人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

すこやかにやめる

半年前に転職先が決まって、早めに上司に相談して、同僚にも先月ついに報告をして、そろそろ有給消化に入る。その前に職場の皆にお礼をしたいと思って一言ずつ手紙を認め、焼き菓子と一緒に渡すことにした。就職して二年も経たないうちに五回引っ越しをしたものだから、はじめ住んでいた街の印象は薄らいでしまった。あの街には美味しいパティスリーがあって、看板印として掲げられた、海のように青い旗を眺めて通勤していたっけ。そんなことを思い出し、大きな橋を渡り、久々に東京湾の先の観覧車を眺め、青い旗まで自転車を走らせ、フィナンシェを調達した。クリスマスの時期なのでお目当ての商品がほとんど売り切れてしまっていた。

体裁を保つこと、社交辞令を時と場合に使い分けることで守られる世界がある。くだらないけど、必要なことなので、そういった儀礼的場面ではそこそこ役割を演じられると良いと思っている。学生時代、教育実習先の高校生に貰った色紙は全員分の言葉を読んだ後きれいさっぱり燃やしてしまったし、贈られた花束もすぐにゴミ箱に捨ててしまった。ほんの十四日間だけ私(教育実習生)と接した高校生側だって私の言葉を真に受けてはいなかっただろうし、昂ぶった表情は失笑ものだったと思う。それに、その時みずみずしく放たれた「先生、大好き」「先生、また会おうね」という言葉を保てること、たとえそれが一年であっても半年であっても―それは至難の業だと思う。人の感情は移りゆく。あっという間にすべてが過去となる。じゃがりこ三十個と自らの脇毛と鼻毛を渡してくれた子らのことはよく覚えているけど、連絡を取り合うほどの関係性には至らなかった。双方が「あんなこともあったかな」と取るに足らない曖昧さで、都合のよい綺麗な記憶として刻み込めれば上出来じゃないの。そんなことをいうと不満気にため息をつく人もいるけれど、私はそういう関係性も好きだよ。職場の人とも、この先、強烈に互いを懐かしむことも、連絡を取り続けることもきっと無いと思うけれど、働きやすい環境や連携体制を整えてくれたことに強く感謝しているし、あたたかく接してくださった感触が残るので、今はただ、なにか形にしたいと思って、そそくさと、手紙を菓子と一緒にラッピングする夜なのです。

手紙は読まれたら捨てられる前提で書く。十年後に「あの時の手紙だよ」と持ちだされても「そんなの知らないよ」と他人のふりをしてしまう自分を想像する。そもそも、過去の自分が何を書いたか思い出せない。その瞬間はとても切実な事実だったはずなのに、相手の身体に渡れば、その事実がどこかへ行ってしまう。そんな風に、私の言葉というものは、無責任で、軽やかで、時と共に変形していってしまうのに、時に、相手の掌中に残り続ける呪いとなることもあるから大変恐ろしいものだなと思う。一方的に存在を押し付けてひょいと逃げてしまうというのも姑息だなと思って、美味しいお菓子を添えた。包み紙と一緒に手紙が捨てられ同時に私も忘れ去られることを、ひそかに期待している。捨てられない手紙の束を眺めると、思春期の自分がひょっこり顔を出す、なんでかな、照れてしまいそうになる。できれば他人のそれも知らずにいたいなと思う。そんな自分勝手な感情ばかりが最近の私を支配しているのを自覚する、嫌な年のとり方をしてしまったな。

転職自体には不安も大きい。今の仕事とは少しリンクもするけど、立場が全然違う。責任も問われやすくなるだろう。『何事も、病まずにやめたい。自分で考えて、自分の意志で選びたい』ということが根底が揺るがないようにしたい。しかし、周囲を見渡すと、労働の中で病みそうになっている友達をちらほら見かける。様々な背景があるんだろう、それでも、自分の心身を一切自分でコントロールできなくなる状態がいかにしんどいことかを伝えたい。一度病んでしまうと、持ち直すのに想定外の時間がかかる。想定外だからこそ、ショックも大きいし、周囲の力が必要になるし、自身の根気が必要になる。肉体を失わない限り、人はいくらでもやり直せる。それは事実だけど、もし死んでしまったら、一度身体を失ってしまったら、残念ながら、やり直せない。必然に感じる意志や生活があってこそ働いている人はいるだろう、しかし後先考えず、まずは自身の心身を守ってほしい。

私自身も、すこやかにやめる=すこやかに選ぶ。転職後もそれを徹底して、やっていけたらなと思います。あまりの激務でSOSさえ言えなくなってたらお願い助けてね。

来年の抱負といえば、適当なタイミングで文章を残せたらということくらいかな(主にブログに移行したい)。のんびりと呼吸をしてがんばっていけたらなと思います。

擬態して生きる

いつの時代も、健やかな人に見えながら健やかでない自分と共に生きている人間なんてごまんといる。こう在りたいという意思の先に形成される「わたし」と、内側にいる等身大の「わたし」が乖離していることは、ちっともおかしな話ではない。口先と行動を一致させられる人間のほうが遥かに少ない。理想と現実を一致させられる人間のほうが遥かに少ない。自分にとって視えている世界なんてほんとうに狭い。自分の知らなかった、とある場面で/とある状況で/とある関係性において、想像したことのない他者が抱えている未知の世界そして文脈が広がっていることは当然のことだろう。

親しい友人から立て続けに人生相談のような連絡が入り、「うんうん」と聞いていたんだけど、それはそれは鏡に映し出されるかのように、自身にもはね返ってくる時間が生まれてしまって、少しうんざりしている。それを愚痴るのに適当な誰かも居ないしそもそも大した話でもないので、ブログに吐き出すとします。

私は人生で二度、「カウンセリング」というものを受けたことがある。結果、心療内科・精神科の世話にはならず、向精神薬を処方されたこともない。はじめのカウンセリング経験は、高校三年生の冬。誤魔化しつつ器用に生きているつもりだったけど所詮子どもだったので教師に見抜かれ勝手にカウンセリングの予約を入れられていた。高校には常勤の臨床心理士ソーシャルワーカーはおらず、不定期に専門相談が実施されていた。ちょうど一年前に別れた元カレも同じ日にカウンセリングを教師によって勝手に予約されており、似た者同士かよと内心笑ってしまったことを覚えている。当日は会議室のようなところに呼ばれ、「最近どうですか」みたいな質問からはじまった。特に話したいこともなく愚痴をちょこっと吐いて終わった。当時受験期だというのに父親が脳梗塞で倒れたり祖母が暴れたりで少々疲れていたが、具体的な話は出来なかった。

二度目のカウンセリング体験は大学三年生の夏だったと思う。バイト先で性暴力に遭い、ぼろぼろになっていたが、二年年経ち少しずつ回復してきた気がしたので自身で学内相談室でのカウンセリングを予約した。そこで、手頃な心療内科か精神科を紹介してもらおうと思った。当日現れた臨床心理士車いすユーザーの男性だった。ピア的臨床が展開されそうで経験豊富な第一印象もあり期待した。けれど結局「あなたのような健康な人は、うん、大丈夫ですよ」といわれて終了した。「あれ、こんなもんか」と思った。「被害者支援センターによる電話相談」的な機関に頼ってみたときも、まったくの手応え無しだったことを思い出して納得した。擬態が巧いだけのキメラ(のような私)でも、「支援者」からすると、微笑ましいくらい前向きで逞しいヒトにみえるらしいのだ。しかしあちらの都合で一方的に解決させてほしくなかった。せめて専門職であるならば、時間をかけて私との関係性を築き、「あなたが何者であっても構わない」「話したくなったときにいつでも来てほしい」と私を待っていてほしかった、ただその一言が欲しかったのだ。遅くはなったが、それに今日やっと気付いて腑に落ちるしかなかった。結局私は専門家に頼らず(頼ることが出来ず)、非専門家である人達の何気ない言動に支えられながら、自己治癒に臨んだのだと思う。それはそれで一つの才能というか自身の誇るべき長所でもあったと思う。しかし、もっと早く専門家が私の傷みと怒りに気付いてくれたなら、民事裁判まで間に合ったのかなとも思う。矛先を第三者に向けても無駄だとはわかっているのに、藁にも縋りたいとはこういうことなんだろう。他人のせいにはしたくないのに、でもそうしたがる、そんな自分が情けない。

 

最後に足掻いたのは今年の夏(二十五歳手前だった)。法テラスの無料電話相談を使って、過去をどうにかできないものか、光が差し込まないものかと挑み、言葉を連ねた。語りの途中で、胸の中がぐっちゃぐちゃになって、呼吸が苦しくなって、一切抑制が効かず、どうなることかと思った。そこで対応してくださった女性らしき人の声が、その応答が、あまりに完璧だったのでとても驚いていた。言葉それ自体は覚えていないんだけど、とにかく完璧だった。電話越しに、出会って3分も経っていないのにかかわらず寄り添い(それがほんとうに適切な距離感で)、残念ながら時効が来てしまいもう手がないこと(限界の提示)、それでも辛い時のための相談機関があるということ(逃げ道となる情報の提供)、穏やかで冷静な声が淡々と耳に響いた。お顔も拝見したことのないその方に、具体的な背景も一切語っていないのに、心が抱きしめられた気がして、わんわん泣いた。

この経験と、かつてのカウンセリング経験の違いはなんなのだろう。その答え合わせはまだまだ出来そうにないんだけど、自分も歳を取りながら、いつか、彼女のような、あの声色を持てる人間になりたいと強く思う。とりあえずそれを目標に生きていけるよう、ちょっとずつでいいから頑張りたい。自分を生き切ること、自由で在り続けること。先日逝去された雨宮まみさんの生み出した、宝石のような言葉を思い出しながらそんな決意をする。

「ただ私自身として生きたい。(中略)立場で生きるのではなく、意志で生きることだけが、人生を輝かせるのだと、私は思っています。」(『女の子よ銃を取れ』より)

平均顔女が豊かに生きていくということ

東京タラレバ娘の最新刊を買ったぞい

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本編については語る気はない。そして「東村アキコ」という文字を眺めるたびに、この人は漫画家が天職なんや〜才能や〜才能の塊や〜!!!という感想しか抱かない。

そして今回面白かったのは巻末タラレBar(東村先生が悩める子羊の恋愛相談に乗るというか辛辣にぶった斬るという企画)

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「本当はアイドルとかタレントになりたかった病の人」「自分は普通の女の子より可愛くて魅力的なはず」という自意識から男性にチヤホヤされる遊び(男性を自分の価値を確認させてくれる道具扱いする)(男性側の気持ちは一切無視)をこじらせてメンヘラっぽくなって彼女持ち男とエッチしまくるけど最終的には35歳くらいでどうでもいい男と結婚するって話

ある!ある!ってなったわ

東村先生は「こういう女の子、全国にいっぱいいる。」とさらに突っ込んでて笑った

周囲を見渡しても、たとえば大きな世界で活躍している女性は顔だけじゃない美しさや自分の武器をちゃんと持ってるし、たとえば自分の可愛さを賢く理解している女性は「私はいま若いから勝ててるだけ」「あと3年したらこの(顔面を売りにする)戦略じゃ、やっていけない」といってキラキラ遊ぶ傍ら、コツコツと資格取得の勉強してる。そういう友達が年齢問わずいるけど個人的に大好きだなって思う。私は男性以上に女性(心身問わず)が大好きで、女性であれば誰とでもフレンドリーだし性悪の強かな女性とか好みなんだけど、「35歳くらいでどうでもいい男と結婚する」タイプの人とはあんまり仲良くなれない傾向にある。オタサーの姫のような(自分以外の女を利益を奪う危険性があると一方的に認識して敵対視してくる)女性とは仲良くなれない(仲良くしてもらえない)。すべての女性LOVEな私としては、ほんとうに残念である。

 

中途半端に可愛い云々といえば2年前にこんな記事かいた

要約「チヤホヤして可愛がっているように見えて実際はあなたを玩具扱いしている“環境”に依存するとしんどいからやめろ(殴り返す力があるなら話は別)」です

 “中途半端に顔がいいと、対人関係がうまくいかない原因である内面をフォーカスしないまま、とりあえず、ちやほやしてくる人が現れ、なんとなく生きていけちゃった系みたいになる(残念ながら、歳を重ねるたびになんとかならなくなる)。また、あわよくば、と性的対象にもされやすいし、顔目当てで寄ってきた奴に「期待通りの人じゃない」と勝手に突き放されることもあるようだ。いい迷惑である。”

“顔面至上主義な価値観を持つ人にとっては他者を「かわいい・美人・イケメン」などと褒めることは全く悪いことではないらしい。単に思ったから、褒めているだけだという。ただ、「美しさは長所の一つ(他にも自分は素晴らしいところがいっぱいある)。ありがと!」とさらっと受け止められる人なら問題ないが、自尊感情が低い人の場合、その人が「容姿」に自分の価値の唯一を押し込んでしまう危険性があるんじゃないか?ある程度の年齢までなら市場価値としての「容姿」は充足されるが、人はかならず老いる。それ以降、どう生きていくか。他者に承認され難くなった「私」はどう生きていけばいいのか、どんな「私」であればいいのか、露頭に迷ってしまわないだろうか。”

 

あと性犯罪で被害者の外見を強調するのはアカンとも2年前に書いてた(同様に加害者の外見を強調するのももちろんNG。なぜかというと、偏見につながるから)

“美人=女性として魅力的=狙われやすいから仕方ないことだったんだよ=元気だして☆は決して正解じゃないのに、あたかも常套句のように囁かれる。これじゃ誰も「被害に遭いました」だなんて名乗り出れない。再度傷つくだけだもの。被害の原因を詮索されることなく、「つらかったね」「あなたは悪くない」と、ただあなたが寄り添ってくれたなら、どれだけ救われるか。”

 

このタラレBarの相談を読んで思い出したのは、2年前、恋人を寝取られたこと笑。しかも相手の女性と友好的でいられる浮気じゃなくて、敵対視される浮気だったのでしんどかった(友好的な浮気ってなんだよwって思うかもだけどとりあえずスルーでw)。セックスすることで恋愛感情や独占欲が出てきちゃうタイプの女性がパートナーの浮気相手だと泥沼ですね(粘着系女だと判断できないパートナーがむしろ残念ですね)。かなり面倒臭かった。私は浮気自体はそこまでダメージない(むしろ性的独占を約束することが無理)けど、そこでトラブって「生活が崩される」と暴れて凶器を持ちだしてしまうので、自分自身もつらかった。1年半で引っ越し5回もしたし。しかしその寝取りレディには「35歳くらいでどうでもいい男と結婚する女」でいてほしくないと思ってる。自分の納得のいくパートナーと非暴力的な関係を築いて幸せになっててほしい。性別とか顔とか性的価値にとらわれすぎると加齢で詰むので、人生豊かに生きれる方法を模索してほしい。もう二度と会うことはないんだろうけど。平均顔女という言葉は罵りだったんだろうけど、賛辞と解釈しちゃう。自分の限界を冷静に見極めて、他人を信頼して、お互いに自覚して利用しあう力を磨けば、そこそこやっていける。コンテンツ性の低い、沈黙の多い人生に移行し始めているなと思う。かつての性暴力被害から回復できなくてもいい、ただ、少しずつ解放されること(「魔術的な共同性/加害者との二者関係」から抜け出して自分の時間を生きること)。いつ死ぬかわからないけど死ぬまで歩いていかないと。添い寝しながら踊っていこう。女の身体で。そんなことを思う。

 


 

 

 

 

「私を、あなたの眼にかなう抽象的な存在にしないで」

『私は常に当事者でありたかった。情報で知り、解析によってその事象を仮体験するのではなく常にその場に居て、実体験すること。自分を好奇心の向こう側にむりやり越えさせる唯一の手段。そこで勝ち得た情報だけが、私の細胞内に永遠にとどまることが出来るのだ。…

ヴァーチャル・リアリティは、当事者たりえなかった好奇心旺盛な永遠の少年、少女たちが一生つぶやきを続ける呪文のようなもので、それが真のリアリティとなって眼目に拡がることを望んでいる人が一体、何人いるであろうか。そのリアリティーを享受するときが我々が少年、少女であることをやめる瞬間なのであろうか。もし少年、少女が世界に対して遅れた人々であり、当事者になることが出来ないでいるアーティストの像と重なるのなら、私はなんとかもがいて大人になりたいのだ。表現の自由って本当に無責任で、時代遅れの言葉だと思う。アーティストは愛を語る人ではなく、愛そのものでなければならない。そしてそのために払わなければならない代償もはかりしれない。(古橋悌二)』

 

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 今日は学習院大学で行われた上映会(下記参照)に足を運んだ。思いがけない、思いがけない貴重な体験をさせてもらった。

パフォーマンス《S/N》初演の94年、当時私は3歳。20年以上も前に、関西でこのような素晴らしいアーティストが活躍していたなんてと驚いた、もっともっと知りたいと、憧れを抱いた……。

◆『S/N』は、京都を拠点とするアーティスト・グループ「ダムタイプ」が1990年代前半に展開したプロジェクトである。1992年、中心メンバーのひとりであった古橋悌二HIV陽性者そしてゲイであることをカムアウトしたことを機に始まった同プロジェクトは、セミナーショー、パフォーマンス、インスタレーション、本やCD制作へと展開。セクシュアリティアイデンティティ、個人と社会、愛と性、生と死などにダイレクトに言及し、波紋を投げかけた。
 パフォーマンス『S/N』はダムタイプのメンバーでもある高谷史郎の編集により映像化された。今回はこの映像版を上映するとともに、出演者のひとり、ブブ・ド・ラ・マドレーヌ氏のトークも行う。
【ゲスト】ブブ・ド・ラ・マドレーヌ:1961年大阪生まれ。アーティスト。時々ドラァグクイーン。90年代より国内外でパフォーマンスや映像、テキスト、ドローイング作品等を制作。dumb typeのパフォーマンス《S/N》(1994-96)に出演。同時にHIV/エイズと共に生きる人やセックスワーカーの健康や人権についての市民運動に携わる。1993年から2006年頃までセックスワークに従事。
 OTA FINE ARTS Home Page ; http://www.otafinearts.com/ja/artists/bubu-de-la-madeleine/
【聞き手】
 溝口彰子(学習院大学 身体表象文化学専攻 非常勤講師)

 上映会には、学生さんも沢山いて、ほぼ満員の教室で配布されたレジュメは、古橋悌二氏が自らが同性愛者でありHIV陽性者であるとカミングアウトの為に用いた手紙である『古橋悌二の新しい人生ーLIFE WITH VIRUS HIV感染を祝って』。

“真の友人様へ”という宛名で、手紙は綴られる。

「死というすべての人間にとって唯一の現実をポケットにしまいながら、今までの私は何が現実で何が非現実かはっきりしないまま彷徨っていた。芸術表現というありとあらゆる非現実の複合体の最大限の創造をもってぎりぎり私はこのポケットの中の現実の重みに耐える事が出来る。
 ある細胞が私の肉体を守ってくれている。ならば私の精神を守ってくれているのは創造力と愛だと思う。私の細胞がVIRUSを許容しているように、私は想像力と愛であらゆる人を許容したい。」(memorandum「#2 letters」より)

 かつては不治の病とされていたエイズ後天性免疫不全症候群)は、1996年を境に、新薬の成果あって死亡数が激減した。現在では医療技術が進み、死に直結する病気ではなくなった。発症前の早期発見と薬物療法により、長生きできるし、今までと同様の生活ができる(セーファ―セックスで性生活も持続できる)※補足*1

 しかし、古橋氏がエイズを発症したのは92年。つまり、死が確実に彼を待ちかまえていた。カムアウトされた友人たちも、彼の未来を受け入れ、その上で今まで同様にアート活動を続けた。そこで生まれたのがこの作品、パフォーマンス《S/N》である!

世の中にあふれるラブソングが、愛や性の形を固定化する中で、自分(たち)の在り方を問う勇気を、正しい知識を更新する勇気を持てるだろうか。「同性愛者」「障害者」「非白人」「セックスワーカー」という“レッテル”を自ら掲げて登場する人々によって、レッテルはポジティブに主体的に貼り替えることだってできる、という解釈が生まれる。ろう者(Deaf)であるメンバーが「(私を)あなたの眼にかなう抽象的な存在にしないで」と音声言語で綴る。そしてゲイでありエイズで亡くなった哲学者ミシェル・フーコー*2の「同性愛者かを見極める必要性はない。友情関係こそが問題なのだ」という言葉が舞台に響く…。

「私はあなたの愛に依存しない。私はあなたとの愛を発明するのだ」

「私はあなたの性に依存しない。私はあなたとの性を発明するのだ」

「私はあなたの死に依存しない。私はあなたとの死を発明するのだ」

「私はあなたの生に依存しない。私はあなたとの生を発明するのだ」

思わず手帳に殴り書きしてしまった。私が日頃悩み続けている、性的主体性やパートナーシップの答えそのものだと思った。自分と異なる他者とどうやってオリジナルな生活を、未来を、関係性を切り拓いていくか。諦めず、対等な関係性を模索し続けること…

 上映後、ブブ氏によるトークショーでは、当時の状況、「ダムタイプ」結成について、作品の補足説明、メンバーへの信頼と愛、作品が出来るまでのプロセス(脚本や衣装など役割を固定せず常にローテーションさせることで多様な価値観を活かした面白いものができるなど)、舞台演出についてなど、拝聴できてとても充実した3時間だった。

う〜〜〜〜〜文章では感動を表現できないので…是非みなさん観に行ってみて!!というかんじです!!

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 ◆10月10日追記:素晴らしい記事を拝見したので紹介します 

BuBu 悌二との関係が私の人生にあまりにも大きな影響を及ぼしているので、一体それが何だったのかということを言語化することに、かなり時間を要とするという気がしています。恋人ともいえないし、親友、パートナーといっても漠然としているし、私たちの関係を表す言葉が無かったんですね。彼が男で私が女、彼がゲイで私がヘテロセクシャルで、そういうふたりの関係というのは、ふたりでつくるしかない。悌二がHIV陽性だとわかった直後に風俗の仕事を始めました。最初はHIV陽性の人専門の売春婦になりたいと思ったんです。性的に他者と触れ合うことが、その人の生命力にいかに影響するかということを私はそれまでの人生で学んでいたから。HIVに感染したからといってセックスを禁じる今の社会は本末転倒だと思ったんですね。身体的にも精神的にもしんどい時こそ、専門家というかプロによる全面的なケアが必要だと考えました。社会福祉の進んだ北欧の国では、身体障碍者専門の売春婦がいるという話を聞いていたし、そういうことの必要性を感じて、それが私にできることであればしたいと思ったんですね。

 

  

いま生きる日常の中で性的に脅かされず

自らの選択肢を持てること

セックスワーク*3に従事していたメンバーがこう語る場面がある。「人を喜ばせるのが好きだからこの仕事を選んだ」「初めて自分が“体を売った”と感じたのは、結婚後だった。したくないセックスだったのに、夫にしたくないと言えなくて、夫もそれに気づかなかった。この関係性を自覚したときだった」

性に関することーー。この作品には、性労働者への偏見(リンク先参照)、性的場面で嫌だと言えない状況、パートナー間の性暴力(親密であるはずの相手との関係性の貧しさ/非対等さ)の問題もはっきりと提示されている。芸術でしかできない訴え方があった。

 

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会場を出て、目白駅から高田馬場駅まで歩いた。途中でブックオフがあったので店内を見渡すと、セクマイ当事者間で話題になっていた漫画を発見した(買った)

この前ロースクールで男性同性愛者の学生が自死してしまったことは記憶に新しい(この漫画の主人公も似た状況だったけど自分を受け入れてくれる居場所が出来て助かった)。今日の上映会の質疑応答でも、「性的少数者が生きやすい時代になったのだろうか?」というニュアンスの質問があった。アメリカでの同性婚可決。パートナーシップ条例を導入する都市、同性配偶者を認める企業も増えている。ネットを探せばLGBTについての情報が得れるし仲間も見つけられる時代。表面上は先進しているかのように見える。ただ、学校・職場・家庭…そういった日常生活が営まれる場所で、根強い偏見は変わらず残っていて、自分を偽って生きている/カムアウトを強制させられる状況の人がいる。「あなた異性愛者なの?」という質問を興味津々でぶつけられる人がいないように、同性愛者に対しても同様な社会であってほしい。悪気のない、無知による発言に心折られる日もある。性的多様性が認められる社会には、まだまだなっていないと私は思う。いま生きる日常の中で性的に脅かされず自分の選択肢を持てること。他人に貼られたレッテルがあっても、自分で剥がしたりポジティブに貼ることが出来ること。性的場面で自分の言葉を持てること。一つの属性にとらわれず、相手を抽象的な存在にせず、オリジナルで固有な、個人と個人が関係できること。遠い世界の話じゃなくて、今自分が生きる場所でそれを勝ち取っていけたらと思う。当事者として。

 

▼卑猥だというコメント貰った。超真面目に書いてるのにw

 

さらに追記!!

dumb type《S/N》上映とトーク

2017年5/28(日)国際基督教大学で上映決定とのこと!!

滅多にないチャンス!!行きましょう!!

*1:まだまだ誤解の多い病気だけど、男性同性愛者だけの病気というのは大きな間違い。性的感染の場合、コンドームを使用しなかった/できなかった場合の感染リスクは性的指向問わず誰にでもある。実は、異性愛者のほうが、検査に行く習慣の低さ等からエイズ“発症”率は高いというデータがある(http://hiv-hiv.net/?p=236)参考:HIV・エイズって何? | HIV検査・相談マップ 厚生労働省エイズ治療薬研究班 HIVマップ | すぐに役立つHIV(エイズ)の情報サイト / データで見る、ゲイ・バイセクシャルとHIV/エイズ情報ファイル

また、病院で働き始めて、HIVキャリアの人に出会うことも増えた。HIVの感染経路は①母子感染②血液感染③性的感染で、性的感染の占める割合が最多。異性間の性接触で感染することも勿論あるけれど、同性間の性接触が統計上は多い(同性との性経験がある=同性愛者とも限らないです)。しかし、異性愛を前提にその人を眼差してしまうことで、必要な場面でさえ、自分がHIVキャリアであることを言い出せない人もいるだろうと思う(ちなみに今はもう、早期発見して治療を開始すれば、長生きできる病気。治療継続でウイルス保有率は激減して感染リスクも殆どなくなる)。敢えて語らないかもだけど(語りを強いられるべきでもない)、目の前の人が「異性愛者ではない可能性」は常にあるんだよね。「“誰でも”異性に惹かれる」ことは事実ではなく、本当はもっと多様な性の形がある。保護者が理解していないなら尚更学校教育で教えないと、子どもは正確な情報に接する機会を奪われっぱなしになってしまう。そして、当事者(特にLGBTQである子どもたち)の孤立化や自尊心の低下の問題を少しでも教育関係者や親御さんたちに考えていってほしいと個人的には思います。

*2:Le Paradis - 『同性愛と生存の美学』 ミシェル・フーコー

*3:参照:SWASH: about us “性風俗産業や売春などの、性的なサービスを提供する仕事を「セックスワーク」と呼びます。性的な(sex)+仕事(work)という意味です。そこで働く人を「セックスワーカー」と言います。この言葉には、いくつかのよい点(以下)があります。”

・偏見や蔑視的な意味合いが少ない
・女性以外のセックスワーカー(男性やトランスセクシュアル・セックスワーカー)も含んでいる
・幅広い職種を含めることができる

恋愛やめて生殖やめて超健康になったので転職することにした

これ去年の今頃に書いた記事なんだけど、特に代わり映えのない毎日を生きています

 

生活について

引っ越しせずに1年経過。1年半の間に5回引っ越ししていた頃とは大違いである

知人男性(非恋愛関係)との結婚生活は年1回の契約更新制なので、今年1月「結婚続けますか」「そうしましょうか」と確認して、継続となった。とりあえず来年にまた更新予定です

 夫婦別姓制が最高裁で認められなかったし…いまだ籍は入れず、面倒臭くて…結婚契約書も作成せず、事実婚状態。財布は夫婦別で、家事もお互い出来るときに行う感じで適当にやってる(料理は相手、掃除洗濯は私の割合が高い)。お互い生活リズムもばらばらだけど最近慣れてきたのでよかった(一番重要視していた添い寝も問題のない相手で本当によかった)

昔は色々と悩むこともあったけど、友情結婚(恋愛感情の発生しない相手と、話し合いを重視しながら生活をやりくりする)を選択した今が人生で一番落ち着いてる時期かなと思う。めでたしめでたし(やったーあとは死ぬだけだ)

契約結婚といえばこの漫画も面白いのでおすすめ(妻:家事代行サービスの労働者で夫:雇用主という設定)

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また、チラッと覗いた友情結婚掲示板(同性愛者が諸々の事情で異性との結婚を希望したり、結婚生活に性行為を望まないセクシャリティ同士等の出会いの場)が賑わっていたり、友情結婚用婚活サイトが出来たりしているのを見るとこの先“恋愛関係に限らない人生/生活のパートナー探し”が流行るのではないかと予想してる。ひょっとするとだよ

生活のパートナーを恋愛関係に限る必要ってまったくないと思うんだよね。「愛」「信頼」は恋愛だけに発生するものでもないし、他者とオリジナルな関係性を作ることに気軽に挑戦できる世の中になるといいな

 

 

 

主体的避妊について

先日ついに体験記録が完結した。コレです

 私は避妊目線で書いてるけど、病気の治療等、装着の理由は様々。ただ、「女性が自分の体を主体的に管理できる(生きやすいように自分でコントロールする)手段の一つ」という部分が共通していると思う。自分の人生の舵を取れると人生レインボーうれぴっプル!!!!!

 

 

健康について

■近年肉体に対してアプローチしたいこと4箇条

①コンタクトに再挑戦(つけたまま寝てしまうこと多くて毎度断念)

②親知らずの抜歯(右奥歯)

③年齢も年齢なのでつけまつげ卒業(段階的に)

④全身脱毛じゃなくていいからVIO脱毛(自分の体は自分のお金で!笑)

 『恋人のために綺麗に』『気になる人に好かれるように』という唱い文句は多いけど、前提として大事なのは「他人に喜ばれるため或いはセックスのためだけに肉体があるわけではない」ということ、なによりまず自分にとって快適な身体作りをすること。自分で自分を快適な状態に調整できると嬉しいし、自信にもなるし、自分を愛しく思えるもんね

 

 

 

 

本題

 

転職が決まりました(オーーー!)

がんばります!

“相模原での障害者殺傷事件のニュースの中で、「障害者は生きていても仕方ない」という犯人のメッセージが、うんざりするほど繰り返されるのを聴きながら、きっとオーランドのときの私と同じように「自分のこと」としてしか、この事件を感じられない人たちがいることを思う。

障害者差別や、LGBTへの偏見はもとより社会の中に存在しているのに、主流派メディアは、せいぜい「どんな人も殺してはならない」というメッセージを出すにとどまった。「なぜ特定の属性をもった人ばかりがターゲットとされるのか」という当事者たちの嘆きに、こたえてはいない。”

 

 ということで!

今年も誕生日までに色々区切りをつけることができました。あっという間に25歳(?!)になってしまったんだけど、残る月日を死ぬまで生きようと思います。中身が女子高校生のままで歳だけ取って若者とつるみ過ぎると無自覚老害になるから気をつけたい。また、歳相応の言葉遣いをしないといけないとも思う(「マジで」「超」「ウケる」を控えめにしたい。笑)おめでとうございました私。

それとそれと、来月(11月初旬)に再び京都旅行するので会える人はどなたでも連絡ください。京都に限らず東京でも全然構わないんだけどさ。転職までまだ余裕があるのと心機一転の不安と緊張もあるのとでいろんな方々と関わりたいという感じ。5年前の初・京都旅行で、今の私と同年齢の人が京野菜に囲まれながら「この歳になるとね 新たに人に出会って友達をつくるのが億劫になるというか 大変になってね」と語っていたけど、たしかにそうかもなと思い出してしまうんだよね。中学時代以降の友人たち、今でも仲良くしてくれて本当にありがたい。友達と呼びたい相手とは、仲良くしつつも距離感を履き違えないような付き合い方ができるといいなと思う。1年前も書いたけど、親密圏における他者関係は、戦闘能力(攻撃力/防御力/自己統制力/自己治癒力)の近い人間同士だとバランスが良いしなにより平和で問題ないのだな。

はぁ「さみしくて見にきたひとの気持ちなど海はしつこく尋ねはしない(杉崎恒夫)」という短歌を口ずさみながら海に行きたい。写真は八丈島の青さです。おしまい

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