのは止めておこうと思ったものである。それは男性陣が「彼女がピルを飲めば生でセックスできるってことだよね!?」「ビッチのイメージ」「男にとって都合がよすぎて最高」と膣内射精について興奮している場面に何度か遭遇したことが要因の一つだ。これと似たようなセリフをパートナーが呟いた際には、ショックを受けて別れを切り出したという知人もいるし、「話さなきゃよかった」と後悔したという声も上がる。

しかし、ピル→子宮内避妊具を選んだことを公言している今の私なら、「は?ゴムをつけないってことは性病リスク上がるじゃん!検査してから考えようよ。そもそもピルは男性都合じゃなくて女性の生活と性的選択を助けるための薬ってことわかってる?」と真面目な話題に切り替えて、ピルがどういう薬か説明して、それに対する反応を慎重に観察するだろう。自分の選択の意味をパートナーに(肉体の所有者はその人自身なので共感はできなくても)理解してほしいし、その上で信頼関係を築きたい。そして、避妊/性病/性暴力について二人で考えて選択できないのなら、セックスに没頭できるはずがないと思うからである(やるならやるで、安心しながら、没頭したい)。

そもそも、「生で中出し」つまり膣内射精に対し異様にテンションうなぎ上りの男性陣に対する違和感の正体はなんだったのかと、考えたこともなかったが、先日それが少し具体的になった。こちら、ズイショ仙人のブログを読んで、とにかく「ありがとう、ありがとう」と思った(笑)。面白さの中に潜む「ちょっとここは立ち止まらなけりゃあかんやろ」っていうツッコミをこういう形でしてくれる人がいる現実は、ネットで頻出するような「男ってやっぱりなぁ…。」という諦めとは、きっと対極にあるものだと思う。

 

 更新されない知識が他人を傷つける

 

深夜、自慰のネタを探していると、AVに限らないけど、多量の「中出し」「孕ませ」といったジャンルの作品が現れる。どんなに過激な内容であれ、創作物が存在していること自体やそれを好むことは問題ないと思うし、自分の肉体も欲望も汚いものじゃないけれど、「大好きなエロい話」どまりの知識が更新されず、妊娠や性病を蔑ろにしたまま行動してしまうと、生身の人間を目の前にしたとき、思わぬ悲劇を生んでしまうのだよねー。彼氏に対して幻滅したくない、傷つきたくないからこそ、ピル使用やら生理の話は沈黙に限る、という女体ユーザーが一定数いるのも正直頷ける。

日本は海外と比べ、コンドーム避妊しか選択肢がないような状況であるために、ゴムをつけてセックスしましょうと良識ある大人に教えられる(現状、避妊方法*1の中でゴムは安価でコンビニ等でも手に入るため、現実的なアドバイスだとも思う)。反面教師のように、性病のリスクを置き去りにして「ゴムなしセックス」への幻想/期待も、創作品を介して過剰生産されているように思う。

例えば、女体主体の避妊を選択した場合、生でやってみたいと望むことは別に悪いことじゃない。しかし、無知のまま、好奇心や性幻想に基づく価値観が先行してしまって、彼女がなんでピルを飲んでいるのか・ピルにはどういう効果があるのかに対して無関心な姿勢は、パートナーとして幻滅されても仕方ない。避妊について選択肢を検討して、性病検査もした上でゴムを使わないカップルだって割といるのではないか(ゴムをつけないことが非難されやすいので言えないだけで)。どんな選択をするかは各々の自由だけれど、相手の意志を軽視しないこと(合意を取ること)、自分と相手の心身を危険/不快にしないような努力*2が大前提じゃないのかな(性的関係を孕んだ人間関係は、なんて面倒臭いのでしょう…)。

 

ピル=ビッチ(なので俺もヤれるかな)は超偏見だけど

ピルを活用する健やかビッチがいてもええじゃないか

 

ピルは病気の治療薬としても、月経痛やPMS*3予防としても、月経周期を安定させる手段としても役立ち、女体特有の苦痛を和らげる代物である。しかし、避妊のイメージが強く、かつビッチだと強調するような偏見もいまだ残っている。

ピル以前にビッチへの偏見は根強い。「だれにでも」股を開くんだよね?俺にもヤラせてくれるかも?という勘違いする人。肉体所有者であるビッチさんの意志を確認せず、コミュニケーションせずに性的言動をぶつける人。いや、どんなにエロくて性的奔放だとしても、だれとヤるかは本人が決めることだし、公共物扱いするなよと思う。そもそも、相手の属性に関係なく、関係性や状況を無視した性的言動は、合意を軽視した性的言動は、セクハラ/性暴力である(被害者が非処女/童貞であっても、風俗経験があっても、ビッチでも、たとえ被害者側から性的に誘ったのだとしても、結果、それを理由に暴力自体が軽視されて、自己責任だと詰られて、加害者擁護につながることはおかしい)という認識は、絶えず訴え続けたいなぁ。

 

 

 

 

毎度お世話になっています

 まあ、とりあえず、お互い童貞/処女からの~生涯の性的パートナーは一人のみ!という例外を除き、性交経験があるのなら(オーラルのみ含む)性病検査に行っておきましょう。保健所は無料なのでおすすめ。外出する気力がなければ、郵送タイプの検査キッドもある。

 

29年6月追記:素晴らしい記事に出会いました

 リスペクトしかないので是非みんな読んで!

 

*1:日本とは異なり海外ではピルはお手軽価格だし、避妊方法にバリエーションがある。参考:間違った避妊の知識 | ラルーン

*2:厳密にいうと、性的接触において、危険/不快な状態の発生は完全には避けられないものだ。むしろ、トラブル発生を前提として、そこから関係性をどう維持/改善しようとするか、トラブルに対してどう責任を取り、どう身を守れるか、という過程こそが肝心

*3:月経前症候群PMSの症状を知ろう | 知ろう、治そう、PMS【月経前症候群】

なんのために痩せるの?つけまつけるの?生きてんの?

安心快適な新居で春を迎えたら……太った。

体重は変わらずなので油断していたら、あらまぁ。ウエストが4㎝太った。

12月~4月の間、自分の身に何が起こったのか、振り返ってみる。安心快適な生活なので、まっすぐ家に帰り、それ以前に比べて外出する機会は極端に減った。化粧する頻度も月に4回くらいという超インドア生活。寒いし、自宅が快適だし、出勤以外は布団にくるまっていたのである。ジムには週2回通っていたものの、有酸素運動はせず筋トレのみ。間食も毎日していた。ごろごろ布団で漫画を読んでいると、夫がご飯を準備してくれることも多く、「ごはんできたよ~」と呼ばれ食事を終えた後も、寒いので、再び臥床。

…という感じだったので、太ったのだろうね…。

 

 

ということで、先週くらいからダイエット志向になってます。

ここ8年くらい、ほとんど体重の変動がない(意識すればすぐに元通りになっていた)人生だったのもあり、やる気はでてくるし、行動もできる。

まあ、今後加齢によって、体型維持、じわじわと肥えた場合に体重を戻すのは今より確実に難しくなるだろうから、生活習慣を改めるには絶好の機会だろう。

そこで、ダイエット5箇条を宣言しておきます。

 

 

その① 間食をやめる。22時以降は食べない。*1

 

その② 筋トレ<有酸素運動。ジムは最低週2回/1時間以上動く。*2

 

その③ アウトドア生活に戻す。*3

 

その④ やたらアマゾンで中古本を買わない。*4

 

その⑤ 具体的な目標設定。2週間に1度身体測定。*5

 

 以上でござる!

 そもそもの話になるが、なんで私は痩せようとしいているのか?

一つはインドアすぎる生活習慣のままだと、将来健康を害す危険性があるから(今は体脂肪18%だけど、この先体脂肪・内脂肪共に増えるだろうからねー)。

もう一つは、自己像が10代の頃の体型のままだから、である。「これが!私らしい裸だ!うーん裸体最高!」という認知範囲があって、そのイメージの維持がアイデンティティー統合につながっている。

 

他、健康増進以外の理由で、いろいろと容姿や体型について悩む人は多いと思う。特に女体持ちの人は(最近は男性もだけど)容姿(骨格やパーツは先天的才能なので例外を除き努力ではどうにもならないのに)を上から目線でジャッジされやすいので、容姿を中心に病んでしまう人もいる。

そこで、最後に、というか、これがメインなんだけど、ダイエットや女体美化神話にまつわる面白い作品やエンパワーメントな作品がいくつか思い浮かんだので紹介したい。

 

どうしてキレイになりたいの?「痩せすぎ」モデル禁止法案とLUMINEのセクハラCM - ミチクサダイアリー

michikusadiary.hateblo.jp

要するに、痩せていないと着られないか似合わない服ばかりが「トレンド」として設定されているということ。多様性ダイバーシティ)を考慮に入れない、ということの罪。

(中略)

私が主張したいのは以下の点。

・ 「痩せすぎ」体型でなければ、着たいと憧れる服はたいていの場合着こなせない。このことはファッション業界が「キレイになる」「オシャレをする」ための行き過ぎたダイエットを支持あるいは容認しているとも言い換えられる。

・「女性とは男性から愛される(周りから評価される)ためにオシャレをするものだ」という考えの押し付けがなくなっていない。

 

つまり「痩せすぎ体型を維持すること」「男性から愛されるよう努力すること」が強いられているという構図。女性のファッションを語るとき、こうした視点からの意見になっていないか?はよく吟味する必要がありますね。

 

 

f:id:kmnymgknunh:20160418001924j:plain岡崎京子ヘルタースケルター全身整形人間「りりこ」の物語。

視る側であり、ジャッジを下す消費者、彼らに消費され視られる者。愛されるか、飽きられないか、馬鹿にされないか、そうじゃなく、あたしを消費できるものなら消費してみろ、蹴散らかしてやる、と、忘れっぽく流行任せの消費たちを睨み付返す、狂気の中を生きる強かな女の話。原作ファンには不評だったらしいが、映画化もした。(ちなみに岡崎作品だと、私は『リバーズ・エッジ』を愛してる。これはヘルタースケルターの「こずえ」が主人公。作品一面を漂う乾いた感じがたまらんのだ)

 

 

f:id:kmnymgknunh:20160418003830j:plain東村アキコ主に泣いてます

美人すぎる故に何事もうまくいかないどころか周囲の人を不幸にしてしまい、自分を愛せずにいる「泉さん」の物語。女性の容姿に対して差別的言動するキャラも多い(※ブスやデブに対する非人間扱いだけじゃなく、職場など容姿関係なく、採用・評価されるべき場面で美人という部分だけに注目して人間を特別扱いすることも差別的といえる)けど、ギャグとしてさっぱり読めてしまうのが怖いというか東村作品の面白さだと思う。美人すぎて不幸で自己肯定感低すぎる泉さんが最終的に「幸せなブス」になるのとか、泉さんと容姿を比べられイライラしている他女性陣が奮闘して自分の力で幸せをつかみ取るエネルギッシュな描写も良い。

 

 

f:id:kmnymgknunh:20160418005712j:plain大野佐紀子『「女」が邪魔をする』

日常生活で発見するジェンダー的な話題をとても読みやすい文章で書き連ねている本。著者がアート系の人だったりして、柔軟な印象を受ける。男性を敵、としないで、男性が抱える非モテの悩みやらも掘り下げていたりと、不平等な現実をわりと公平なニュアンスでやわらかく語ってくれている。ジェンダー論わからんっていう人も、男性も、わりと読み易いと思う。おすすめの一冊。

化粧も下着もファッションも、すべて詐術、仮装である。そういうものを使って男に性的アピールし、扶養してもらわないと生きていけない時代が長かったので、女はやたらとその方法に長けてしまったわけである。

(中略)

「夫・恋人のために若く美してありたい」という表現も、要は美しくも若くもなくなった女に男は性欲を感じないからだ。内田春菊の漫画に『こんな女じゃ勃たねえよ』というのがあったが、「見る者」である男は、「勃たねえ」のを女のせいにできるのだ。

(中略)

すべてのファッションは女装である。「女」に擬態するためのコスプレである。だからここであえて「オシャレは男ウケのためである」と言ってみよう。逆に言えば、私は男ウケのために女装しているだけ。

「本当の君の姿」を見たい?そんなものはないです、残念ながら。…「自分のために着ている」と自己肯定するより、どうせならこういう開き直り方で男性の欲望と幻想を宙づりにしてみたいとは思いませんか?

第四章「すべてのファッションは女装である」より 

 

◎ちなみに表紙デザインのつけまつげは「自まつげ」と思わせる程度の短毛タイプ。

ちなみに…、がっつりタイプはこれくらい長いし太いし重い。(笑)

まぶたの皮膚が薄い人は、つけまの効果で皮膚が持ち上がり幅広い二重になりやすく、整形の領域となるのである。

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近年、容姿を気にする(視られる側としての)男体というジャンルが浸透してきていて、女性が男性の容姿をジャッジする(キモイと貶すのではなく美しいと愛でる対象とする!)風潮も珍しくない。「勃たない」原因を女のせいにできる男性と同等に、セックスレスの原因を「彼に性的魅力がないから」と愚痴る女性にも出会う。若い男性も女性同様に、肌、体型、服のセンスを気にする人が増えている。中には美容整形や脱毛に夢中になる男性もいる。ひょっとすると、『つけま・つける・男子』とか『つけまリーマン』みたいな男体持ちも、将来出てくるのでは?…なんてね。

 

大野氏の解釈に対し、いやいや、まずは「自己満足ではなく、他者から承認されるような≪可愛い≫こそが正義、という呪い*6から解き放たれよう!」「自分を愛せる、自分のためのオシャレをしようよ!」を訴えかけるのが、こちら。

f:id:kmnymgknunh:20160418014914j:plain雨宮まみ『女の子よ銃を取れ』

この本の面白い所は、かつて人気番組だった「ビューティコロシアム」の批判で始まるところだと思う。知らない世代もいるかもしれないけど、私は小学生の頃この整形番組を母親と観ていたなぁ。容姿に恵まれず人生に悩む女性をプロデュースして「きれいにする」番組。ついていない人生を送ってきた女性に対して、出演者が「まず貴女は努力してないじゃん」「本当に人生変えたいの?」と説教する。「(美しくないと不幸」と刷り込み「心も素直できれいじゃないとダメ」と、女性を引き裂くような精神論にもっていく番組のえげつなさが丁寧に丁寧に暴露されている。

著者の雨宮氏はブログでこう語る。 

「美しさ」というのは、誤解を生みやすい言葉ですが、 わたしはこの本の中で、「美しさ」というものを、その人本来の姿や魅力として考えています。飾り立てなくても、ヒールをはいたりしなくても、その人がその人らしく、居心地よくしている状態になれること。劣等感や女失格、みたいなつらい気持ちに縛られずにいられる状態を目指すことを、本の中では目標にしています。

『女の子よ銃を取れ』 - 戦場のガールズ・ライフ

<海外のビーチでは、老若男女、体型関係なく、みんな楽しそうにしている。でも、日本だとどうだろう?スタイルがよくないと、若くないと、かわいくないと、海で水着になれない、恥ずかしい、抵抗がある、哂われる、そんな空気がありませんか。お店に並ぶ水着の種類も若者向けばかり、おかしくないですか。腕が太いだの、胸が小さいだの、お尻が大きいだの、他人と比較して、自分の体を愛せないでいる女の子は多いけど、あなたは十分チャーミングなのに、もったいないよ。あなたはあなただから、きれいなのに…。>そういった、愛溢れるメッセージが詰まっている本です。

 

以上、5点の紹介でした。

 

思いのほか、長くなっちゃった。うーん、自分のダイエット宣言と紹介分は分けるべきだったかな?まあいいや。

ブスな自分ときれいな自分、この両面を現実の中で抱きしめて生きれるといいんだろうねー、なんて思う。心身共に健康的だと楽ですね。そこに行き着くまでは遠いかもだけど。ずっと感じていること。人間。特に女性、「若さ」を離れたあたりから抜群に美しくなると感じる。自分を生きることを選んだ人はきれいだ。自分は死ぬまで自分だもんなあ。

おしまい。

 

 

*1:極端な食制限はしない。チョコレート大好きだしストレスが溜まるのは避けたい。なので食事のデザートとして甘いものは摂取する。できればヨーグルトやフルーツ系を選ぶ。最近炭酸ジュースはやめて、無糖の炭酸水ばっかり飲んでる。満足。

*2:ボクササイズ、ダンス、エアロビ教室があるときはそれを優先して行う。それらのプログラムがない場合、ジムにて競歩を30分以上やる。※職場の作業療法士からランニングより競歩のほうが良いとすすめられた。たまに近所の川原を5キロ走ってるけど、これは気分次第で継続していく。

*3:自宅外で定期的な活動があれば、メリハリがつく。寝たきりにならない。なので、交通費のかからない、自転車利用できる範囲で趣味を増やそうと思った。そこで地域の力を活用。区のHPを眺めてみる。手話、将棋、少林寺拳法。この3つが気になったので今月体験申し込みしちゃったぞい。自分の担当クライアントと地域をつなげる資源にもなるかなと、ダイエットとは別の意図も企てている。ソーシャルワーカーらしい発言かもしれない。

*4:この間古本屋に行ったらアマゾンで注文した漫画ほとんど並んでいて、今月分だけで合計1500円は損していることが判明。いや、時間短縮で便利な面をふまえたらそのくらいの損は痛くないはず。なんだけど、古本屋まで自転車を漕ぐという活動が体に良いんだよね。家でパソコンクリックして買い物するよりも断然健康的。お目当ての本が見つからない・品質が悪い等、無駄も多いだろうけどさ。ということで区内の古本屋チェックしたので、しばらくは自転車で古本屋巡りしようと思う。晴れた日の休日に。区の名所巡りもできて、一石二鳥。というか区外でも自転車で行けそうだ。10キロくらい漕げる。せっかく1年半前にクロスバイク買ったんだし、活用しないと。

*5:ウエスト62センチ

*6:こんなのもある

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