毎年、誕生日近くになるとかならずブログを書くようにしている。はじまりは五年前の『恋愛やめて生殖やめてボクシング始めたら超健康になった』という軽やかなタイトルの中に自身の性についてを詰め込んだこの記事である。当時と変わったことといえば、ボクシングを継続できていないことくらいか。気力が回復したタイミングですぐに引っ越してしまったので、野方にあった駄菓子ングジム(駄菓子をくれるボクシングジム)とは縁が切れてしまった。
五年経った今も、主体的避妊を通して自身の肉体の所有者になる(自己効力感を得る)という選択、恋愛をしない(恋愛関係を望まない・恋愛感情をベースとした契約を結ばない)という選択は、自身を律するための条件で間違いなかったのだと確信している。
恋愛という名前こそ用いないが友愛のように満たされ広がっていく感情はあり、大切な人との交流もある。新型コロナウイルスの影響で疎遠になるかと思いきや、今月に入りたくさんの人と再会することができた。中でも感銘を受けたのは、腐れ縁の産んだ子と初めて対面できたことだろう。この世で一番会いたかった人。LOVEというスタンプが私の心そのものを代弁してくれているようでちょっと笑えるね。
予期できず遭遇した暴力被害から10年が経とうとしている。荷物の整理をしていて、発見した過去の日記を読み返すと、被害に遭った日月さえ記憶違いを起こしている自身に気づく。時効も過ぎてしまいもう裁判はできないのだし、隅々まで鮮明に思い出す必要のある体験ではない。特別なものではないからこそ適度な距離が出来て、それ以外の悲しかったり悔しかった出来事と同じ記憶のカテゴリに分類されてきている。そんなとき、サバイバー仲間である女友達からの電話が鳴る。「10周年?アニバーサリーだねえ!」なんて言って私を抱きしめてくれる。生き延びた今を、ここにある身体を祝福されたような気がして、嬉しかった。
過去から誰かの涙が運ばれてきて、誰も立ち入ることのできない湖がうまれたとする。それを私は希望と呼びたい。人肌のようなぬくもりの深い水たまりに飛び込んで、上から差し込む光を水面下で眺めながら、えんえんと揺られている感覚の中で。エラ呼吸はできないのに、水中を漂い続けていたいのよ。凝縮された記憶を飲み干して、緊張感と解放感の中を彷徨いたいのかもしれないし、添い寝フレンドと共に過ごしたあの時間を追憶しているのかもしれない。幻想なのだろうけれど、節目であるこの2020年に起こる事すべてが私にとっては特別なものに思えて*1、出会いのすべてが必要で必然的なものだと感じてしまう。情けないほどに、ばかばかしいほどに。そんな浮かれた気持ちで高揚するがまま29歳になってしまった。*2
奔放さとは、人が自由に生きようとするエネルギーそのものだ。窮屈で構造的なものに抗おうとする意志そのものだ。それがあまりにいとしくて、10連休を取って感謝祭を開催することにした。奔放な女たちを招く会と、関西に向かう旅。今回は偶然が重なり、一人旅ではなくて連れ添ってくれる人がいた。旅そのものを咀嚼するには一人のほうがいいのではと長年思っていたが、そんなことはなくて驚いた。心から感謝を表したい。
以下、思い出は写真に替えて。
奔女感謝祭
旅の記憶