人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

2021年夏紀行(7月30日〜8月2日)

笹井宏之の歌は、いつも生活の延長線上にある。桃を食べるときにも浮かんでくる。突然再生されたと思ったらすぐに鳴り止む音楽のようでもある。

「透き通る桃に歯ブラシあててみる (こすってはだめ)こすってはだめ」

「嫌われた理由が今も分からずに泣いている満月の彫刻師」

「さあここであなたは海になりなさい 鞄は持っていてあげるから」

「しっとりとつめたいまくらにんげんにうまれたことがあったのだろう」

穂村弘の笹井宏之評が好きだ。その一部を引用する。

〈私〉のエネルギーで照らし出せる世界がある一方で、逆に隠されてしまう世界があるのではないか。笹井作品の優しさと透明感に触れて、そんなことをふと思う。

笹井ワールドにおける魂の等価性と私が感じるものは、一体どこからくるのだろう。その源の一つには、或いは作者の個人的な身体状況があるのかもしれない。

 

どんなに心地よさやたのしさを感じていても、それらは耐えがたい身体症状となって、ぼくを寝たきりにしてしまいます。(略)短歌をかくことで、ぼくは遠い異国を旅し、知らない音楽を聴き、どこにも存在しない風景を眺めることができます。あるときは鳥となり、けものとなり、風や水や、大地そのものとなって、あらゆる事象とことばを交わすことができるのです。(歌集『ひとさらい』「あとがき」より)

ここには鳥やけものや風や水や大地と「ぼく」との魂の交歓感覚が描かれている。私は本書のタイトルとなった歌を思い出す。

 

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい

 

口から飛び出した泣き声とも見えた「えーえんとくちから」の正体は「永遠解く力」だった。「永遠」とは寝たきりの状態に縛り付けられた存在の固定感覚、つまり〈私〉の別名ではないだろうか。

〈私〉は〈私〉自身を「解く力」を求めていたのでは。

旅の道中でもその永遠が思い出されるのだった。

 

7月30日(金)

■17時

厚労省担当者との会議を切り上げて神田へ向かう。秋葉原を散歩する。ソイネ屋の跡地を眺める。テイクアウトしたつけ麺を頬張るが、欲張りすぎたせいで食べきれなかった。

 

7月31日(土)

■12時30分

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チェックアウト後の空白の時間。行き先に悩む。ひとまず浅草橋まで歩き、シェアハウスの住民におすすめしてもらった喫茶店でオムライスとレモンソーダを注文する。

笹井宏之の「泣くなんて思ってなくて白菜をまるかじりするしかない朝だ」という歌を思い出しながら、レモンをまるかじりする。白菜をまるかじりするしかなかった心境と涙の訳を考える。私は生ぬるいむなしさを打壊するための酸味を求めてレモンを口に含んだ訳だけど、白菜はそうではなくてやさしくて甘いから。せきとめきれない涙と合わさって、へんてこな味がしたかもしれない。ともすれば奇跡みたいな出来事に遭遇した可能性に掛けたくもなる。

続けて「交尾するときはあんなに美しいなめくじに白砂糖かけっぱなし」という歌を読み返しながら、甘すぎる誘惑と政治が跋扈するこの日常に殺されかけている可能性を思う。生殺与奪の権を握られているものたちが最も美しく在れる瞬間を知りたくて、Google検索。なめくじの交尾は「自家受精も可能」「身体の前後に性器があり巴体勢で絡まる」「雌雄同体のため相手は異性でなくても構わない」という特徴があるらしい。自分と共通項がありすぎて思わず吹き出してしまった。

 

■15時

耳たぶが寂しかったため新宿で金色の耳飾りを購入。旅先で会う人たちに何かお菓子をと思ったがなかなかピンとくるものがない。

■16時

芸術祭の会場へ向かう。道中にお菓子屋さんがある。オリジナルテーマソングが鳴り響いていて、なかなか個性的である。

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店内を眺めていると子連れの若い男性に声をかけられる。「今日でお店閉じちゃうみたいですよ!」と。終始ラテンのノリ(?)で話しかけられて愉快。贈り物を選び会計をしたあとも声をかけられ、「妻も来たわー!」とパートナーを紹介されそうな流れになる。軽く会釈をして退出。

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■18時

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腐れ縁の女と合流する。先ほど出会ったパパさんを思い出すようなラテン音楽。会場全体が熱気を帯びる。オーケストラによるカルメン組曲とタップダンスの組み合わせ。子どもたちが椅子から立ち上がり一緒に踊る姿も最高。夏の終わり、試験が終わったらタップダンスを習おうか?陽気な気分でコンサートマスターに挨拶し関西行きの切符を買う。

■21時

移動途中、オンラインで専門職会議に参加。若手職員から労働環境の是正や労働組合の話題があがり希望を感じた。

 

8月1日(日)

■8時

過去に訪れた記憶を手繰り寄せ、予約必須の土釜の朝ごはんを頂く。

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■9時30分

蝉の大合唱を聞く。
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「合唱といふより連鎖反応の蝉蝉蝉蝉、破裂しさうだ」

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■11時

今年GWに連泊させてもらった家とお世話になった人に会いにいく。彼の愛する人とも再会。心のなかでハグをする。初対面の際に捨て身の覚悟で語らいすぎたからか、タイムラグを感じず緊張も不安もなく近況報告しあえた。そこでも労働問題の話になり、当然相模原の話もできた。私が真っ昼間からセクシュアリティの話をしまくるのはご愛嬌というかそれも込みで歓迎してもらえて本当に嬉しかった。

 

■13時30分

びわ湖ホールまで車で送ってもらう。至り尽くせり!

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今旅の目的でもあるカルメン鑑賞の時間が近づいてきた。胸が高鳴る!f:id:kmnymgknunh:20210803202411j:image

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同時刻、西東京にて愛する友人らが主催する差別と暴力に抗議するためのセックスワーカー追悼活動が開始されたので勝手にひとりで参戦。目の前のびわ湖を歩く。心は共に。(※以下の写真は主催者様サイトから頂きました。)

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■17時30分

観劇終了。舞台でカルメンが「私は自由だ」「死に方くらい自分で選ばせろ、あんたの言いなりにはならない」と何度も歌い唸ったラストと、本日の追悼行動とが重なる。そして今年ストーカー規制法が改正されたことも思い出された。

愛を理由に暴力を正当化し、カルメンに妄執するホセは現代であれば絶対にストーカー規制法の対象。橋本治恋愛論じゃないけど、恋愛は狂い狂わせる才能がある人間たちの筋トレであり戯れという自覚が必要なのよ。恋愛感情が美しい素晴らしいものと持て囃される世の中で生身の命が失われるのは本当にやるせない。今回のオリエ演出ではスペインらしさ(ジプシー文化や闘牛士など)は手放され、現代日本が舞台になっている。カルメンはロック歌手でホセは国家公務員(警察)という設定。だからか、日本社会の構造に魂を殺されてきた不自由な男が権力を失った途端、路頭に迷い一方的にファム・ファタール認定した女に依存し、彼女が渇望した自由を全否定したという筋書きに奇妙な説得力を持たせていた。総合的な批評はこちらが的確に思えた。

社会的に弱い立場の人が命を奪われやすいことと、その人が弱い人間であるかは決してイコールではない。子どものような純粋な感性と、したたかに現実を生き延びてきた自負とが内在するカルメン。"恋愛感情の継続を願うことは不自由を約束すること"だと感じる私からは、恋愛ではなくただ自由だけを追い求めていたようにも見えた。彼女にとっての恋愛関係は一瞬一瞬の衝動でしかないからだ。男性(恋愛)を独占し続けることに興味がない。自分の感性に正直であることを貫いて、常に変化を欲する奔放な生き様がよく表現されていた。だからこそラストが哀しい。出来るなら前作のトゥーランドットの舞台のように思い切った新解釈がほしかった。『プロミシング・ヤング・ウーマン』もそうだったけど、女性や特定のマイノリティばかりが犠牲になる物語をわたしはもう簡単には受け入れたくない。殺されていいはずの人はいない。どんな理由があってもだ。生きさせろ。物語の中でも、現実の中でも、たったそれだけの事を叫ばないといけないことが悔しい。人と人が連帯するときのシンパシーは、「殺されたのは/忘れ去られたのは自分だったかもしれない」という点にあるだろう。言葉を奪われてきた人の、暴れるしかなかった人たちの、言葉にならない言葉が伝わってほしいし、そうでないと困るのだ。追悼活動はかなりの反響があったよう。炎天下を参加された方、参加できたかを問わず関心を持ちそれぞれの思いを抱えていた方、本当にお疲れ様でした。

 

■18時

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びわ湖ホールを出て、昨夏知り合った方と浜大津駅で再会を果たす。素敵な店主さんのいるワイン酒場のような定食屋。チーズも、鱧カツも、関西ハムも、山菜煮も美味しかった。この出会いも不思議と耕された関係性で、会うのは2回目なのに、まっすぐ飛び込んでいける居心地の良さがあって、4時間があっという間だった。(寛大さに甘えて喋りすぎたかもです。ごめんなさい。自分から会いたいと誘えたことも珍しくて幸せだった。)追悼活動の流れで風俗に関する私の考えを伝えたらゴダールのような答えがかえってきたことにも心底LOVEを感じた。物の怪の類の話も良かったなあ。大阪で暮らす大好きな人たち(ポリー実践者でもある)と必ず引き合わせますねと約束して解散。

国に対する信用が墜落している中、心身のバランスが崩れないように取捨選択しながら個人で出来る範囲の感染症対策をし、ワクチン接種を済ませ毎週PCR検査するという日常に疲れてしまった。心許せる人たちと再び人生を交差させたり合流するんだいう気持ちだけでなんとか生きながらえている。

 

■23時

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www.youtube.com

ホテルに戻り、部屋中にカルメンの音楽を流す。作曲家ビゼーも若くして天命を終えた芸術家(カルメン初演3ヶ月後、36歳で死去)。児童合唱団にいた頃、子役で出演したことがある私にとって、カルメンは原点の一つ。今日という日に鑑賞できて良かった。のんびり風呂に入る。二の腕ぷにぃのため逆腕立て伏せをしてから就寝。

 

8月2日(月)

■9時

誰との約束もない日。ゆっくり起きてホテルバイキングへ。

■12時

二度寝してチェックアウト。ミシュラン蕎麦屋を再訪しようかなと街歩きを検討しつつ、暑さを理由に断念。京都駅周辺で過ごすことにした。

■14時
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こちらも訪れたことのあるお店。山椒ソーダは歯がゆい味がする。タピオカ用のストローで一気に吸い上げる。底には冷えた山椒がごろごろ眠っている。

■15時

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「Wacoal本社のある京都でブラジャーを必ず買わねば」という使命感に駆られて伊勢丹へ笑。今夏で終了してしまうスタディオファイブはなんと!店舗、完売、在庫、無し…!

店員さんに相談した結果ウェブサイトでの購入が間に合う。感謝しかない。パルファージュのV-Richブラ(下写真)はその場で試着して即決購入。破滅的な美しさ、私にとってのファムファタール…。

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■18時

駅前のWacoalコワーキングスペースで勉強するか悩んだが、早めに東京に戻ることにして新幹線の中でテキストを開いた。

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東京駅に無事到着。帰宅してブログを書いていたら深夜3時になってしまった。明日からまた頑張らないとだね。

 

「魂がいつかかたちを成すとして あなたははっさくになりなさい」

昨日8月1日(八朔)は、笹井宏之の誕生日だったらしい。ご存命であれば39歳(享年26歳)。会ったこともない人の誕生日と命日が身体に刻まれている。側にいるように、その息遣いは作品に宿っている。そんな作家にはめったに出会えない。魂の通う旅、その流れそのものに愛を込めて。どうかまたあなたと再会できますように。

2021年夏紀行(7月17日〜19日)

私が私のためだけに旅できるようになったのはいつからだろう。慣れた土地でも特定の誰かと過ごす時間を旅のように味わえるようになったのはいつからだろう。誰にも尽くす気がない、自分にしか興味がないことを一切隠さず振る舞う人と散歩し続けた夜以降かもしれない。

誰かの指示や願いを介さずに、自分の身体と意識だけをその土地へ持っていくという感覚。それを得てからは、特段事情がない限りお土産コーナーに滞在することはなくなった。自分の旅を彩ることに金を払う。旅先で会える人との時間をふんだんに味わう。すると旅を通じて調律された私の身体自体がお土産になる。

月1、2回の外泊を設定するようにして数ヶ月が経つ。都心のビジネスホテルに泊まりその街を散歩することが多い。それが毎回とても楽しい。

 

7月17日(土)

■10時

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オリンピック関連のニュースに毎日気が滅入っている。極めつけは、感染症対策を理由に盲聾の水泳選手が介助者の同行を許可されなかったこと。重度障害者への外出・コミュニケーション支援は生きる上で欠かせない権利であるのに。また翌週、税金が投じられ公営放送されたオリンピック開会式に手話通訳が用意されていないこと(8/8訂正:用意されていたが意図的に放映されなかったこと)にもドン引きしてしまった。

昔、知人に「海外ではイベント主催者に通訳を用意してもらうのではなく、通訳者を自分で雇う場合がある。それが本当の自立。日本の障害者もそうしたらよい」と言われたことがある。一理あるかもしれないが現実を見ないようにするための、地に足がついていない発言だと感じた。この社会で障害当事者が自分でサービスをつけるPA制度は確立されていないし、通訳者の存在意義も十分認められていないし、そもそも差別偏見があり、社会的マイノリティが安全に稼げる労働環境が用意されていない中で、毎回自力で通訳者を探し雇うのは不可能に近いからだ。だからこそまずは公的機関や力を持っている側が配慮すべきであるし、社会を耕すべしだし、そこから議論の幅を広げるしかないと私は思っている(様々な人の様々な意見もぜひ聞いてみたい)。

 

■13時

演劇ワークショップに参加する。オリジナルの脚本を作ってみるという回。どうしても登場人物が非シスジェンダーの非異性愛者あるいは無性愛者ばかりになってしまう。それがわたしの生きる景色そのままだからだろう。仲間の居場所を物語の中に作り出す試みはなかなかエキサイティングだった。するとオリンピック開会式が、マイノリティや虐げられた経験を持つたくさんの人の声を排除してきたことの帰結なのだなと納得もしてしまった。当事者を制作チームに入れずその意思や痛みを問わない作品はリアリティを欠きちぐはぐになる。5年前からあるいは他国開催の時代からずっと、反対運動をし続けてくれた人たちの存在を何度も思い出して、自分はなにもわかっていなかったんだなといつも以上に猫背になった。

 

■17時

奔人(ぽんちゅ)に誘われて、新宿2丁目のイベントに参加する。子孫繁栄を祝う祭りが多い中で、生殖に抗うというか生殖機能に価値を置かない祭りがそこにはあった。抑圧された内なる欲望を自覚してそれを満たそうとする人のエネルギーを浴びて、意図せずかなりの力を貰ってしまった。ひび割れた彫刻を強引に修復させてしまうような引力。美しくないこと許せないことは変わらず私の身体と共に横たわっていて、それでも同時に深い海の底からあふれ出るような透き通ったよろこびがある。まさにレジリエンスの体験だった。

 

■19時30分

祭りを早退し日本橋へ向かう。汁無し坦々麺で腹ごしらえをする。

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■20時30分

無事チェックイン。2つのミーティングを終えて、貸し切り風呂。就寝したかったが寝付きが悪い。
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7月18日(日)

■9時15分

朝食提供時間ぎりぎりにお座敷へ。
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■11時30分

東京駅でのお見送りのため宿を出る。

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夕方の予定まで2時間ほどあるので銀座あたりをプラプラする。
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本日終了ということで、オーディオ専用ゲーム👾の展示会へ。視覚情報は一切ない、音声だけで楽しめるゲームが3種類ある。視覚障害者にも開かれた遊びの機会をというコンセプトが掲げられていたけれど、行列の中で、視覚障害のある方は一組のみ。彼らが「なんだか健常者ばかりだね。視覚障害者のコミュニティに宣伝したんかな」と話していたので、相槌を打った。ゲーム自体はめちゃくちゃ難しかった。ホラーテイストのロールプレイングは人気で順番回ってこなくて、私は空から降ってくる皿を割るゲームをした。皿は全く割れなくて、あまりの出来の悪さに、私の時だけスタッフさんがフォローする事態に。恥ずかしかった。
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愛するチョコレート屋さんも大行列。30分以上の待ち時間。諦めずに手に入れたマンゴージェラートは大変美味しかったが、映画上映に間に合わなくなった。

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■17時35分

5分遅れて『プロミシング・ヤング・ウーマン』鑑賞。

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一人のちっぽけな女が、愛する女の魂のために奔走する映画。エメラルド・フェネル監督が「世の女性は家でも職場でも恋人からも『過去に執着するな』と言われる。だからこそ『過去を忘れる気はない』と女性が宣言したらどうなるか興味があった」という動機から制作した作品。

"有望な男性"優位社会をぶっ壊す映画だった。「狂うしかなかった女」の既視感に笑い、号泣しつつ、終盤の虚しさには涙が引っ込んでしまった。私はサバイバーの声を聞きたかったからだ。サバイバーを救いたい人たちが加害者が生んだ構造に巻き込まれ酷く傷つくことを知っている。そしてその傷つきは被害当事者の受傷とは似て非なるものだとも知っている。復讐の主体は誰かという問いの中で、サバイバーの物語と出会いたかったのだと思う。魂の殺人といわれているようで報われない。しかし、名を忘れられた全て人たちへのレクイエムでもあることに異論はない。そして、物語の中でラヴァーン・コックス(トランスジェンダーを公言する女優)がネックレスを託された意味について考えてたら泣きそうになった。私は途中からニーナを自分の一部としてみていたからどうしても乗り切れない部分があったが、クィアの物語であるならば腑に落ちる感情が確かにあった。

後日鈴木みのりさんが、ストリッパー(セックスワーカー)を軽んじて消費してきた文化や創作者たちへの問題提起があったこと、そして多様な女性(白人シス女性以外)の描かれ方、Intersectionalityに触れられた論評が見当たらないことを指摘していた。またフェネル監督はLGBTクィアの性暴力被害の実態を確実に意識したはずだという語りを聴けて、丸裸のまま土に沈んでいた私が報われる気がした。

「自分都合で、何度でも出会い直しを提案する人の気持ち悪さ」についてのお話も印象的だった。なんど悔やんでも失ったものは戻らない。その現実を受け止め、失ったものを抱えて生きて行こうとする強い覚悟を軽んじる態度の傲慢さ。私の中にもあり、あなたの中にもあるものだ。ひび割れた土地まで降りて、目を合わせてもらえて、初めてやり直せるチャンスが与えられるのに。傷つけてしまった事実は変えられない(偶発的に傷が癒える可能性はあるにせよ、そのタイミングは一方的にコントロールできるはずがないのだ)。許されないままで出会い直せる道もあるけれど、それは相手からすれば苦渋の決断である。だれかを踏みにじったことを忘れてしまったら、再会の道は永久に閉ざされる。そういう意味でもあまりに完成された寓話だった。

■21時

放心状態でホテルに戻る。割り切れない鑑賞体験のせいか、なか卯の牛丼しか喉に通らないという不可解な身体になってしまう笑。
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■22時

昨晩と風呂場が入れ替わっていた。貸し切り状態を満喫。
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■2時

またもや眠りにつけず、自慰をしてなんとか今日を強制終了する。

 

7月19日(月)

■9時

ホテルから出社する。みんな、生き延びようねという思いを抱えて電車に揺られた。

生殖の結婚/生殖と結婚

愛する腐れ縁の子を初めて抱いたとき、この日のためにわたしは生き延びたのかもしれない、なんてそんなことを思った。嗚咽のなかで諦めそうになりながら待ち望まれた命。一歳半になる頃には血縁家族と猫の次にわたしの名前を覚えたらしい。定期的に会って遊んでビデオ通話をして成長を見守っているからだろう。この子にのっぴきならない愛情を注ぐことを当然に歓迎し、配偶者とは別枠の深さと重みをもって接してくれる彼女にいつも感謝している。

 

今まで「自分は産めないけど、元カノと元カレとの間に子どもが産まれたら最高なのに」と願うことが何度もあった。愛する人たちの間に産まれた子ならば惜しまず尽くすのにという妄想。わたしが考える親密圏のケアネットワークの最たるものがそれなのだろう。残念なことにその通りになるはずもなく、元恋人たちと再会すればみんな他のだれかと幸せに生きているのだが。

 

 

『ダイエット』という作品で、大島弓子が非婚姻関係による「成人間(高校生なので成人というには語弊があるが)ケアネットワーク」を描いている。摂食障害のため入退院を繰り返す主人公。その友人である女の子と男の子(二人は恋人という名前を持っていたがその子の存在により関係性はより親密にヘンテコリンに転換する)が、自分たちでその子を「育て直そう」と決意して物語の幕は閉じる。生贄にすることとは真逆で、子という名を持つその人を、責任を途絶えせずに愛することが大人たちの関係を満たすのかもしれない。『ダリアの帯』では、産まれてこれなかった我が子を想い続けた女性が、現実をくぐり抜けきるまでを描いた。大島弓子は喪失と再生を繰り返し描いてきた漫画家で、それはいつもリアリズムの中で息をしている。

昨日偶然出会った大島弓子評がそれを明確にとらえていた。世界にたしかに実在していたもの、神さまの視線さえ届かないくらい怖ろしいようなある場所で起こったこと、その現実を伝えることができるのは作家しかいないのだとある。それが大島弓子だという。納得しかない。

 

過去にも何度か書いているが、母が子を失い泣き崩れる痛みの記憶が(当時9、10歳だった)わたしの身体に刻みこまれている。 

その記憶、出生主義への違和感、自身が性的マイノリティだという自覚が相絡まって、高校生になる頃には「私は生涯子どもを持たない気がする、孫の顔は見せられないから許してね」と親に伝えていた。ずっと産むこと自体に関心がなかった。しかし今までそれを考えずに済んだことはない。

 

note.com

なぜ私たちは、産む性として生まれてきたのだろう。産みたいか産みたくないかにかかわらず、人生そのものが、自分のためではなく出産のためのように扱われるのはなぜなのか。萩尾望都山岸凉子、アトウッド、よしながふみも、問い続けてきたのは、その一点ではなかったか。

 

読み応えのあるエッセイを読んだ。女のからだを「産めよ、増やせよ」政策と結びつける政治がある。女のからだは、その人個人のものではなく国家のものだというメッセージとも受け取れる。それに抗ってきたのがフェミニズムだ。しかしまあ「産む機械」という侮蔑的な言葉の凄みを思う。奇妙なことに、この身体の中に産む機械としてのわたしが一部存在しているようにも思えてくる。能力があるかもわからないのにね。

10代、性別違和が強く子宮摘出が出来ないか調べる中で、本当に必要としている人のために機械になれたらと苛まれる日があった。19歳、特に性暴力被害に遭ってからは、予期せぬ妊娠をどうやって防ぐかそればかりを考える日があった。ピルそしてミレーナを使用してからは薔薇色の人生であり、得体のしれない近未来の恐怖を一旦脇に置けること、その上で他者の身体に触れられることが喜ばしくて仕方なかった。人生で一度だけ、生殖欲求というのかな、形見がほしいと感じた出会いがあったが、薬物による幻覚だったのだろう…。酔狂しすぎたことを後悔し恋愛を辞めてからの人生は、現実という地に足をつけて晴れやかでそれは健やかなものになった。

 

 

家庭内暴力や虐待を受け、生き延びてきた沢山の人たちの話を聞くとき、坂口安吾の「親がなくても、子が育つ。ウソです。親があっても、子が育つんだ。」という言葉が脳内で何度も再生される。何十年も施設に閉じ込められている人たちに出会う。壮絶な現実に耐えきれなくなり、人口が減っているのは良いことだし、このまま人類は消えたほうが良いのではないかと、進撃の巨人ジークに共鳴する日もある。

 

しかし、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うはやすく、疲れるね。しかし、度胸はきめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません、ただ、負けないのだ。(坂口安吾『不良少年とキリスト』)

 

別の文脈で、優生保護のもとに子を持ちたいという欲求さえ否認され続けてきた人たちの声を聞く。子を持ちたかったが、それは叶わなかったという年上の友人たちの声を聞く。その現実を引き受けた先で生き方を切り開く激しくて静かな意志の、なんと格好良いことか。

同時にオルタナティブな子育てにチャレンジしている友人らの顔も浮かぶ。社会的疎外とケアの辛さや愚痴を聞く。育て続けることが難しく誰かに託すという勇気や、暴力被害の結果の出産する/しないという選択に立ち会う。当然なんだけど一人ひとりの唯一無二の生き方があって、一つだって裁くことなんてできない。しかし欲しいものがある人、選択肢がなかった人には切羽詰まるような有限性がある。決断をいつも見送り、相手の人生を自分の都合で長引かせることをすることを私は良いとは思わない。柔軟な選択肢があり生殖のモラトリアム期間を持てる立場はある種の特権と感じる。生き方を比較しても仕方ない、しかしセンシティブな話題だけに言葉を選ぶのはとても難しい。とはいえ、添い寝フレンドとの添い寝によって生かされた身だから、降りかかる現実を抱きしめるしかないと結論づけてもいる。

 

先日、男友だちに生殖機能の検査をしに行こうと提案されることがあった。結局実現には至らず、今週ひとりでクリニックを訪ねる予定だ。生殖を強く望んでいなくても、生殖を望みあう関係でなくても、パートナーでなくても「自分の身体について知りたい」という動機だけをもって一緒に検査を受けるという発想がすごく嬉しかった。クィア仲間というか、自分の身体を出発点にするフェミニズム的な試みがほんとうに好ましかった。しかしそれを冒頭の腐れ縁に何気なく話したら「何それ、不妊治療で悩んでいる、時間がない人のことを考えてほしい…。」と言われてしまった。固有の経験に想いを寄せられず、彼女の傷を無神経に開いてしまったことを謝罪した。

 

だからこの文章もある立場の人が読めば、本当に不快で仕方がないものだと思う。火に油を注ぐようなものなので、ここには書かないけれど「自分が生殖の実践主体になるとしたら」というシュミレーションも頭の中にはある。予測不可能で何が起こるかわからないが、これから始まる30代の人生を想像する。契約結婚をしている同居人や、今ある親密な人たちとの付き合いの中で、何らかの形で育児にコミットメントしたいと考えている。生殖は突き詰めれば能力主義と運任せの行為であると思うし、だからこそ実践主体となることから距離を取りたいという自分もいる。同時に生殖/家族/愛等の厄介なイデオロギーから距離を取りつつも、生殖の実践主体となろうとする知人らと疎遠になるのではなく、愉快な切り口で付き合い続ける道はないものか。そういった話ができる場がほしいので、試しに開いてみることにした。どうぞよろしくお願いします。

 

待ち望まれた野良猫のように

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引き寄せられるような家がある。それらは本当に存在していたのか疑いたくなるような場所なのだが、しかし確かな身体の記憶と共にある。

特製のコーンスープを用意してくれた、子を欲しがっていた伯母さん夫婦の暮らす寮。中学生になって始めて迎えたクリスマスの翌日に熱愛のような性衝動のような混沌とした感情を私に浴びせた女の子が両親と妹と暮らす一軒家。蒸し暑い季節、反抗期で家を飛び出したときにかならず匿ってくれた安全基地のような同級生の部屋。八丈島の山奥にある魔女の家。墓参りの帰りに必ず挨拶しに行った、世界中のどこにも売っていないような柔軟剤の香りが充満する玄関。添い寝フレンドだった人がひとりで住んでいた、阿佐ヶ谷から自転車で10分のアパート。常に開かれていて無秩序なまますべてを歓待する、ギークたちが暮らすシェアハウス。止まらないお喋りと注がれるワインとハグとキスで夜が明けた、イタリアの食卓。

 

滅多に起こり得ないはずだったこと。感性を委ねられ、心から脱力できる他者の家では、待ち望まれた野良猫のようにわたしは美しい存在になれる。実は、家の外にもそのような場所がある。それは街角で突然始まる演劇だったり、初めて駆け上がった坂から眺める海だったり、誰かが落としたまま誰にも拾われることのない鍵たちが眠る草原だったりする。

いつ命が絶えてしまうかはわからないけど、美しいものとして撫でられた日のことを抱きしめていきたいし、いつかまた在るかもしれないその日を秘かに夢見たい。そして予期せず私と居合わせた誰かが、自分の中にある美しさと出会える瞬間があるならば、それ以上の歓びはない。底に触れて深く息ができる場所を諦めることがないように、酔っ払うことのできないあなたの生きる季節が、ふたたび満ち足りますように。

名乗ることの恥について

水曜日、職場近くの豆腐屋で自家製合鴨弁当が280円(特別価格)で売っていて、どしゃ降りの後の乾いたコンクリートを突き進み、ピクニック気分で駅前のベンチでそれを味わう。ハイヒールで新宿の街を駆けるのに疲れて、帰宅する頃には和室に敷いた布団に吸い込まれるように眠ってしまった。蚊に刺された痒みで目覚め、4時半にシャワーを浴びて、夜明けを感じて、カプースチンを聴きながらこの記事を書いている。

 

選択的夫婦別姓最高裁判決は残念で、いや残念を通り越して、この国が望む「夫婦/家族/パートナー」関係を築くことの地獄を再認識した。自分は選択的夫婦別姓が実現したとしても法律婚を選べないけれど、それによって不便が解消され生きやすくなる人たちが確実に増えるし、多様性が認められた社会のほうが肩こりも減るだろうし命を落とす人も減るだろうから、法改正をひたすらに望み続ける。しかし地獄はいつ終わる?自分が死ぬまでにこの家族制度とそれを補強するシステムは解体されるだろうか?

 

金曜日、物を失くしてばかりで注意力は散漫しているものの生への活力が戻ってきた気がする。外泊先で優雅にのびのびと自慰もできる。立て続けにあったスピーチ依頼も無事終えた。疲労からか頭痛がする。こうした社会的な場での登壇について、グダグダで脱線しまくりで沈黙もして呂律が回らなくてボケボケの自分を許せるようになってきたことは嬉しい。複数いる自分が統合される日が多くなったというか、更新の連続で今がいちばん生きやすい。


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今、芸術や福祉、社会構造そして個の尊厳を問うはずの業界での性暴力告発が相次いでいる。支援者/協力者としてではなく告発を選べなかった一人のサバイバーという立場で私は告発者たちの側に居続けている。近しい問題意識を持つ有志によるZINE制作が決まった。自分自身に対して期待する。誰にも奪わせないものを作れるとしたら、輪郭を何度も引き直したコントロールの効かないこの身体から出発する以外にないだろうから。

かつて「添い寝アーティストを目指しています」という自己紹介の仕方をしていた。それは、添い寝によって尊厳を再獲得できたことの意味と価値、その感触をどう表現(贈与)できるかを考え続けるという意思表示でもあった。

今もその旅は続いている。しかし他者の尊厳を十分に考え抜かない中でアーティストを名乗ろうとしていた自分を心から恥ずかしいと思う。当時の東京での日々は、表現者・愛好家・批評家などが周囲にたくさんいてその人たちが語る言葉やハイコンテクスト文化を全て鵜呑みにして「アーティストたるものこうあるべき」というイメージが膨らんでいたように思う。しかし、今は抽象度が増していて、自身の中の矛盾や戸惑いを自覚したまま、アーティストと呼ばれる/呼ばれたい人たちを眼差せるようにはなった。関西のアーティストと交流できて東京の特異性を知り相対化できたこともそうだし、この数年で誰かの沈黙が破られる瞬間に多々立ち会ってきたことが最たる理由かもしれない。中途障害とも言い表せる、人生が突然プツンと分断されて連続性が失われたような体験、トラウマティックな出来事を抱えて生きるたくさんの人に出会ってきた。自分の声を取り戻すため、当時だってそのために抗っている人がたくさんいたのに、自分の回復に精一杯で、その静かな闘いを想像し敬意を払えていなかった。名乗ることの恥を思う。

 

https://sth-totalkabout.hatenablog.jp/entry/confession0620

このエントリを忘れないようにしたい。表現する者が、性暴力をテーマとする作品を世に出す過程で被写体の尊厳を無視し続けたことを。

境界を揺らがし得る相手との作品だからこそ、物語る身体を切り拓く可能性を抱けるからこそ、クリエイティブな活路を見いだせるかもしれない。しかし、表現"された"側からの「取り下げてほしい」という声を拾う道が残されていなければいけない。いついかなるときだってサバイバーの体験はサバイバーのものなのだから。おのずと『他者との関係性』をテーマとする作品が生まれたとき、それは避けられない道なのだ。

私自身、これまで何度か取材を受けたり美しい物語にされたり映像を撮られたりする中で、表現する側の好きなように創造されて良いと考えてきた。それは後から文句を言える関係性があると思えたからであり、コミュニケーションではなくてもディスコミュニケーションならばそれはそうと納得できたからである。しかし、ほんとうの意味で特別な交流があったのにかかわらず不在の存在として扱われること以上の苦しみはない。コミュニケーションもディスコミュニケーションも存在しない世界は、忘れられた街角みたいに、どこよりも寂しい。

 

土曜日、ゆにここカルチャースクールクィア講座に参加した。私が繰り返し使ってきた「自由」とか「尊重」という言葉の意味は、「普通に息をさせてくれ」であったことが思い出される。ある側面で力を持つ側の都合次第で線引きをされる(いないことにされる、存在を否認される)ことに対する全力の抵抗。幸福は最初から必要としていないし、生きる目的はそれだけなのだ。望んでもいない応援歌が届くとき、炭酸水を頭からぶっかけられたみたいに皮膚が痛む。底が見えない水の中をおそれずに飛び込んできてくれた人に鰓を差し出したいと思う。どうか、何を感じているか、声を聞き、目を合わせてほしい。規範通りには生きれはしない者同士が存在を祝福しあえる夜を探し続けたい。

これから、たくさんの熱を浴びに行く。舞台公演の予約で祝日がびっしり埋まる。カルメンピアソラの夏。音に埋もれ、踊りに担がれ、演技に慰められ、歌に愛でられ、ぎっしり肉づいたかなしみを削ぎ落とし、邂逅のための身体を調律せねばという思いだけがそこにはある。