人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

サバイバー紀行(4日目)

5月1日(土)

 

■8時45分

眠すぎて瞼が上がらないが、昨晩の約束を思い出し起床する。一階の共有スペースに降り、「ダムタイプ 古橋悌二さんの友人らによるトークライブ」配信をつなぐ。干芋・クラッカー・kiriチーズ・コーヒー・炭酸水を片手に鑑賞。干芋を温めてもらうが、電子レンジから異臭。すぐに換気する。

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MemorandumとS/Nガールズアクティビズムを持参していたので、読み返す。古橋悌二さんが亡くなった年、私は4歳だった。一度で良いからお会いしてみたかった。トークライブ冒頭の「今もAIDSは終わっていない」という言葉。治療法は増え、医療は発展し、死と結びつく病ではなくなった。共に生きていける時代になった。それでも。HIVウイルスは根絶されていないし、私たちに潜む偏見もいまだ根絶されていない。

 

■11時20分

自室に戻り、デートDVに関するZOOM会議に出席する。事前に伝えていたが80分遅刻。出来る範囲での参加が許されているのでありがたい。

■13時

家主の提案で、釜ヶ崎にあるココルームへ向かう。1時間半ほどの優雅なドライブ。車内で仮眠を取るはずが、ずっとお喋りしてしまう。関西に来てからというものの気がつけばずっとお喋りしている。そろそろ喉の枯れを自覚している。最初は日焼け止め必須の快晴と暴風だったのに、吹田市を過ぎたあたりで大粒の雨。傘を忘れてしまう。

 

■16時

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憧れのスーパー玉出に初めて入る。昨年梅小路公園でピクニックをした時に、大阪の友人からショップバックを貰ったのでずっと気になっていた。パチンコ屋と遊園地が合体したみたいな店内に心躍る。


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商店街を直進し、ココルームに到着。まずトイレを借りる。そして宿泊場所を決めるため、いくつかの部屋を案内してもらう。詩人の部屋、俳人の部屋、8人部屋など沢山の種類があり、どの空間も歓待の意思が炸裂している。全ての人を受け入れようとする心意気がうれしくて、世間体を気にした普段着からピカチュウのTシャツに着替える。


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「ここに一人で寝たいです。」と私が懇願したのは『森村さんの部屋』である。現代美術家・森村泰昌と坂下範の部屋。空いてて良かった。万歳。


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18時の夕飯まで近所を散歩する。先日炎上したワンダーランドのポスターがいたるところに貼ってある。男たるもの…というポエムが真っ青なシャッターに描かれている。所持金が300円ほどなのでローソンでお金を下ろす。苺サンドを購入して店内でぼーっとする。レジでdポイントカードやTカードが使えないと激怒する人もいる。警察官が呼ばれる。唐突にどしゃ降り。賑やかな夕暮れ。

 

■18時
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ココルームに戻りみんなで食卓を囲む。茄子の煮浸しも、かぼちゃの煮付けも、大葉入りの鶏肉も、五目豆も、大根と人参の酢の物も、スパゲティナポリタンもすべてが信じられないくらいやさしかった。東京の友人が会いたがっていた方に偶然出会えたのも良かった。夕食会の常連さんらしい。彼女は残念ながら共に旅に出られずだったため、両者をビデオ通話で引き合わせた。

 

プシコ ナウティカ―イタリア精神医療の人類学

プシコ ナウティカ―イタリア精神医療の人類学

  • 作者:松嶋 健
  • 発売日: 2014/07/04
  • メディア: 単行本
 

ごはんを奢るよという声もいただくが、半ば強引に断る。『プシコナウティカ』ではその理由をこう書いている。

"「私が客だからといって、私からお金を払うことの味わいを奪わないでくれ!」というふうだった。「いつもご馳走になっているから、ここは私が払う」という互酬性の論理ではなく、こういうちょっとしたことにでも、自分の行為の効力感を大切にしようとする... まるで、あなた方は私を客の位置にとどめ続けることで、自分の人生の主人公になることを邪魔するのか、と言っているようであった。"と。自分の意志で、自分が味わったものや与えられたものに礼を尽くしたいということ。それ自体に効力感を得たいということ。対価を支払う権利と言うといくばく言い過ぎかもしれないが、招かれた側であっても、饗されるだけの客としてではなく存在したいということなのかも知れない。

 

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夕飯を食べ終わる頃に、小学生が激しくジャンプしながら登場。繰り返しになるが、私は飛び跳ねている人が大好きだ。みんなで後片付けをして、自家製コーヒーを味わいながら大富豪タイム。ローカルルールを発動され、勝機を逃した大人が動揺しまくる。ああ、楽しかった。

 

■20時15分

自室に戻る。大富豪に夢中だったため、少し遅刻して戯曲講座(ZOOM)に参加する。今日は自分の戯曲を初めて発表する。とても恥ずかしくて緊張した。タイトルはコネコネットワーク。週末郊外で猫の着ぐるみを身にまとい路上で生きる「社長」とレズビアンで実家出戻りの「みやこ」、大学生の「誠」が登場する物語。私の台本を4人の参加者が生き生きと演じてくれる。舞台が後わった後もキャラクターの人生は続いていくことを考えて内容を練り直すよう講師(詩人で精神科医の劇作家)から助言をもらう。

 

■23時
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ベッドに寝転がり、ダムタイプのS/Nを鑑賞する。6年ほど前、国際基督教大学で企画された記録映像が初めてだったと記憶しているが、多大な影響を受けていたことに今更気づく。「私をあなたの眼にかなう抽象的な存在にしないで」という尊厳によってー悌二さんの「(HIVポジティブであることを伝えてからセックスするくだりでの)疑念を抱えたまま抱き合っても、それはちっともロマンチックじゃない。」という愛の在り方によってーブブさんの「私が初めて体を売ったと感じたのは、夫のセックスのあと涙が止まらなかった時。NOを伝えられなかった自分に、それに気付いていなかった夫にショックを受けた。(だから彼と別れた。そしてセックスワーカーになることを決めた。セックスは、社会の中で重要とされていることーハグすること、食を共にすること、お喋りすることとと同列のもの。私は、人を歓ばせることが好きだ。)」という語りによって。

ブブ・ド・ラ・マドレーヌ インタビュー「私はいまも悌二との関係をつくるために自分の何かと格闘しながら生きているような気がする」 - クローバーブックスの日記も、生き方を教わるように繰り返し読んだ。劇中に登場する、フーコー『同性愛と生存の美学』の引用である「彼らは、いまだに形を持たぬ関係を、AからZまで発明しなければなりません。そしてその関係とは友情なのです。言いかえるならば相手を喜ばせることができる一切の事柄の総計なのです」も私の中に深く刻まれているようだ。いつだって個々の関係を発明しようと、バカみたいに抵抗している背景には、S/Nがあったのかもしれない。終幕で現れる「愛という言葉を使わせて!」という叫びは私の叫びでもあった。LOVE、それを自由に言い合えない、開かれていない関係性の中を生きるとは、牢獄で息を潜めることと変わりないのだから。