うれぴっプルン戦記

性的主体性と添い寝とダンス

『逃げ恥』『かぐや姫』鑑賞会やります

第一回、逃げ恥鑑賞会(ホームパーティ)やります!!

 

■開催理由

原作は前々から愛読していたものの、自宅にTVがないもので、テレビドラマ版『逃げるは恥だが役に立つ』未視聴の私、こちらの素晴らしい感想集(以下リンク)を読み、猛烈にドラマが気になってしまったので、一人で観るより他人と感想を語り合いたいと思い逃げ恥鑑賞会をやろうとなりました

twitter.com

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以下、第一回詳細です! 

■日程 5/3(水)

■場所 都内我が家(東西線沿い)

■鑑賞時間 14時~19時(第1話~第6話まで)

※12時~入退場自由

※宿泊可ですが私と夫と添い寝になる可能性あり。要相談

■人数 小規模の予定

※自宅開催ということで初対面の方は要相談、友人の友人経由なら問題なし

■参加費 500円

■夕食付き+適当にお菓子・飲み物・お酒

 

ゆるく性や結婚、生活運営について語れる場になればいいとも思います。

5日前の募集なので、急かと思いますが…

参加希望者は携帯/ツイッター/FBいずれかの手段でメールください〜

 

★タイムスケジュール

各自お昼ご飯食べてきてね

12:00〜13:45 自力で来れる方はチャイム鳴らしてください

13:30 駅集合が良い方は一緒に会場へ

14:00 逃げ恥1話、2話(100分) cdb氏のレビューを片手に

15:40 おやつ休憩

15:50 逃げ恥3話、4話(各45分)

17:20 逃げ恥5話、6話(各45分)

18:50 休憩(夫自家製ご飯が出てくる予定)

19:00 かぐや姫 雨宮まみさんのレビューを片手に

21:30〜22:00 解散予定

 

 

 

閉鎖された豊かさに還っていくあなた、波の音に隠れ夜逃げするわたし

人生で一度だけ、一目惚れした娘に“あなたが好きだ”と告げられ突然押し倒されたことがある

彼女の常軌を逸した行動に大変驚いたのは初めだけ、後は薔薇色の人生だった

彼女の狂気をうつくしいと感じて惹かれたが、自身の狂気にのまれ、対等な人間であることを忘れた私は、負け続け、退行して、原始的な表現しか出来なくなった

花は散る、自身で毟りとってしまったことを五年くらい悔やんだ

異性愛を通過して、社会に染まり、子を宿すあの娘を拒絶するため、わたしは田舎を去った

十年経って、頭から海を被ったような青いドレスに包まれて、あの娘の結婚式に向かった

 

 

五年遅れて、わたしは異性との性交を経験した

その彼の故郷は海が広がっていて

彼の運転する車から眺める海、深い底に向かって一人の女性が立ち尽くしていた

彼女は一歩、また一歩と、海に向かって還っていこうとするかのようで

「あのひと、しんじゃうんだろうか」

「海はそういう人を引き寄せる」

そういって彼は車を前進させた、彼女は遠ざかり、いつしか見えなくなった

 

 

海のない土地にうまれ

毎日布団と共に夜明けに怯え

寂しかったんだ、と気付いても、行く宛てさえなく、だれの寝息さえ聴こえず

あの娘と喧嘩した日、あの娘が私以外に恋した日、あの娘と決別しようと誓った日

わたしだけの海がほしかった

 

 

 

 

  

『あの娘が海辺で踊ってる』 に寄せて

 

前置きはここまでで、本題に

五年前、衝撃のあまり言葉を失った映画、こんな衝動が自分の中にあったのか(確かにあのときあったのだ)と初めて知ることとなった映画が再上映されると聞いて、急遽仕事を休み、上映8時間前、チケットを買うべく東中野に向かったのでした

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この映画に出会ってしまってから、わたしの執着は、この映画に注がれた

 

映画の舞台である熱海に何度も通い、聖地巡礼もどきをした、広げた腕に包みきれないほどの青い海を写真に閉じ込めようとした(けれど決して掌中におさまるものではなかった)

教育実習先が静岡だったので、熱海に宿を借りて一ヶ月間住んだ

映画に使用された音楽を聞きながら、時間さえ余れば、舞うように浜辺を歩いた

熱海の花火大会の日には友達を呼び、みんなで海上花火を眺めた

初鑑賞した夜は渋谷の街灯に同情されるくらい涙をこぼした

この映画が上映されると聞けば、どこへでも旅立てる気になれた

愛知で開催された国際女性映画際に出向き、この映画を観に行った

友人たちに「当時わたしも一緒に観に行ったはずだよ」「私もあなたに誘われて一緒に観に行ったことがある」と言われたが、他人が同席していた記憶がすっぽり頭から抜け落ちていて

誰が一緒に居たかを忘れるほど、映画そのものに惹きこまれて、もぬけの殻で

これはわたしの物語でもある、と思ってしまったのだからしょうがないでしょう

そういって愛する友人に頭を下げるのです

 

 

(以下ネタバレ含みます)

(丸顔で優しそうな女の子が“仏の菅原”、そして彼女と海だけが必要なアイドル志願の舞子)

 

★冒頭のシーン

熱海のジョナサン、異性への恋心を語る同級生に対し

「気持ち悪っ…」

「会いたい会いたいってヤりたいヤりたいってことだから」

「発情してるだけでしょ」

「どうせセックスできた後も、ああ、いつまでできるんだろうと悩むだけ」

と言い放ち、場を凍らせ、同級生を泣かせる舞子

過剰さで周囲を踏みつけ、自ら孤立を選び、嫌われていく舞子

そんな彼女を唯一包み込む、菩薩のような菅原

舞子は菅原だけを欲している、母親を求めるように、恋人のように、魂の片割れかのように

 

 

パピコ

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何度も登場するパピコ、はじめ男性器のメタファーかなと思ったんだけど、男性器というよりも菅原そのものなのだ、パピコは菅原の代替え品なのだ

だから菅原不在のときはパピコを美味しいと吸うのに、菅原に触れられるならパピコは要らないしパピコは不味い(でも間接キスはちゃっかりする)、ポイッと捨てられるくらい無関心だ

 

 

 

★消費されても搾取はされてやらないという少女の自律性

舞子はアイドルになりたいという夢がある、歌わないし踊らない、突っ立っているだけで消費される、それがアイドルだと語る、パ○ュームはやたら身体性を強調しすぎて媚びすぎているけれどA○Bはそれがなくて最高、口パクだからいいんだ、存在しているだけで価値があるから尊いのだと、持論を延々と展開する

だけれど菅原に「私はあなたが一番可愛いよ」と言われなくては意味がない

「菅原も一緒に東京に進学するよね?」

「こんなところにいても来るのは年寄りの観光客だけでスカウトとかもないし」

「写真を撮って芸能事務所に送るから」

「一刻も早くすり減らしてくれないと困るんです」

舞子は、偶像となり都会で無制限に消費されようとする

田舎の情報網の中で物語を紡がれて、地元の人間同士で生殖していくような、平穏で静かな田舎の循環のなかで消費(自尊心を蔑ろにされる消費を搾取と呼ぶのかもしれない)されていくことはまっぴらごめんだけれど、という前提のうえで 

 

 

 

★夜の教室とカメラ

舞子はただひとり愛する菅原だけに消費されたかったかのかもしれない

「(誰もいないこの空間で)私を撮って」という台詞は一世一代の告白だった

「私がアイドルになったらマネージャーになってよ、そしたら養ってあげるから」という台詞は直球すぎるけれど!

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男に心奪われかかっている菅原の腕を力の限り掴み、夜の教室に強引に連れ込む舞子

「孕まされた彼女をどう流産させられるか」と力の限りを尽くす舞子(まるでかつてのわたしで)

軟禁しているかのような狂気、官能的な場面だけど決して結ばれないことは自明で

最後の告白をする、けれど菅原はYESと言わず、ただ沈黙する

彼女は母親でも人形でもなく、意思を持った一人の人間だった、

あなたはわたしの半神ではなかった、

それを真正面から受け入れざるを得ず、背を向けて机の上を駆ける舞子

そしてそこに突っ立ったまま、打ちひしがれる、青白く儚い偶像

(その瞬間たしかに彼女は正真正銘のアイドルになったのだ)

 

 

 

★上京が決まってから

別れの日がはっきりすればするほど、残り時間が迫るほど、未練は募る

パピコが溶けるまで待ち続けても、結局姿を隠してしまうところがいじらしい

今すぐにでも消えてほしい男の手に渡り「墓のお供え物」になってしまった侘び寂びパピコ

出発当日の日、海辺で踊るあの娘と三味線兄弟

「さようなら私のものだったあの人」

ふたりの睫毛を覆う扇子のうつくしさよ!

 

 

 

★余談、副部長の「ハハッ…」

副部長(三味線兄弟)も、舞子と同様に、片割れの一人を失った喪失感に苛まれる

作中二回「ハハッ…」と乾いた笑いをする(特に二回目がひどく切ない)

「このひとを見ていくたびにおれは傷ついていくんだなあ」という声が漏れる

この土地で生きることを選ばず、舞子の後を追うというのは、彼にとって彼女は友人だからで

お互いに喪主同士だからだ

喪失感の共有から始まる友情を、舞子が受け入れるかどうかは謎ではあるけれど

男性の中にも宿る処女性というか、なんというか

この物語のなかで男子はおまけのようでそうでもなかった感じがするんだな

 

 

 

★なにより劇中曲が最高に良い、音楽が総体を引き締め支えていた

隙だらけに思える心地よい映像美、そこに完璧に配置される音と鋭い言葉

監督が、自分と二歳しか違わない、同世代という事実が誇らしく、そしてとても悔しい

2012-05-23 - 音に言葉 - 作曲家 富山優子(監督との出会いについて引用)

あるとき忘年会を兼ねた有志のイベントがあり、当時は毎月のように3曲入りCDを作っていた私はピアノ弾き語りソロで出演しました。演奏が終わってから目をうるうるさせた女の子が声をかけてくれて、『CPU』の入ったCDを買って行きました。

それからしばらくして、そのときの女の子からメールが届きました。いま自主制作映画を作っているので音楽を担当してほしいのと、楽曲を映画内で使わせてほしい。とのことでした。あのとき彼女が目をうるうるさせていた『CPU』を気に入ってくれたんだな、と思い、快諾しました。声をかけてもらって嬉しかったです。それから何度かやりとりをして、劇中内の音楽レコーディングやエンディングテーマ曲を一緒に作っていきました。

そのときに出来た作品が、東京学生映画祭で本選まで進んでいます。すばらしいですね!応援してあげてください。本選上映会には私もおじゃまします。

 

富山優子[私の望み]
ただ祈っていた 薄れてゆくのを
うずくまって 夜を過ごす
ただ祈っていた 忘れること
忘れること 手放すことを
 
呼ぶ声が聞こえた この部屋を出よう
その手触り その姿
そのままに置いてゆこう
新しい朝とひきかえにして
あなたへと向かう 想いが満ちてくる
あなたになりたい
なりたい 私の望み

 

(この曲を聞くと舞子の心情が幾つも想像されてわたしは舞子の代わりに泣いてしまう)

 

このアルバムをBGMにして、今回記事を書きました

(以上、ネタバレおわりです)
  

 

「孕んだら/痴情に溺れたらこの世の終わり」と恨めしがっていた青い時代

「セックスは男のもので女のものじゃない」と勘違いしていた青い時代

でも今はもう、ぐちゃぐちゃとした欲望を許容して、交わりながら経過する

ただただ、“結婚おめでとう”と叫びたい、舞い戻ってくるものたちを抱えて叫びたい

(閉鎖された豊かさに還っていくあなた、波の音に隠れ夜逃げするわたし) 

 添い寝が約束されて、おとなになって、もう夜明けに恐怖がなくなって

この先もう、ほしいものは何もないと思ったけれど

この映画だけは、生涯追い続けたいなと思う

ああ、今、この作品に再会できて本当によかったな、本当によかった

 山戸「女性は生まれたらまず母親が好きなはずなんですが、その後、必ず”とっておきの女の人”に出会うんです。恋愛というような名前もついてなくて、その段階にあることを、女性のこととして”処女”と表現した。そういう試みでもあったんです。」

 

 

バッド・フェミニストとセックスワークのイベントに行った@本郷三丁目

鳥飼茜先生が描く、孤独な女同士の同居生活『地獄のガールフレンド』の最終巻が先週発売された。連載当初のインタビュー*1でもこんなことが書かれていたので印象的だった。

“女友だちいらない”って決めた。それ、1話の冒頭に描きましたね。そこから女の人と距離を取って生きるようになったんです。距離を取ったほうが友だちになりやすい。結びあえるときに結ばれればいい。いらない時はいらないという距離をとってつきあえば楽だと気づいたんですね。なので、マンガのなかでも徹底的にそうしてます。

 

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もうひとつ、 『先生の白い嘘』という漫画(連載中)でのインタビュー記事も読み応えたっぷりだ。これです!

いちいち「この人にレイプされるかもしれない」と思ってたらやっていけないから、当然ながら「男女は関係ない、相手を信頼している」ってことにしている。そうやっているうちにいろんなものが「なかったこと」になっていくような危機感があるんです。性被害とか性差別とか。それは女性から男性へのものも含めて。

でも実際にそういう被害は存在しているし、信頼ベースじゃないと進まないところにつけ込んでくる人もいるから、それをないことにしたままで「抑圧から完全に解放された」みたいな時代を迎えることは期待できないです。 

鳥飼先生って、「性」について、どちらかの性別だけにとりわけ甘い蜜を与えるわけでもなく、かといって厳しすぎもせず、きわどいながらも目を逸らしてはいけない話題を、近所のお姉さん的なポジションで気さくに問いかける人って感じがする。「男と女がどうやって共生していけるか」についてオリジナルな表現で鋭く見つめる、可能性に富んだ漫画家だと思うのです。 

 

 

異性に対してはっきり「違う」と物申せない自分にモヤっとするとき

『地獄のガールフレンド』最終巻で、こんなシーンがある。

可愛い自分が大好きで常時モテモテでビッチな女性、「奈央さん」に対して、「得してるんだから、嫌な目にあっても自業自得な部分もあるよね」とさらっと言う「石原くん」の回。

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(続きは是非読んでみてください!「奈央」さんの「嫌な目に遭ってもビッチで可愛い私を変えることはない」という逞しさが格好いいのと、女友達が正しさでは測れない彼女の魅力を全肯定するという流れが◎)

 

性被害の自己責任論を唱える人(被害者にも落ち度が…と繰り返す人)は性別問わず居るものなので、男性に限られた話ではない。ただ、性別が違うと、気づきにくい面や共感できない面があることも確かではある。「正論」「理屈」だけでは簡単に片付けられない(片付けてはいけない)「社会的性差」「背景」「感情」そして「被害者支援の在り方」というものがある。

異性に対して、同性以上に、「どう伝えても伝わらないから、笑って/黙って済ませた」みたいな経験を持つ人は多いかもしれない。たとえば職場で「これはセクハラっぽいな」「イヤな扱いだな」と思う場面でも、はっきり「それは違うと思います」と、怒れずに、曖昧に対応してしまった経験はわりとあるんじゃないかなと思う。

 

 

そんな中、こんな機会に恵まれて少しほっとできた。

今週金曜日に参加したイベント。

LOVE PIECE CLUB - トークイベント - 【3月ワークショップ】野中モモさん×ラブピースクラブ『バッド・フェミニスト』出版記念リーディングトーク

バッド・フェミニスト。ネットでも話題になったからご存知の方もいることでしょう。

ピンクが好きだし男も好き…。フェミニストなのに女性蔑視な歌詞が多いヒップホップをつい楽しんでしまう…。そうした矛盾も引き受けて尚、「私はこういう立場を取る」と態度をあらわにしています。その勇気!

フェミニストらしからぬからといって主張を引っ込めるのではなく、矛盾を認めながらもフェミニストであることを掲げる、だから、「バッド・フェミニスト」。

フェミニズムフェミニストに対して、「こうであらねばならない」と貼られるレッテルや過度な期待は、社会に根強くあります。ひょっとしたら、ときには、自分自身の中にも。しかし『バッド・フェミニスト』冒頭で著者はこう言います。「フェミニズムが完璧でないのだとしたら、それが人々による運動だからであって、人々にはどうしたって欠陥があるのです」。

矛盾を否定するのではなく完璧ではない自分や他人を受け入れ、分断を乗り越えることを目指す『バッド・フェミニスト』は、わたしたちが連帯し、力をつけることを応援してくれます。

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このイベントで、「自分がバッド・フェミニストだと感じる時について語る」というグループワークがあって、席の近い5〜6人が匿名で語り合うという時間があった。

フェミニズムについての勉強が不十分だから名乗っちゃいけない気がする(二波とか三波とかわからない)(フェミの定義さえわからない)」「(男性への服従と呼ばれやすい価値観があるので)フェラを乗り気でしたい時に少しモヤっとする」「結婚や出産の話題が振られて女性差別的だと感じても怒れずに見過ごしてしまう」「他人からフェミニストだと思われることに抵抗がある」etc…

 色んな方が、「フェミニズム的な考えを支持したいけど、自分はフェミニスト像とはかけはなれているんじゃないか」という葛藤や悩みを持っていることがわかって、「お互いに、完璧ではないことや矛盾も受け入れあって連帯していけるかも」という希望的観測を抱ける時間が、心地のよいものだった。

こういう機会が多くあれば、鳥飼茜先生が描いた『地獄のガールフレンド』のように、「持っているものや立場は違うけれど、どうしても男性とはわかりあえない部分があって、そこを女同士で愚痴りあえて、いざというとき助け合える空間」が発展していけるかもしれないなと思った。

 

 

しかし、性的決定権や性労働の話題になると、女性同士でも結構分断されている感がある…。

続けて、今日はこのイベントに参加

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講演会「セックスワーカーの安全、健康、権利――オーストラリアとアメリカの運動から」3月18日大阪・19日東京開催 | SWASH

五年前、大学学生時代の私は、セックスワーカーに対して偏見だらけだった(今無いとは決して言い切れないけど、昔はもっとダメだった。「当事者抜き」で物事を考えて「風俗はセーフティネットで必要悪(福祉で救済)」「望んで働いている人はいない(問題が解決されて他の労働が見つかれば皆辞めるだろう)」みたいな意識があって、無知のまま勝手な憶測で他人を乱暴に語っていた。*2

 

しかし、「権利」っていわゆる道徳や文化・価値観とは別のものなんだ。事情や背景は人それぞれだけど、それを引き受けた上で、性について自分で決めることは、その人の権利なんだ。だれとセックスしようと、セックスで稼ごうと、双方に合意があって、その人の意思によるものであれば、だれかにとやかく言われる筋合いはないし罰せられるのはおかしいこと(同時に、どんな状況であれ合意がなければ性暴力)なんだ。

自分が性に対して真正面から向きあえるようになってから、それにようやく気付けた。

性労働自体が悪いこと、早く脱出するべき、という保護の視点じゃなくて、劣悪な労働環境によって起こる暴力や犯罪を防ぐという労働者の権利の視点が必要なんだということ。他の労働者と同じく「自身の心身を守れて安全に働けること」「無理だと感じたら転職できること」「不当な扱いをされたらそれを訴えられて社会が一緒に怒ってくれること」が求められている。

 

「風俗の仕事は、技術が要るぶん、面白いよー」「妻が風俗嬢ってめっちゃいいじゃんね」と語る現役セックスワーカーの友人の明るい表情に憧れるようになった。他の労働同様に、やりがいもあれば、ポジティブな経験の引き出しだってたくさんあるんだよね。

 

「児童との性交渉(買い手と年齢や立場の差が大きい場合=明らかに合意形成が難しい)」「搾取」「暴力」はNGだという共通認識はあるかもしれない。(性被害者のケアが優先で大前提だともちゃんと前置きがあったうえで強調されていたが、)ただ、すべてのセックスワーカーが「自己決定できない可哀想な被害者」では決して無い、ということは認識差が大きい。自分の意思で性労働を選ぶ人だっている。そんな「自己決定して従事している当事者」にも、労働者として、人間として、安全と健康が守られる権利があること。それが理解されず対立が生まれることもある。被害の大きさやその人の心情を、支援が必要かどうかを、第三者がジャッジしてしまうことは大変危ういことだ。

(って私が言わなくても多くの人が指摘していることだけど。)

 

 

また、講演の中で、ポルノを「汚いもの」「恥ずかしいもの」「女性が虐げられるもの」「オナニー目的のもの」と毛嫌いしまう人もいると思うけど、「マイノリティな性指向/性嗜好を持つ人をサポートするもの」という見方もあるんだよ〜!!という話も良かった。それに、『ポルノが自分を貶めない』と思えれば、ポルノを楽しみたい女性はいる。「(女性への暴行が強調されない)女性向けポルノ」「(当事者が製作する)トランスジェンダー向けポルノ」も登場しているという話もあった。

「欲望への権利を誰もが持っている」「他人の欲望を自分の道徳観や価値観で否定してしまうことは危険」「性に関してポジティブ*3な環境がなければ自由に性を語れない。性暴力被害者にとっても沈黙を破れる環境がエンパワメントに繋がる」という部分も良かった。

 

 

性労働の非刑罰化が主流になっていくか

また、『性労働が刑罰化』されてしまうほど、セックスワーカー自身の安全が脅かされてしまうよねっという点が改めて語られていた。

内容は以下参照。

非犯罪化というモデルは、セックスワーカーの権利の保護を強化しやすい。具体的には、
・保健医療へのアクセス
・犯罪行為を受けたときに、警察などへの被害の届け出ができる
・安全性を高めるために、セックスワーカーが団結したり、一緒に働いたりできる
・家族が、セックスワークでの稼ぎに依存することで罪を問われないという安心感を得る

買春側も処罰の対象としない、という部分は、セックスワーカーを守るために、である。はっきりしておきたいのは、いかなるセックスも同意がなければならないということだ。権利としてセックスを要求することは、誰にも許されない。

 

 

 

さいごに、性産業で働く人を支援したいと考えている人へ是非読んで欲しい記事

 当事者やアライとして活動する人々の、力強い言葉に学ばされる機会が本当に多い。

素晴らしい記事をシェアします✨

 

 左が、貧困とかのネガティブな動機のセックスワーカー、一緒くたの考え方です。右が、労働環境や労働条件の改善によって搾取とリスクをなくすという考え方。

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前者だと、とにかくセックスワークをしなくて済むようにすることが主眼に置かれます。夜の仕事関係の人間関係しかないのは関係性の貧しい人々だとみなす考え方です。

後者の考え方であれば、性産業内での搾取や暴力をなくすことに主眼を置きますので、当然、夜の仕事関係者の多様性の広がりや、社会関係資本に開かれた業界を目指すことになります。

それから、これもよくある見方として、風俗をいやいやしている人が辞めれるようにとか、好きでやってる人は別にいいけど、みたいな見方があります。これも働いている人を二分する考え方でよくないと思います。

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実際には一般的な労働者がそうであるように、セックスワーカーも可変性のあるモチベーションです。

 

 

 

 

"自分が「生きるか死ぬかの苦境でなければ選択肢にのぼらないだろう」という偏見をセックスワークに対して持っていたのではないか。数多くある職業の中で特にセックスワークばかりが「なぜその職業を選んだのか」を問われ語られること自体が、セックスワークを他労働と分断し差別的に扱うことだった"

 

  

経験のあるなしに関わらず、すべての人はセックスワークに従事しうる―。

セックスワーカーの支援は、セックスワーカー自身によってつくられてきた。セックスワーカーでない支援者は、まずかれらの蓄積に敬意を払い学ぶ必要がある。  セックスワーカーにはさまざまな人がいる。プロ意識がある人もない人も、経済的に困難な人もそうではなく見える人も、心理的に落ち着いている人も取り乱している人も。「無防備」に見える人の心の中で何が起きているのかはわからない。大事なのは、その人の力を奪わず、よりよい支援を目指すことだ。

   

“ 「売春は悪くないけど買春はダメ」論に“イイネ!”していた私が、「買春者も罰しない形でのセックスワーカーの非犯罪化が現状ベスト」と思うようになるまでに考えたこと”

 

 

 

以上、おすすめエントリでした。他にも素晴らしい活動されている人や記事がたくさんあるので事ある毎に紹介していけたらと思います。

充実した週末だったな〜明日から仕事行きたくないな〜(お手上げ)

*1:『地獄のガールフレンド』鳥飼 茜インタビュー 女子ってなんか、めんどくさい。でも女子ってなんか、にくめない!  |  このマンガがすごい!WEB

*2:本当に本当に恥ずかしい過去だ

*3:セックスポジティブ=セックスは素晴らしいからセックスしよう!!ではなく、性や欲望をネガテイブに捉えないこと(性嫌悪の人を敵対視することではない。性嫌悪に至る辛い経験をした人を分断するのは間違いだと思う)、セックスをしないという選択も含め性に関して主体的に決められること、自分の選択に責任を持てること