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うれぴっプルン戦記

性的主体性と添い寝とダンス

バッド・フェミニストとセックスワークのイベントに行った@本郷三丁目

鳥飼茜先生が描く、孤独な女同士の同居生活『地獄のガールフレンド』の最終巻が先週発売された。連載当初のインタビュー*1でもこんなことが書かれていたので印象的だった。

“女友だちいらない”って決めた。それ、1話の冒頭に描きましたね。そこから女の人と距離を取って生きるようになったんです。距離を取ったほうが友だちになりやすい。結びあえるときに結ばれればいい。いらない時はいらないという距離をとってつきあえば楽だと気づいたんですね。なので、マンガのなかでも徹底的にそうしてます。

 

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もうひとつ、 『先生の白い嘘』という漫画(連載中)でのインタビュー記事も読み応えたっぷりだ。これです!

いちいち「この人にレイプされるかもしれない」と思ってたらやっていけないから、当然ながら「男女は関係ない、相手を信頼している」ってことにしている。そうやっているうちにいろんなものが「なかったこと」になっていくような危機感があるんです。性被害とか性差別とか。それは女性から男性へのものも含めて。

でも実際にそういう被害は存在しているし、信頼ベースじゃないと進まないところにつけ込んでくる人もいるから、それをないことにしたままで「抑圧から完全に解放された」みたいな時代を迎えることは期待できないです。 

鳥飼先生って、「性」について、どちらかの性別だけにとりわけ甘い蜜を与えるわけでもなく、かといって厳しすぎもせず、きわどいながらも目を逸らしてはいけない話題を、近所のお姉さん的なポジションで気さくに問いかける人って感じがする。「男と女がどうやって共生していけるか」についてオリジナルな表現で鋭く見つめる、可能性に富んだ漫画家だと思うのです。 

 

 

異性に対してはっきり「違う」と物申せない自分にモヤっとするとき

『地獄のガールフレンド』最終巻で、こんなシーンがある。

可愛い自分が大好きで常時モテモテでビッチな女性、「奈央さん」に対して、「得してるんだから、嫌な目にあっても自業自得な部分もあるよね」とさらっと言う「石原くん」の回。

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(続きは是非読んでみてください!「奈央」さんの「嫌な目に遭ってもビッチで可愛い私を変えることはない」という逞しさが格好いいのと、女友達が正しさでは測れない彼女の魅力を全肯定するという流れが◎)

 

性被害の自己責任論を唱える人(被害者にも落ち度が…と繰り返す人)は性別問わず居るものなので、男性に限られた話ではない。ただ、性別が違うと、気づきにくい面や共感できない面があることも確かではある。「正論」「理屈」だけでは簡単に片付けられない(片付けてはいけない)「社会的性差」「背景」「感情」そして「被害者支援の在り方」というものがある。

異性に対して、同性以上に、「どう伝えても伝わらないから、笑って/黙って済ませた」みたいな経験を持つ人は多いかもしれない。たとえば職場で「これはセクハラっぽいな」「イヤな扱いだな」と思う場面でも、はっきり「それは違うと思います」と、怒れずに、曖昧に対応してしまった経験はわりとあるんじゃないかなと思う。

 

 

そんな中、こんな機会に恵まれて少しほっとできた。

今週金曜日に参加したイベント。

LOVE PIECE CLUB - トークイベント - 【3月ワークショップ】野中モモさん×ラブピースクラブ『バッド・フェミニスト』出版記念リーディングトーク

バッド・フェミニスト。ネットでも話題になったからご存知の方もいることでしょう。

ピンクが好きだし男も好き…。フェミニストなのに女性蔑視な歌詞が多いヒップホップをつい楽しんでしまう…。そうした矛盾も引き受けて尚、「私はこういう立場を取る」と態度をあらわにしています。その勇気!

フェミニストらしからぬからといって主張を引っ込めるのではなく、矛盾を認めながらもフェミニストであることを掲げる、だから、「バッド・フェミニスト」。

フェミニズムフェミニストに対して、「こうであらねばならない」と貼られるレッテルや過度な期待は、社会に根強くあります。ひょっとしたら、ときには、自分自身の中にも。しかし『バッド・フェミニスト』冒頭で著者はこう言います。「フェミニズムが完璧でないのだとしたら、それが人々による運動だからであって、人々にはどうしたって欠陥があるのです」。

矛盾を否定するのではなく完璧ではない自分や他人を受け入れ、分断を乗り越えることを目指す『バッド・フェミニスト』は、わたしたちが連帯し、力をつけることを応援してくれます。

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このイベントで、「自分がバッド・フェミニストだと感じる時について語る」というグループワークがあって、席の近い5〜6人が匿名で語り合うという時間があった。

フェミニズムについての勉強が不十分だから名乗っちゃいけない気がする(二波とか三波とかわからない)(フェミの定義さえわからない)」「(男性への服従と呼ばれやすい価値観があるので)フェラを乗り気でしたい時に少しモヤっとする」「結婚や出産の話題が振られて女性差別的だと感じても怒れずに見過ごしてしまう」「他人からフェミニストだと思われることに抵抗がある」etc…

 色んな方が、「フェミニズム的な考えを支持したいけど、自分はフェミニスト像とはかけはなれているんじゃないか」という葛藤や悩みを持っていることがわかって、「お互いに、完璧ではないことや矛盾も受け入れあって連帯していけるかも」という希望的観測を抱ける時間が、心地のよいものだった。

こういう機会が多くあれば、鳥飼茜先生が描いた『地獄のガールフレンド』のように、「持っているものや立場は違うけれど、どうしても男性とはわかりあえない部分があって、そこを女同士で愚痴りあえて、いざというとき助け合える空間」が発展していけるかもしれないなと思った。

 

 

しかし、性的決定権や性労働の話題になると、女性同士でも結構分断されている感がある…。

続けて、今日はこのイベントに参加

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講演会「セックスワーカーの安全、健康、権利――オーストラリアとアメリカの運動から」3月18日大阪・19日東京開催 | SWASH

五年前、大学学生時代の私は、セックスワーカーに対して偏見だらけだった(今無いとは決して言い切れないけど、昔はもっとダメだった。「当事者抜き」で物事を考えて「風俗はセーフティネットで必要悪(福祉で救済)」「望んで働いている人はいない(問題が解決されて他の労働が見つかれば皆辞めるだろう)」みたいな意識があって、無知のまま勝手な憶測で他人を乱暴に語っていた。*2

 

しかし、「権利」っていわゆる道徳や文化・価値観とは別のものなんだ。事情や背景は人それぞれだけど、それを引き受けた上で、性について自分で決めることは、その人の権利なんだ。だれとセックスしようと、セックスで稼ごうと、双方に合意があって、その人の意思によるものであれば、だれかにとやかく言われる筋合いはないし罰せられるのはおかしいこと(同時に、どんな状況であれ合意がなければ性暴力)なんだ。

自分が性に対して真正面から向きあえるようになってから、それにようやく気付けた。

性労働自体が悪いこと、早く脱出するべき、という保護の視点じゃなくて、劣悪な労働環境によって起こる暴力や犯罪を防ぐという労働者の権利の視点が必要なんだということ。他の労働者と同じく「自身の心身を守れて安全に働けること」「無理だと感じたら転職できること」「不当な扱いをされたらそれを訴えられて社会が一緒に怒ってくれること」が求められている。

 

「風俗の仕事は、技術が要るぶん、面白いよー」「妻が風俗嬢ってめっちゃいいじゃんね」と語る現役セックスワーカーの友人の明るい表情に憧れるようになった。他の労働同様に、やりがいもあれば、ポジティブな経験の引き出しだってたくさんあるんだよね。

 

「児童との性交渉(買い手と年齢や立場の差が大きい場合=明らかに合意形成が難しい)」「搾取」「暴力」はNGだという共通認識はあるかもしれない。(性被害者のケアが優先で大前提だともちゃんと前置きがあったうえで強調されていたが、)ただ、すべてのセックスワーカーが「自己決定できない可哀想な被害者」では決して無い、ということは認識差が大きい。自分の意思で性労働を選ぶ人だっている。そんな「自己決定して従事している当事者」にも、労働者として、人間として、安全と健康が守られる権利があること。それが理解されず対立が生まれることもある。被害の大きさやその人の心情を、支援が必要かどうかを、第三者がジャッジしてしまうことは大変危ういことだ。

(って私が言わなくても多くの人が指摘していることだけど。)

 

 

また、講演の中で、ポルノを「汚いもの」「恥ずかしいもの」「女性が虐げられるもの」「オナニー目的のもの」と毛嫌いしまう人もいると思うけど、「マイノリティな性指向/性嗜好を持つ人をサポートするもの」という見方もあるんだよ〜!!という話も良かった。それに、『ポルノが自分を貶めない』と思えれば、ポルノを楽しみたい女性はいる。「(女性への暴行が強調されない)女性向けポルノ」「(当事者が製作する)トランスジェンダー向けポルノ」も登場しているという話もあった。

「欲望への権利を誰もが持っている」「他人の欲望を自分の道徳観や価値観で否定してしまうことは危険」「性に関してポジティブ*3な環境がなければ自由に性を語れない。性暴力被害者にとっても沈黙を破れる環境がエンパワメントに繋がる」という部分も良かった。

 

 

性労働の非刑罰化が主流になっていくか

また、『性労働が刑罰化』されてしまうほど、セックスワーカー自身の安全が脅かされてしまうよねっという点が改めて語られていた。

内容は以下参照。

非犯罪化というモデルは、セックスワーカーの権利の保護を強化しやすい。具体的には、
・保健医療へのアクセス
・犯罪行為を受けたときに、警察などへの被害の届け出ができる
・安全性を高めるために、セックスワーカーが団結したり、一緒に働いたりできる
・家族が、セックスワークでの稼ぎに依存することで罪を問われないという安心感を得る

買春側も処罰の対象としない、という部分は、セックスワーカーを守るために、である。はっきりしておきたいのは、いかなるセックスも同意がなければならないということだ。権利としてセックスを要求することは、誰にも許されない。

 

 

 

さいごに、性産業で働く人を支援したいと考えている人へ是非読んで欲しい記事

 当事者やアライとして活動する人々の、力強い言葉に学ばされる機会が本当に多い。

素晴らしい記事をシェアします✨

 

 左が、貧困とかのネガティブな動機のセックスワーカー、一緒くたの考え方です。右が、労働環境や労働条件の改善によって搾取とリスクをなくすという考え方。

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前者だと、とにかくセックスワークをしなくて済むようにすることが主眼に置かれます。夜の仕事関係の人間関係しかないのは関係性の貧しい人々だとみなす考え方です。

後者の考え方であれば、性産業内での搾取や暴力をなくすことに主眼を置きますので、当然、夜の仕事関係者の多様性の広がりや、社会関係資本に開かれた業界を目指すことになります。

それから、これもよくある見方として、風俗をいやいやしている人が辞めれるようにとか、好きでやってる人は別にいいけど、みたいな見方があります。これも働いている人を二分する考え方でよくないと思います。

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実際には一般的な労働者がそうであるように、セックスワーカーも可変性のあるモチベーションです。

 

 

 

 

"自分が「生きるか死ぬかの苦境でなければ選択肢にのぼらないだろう」という偏見をセックスワークに対して持っていたのではないか。数多くある職業の中で特にセックスワークばかりが「なぜその職業を選んだのか」を問われ語られること自体が、セックスワークを他労働と分断し差別的に扱うことだった"

 

  

経験のあるなしに関わらず、すべての人はセックスワークに従事しうる―。

セックスワーカーの支援は、セックスワーカー自身によってつくられてきた。セックスワーカーでない支援者は、まずかれらの蓄積に敬意を払い学ぶ必要がある。  セックスワーカーにはさまざまな人がいる。プロ意識がある人もない人も、経済的に困難な人もそうではなく見える人も、心理的に落ち着いている人も取り乱している人も。「無防備」に見える人の心の中で何が起きているのかはわからない。大事なのは、その人の力を奪わず、よりよい支援を目指すことだ。

   

“ 「売春は悪くないけど買春はダメ」論に“イイネ!”していた私が、「買春者も罰しない形でのセックスワーカーの非犯罪化が現状ベスト」と思うようになるまでに考えたこと”

 

 

 

以上、おすすめエントリでした。他にも素晴らしい活動されている人や記事がたくさんあるので事ある毎に紹介していけたらと思います。

充実した週末だったな〜明日から仕事行きたくないな〜(お手上げ)

*1:『地獄のガールフレンド』鳥飼 茜インタビュー 女子ってなんか、めんどくさい。でも女子ってなんか、にくめない!  |  このマンガがすごい!WEB

*2:本当に本当に恥ずかしい過去だ

*3:セックスポジティブ=セックスは素晴らしいからセックスしよう!!ではなく、性や欲望をネガテイブに捉えないこと(性嫌悪の人を敵対視することではない。性嫌悪に至る辛い経験をした人を分断するのは間違いだと思う)、セックスをしないという選択も含め性に関して主体的に決められること、自分の選択に責任を持てること

「性的マイノリティへの想像力がある同僚がいる職場でしか働きたくない」というのは決して高望みでも我儘でもないでしょ

昨日ついに、『逃げるが恥だが役に立つ』の最終巻が発売された。

TVドラマが大評判で、既に内容はご存知の方も多いと思うけど、原作は少女漫画。「主人公が就職としての結婚を提案、雇用主である夫に家事分を給料として支払われ、結婚生活の運営ルールを二人で決めて、契約結婚をする」「非恋愛関係の結婚だとは周囲に言えないまま、色んな危機を乗り越えたけれど、自体は思いもよらぬ展開に…」という現代チックで斬新なストーリー。

(以下、軽いネタバレあるので注意)

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軽くネタバレをすると、同居する中で、お互いにスキンシップ欲がわき、「月二回ハグをする」案が出て、「契約恋人(恋愛関係の良いところ取り)」が始まるのです…。

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(全ての出典 海野つなみ逃げるは恥だが役に立つ』)

 

この物語の素晴らしいところは、多くの人が無自覚のうちに陥る「恋愛感情があるから(恋人だから)」「妻/夫なら」「男/女なら」という役割観念に囚われず、一個人としてお互いを尊重し、絶え間なくパートナーシップを築く努力をしている点。現状に不満があれば、会議を開き、ベターな打開策を提案し、試行錯誤しながら協働してオリジナルなルールを設定している点にある。

 

ドラマ化したのも本当によかった。漫画以上に幅広い層への問題提起となったかもしれない。

セックスの合意に関しても家事労働や金銭管理に関しても、一方が我慢し続ける関係性にならないように(搾取にならないように)点検し続けること。夫婦/恋人であっても、いくら愛情があると思っても、それを理由に、個の意志の尊重すること(自由だと思えて、NOが気軽に言えて、NOを言われた側が不機嫌にならない関係性を作ること)、そして日常継続の可能性を模索するための対話を軽視してはいけない、というメッセージ性を強く感じた。

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(TV版ではガッキー主演。【好きの搾取】というパワーワードがお茶の間に流れたの凄い)

 

主人公のみくりが、男性と対等に意見を述べ、利己的で主体的な考えを持ち、自分の人生を切り開いている女性というのも素晴らしい。そして他のキャラクターも個性的で魅力的だ。みくりの契約夫である「平匡」は高齢童貞という設定で恋愛に免疫がないエンジニア。平匡さんの同僚で、超イケメンでモテモテだけど結婚や恋愛に期待も興味もない「風見さん」、ゲイの「沼田さん」がいて、後半には「意中の1人に告白⇒付き合う」という日本特有のルールに縛られず、複数恋愛を楽しんでいる「五十嵐杏奈(ポジティブモンスター)」も登場する。

中でも、「実はもう一人の主人公だったのでは?!」って思うのが、みくりの叔母である「百合ちゃん」。

 

百合ちゃんは安定した仕事を持っている独身未婚女性。五十代処女という設定。

(「どうしても五十代の女性には見えない絵」といいながらも全巻を読み耽る夫。)

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最終回、この「自分に呪いをかけないで」という場面*1には多くの人がハッとさせられたとの意見多数。漫画でもウルっときたもんね。

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余談だけど、よしながふみ『大奥』六巻の綱吉編で、「・・・・生きるという事は、女と男という事は!ただ女の腹に種を付け子孫を残し家の血を繋いでいく事ではありますまい!」と右門之助が叫ぶ場面が浮かんだのは最終話の百合ちゃんの展開を読んだからだなー。『大奥』も最新刊発売されたけどめっちゃくちゃ面白かったです。

 

 

海野つなみ先生ありがとう!!!ええ漫画に出会えてよかった!!!って思うのは、『恋愛結婚』することが素晴らしく、一部の層にはステータスにもなっていて、『共働きだけど、家事は女が無償で当然、とされる暗黙の了解』があって、『結婚しているのか問われ、子どもはいつ?と出産すること前提で語られる』ことの多い社会が中々しんどいからなのです。

「恋愛結婚でなくてもいいよね」「共働きなら尚更、家事分担やお金のこと相手とちゃんと話し合わなきゃね(ジェンダー役割関係なく)」「子なし人生も良いね」「子どもが欲しいといっても、だれでも妊娠できるわけじゃないからね(不妊率は6組に1組ともいわれている)」とさえ気軽に語れないと感じるのは私だけでしょうか。

未婚や非婚を選ぶ人もいる、性的経験の無い人や不要の人もいるし、子どもを持たない家族や、子を失った家族、養子を迎え入れる家族もある。いろんな性的指向の人がいる、同性同士のカップルもいれば、恋愛感情に起因しない人間関係の在り方もある、のになあってね。

 

 

今年からわりと大きい会社に勤めることになって、そこはいろんな悩みを抱えたお客さんが来る場所で、たとえば自分にとって身近な「事実婚」「子なし夫婦」だとか「LGBT」「性被害のサバイバー」だとかにも慣れた相談員(SW)がいるかなと期待したけど、そんなことはなかった。あくまでマジョリティ前提の恋愛や結婚、出産観という感じで、職場では初対面の人に「結婚してるの」「子どもの予定は」と聞かれてばかりでしんどいです。ひとまず第一の作戦として、友情結婚事実婚)を選んで子宮内避妊具挿れて自分なりに人生設計頑張ってるけど、わざわざそれを関係性の浅い上司に語れるかバカヤローという気持ちになってる。マジョリティと違う選択をした、というだけで、偏見浴びるのやっぱり怖いもん。愚痴ってごめんなさい。

 

性的マイノリティ*2への想像力がある(最低限、一方的に相手を「異性愛者」「肉体の性別と精神の性別が一致している」と決めつけない環境がある)同僚がいる職場でしか働きたくない、というのは決して高望みでも我儘だとも思わない。職員全員に対し、啓蒙や人権教育をしてくれ、という話でもない。望まない場面で、性に関する選択をカムアウトしなくて済むように、ただ普通に過ごしたいだけだ。

ある程度、技術を身につけたら次の職場を探そうと思う。『逃げ恥』のように、いろんな人生の形を、いろんな愛の形を、独断と偏見でジャッジせずに受容できるような環境を探したい。そう思うと、前の職場ではわりと自然にセクシャルマイノリティの話題を振れる同僚が一人いてさ、それだけで大分心が軽かったなと思う。失ってから恵まれていた事実に気づくのね。どんまいである。理想かもしれないけれど、自分を押し殺さないと生きられないのであれば短い人生損してる気がするから少しずつでも環境を変えていきたいものです。まずは第一歩。

 

 

先月、こちらの冊子を二十部注文した。本当は職場に置きたいけど様子伺ってる。とても良い資料なのでセクシュアルマイノリティについて知りたい人いたら読んでちょ。ではまたね。

性的少数者も医療や福祉を受けやすく 支援団体が啓発冊子
http://www.sankei.com/life/news/160226/lif1602260010-n1.html

冊子『LGBTと医療・福祉(改訂版)』PDF
http://qwrc.org/2016iryoufukushicmyk.pdf

 

※今回記事での「(性的)マイノリティ」という表現は、LGBTレズビアン・ゲイ・バイ・トランスジェンダー)に限らず、「性に関連する事柄(恋愛や結婚、生殖)についての状態、選択、価値観が社会的に少数派である人/差別意識や偏見を持たれやすい人」のことも想定しながら使っています。

 

 

 

*1:「加齢」を「劣化」と揶揄する人は多いし「特に女性は若いほどいい」という風潮がある。だからやたら「若さ 」を讃えたり、「加齢」を恐れる人が増える。でも、私は、年を重ねることを楽しみ、自由でいきいきと生きる年上の友人を多く知っている。美しいと思う。自身も年を重ねるのがとても楽しみであるよー。

*2:※今回記事での「(性的)マイノリティ」という表現は、LGBTレズビアン・ゲイ・バイ・トランスジェンダー)に限らず、「性に関連する事柄(恋愛や結婚、生殖)についての状態、選択、価値観が社会的に少数派である人/差別意識や偏見を持たれやすい人」のことも想定しながら使っています。

おばさん心、自分がもうひとりほしくなる心

都内の水族館を巡っていた時期があった。十代に別れを告げた二十歳のあの頃、不慣れな東京の街を散歩するようになったあの頃の話だ。
ちょうどその頃、齢四十位の友人ができた。過剰に感性が瑞々しい部分もあったが、流行に乗ったファッション、少年にも見えるあどけない顔立ち、長年積み上げてきた社会人としての理知がバランスよく組み合わさった男性という印象だった。
三十歳を手前にした女性が自身を「おばさん」と表現したり、たった五歳も違わない年齢の相手を遠ざけるかのように「おじさん」と呼ぶような風潮、加齢を「うつくしくないもの」「避けたいもの」「自虐が必要なもの」とするような風潮に疑問だらけの私は、彼と二十歳差という事実はあったが、それに特別な意味を持たず、彼を「おじさん」と呼んだことも感じたこともなかった。

 

そんなある日、彼と池袋のサンシャイン水族館に同行する約束をした。普段は複数人で高円寺の喫茶店や水道橋で鍋を囲む事が多かった、単独での外出は初めてだったので、緊張しつつも前日の夜は楽しみで仕方がなかった。
当日、彼はいつも通りお洒落な格好で(華奢な襟付きシャツ、そして半ズボンに柄タイツだった)私を待っていてくれた。

水族館に向かう途中、ガードレール下を歩きながら、彼が呟いた。「ああ!なつかしいな。十年前、彼女とここを歩いたんだよ」
「そうですか」と相槌を打つ。すると、次々と「彼女はこういう子でさ、名前はこういう漢字で、あの日はこんな事があって…」と開口したきり止まらない。
そんな調子で、現在にはさほど関心を示さず、彼は昔話をひたすら続けたのだった。過去の思い出を恍惚とした表情で語る姿に驚いた、膨大なノスタルジーが感じられたのだ。どうやればそんなに濃ゆい想いを抱けるのかわからなかった。一切共感も出来なかった。

そのとき初めて、『ああ、この人は、おじさんなんだ』と気付いて、なんていうか、拍子抜けした。

水族館へ行っても自身の思い出話に夢中状態。過去についてのわかりやすい説明もないし、話にオチもないし抑揚もないし、自分の立ち位置が不明だしと、行き場に悩んだ。
意中の相手の思い出話ならば輝かしく傾聴できる。しかし単なる友人であったので、出来ればお互いの現在について(具体的に言えば目前の水槽内の魚について)話題を広げたかった。
「興味がないんです」ともはっきり言えず、「うんうん」と笑顔を振り向け続けるだけの、無料キャバ嬢役は疲れてしまうんだとようやく学んだ。

 

そういえば、後期高齢者と関わる時にも、似たような光景がよくある。
普段腑抜けているような表情でも、自身の歴史、思い出を語る時はそりゃ生き生きするもんである。

自分の生まれていない時代についてを傾聴することは楽しい。その人に興味があればまた一考。しかし同様に、延々と自分語りされ続ければ、疲れてくるのも事実ではある。

その時も、「自分の輝かしい過去」「自分の甘酸っぱい切ない過去」を語ることはそんなにも楽しいものなのか、と不思議な気持ちでいっぱいになっていた。

 

 


そんな私も二十五歳になった。
いい人生だったな、最近はどうやって余生を過ごすか、どういう最期を迎えたいか、そんなことを考えることが増えた。死にゆく人を片目にして…。
同時に、過去を随分思い出すようになった。瑞々しい思い出を辿って、あの時あの人と一緒に唄った曲を聴いてみたり、あの時あの人と語り明かした一晩の思い出がよみがえってくる。
それがすごくなつかしくて、すごく恋しくて、もう味わえないと思うとすごく切ない。
あの時のあの記憶を誰か共有してくれないかなあ、なんてふと思うのだ。だれか私の話を延々と聴いてくれないか、なんてふと思うのだ。
ああ、サンシャイン水族館へ向かう途中のあの彼にも、これまで多くの死を知って自分の生命を自覚するあの婆さんもに、こういう過程があったのかな、と。腑に落ちてくるものがあった。

 

しかし、「一方的に語られる側(しかも、無償で)」の負担を考えれば、本当は自分語りに他人を巻き込むのは危ない面もある。そこまで他人は他人に興味がない。残念ながら。自伝を出したって、多くの人に愛される作品になったって、隅々まで自分を共有してくれる人なんて現れない。自分が辿ってきた道は自分だけの道なのだ。たとえ他人と一緒に歩いたとしても、他人独自の感じ方、受け止め方がある。自分と全く同じ記憶や感性は他人からは得られない。


だから、他人には頼らずに、自分の人生を一番知っているのは自分だという自負を持ち、自分自身に「あんなこともあったね」「そうだねえ」と眠るまでの間語れるのならどんなに素晴らしいだろうか、と思う。
自分がもう一人ほしい。それが叶えばこの心の内がどんなに解れるだろうと。
そんな、自分がもうひとりほしくなる心を、おばさん心と呼んでみよう。
この、おばさん心をどう解せるか、時にはどうやって昇華できるのか、それに悩み続けることが思春期を過ぎた大人たちの、余生の醍醐味なのかなとも思う。
だれとも共有できないそれを自分の心身から手放せる手段を発見して息絶えられればいいのだが…………。

思春期とはまた違った、「膨大で安定した寂しさ」を新たに抱えて生きていくみたい。
そうすると、寂しさを忘れられる日なんてきっとないんじゃないかな。

イヤになっちゃうけどしょうがないねと三月の梅の花を見上げる。

 

 


恋文が飛び込む小学校の下駄箱になった夢をみる
深夜に地震だ「揺れてるね…。」添いて眠りて黄泉まで揺れて
冷えた机と相反し高鳴る想いに戸惑ったあの日の彼女は新婦となった
初夏の結婚式の友人代表スピーチが最大の宿題だ。どうしようかなと悩んでいます