待ち望まれた野良猫のように

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引き寄せられるような家がある。それらは本当に存在していたのか疑いたくなるような場所なのだが、しかし確かな身体の記憶と共にある。

特製のコーンスープを用意してくれた、子を欲しがっていた伯母さん夫婦の暮らす寮。中学生になって始めて迎えたクリスマスの翌日に熱愛のような性衝動のような混沌とした感情を私に浴びせた女の子が両親と妹と暮らす一軒家。蒸し暑い季節、反抗期で家を飛び出したときにかならず匿ってくれた安全基地のような同級生の部屋。八丈島の山奥にある魔女の家。墓参りの帰りに必ず挨拶しに行った、世界中のどこにも売っていないような柔軟剤の香りが充満する玄関。添い寝フレンドだった人がひとりで住んでいた、阿佐ヶ谷から自転車で10分のアパート。常に開かれていて無秩序なまますべてを歓待する、ギークたちが暮らすシェアハウス。止まらないお喋りと注がれるワインとハグとキスで夜が明けた、イタリアの食卓。

 

滅多に起こり得ないはずだったこと。感性を委ねられ、心から脱力できる他者の家では、待ち望まれた野良猫のようにわたしは美しい存在になれる。実は、家の外にもそのような場所がある。それは街角で突然始まる演劇だったり、初めて駆け上がった坂から眺める海だったり、誰かが落としたまま誰にも拾われることのない鍵たちが眠る草原だったりする。

いつ命が絶えてしまうかはわからないけど、美しいものとして撫でられた日のことを抱きしめていきたいし、いつかまた在るかもしれないその日を秘かに夢見たい。そして予期せず私と居合わせた誰かが、自分の中にある美しさと出会える瞬間があるならば、それ以上の歓びはない。底に触れて深く息ができる場所を諦めることがないように、酔っ払うことのできないあなたの生きる季節が、ふたたび満ち足りますように。