豆を煮る

フェミニズムとか、よくわからんのよ」と彼女は言う。

私にとっては、身動きの取れなくなった世界から脱するためにそれが必要だったことを伝える。リプロダクティブ・ヘルス/ライツの思想を知って、臨床家や研究者、芸術家が世に出してくれたサバイバーの個人史に触れて、傷だらけで生き延びてきた生身の女たちに出会って、肉体に合う形のブラジャーを発掘して、他者を私の身体に招いて、そういった交歓の中で「自分の体は自分のもの」だという確信を得れたのだと説明した。

彼女は「そうかあ」と特にしっくりこない様子だったが、社会/異物との接点を見過ごさない生き方をしているあなたこそが敬愛すべき実践者であると思う。

 

差別や偏見について一見ただしい振る舞いができる人、知識理論を取り込み美しい言葉を並べられる人に後ろから突然刺されるみたいな事が、わりとある。「連帯しようね」と手を差し出してくれるあなたたちは自分の思い通りにならないとその手を一方的に振り払う。一筋の光を見出して期待しすぎるのも原因とはいえそのバグがいつも悲しい。

よくわからんのよと言う人とのほうが性に関して心底語り合えたり、家庭内外の労働について真剣に意見交換できるのは何故だろう。また、「LGBTとかポリアモリーとかマジでわからん」といいながらゲイの友人と当たり前に裸のつきあいをし、共通の大事な人への愛を私と深く共有してくれる男友だちのことも思い出された。なんらかのカテゴリや先入観から出発するのではなくて、目の前に現れた世界に対峙する魂の靭やかさを持っている人たち。今生きている世界の違和から目を反らさず、社会がこうあるべきとする答えではなくて自分はどうしたいのかについてを立ち止まって問える人たち。大事な友人だ。

 

昨年スペインの避妊法を学ぼうというイベントに参加した。そこにシスジェンダーを名乗る若い男性が参加していて、カレは「避妊にまつわる女性の大変さを知って勉強になりました」とコメントしていた。私は意地が悪いから、「避妊についての主体性はあなたにもあるのでは?」と返してしまった。初対面なのにごめんなさい。でも、本当はいつも気になっている。シスジェンダーの男性自身が「自分の身体をケアしているか」と自問できているかについて。自分の肉体を語り得る言葉を持っているかについて。男同士でその可能性を模索しているかについて。その点に無頓着に見える人のことを信用しきれない私もいる。

 

性的な誘いをもらうときに「とにかくあなたを気持ちよくさせたい」という紳士な態度に敬意を払いつつ「それは私には必要ないかもです」とお断りしてしまうことがある。「あなた自身があなたの身体をどう語るか/感じるかに興味があるので」という叫びのような応答がある。自分を隅々までほぐしていくこと、家を建てる必要もない広大な野原に自由に寝そべれるかということ。それができる人と一緒に眠りたいだけだから。もともと私が他者の身体になかなか触れられないのも、そういった感覚が関係しているだろう。よくわからないまま、まずはお互いに自分の身体を抱きしめてそこから発せられることばを紡ぎながら、友だちになりたい。そこそこ浅くて親しくて広い付き合いはできるけど、その先で手をつなげる出会いはそんなに多くない。

 

定期的に大きな愛を注いでくれる女たち。嵐のような葛藤のあとに、非恋愛関係として縁が続いている人たち。今年の誕生日も祝いに来てくれるようで嬉しい。片方なくすまで毎日身につけて、なくしたら片方は自室に飾って毎日見つめていたいからイヤリングが欲しいと言おう。感染者数が少し落ち着いたら我が家で一緒にご飯を食べられたら良いなあ。

コロナ禍で最近また自炊をするようになったんだけど、今日は鰆の塩焼きとひじき煮(大豆をたくさん入れた)が美味しく出来上がった。出汁もきれいに取れて、豆腐と豆苗と玉葱の味噌汁も良い感じになった。そして社会保険の勉強をしながら、オブザーバーとして修士論文発表を聞かせてもらっていた一日だった。こんな時代だからか寄付にもハマっていて、今日も知人が所属するプロジェクトを知り微々たる額だが応援をした。そしたら誤って生活費の口座から引き落としされてしまい、来週の給料日まで1000円弱で生活することになってしまった。笑えてきた。なんだか雨も強くなってきた。

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追伸

趣味でタップダンス(ジャズバレエの基礎を習いつつ)を始めようと思うのですが興味ある方ご一緒にどうでしょう?