サバイバー紀行(11日目)

5月8日(土)

 

■10時

スマホを開き、緊急事態宣言が月末まで延長されたことを知る。国民投票法改正案も採決された。オリンピック開催を強行する動きにも疲弊させられる(翌日追記:東京オリンピック開催中止の署名に加わった。栗田隆子さんのコメントに賛同する)。今回の緊急事態宣言発令の直前、私はオペラ鑑賞をしていた。なんなんだこの国はと言葉にならない感情に支配され、生まれて初めて首相官邸宛に意見を送った。もともとちぐはぐだった世の中がさらに狂っている。

今ここに存在することの尊厳が軽視され続けていること、私たちは気づかぬうちに力を奪われていること。入管に収容されている人達と入管法も、性暴力の告発者と揺れ動く周囲も、家庭内暴力を断ち切ろうという決死の覚悟も、給付金の対象から外す職業差別も、セックスワークを不健全と切り捨てる社会も。医療が崩壊しいつ事切れるかわからなくなった社会で、今こそ語るときだと言わんばかりに、これまで見えなくさせられていたものがどんどん表沙汰になる。戦時中と指摘する声もあがっていた。少しでも感性を鈍らせたら楽なほうに流れていける。魂は削がれて意思を手放せてしまう。鋭くなりすぎると見たくなかったものが見えてしまうから、惨めな自分が浮き彫りになる。かなしいが、自分を軽視するものをどうしても許せなくもなる。だからこそ旅に出るしかなかったのかもしれない。

 

■11時35分

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戦場のメリークリスマス』リベンジのため京都シネマへ。館内は満員のように見えた。20歳くらいの時に自宅鑑賞したのだが、うたた寝してしまい内容がほとんど頭に入らずで、明け方に見たビートたけしのぼやけた笑顔しか記憶にない。そのため初見のような心持ちでスクリーン越しに出会い直せた。

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正直とても驚いた。奇妙な手触りと哀愁のある戦争の記録に。暴力と過去を美化する幻想に支配された島の美しさに。男が男を愛する、そして欲望するということを丁寧に描いた作品であったことに。近年レズビアンレズビアンというよりも女と女が欲望しあう過程や生き方)を描いた作品がピックアップされ、『燃ゆる女の肖像』はその代表格であるが、論者たちが「やっと女による女のための作品が世に出たのだ」と喜んでいた意味をようやく理解した。昭和の映画業界の男社会を想像する。『戦場のメリークリスマス』のような、男が男を眼差す作品が世の光となり商業映画としても成功している狭間で、光を充てられなかった沢山の女たち、光を浴びれなかった女の物語があっただろうから。児玉美月氏の映画評によれば、大島渚は『愛のコリーダ』で女同士の性愛を男ありきの受動的なものでも、男に捧げる自己犠牲的なものでもないと言い切ったとある。女同士の性愛はセクシュアリティと権力の問題を無効化させる作用があるのに対し、男同士の性愛はセクシュアリティと権力がシステムに組み込まれてしまっている故に問題を常に現前化させるものだとも指摘する。

そこで私が考えるのは男女どちらかに当てはまらないクィアやノンバイナリーたちが日々直面している性愛について、いつになったら順番が回るのかということだ。このエッセイに出会って励まされもした。ノンバイナリーは存在そのものが現在の社会秩序を脅かすものであり、その事実を引き受けて生きているとある。ノンバイナリーの政治はこれまでのクィア理論や運動の積み重ねを生かすことができるはずだ、という確信と希望。加えて私は男と男の性愛と女と女の性愛の差異さえも内包するコミュニケーションの可能性をノンバイナリーの生き方に感じてもいる。反政治的で非政治的で無政治的でもあり、誰かであり誰でもない存在としての共鳴があるのではないかと。

死生観の違いや西洋コンプレックス、秩序と反乱。日本軍と捕虜軍の中で生み出され交換されるものについては、こちらの批評が良かった。セリアズ少佐(デヴィッド・ボウイ)の生き方は奔放そのもの。進撃の奔人(ぽんちゅ)。もう今さら生き方は変えられない。運命には抗えない。過去と今には勝てない。しかし私たちは未来に向かって種を蒔くことはできるという強烈なメッセージ。生殖だけが人の人生ではない、長生きするだけが人の人生ではない。功績や生きた証を残すことだけが人の人生ではない。固有のバトンを繋ぐ必要もない。しかしこの一回性を懸命に生き延びて、種を蒔くことなら出来る。誰に読まれるかもわからない個人的な文章を書くこと(日記)もそれに近いのかもしれない。重なる痛ましい暴力描写には目を背けたくもなったが大変エンパワーされた。大島渚が自宅を抵当に入れ無一文になる覚悟で挑んだ作品。今の時代を生きるアーティストはそこまで出来ないし、させてももらえないという批評もあった。その時代でないと生み出せないものがあるということ。未来について予測がつかない今この時代に出会たことに感謝する。


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オリジナルTシャツ(花を食べているプリントのほう)は初日で売り切れてしまったらしい。渋々パンフレットのみ購入する。帰宅したら戦場のメリークリスマスを弾こう。

 

■15時30分

映画の余韻が残り、こんな時間になってしまった。どこでお腹を満たそうか。せっかくなら懐かしい場所に行こうかと考え、mumokutekicafeに向かう。

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■17時30分

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洋酒の染み込んだケーキを食べる。

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■20時

帰宅し荷造りを始める。性暴力に関する交流会(ZOOM)に参加する。参加された方々お疲れさまでした。どうかご自愛を。

性暴力の構造を変えたいという原動力で私たちは連帯できるかもしれない。ただ、それはきっと長期戦になることがほとんどで、自分の傷を見つめ続けるという孤独との闘いでもある。だから挫けて闘えない日もあって良い、それを何度でも思い出すことが大切だ。自分なりに呼吸ができる場所を見つけられること、過去と今そして未来を生きるサバイバーの力を奪わないシステムの構築を探りたい。自己紹介ではうまく話せなかったけど。

昨日、佐々木ののかさんが「私は“わきまえてきた”サバイバーだったのかもしれない」 という文章を世に出された。大変うれしいことに奔女会のケーキが添えられていた。生き延びたことの労いと祝福について触れてもらえて良かった。歓待の場を開き続けることは、私にとっての"添い寝"のお裾分けなのだと思う。あの時たしかに私の身体は祝福されたから。

 

■22時45分

京都滞在の最後の夜。家主と恋人さんが夕飯をお裾分けしてくれた。卵とじうどん、美味しかった。

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1階の共有スペースで、ムレスナ紅茶とタルトをご馳走になる。短期滞在にかかわらず本当にリフレッシュできたと感謝を伝える。眩しいくらいに素敵なお二人と一緒に過ごせて良かった。明日は10時25分発の新幹線に乗る予定。駅まで車を出してもらえることになった。就寝3時30分。