人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

あなたの何が私を照らしたか

半年ぶりに会った友人が、恋人の好きなところを全て箇条書きにして持ち歩いているのだと教えてくれた。酔っぱらった時に、同僚に回し読みしてもらうのだという。そして今後生殖の可能性があると告白される。「子どもが生まれたら、うちに時々来たら良い。私が実家に滞在していたら、そちらに来たら良い。私の親も歓待するだろうから。(私と縁のある人の子なら彼らは共同育児をするだろうから)」と返す。そういえばちょうど先週くらいに親から久々にLINEが届いていた。良い顔で微笑む、産まれたばかりの従兄弟の赤子とのツーショット写真だった。それは私に対する「子を産め、孫の顔が見たい」という圧力では一切ないはずだ。私達の間にはそういう信頼がある。10代、女の子と激しい恋愛をしていた時、病気を疑って婦人科に連れていってもらった時、産ま(め)ない人生になりそうだと伝えた時、親はあんたの人生はあんたのものだからという顔でそのまま受け止めた。20代、知人をスカウトして契約結婚すると伝えた時も、夫以外に親しい人がいると伝えた時も、血縁によらない養育を検討した時も、親は好きにしなよと微笑んで受け止めた。とてもありがたい態度だったと振り返る。私には20年前に亡くなったきょうだいがいて、その子と共に生きていて、やはり生殖のことを考えると割り切れない思いが蘇る。どうしても切り離せない存在なのだと思う。そのことを次の誕生日までに必ず書いておく。

もうそこにはいなくなった人のことを、どう語れるのだろう。なぜ沈黙できるのだろう。決定的な諍いのあとに、光の差し込まない土地で暮らす側になることをどうして選べるだろう。誰かに照らされたいと思えたことがなかった。私が私を照らすのだと、表現を尽くしてきたつもりだ。親しくなるたびに理解した気になって、恍惚の中でその人を映し出す彩度がどんどん荒くなって、偶像でも人間でもない腐りかけの供物になる。それがいつも嫌だった。愛とは何かを語るたびに、あなたが透明になって私の身体を通過する。それがいつも悲しかった。代弁しないから代弁しないでほしい、そういう思いがあった。親しい又はあまりに傷つけられてきた他者についてを語る時は、可能な限り慎重に努めた。仕事でもそうだった。代わりにならないしなれない。私以外のだれのこともわたしは主人公にしない。仮に題材にするならば、かならず名を開き注釈をつけねばと意志をした。それでもあなたの何が私を照らしたか?それだけを知りたいと思う。その結果拠り所にしていた物語は諸共破壊されないといけない気がしている。

職場の心理士に研究に打ち込めと言われたり、私のことを何にも知らない議員に秘書になれと言われたりしている。しかし何も手につかなくなった私だけがそこに立ち竦んでいて、帰り道を探している。しばらく戻りませんので、探さないでくださいと言えたらいいのに、それさえできずに安住の輪に回帰していくのは、なんと無様だろう。深呼吸をしてから、添い寝フレンドだった人に珈琲豆を挽いてくれないかと連絡をする。翌日「挽く!笑」と応答があって心が舞う。しかし宴もたけなわ。終幕に向けて、受信予約したラブレターがここに届くのを待つだけである。