人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

すべての本は贈り物だったのかもしれない

「今までの人生で一度だけあったこと」というブログ*1の中で、「僕は人生で一度だけ、目の中に他人の涙が落ちてきてことがあるんだった。」という言葉が引用されていた。詩人は理解は熱愛の中にはないという。私は他人の涙は理解の中にしかないのかもしれないと思う。

 

ここ最近のこと、新型コロナウイルスの影響で人とのつながりが遮断されていく時代に、それは奇妙で良質な出会いを経験した。恋人や家族という大義名分は最初から必要ないまま、毎週のように会うことになっている関係性で、その人を通して過去に行き、かつて濃厚な時間を過ごしたものたちと再び接点を持てるようになった。振り向くことは時におそろしいこと*2ではあるが、目を開き勇気を握りしめさえすれば、過去のほうからやってきてくれるのだ。

 

きれいな日々ではなかった。山戸結希『おとぎ話みたい』で、愛を告白されるなんて地獄みたいなことだよと皮肉めいて笑う先生に宛先のない手紙を書くよと踊り続ける女の子みたいに、永遠に交差することのない関係性の中に一筋の光を見出して、幻想をひたすらに追いかけて、トライアンドエラーを繰り返して、壊れかけた機械みたいにみっともない姿で歯を食いしばって生きていた。それでもこの身体という一回性を引き受けたく、自分の人生に必要なものは何かを見つけたく、なんとかここまで走ってきたのだろう。その過去を恥ずかしいことだとは思わない。

 

その人のからだに触れたり、世間話をするたびに、機微が私に流れてくる。応えたいという気持ちがあふれるが、私の言葉は不足し欠如しているために、代わりに本を選ぶことにした。引っ越してから押し入れに放っておいたままのダンボールの山を切り拓くと、なんと500冊ほどの本が現れた。いつ買ったのか、誰からもらったのか、どんなきっかけで手にしたのか、読み終えたのか一度も読んでいないのか、ほとんど忘れてしまっている。でもどこか懐かしい気持ちになり、木目調のピアノのある角部屋の本棚に並べる。ようやくお目当ての本がダンボールの底から見つかり、ページを開くと、かつて私が引いた下線に出会う。内容を忘れてしまった本の一つ一つに私の痕跡がある。ああ、こうした本たちに今日まで生かされてきたのだ、と気付く。そしてここにある差出人不明の全ての本たちが、私への贈り物だった可能性に想いを馳せる。あの日、直接的であれ間接的であれ本を紹介してくれた人々がそこにはいた。これまで本を選んでもらうばかりの人生だったと思うし、贈りたいという強い意志を持って誰かのために本を選んだことはなかった*3。受け取ってきたものをまた別の誰かに贈るための瞬間がやってくるのだとしたら、まだ出会えぬあなたとは一体いつ出会えるのだろう*4

 

ラース・フォン・トリアーの『イデオッツ』みたいな世界を愛し守ろうとして亡くなっていった友人、青春18きっぷで辿り着いた最終地点の博多駅で一緒にラーメンを啜った詩人、恩師でもある『重力と恩寵』、寄り添う猫たちが撫であうようにながいこと水中でじゃれあっていた子どもたちが陸地に這い上がるように再出発のための意志を与えてくれた添い寝フレンド、同じくらいの痛みを抱えていただろうに何食わぬ顔で『心的外傷と回復』を手渡してくれた駅伝選手。エトセトラ。永遠に会えないのに、今も手元に残る本たちが私を淋しいという気持ちにはさせてくれない。贈られた本と共に、その人は私のそばに居続けている。誰かのために本を選ぶ(贈る)ということは、これまで出会ったすべての本を懐かしむことに等しい。だからこそこれほどまでに根気がいるのだな。これは熱愛の一つなのかもしれないし、或いは理解の一つなのかもしれない。

 

これまで宛先のない贈り物を受け取って生き永らえてきた。私宛でない贈り物が巡り巡っていつも私に勇気を与えてくれた。きっと震えながら記した宛名には、贈り物は届かない。片思いが約束された恋文のように。だがそれでも忘れてしまった頃に時を隔てて配達される贈り物がある。生き続けていると交差する瞬間がかならずある。証人は未来の自分である。その時を逃さないようにしたいのだ。今年はもうこの世から消えてしまっても良いくらい満たされた夏。かつて受け取れずにいた、過剰なほどの贈り物に感謝を込めて(本日無事に受け取りました)。

 

*1:坂のある非風景 今までの人生で一度だけあったこと

*2:ジョジョの奇妙な冒険第4章のようだ

*3:手紙はいつも書いていたが

*4:老いるその時まで読書感想文を書き続けるべきなのかもしれない

もうだめなぼくらの生きる旅

なぜだか15年前に好きだった曲を思い出している。

当時「腐敗/衰退」というタイトルのその曲の虜になっていた。シンガーソングライターの彼女が弾き語るアコースティックギターの爽やかな音色。軽快なリズム、澄みきったメロディーライン、舞踏家の体幹のようにしなやかで鍛え上げられた歌声。しかしその裏にはこんなにもの激情が秘められていたのかと、今になって気付かされている。

 

There’s no way I can talk to who you were ten days ago
Cause you are who you are now

When I was facing reality, I lived in fantasy
Till I put it aside in the space between you and me
If only I could reach the voice in the water
Take me there, it’s gonna be much better

 

だれかを失うとき、残された私たちは「物語」がないと、やっていけなくなる。

その人との思い出とか、その人が愛していたものとか、その人が何に対して感情を剥き出しにするかとか。

たくさんの記憶を継ぎ接いで、その人がその選択に至った理由をなんとか結び付けて(それが真実でなくてもちぐはぐであっても)勝手に納得して、どうにか別れを告げようとする。しかしそれだけでは、自身の心臓の鼓動の速さを受け止めきれないので、自身の内側から何か恐ろしいものが破裂してしまいそうなので、その人を知っている共通の残された者同士で時間をかけて弔いあうことを渇望する。年月を経れば吸引力は弱まるけれど、忘却のないように、ふとした拍子に「その人は、確かにあの時ここにいたのだ」という証を語り合う。それがあまりに必要で、なぜそれが必要かというと、それがないとこちら側がその魅惑的な重力に負けてしまいそうになるからである。

 

ただ「物語」を作れるほどの個別の関係性もない、遠い存在にあった人を失う時、さらに私たちは引き裂かれてしまうのかも知れない。

 

ちょうどそれも15年前だったと記憶しているが、当時ZARD坂井泉水が亡くなって、その死因についていろいろな憶測が飛び交っていた。普段は寡黙な父(泉水さんのファンだった)が大変取り乱していて、久しぶりに父の「感情」に触れてしまって驚いたことを子どもながらに覚えている。

 

その5年後にZARDを語るコミュニティで出会ったインターネットの知人がいる。Yさんとしよう。Yさんの口癖は「ぼく、もうだめなの」*1で、とてもとても生きていくことに疲れていて、でも「ぼく、もうだめなの」とつぶやくたびに晒す傷口は化膿していなくて濁ってもいなくて、こんな風にあっけらかんと時に色っぽく、自身のぱっくりひらいた傷口を他者に見せてもいいものなのか、と深く感心してしまったものだった。燃え続ける街のような、あるいは子どもの頃浜辺で見つけて宝物になったガラス片のように眩しいその命を繰り返し差し出されることで(残念ながら私はそれをいつもただしくは受け取れなかったのだが)いつの間にか私はうちのめされるような感情を抱いていたのだった。

「ぼく、もうだめなの」が口癖のあの人は、今も生き続けているようである。一切関わりは絶たれている(こわくて自分からは連絡ができない)のだけど、わたしはその事実がひどく嬉しい。仮にあなたがもしいなくなってしまったら、振り返れる思い出の少なさが、物語るという行為を阻害してきっとわたしを苦しめるだろうから。

記憶の彼方にいる、もう忘れてしまった誰かが自分の生存を願っていることがある。あまりに身勝手で我が儘で迷惑な話ではありますが、二度と会えなくなったあなたにも、どうか旅路を続けていてほしい。

 

このようなことばかり巡ってきて、頭の中がくすんできて、なんだかどうしてもあの日に戻りたくなって、15年ぶりに冒頭の彼女の音楽と再会するのだった。

本日はじめて彼女の年齢を知る。そしてその間に2度の流産という大きな嵐を経験していて、人生の貴重な旅路を表現するために、自身の歌に合わせてアニメーションを手掛けたということを知る。「哀しいけれど必要なこと」を引き受け「その先」を生きる女たちの選択と強さ、そして出会うはずだった命を想い(そのアニメーションの中に)染色体を描いたという。

わたしたちは、失ったものを失わずに生きていくことが出来るのだ。彼女の歌はそれを教えてくれる。いずれ肉体は朽ちるし、精神は奪われることもある。それでも、取り返すための勇気を持てるのならば、置き去りになったものは、いつかかならずこの胸に戻ってくるだろう*2

 

深呼吸をして、おまじないを唱えるときのような高揚と静寂に耳を澄ませる。そこには彼女の祈りがある。

「運命の船を漕ぎ 波は次から次へと私たちを襲うけど それも素敵な旅ね どれも素敵な旅ね」


【Life is Like a Boat by Rie fu】animation MV

 

(この曲は当時アニメBLEACHの主題歌にもなったので懐かしいと思う人がいると嬉しいです)

 

*1:「もう、ぼくだめなの」だったかもしれない 自分の記憶ほど信頼できないものはない

*2:このブログを書いた数日後にこの記事を読んで、私が言葉にしたかったことが書いてあり泣けてきてしまった

死者には未来に会いに行く−『急に具合が悪くなる』を読んでくださった皆さまへ(19) | 磯野真穂ブログ:「死者はそれぞれが大切にしてきた何かを持っており、それは生きる身体が亡くなった後も生き続ける。だからその大切なものに未来で会おうとしたその時に、生きる私たちは死者と歩み、出会い直すことだってできる。」

東京幻想

新型コロナウイルスが猛威を振るうようになってから、たくさんの変化があった。一番は自分の心の変化である。私は群馬の生まれなのだが、最近の東京が群馬に思えて仕方がないのである。

私にとっての東京とは、混沌としていて自由で、昼と夜の時間の境目も曖昧な、鍵を持たない番人のようなものだった。誰かの叫びが聞こえたって、誰かが野垂れ死にそうだって、無関係かのような顔をして、それでも町は廻っていた。「人に触れてはいけない」という誓いが破られるしかない満員電車の息苦しさが好きだった。寄り道や家出をしたくなって飛び出した先の見知らぬ小道では、ちゃんと誰かの細々としていて時には大胆な息づかいが聞こえた。どこか見渡せば必ず明かりは点いていて、その扉を開けば、独りぼっちにならずに済んだ。そりゃもう勝手にそう思っていた。なのに最近は違うのだ。帰路、空いている店はない。雑踏にまぎれることができない。無茶ができないし、しようと思っても場所がない。帰る先が一つしかない。すべてが有限で、時間が区切られて、自己効力感が薄れていく。何が正しいかもわからないまま増える制限の中で、他人との距離に気を遣いながら、職場と自宅を往復する日々。私にとっての田舎が垣間見えるのだ。そして在宅中は、穏かに時間を持て余す*1。趣味が合わなくて、価値観も合わなくて、共通の話題もなくてバラバラだったからこそ趣のあった夫との関係も、新型コロナウイルスという共通の話題が出来てしまったから、ひどく安定した。帰宅したら「おかえり」と言ってくれる誰かがいるのは、実家のようで、大変癒されるのだけど、家族という何かに気持ち良く溶かされてしまいそうになる現象に一抹の不安も覚える。

ゴールデンウイークが明けて、職場の自転車を借りて通勤することにしてから*2はいっそう、東京の中に群馬を感じるようになってしまった。これまで意識せずに出会ってきた通勤電車や路上で出会う無関係の他者の顔が見えなくなったからかもしれない。「おそらくこの先、自分の人生に接点はないのだろう、たまたますれ違った人」の存在が私にとっての東京を東京たらしめていたのかもしれない。よく知る同居家族と、よく知る同僚と、よく知るクライアントとの交流のみで一日が完結するサイクルというのは、私にとっての田舎そのものなのだ。「たまたますれ違った人」は、社会の中にたくさんいて、私のことなんて見向きもしないこと。無駄のように思える、不急不要と切り捨てられたものの中にたくさんの宝物が埋まっていること。それこそが都会で生きる心地よさだったのだろう。

 

突然現れたこのウイルスを前に、東京に抱いていた勝手な幻想が打ち砕かれてしまって、なんともいえない気持ちになっている。

田舎で黄昏れていた頃の私は、いつもインターネットの世界から都会を覗き込んでいた。会ったことのない人と出会えて、コミュニケーションが取れたような気がして、小さな携帯の画面が非日常のすべてだった。それでもやっぱり、オンラインだけではしんどくて、行かないでと引き止める家族や友人を横目に上京した。知らない人、知らない店、知らない世界、溢れてはち切れそうになる情報を全身で浴びることが気持ち良かった。それが非日常でなく日常で体感できることが都会で暮らすことの素晴らしさだと思っていた。でももうそのような経験はできなくなるのかもしれない。同居家族との関係性だけが良くも悪くも濃密になっていって、その他はオンラインでつながっていくことが推奨されていくのかもしれない。今後どこで生きようと、どこかに我が故郷である群馬を感じながら、日常を噛みしめるしかないのかもしれない。ということを考えながら日々ウイルスの終息を願うと同時に、このウイルスと共存しようとしている。

 

*1:ここ連日グラタンを焼いているし、このブログも、Chrono Trigger・Under tale、ゼルダの伝説トワイライトプリンセス等のゲーム音楽を流しながらなんとなく書き始めている

*2:往復30㎞なので良い運動になる

女体を引き受けることにした(5)ミレーナが抜けなくなったので静脈麻酔が必要になった

☆前回までのあらすじ☆

ミレーナ定期検診の中で突然現れた子宮筋腫。どんな状態であれ、この身体と共に生きていくしかないという覚悟を再度固める。

ついにミレーナを装着して5年が経ち、避妊効果が薄れる時期(抜去のタイミング)に突入。まずは妊娠出産を望むかどうかを夫と話し合い、現時点では子供を持たない選択をする。

 

そうして年が明け、いよいよ再装着に挑む時が来た・・・!

 

参照)過去記事

kmnymgknunh.hatenablog.com

kmnymgknunh.hatenablog.com

kmnym.hatenadiary.jp

kmnym.hatenadiary.jp

 

 

 

 

「そうだ、ミレーナを交換しよう。」

 

●2020年1月下旬 渋谷の婦人科クリニックへ

 

医師にミレーナを交換したい旨を伝えるの巻・・・・

 

が!!

 

すぐには交換できず!!!

 

まずは性感染症検査が必要だったのと、生理前の装着は望ましいタイミングではないとのこと(5年前も同じことを指示だったはずだが、すっかりさっぱり忘れていた)。

 

医師「生理の直後に来てくださいね!そのほうがミレーナ装着の痛みを緩和できるからね。文献によると生理中でも装着できる*1んだけど、血まみれの海にしたくないから、生理直後でよろしくね!」

 

 

 

●同年2月上旬、再びクリニックへ

 

性感染症検査はすべて陰性!!ヨッシャ!!

 

麻酔は不要であることを確認し即ミレーナ交換をすることに。診察台でお股を開脚して、交換時の痛み(子宮頸管拡張の痛み)を覚悟して待つこと数分・・・・・

 

 

 

 

医師「あれっ?紐がない」

 

 

 

私(下半身まるだし)「紐・・・・・?」

 

 

 

あ あ、 あ の 紐 か・・・・・! 

 

f:id:kmnymgknunh:20200307021425j:plain

※上記画像でミレーナ本体下方に付属している「J」が紐です

 

 

私「・・・えっ!?!?!?!?!?」

 

医師「ミレーナの位置は常に正常だったんだけどねえ・・・どうしても紐だけ見つからないなぁ。本来は紐を引っ張って抜去しないとなんだけど、紐がないから抜去できませんね。強引にミレーナ丸ごと抜こうとすると尋常でないくらい痛いから。麻酔なしではもう無理ですね。

後日、麻酔ありでミレーナ丸ごと抜きましょう👍

 

 

 

そ、そんな馬鹿な・・・

計画通り・・・!

では全くない感じに・・・!

 

ちょっと痛みに耐えれば避妊効果5年ってコスパ最高だなという楽観的な考えしかなかったので、想定外の事態。しかし他に選択肢がない(5年以上ミレーナを入れっぱなしにできない)ので2月末に再予約を入れました。

 

別室に案内され、看護師さんからの説明を聞いたうえで承諾書にサインをして帰宅。

 

緊急連絡先と医療同意代理は夫の名前を借りましたが、男性出入り禁止のクリニックでもあり、当日の付き添い(麻酔後ふらつくので単身帰宅禁止)を誰に頼めばいいか大変悩ましく。。。

田舎の母親は不安にさせたくないしなー、そういや昔インターネットで『レンタルおじさん』に緊急手術の立ち会い依頼していた人いたなー気持ちわかるなー、誰にも言えず一人で子供を産んで逮捕されてしまう若い女の子ってどれだけの不安の中を耐えるしかなかったのかなーとか諸々巡ってきて、頭の中が混乱状態に(笑)

 

親友*2に相談してみたけど、彼女も乳児を預けられる状況になくて無理(その他も育児中の友人が多いのと、そこそこ面識ある人でも迷惑かなと悩んで逆に頼りづらかった)で、数日悶々としていたのだけど、それを見かねた夫が「自分がクリニック前でずっと待ってるから行っておいで。」と申し出てくれました。

 

 昨年末、婚姻契約書*3を作ったばかりで、緊急時の医療同意についても盛り込んだわけだけど、早速効力を発揮するとは・・・・

夫の気遣いのおかげで安堵でき、いよいよ当日を迎えるのでした。

 

 

 

と、その前に、

 

ミレーナ施術とデメリット/メリットを簡単におさらいしておきます。

 

 

■ミレーナ処置に関する注意事項

  

●装着時に起こり得る合併症:

痛み→失神、徐脈、てんかん発作(私は起こらなかったが)

出血など→挿入後数日は出血や下部腹痛、腰痛

 

●装着後に起こり得る合併症や副作用:

不正出血や月経異常→月経周期が不規則になることも多い。経血回数が減り、2割の人が無月経になることがある

骨盤内感染症→もともと性感染症を持っている場合にハイリスク群

子宮外妊娠→骨盤内手術や骨盤内感染症の既往がある場合にハイリスク群

自然脱落→ミレーナが適切な位置からずれて抜けてしまうことがある

子宮内迷入→ミレーナが子宮筋層内に迷い込んでしまうことがある(私の場合は糸だけ子宮筋層に迷い込んだ説w

卵巣嚢胞→放出ホルモンの影響で嚢胞ができることがある。無症状で自然消失するものの稀に骨盤痛や性交痛の原因になることがある

 

 

■ミレーナの効果や目的

 

●名称:ミレーナ(子宮内黄体ホルモン放出システム /Intrauterine system)

 

●使用目的:避妊・月経過多・月経困難症治療
※日本では2014年から治療目的での保険適用が可能になった(避妊のみの目的であれば全額自己負担。経済的に余裕がない層では避妊の権利を行使しづらい状況にある)

 →私は避妊と治療両方の目的で使用(厳格な線引きはないので、生理が重くて・・・って説明すれば保険適用になる可能性は高いと思います)

 

●避妊効果:日本で利用可能な手段の中で最も高い避妊効果(100%ではない)

最大5年間ホルモン効果(子宮内膜を薄くして妊娠成立を防ぐ効果、子宮の入口の粘液を変化させて精子の進入を防ぐ効果)が持続するため、子宮内に装着してしまえば無意識化で避妊状態が続く(ピルのように飲み忘れの心配がないし、コンドーム非完全使用/不使用の性的接触後の妊娠可能性に怯える心配がない)

性感染症予防の効果はないので、当然コンドーム使用は推奨される

 

●月経への作用:上述の通り子宮内膜が薄くなるので、剥がれ落ちる内膜(=経血)も少なくなる。経血量が減るので、生理日数も減って非常に心身快適。中には無月経になる人もいるそう

→PSMには効力はないかもしれない(私は月経前ホルモンバランス崩して感情的になってしまうことがよくあるので)

 

●値段:装着1万2000円程度/抜去3000円程度 ※保険診療で3割負担の場合

→麻酔を要する場合は追加料金あり(私のクリニックは3万円の自己負担でしたつらい)

 

●ミレーナを使えない人

ミレーナの成分に過敏症を起こしたことがある/性器癌/黄体ホルモン異常性腫瘍/未確定診断の異常性器出血/子宮の形態異常/性器感染症カンジダ症を除く)/3か月以内の性感染症の既往/子宮頚管炎や膣炎/骨盤内炎症性疾患/3ヵ月以内の分娩後子宮内膜炎や感染症流産/子宮外妊娠経験/重篤な肝障害または肝腫瘍/妊娠中/過去にミレーナ装着で失神徐脈を起こした人

5年前は未産婦お断りの婦人科も多くあったが今は改善されていることを願いたい(妊娠経験や年代問わず、避妊方法として当たり前に選択できる国もあるのだから) 

 

 

■麻酔に関する予備知識

麻酔には大きく分けて、意識のない完全に眠った状態にする麻酔(全身麻酔、静脈麻酔)と、意識はあるが痛みは感じない状態にする麻酔(脊髄くも膜下麻酔、硬膜外麻酔、伝達麻酔、局所麻酔等)とがある。

今回、私が経験するのは「静脈麻酔」であり、意識を失うタイプは人生初だったので正直とても怖かった・・・。

全身麻酔と静脈麻酔は混合されやすいが、筋弛緩状態を作るか作らないかの違いがある。無痛・意識のない眠った状態を作るという役割は一緒。

長時間かつ外科的手術が必要であれば全身麻酔だが、今回はそうでなかった(数分で終わるし切開もしない施術)。

 

 

 

施術当日のこと

当日朝から飲食禁止(2時間前までの水か茶は可)。持ち物(術後出血があった時のための夜用ナプキン、現金など)と注意事項(爪は短く、指輪などアクセサリーを外す、ヒールはNG、顔色の変化を見るためにすっぴん)を守って渋谷に降り立ちました。

自分を奮い立たせるために手持ちの中で一番高価なワンピースを着て。

もはや戦闘服(笑)

 

受付を済ませ、血圧測定。いつもは落ち着いているのに、緊張からか高血圧に・・・。看護師さんに少し笑われて、再度測定。その後あらためて施術の説明を受け、専用着に着替えて待つこと数分。

手術室へ・・・・・。

 

手術台に腰掛けて股を開く。左手側では血中酸素濃度を測ったのかな?ピッピッ・・ピッピッ・・という測定音が連続する中で、右手側に点滴開始。唾液を減少させる薬を注入した後、続けて麻酔薬を注入。

口が乾いてきましたね!あはは!ってコメントした後の記憶が全くなくて、気づいたら無事施術は終了していました。

 

目覚めた時には施術から1時間後くらい経っていたそう。

 

5年前の初装着時と比べると、出血も少なくて、痛みは全く感じなかったから肩透かし状態。麻酔の影響で若干のふらつきと気分の悪さはあるものの、自力で身支度を整えて、夫にお迎え依頼の連絡。

 

会計を済ませて、夫に支えられながらではありましたが無事電車で帰宅。その晩はすぐ横になったけど、翌日昼から普通に出勤できたという(笑)

 

 

麻酔してミレーナ装着、めっちゃ楽でした!

 

 

麻酔代自費は痛かったけど、交換時の痛みに冷や汗かいて耐える(※痛みは個人差が大きい)ということがなくてよかったな。

次回ミレーナを外すとしたら5年後の交換のタイミング(33歳時)か、妊娠を希望する時か。

その時がきたらゆっくり悩もうと思います。

 

 

 

 

5年間ミレーナと付き合ってみて

 

実は、麻酔やるくらいならお金もかかるし怖いしもうミレーナやめちゃおうかな・・・って今回一瞬悩んだのだけど、「避妊状態を自分の意思で作れる」ってことがどれだけ自己効力感を高めるか、心身の健康につながっているかを改めて思い直したのです。

 

予期せぬ妊娠に悩む人はこの社会にごまんといて、妊娠する側は産むか産まないかを選択することになる(選択できないまま時間だけが経過してしまうこともある。それは社会の責任だと私は感じている)。パートナーの有無にかかわらず、時には性暴力によって妊娠することもあったりと、各自いろいろな背景があって、それに配慮した知識や情報提供をしたり、本人の選択を助けられるよう民間団体*4が日々実践をしている。5年前と比べると、性教育の担い手になろうと自発的に活動している高校生や大学生もよく見かけるようになった。では、何がその人たちを突き動かすのか?避妊が身近な権利問題(SRHR*5)であるからである。

 

 

近年いろいろな避妊法が生まれている*6が、避妊(または妊娠中絶)は自分自身の権利なのだという意識をもっともっと広められたらと思う。性別問わず*7。個人で/パートナーとの関係性の中で、避妊/妊娠についての価値観や考え・そして選択可能な範囲は状況次第で変わっていくものだからこそ、今どうしたいか/今後どうしていきたいかについて自分自身も悩んでいきたいし、悩んでいる人と気軽に性について話せる場、情報提供できるような環境を作れるよう努力したい。

 

 

ミレーナが抜けなくなるということは計算外だったけど、ミレーナの存在には本当に救われていたんだなって改めて感じている。長いようで短い5年間だったし、また新しいミレーナと5年間を過ごしていけたらと。麻酔で意識を失っていて、過去のミレーナに別れを告げられなかったことだけが悔やまれるけれど(笑)。

 

 

以上で5年間のミレーナ体験記は終わります。

また、ミレーナに関して何か大きな変化があったら更新するかもですが、ひとまずここまでで。

  

 

5年間ご愛読いただきありがとうございました!

 

 

*1:ミレーナの説明書には月経開始後7日以内に装着と記載あり

*2:いつか任意後見人依頼予定

*3:法律婚に準じないオリジナルな婚姻契約を交わしました

kmnym.hatenadiary.jp

*4:一般社団法人全国妊娠SOSネットワーク https://zenninnet-sos.org/

にんしんSOS東京 https://nsost.jp/ など

*5:セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)https://www.joicfp.or.jp/jpn/project/advocacy/rh/

*6:えば海外で使用されはじめた避妊パッチ:birth control patchなど

今こんな署名活動も:キャンペーン · 厚生労働大臣: 日本でも女性主体の現代的避妊法を承認してください · Change.org

*7:別れた妻に無断で精子使用されて訴訟した方の記事を読んだが、男性側の生殖の権利の侵害であると私は考える

友情結婚して婚姻契約書を作成したら公証人に「民法に抗っている」と驚かれた話

新年あけましておめでとうございます。

このたび、ようやく婚姻契約書(公正証書)を作成しました。

 

   ~これまでの あらすじ~

遡る事、2015年。当時23歳の私よ、こんにちは。

 

いろいろとありまして(省略)「恋愛向いていないし、独占欲を伴わない恋愛感情と性欲と友情の違いがわからないし、恋愛関係で人生が破綻するのは避けたいし穏かに生きたい。でも一人では生きていかれない。」と自覚した私は、恋愛関係が成立しない相手との共同生活を強く望むようになりました。

かつ、人間関係は変容するから面白いのであって、関係の継続を強制(約束)することは暴力的かつ不可能という価値観から、「いつでも別れられる関係・NOが臆せずいえる関係(自由でいられる関係)」を望み、性別年齢問わず周囲の知人に「離婚前提で結婚してくれませんか」という懇願を続けてきました。

そこで、「暇だし、いいよ。」と承諾してくれたのが、現在の夫。

重度の嫌煙家であることを除けば、突然裸で(2020/1/25追記:寒さに弱くなったため最近は着衣気味)作詞作曲して踊ったり怒ったり泣いたりする私とうまく付き合ってくれている大らかな人で、いつの間にか共同生活を始めて五年が経とうとしています。

 

≪インタビュー記事はこちらです≫

www.huffingtonpost.jp

 

 

・・・という形で、近くにいた知人をスカウトして始まった結婚生活。

当初より、「お互い不利にならないように、かつ生活のパートナーとしての関係をゆるく継続していけるように、最初から離婚条件(絶対に譲れない条件)を決めたり、一年更新制にしませんか。」と提案して同意をもらって今に至ります。

本来は、五年前のその日に作成したいと思っていた契約書だったのですが、「やると決めたら大体やるが、やり始めるまでが遅い」というだらしなさの極みといえる、我が性格が影響して、五年が経過していました(笑)

 

 

今回、今後同じように公正証書を作成したい方の参考資料になればいいなという思いから経過と結果をご報告します。

 

 

(注)契約内容の詳細については、ここでは明記しません(大枠のみ記載)

●興味ある方(友人知人限定)は自宅でプレゼンをやるので遊びに来てください

●取材依頼は、夫そして行政書士さんとの相談の上で回答します

 

***************

 

Q.そもそも婚姻契約書(公正証書)って何?

という声が聞こえてきましたので、簡単に説明しますね!(飛ばしてもいいです!)

 

A.公正証書とは、契約の成立や一定の事実について、公証人が作成する書類のこと。法務大臣より特別に任命された公証人(裁判官、検察官、弁護士が多いようです)が作成することにより、公に正しいと証明された書類「公文書」です。

夫婦間であっても、公序良俗に反しない限り、原則として、自由に契約を取り交わすことができる。つまり、法律婚事実婚同性婚を望む方(既にしている方)すべての婚姻関係に対応可能。

婚姻契約書作成の目的は、お互いの権利関係を明確にして、将来生じる可能性があるトラブルを予防することにあります。

余談:たとえば私の場合は恋愛関係にない相手なので、別れ際にそこまで泥沼的な展開にはならないと想像しつつ、想定し得るリスクを回避したい、無駄なことに時間を割きたくない(民事裁判起こしたくないし訴えられたくもない)という心理が影響しています。

だからこそ、口約束ではなく、公文書に残すことを選びました。

 

メリットは以下の通り。

・原本を公証役場に保存するため、偽造・変造・紛失のおそれがないこと。

・法律的に明確な形で公証人が作成するので、証明力が高いこと。
・一定額の金銭等の請求をすることのできる権利について、「約束を守らず、支払を怠ったときには、直ちに強制執行に服する」旨の約束条項を設けておけば、民事裁判を起こす必要はなく、直ちにその公正証書に基づいて強制執行手続を開始できる力が法律上認められていること。

≪詳細はこちらをご参考ください≫

 

 

Q.どんな流れで作成するの?

A.わりとスピーディー

①当事者である本人(あるいは委任状を託された代理人行政書士等の専門家)が文書を作成

②作成文書を公証役場に提出

③公証人が最終案作成・文書完成

④公証人の立ち合いのもと内容確認・署名捺印・公証役場に原本保管(複製を本人は受け取る)

契約に盛り込む内容が決まっていて、付属事項も問われなければ(②を済ませてしまえば)それから一か月以内には公証役場での作成が可能と思われます。

 

 

Q.お金どれくらいかかった?

 A.行政書士に対して依頼相談・作成料として5万円くらい

 公証役場に対して事務手数料として1万5000円くらい

 計 6万5000円くらいでした(夫と折半しました)

 

 

Q.あんまり珍しいことでもないような?

A.そうですそうです

調べると、需要も多くあって、行政書士による相談窓口もひらかれています。近年では、インターネットでも、婚姻契約書を作成している人を見かけるようになりました。

 

 私の記事よりもっともっと参考になる記事を貼りますね(笑)。

≪子育てについても契約書に盛り込んだ江口夫妻・尊敬≫


≪離婚経験があっての契約結婚・テンプレートつきが地味に役立つ≫

 

また、同性パートナーシップ制度を各自治体が運用し始めていますが、渋谷区と港区については公正証書等の提出を条件としていることも身近な例ですね*1。(2019年12月末時点)

渋谷区パートナーシップ証明書 | 渋谷区公式サイト

港区公式ホームページ/港区における性的指向に関する制度「(仮称)みなとマリアージュ」(素案)についてのご意見

※港区は私製の契約書(公証役場で私文書認証を受ける)でも可

 

≪余談:公正証書作成とは関係ないけど共同体としての夫婦の例として≫

***************

 

では、本筋(経過と結果報告)に戻ります! 

 

●2019年9月

・性的マイノリティの相談歴のある行政書士事務所を検索

公証人によっては、民法が定める契約、公序良俗に反する(と判断した)契約書作成そのものを拒否する場合があるので性的マイノリティに理解のある人を探しました

行政書士A氏との初回面談予約を取る

(場所はどこでも良かったので自宅に招待)

・最初同性パートナーを想像していたらしく、驚かれた(笑)

友情結婚で・・・と事前に連絡していたが説明不足だったらしい

・特にいやな反応もされず(実は結構怖かったのでホッとした)契約書類の内容を打ち合わせる

 

その時に盛り込んだ主な内容

・共有財産権の放棄(財布別)

・同居義務の放棄

・離婚条件(お互いの譲れないポイント:○○したら離婚する)

・性的関係について(不貞行為に関して損害賠償請求をしない、家庭外の性交渉可、相談の上なら第三者との生殖行為可)

 

・面談後、正式に作成依頼(相談料振り込み)

 

以降メールでやり取りした内容

・居住用不動産に居住する権限

・日常家事債務について

・任意後見について

・判断能力低下時の療養看護について

・死後事務委任について

死因贈与や祭祀主催者について

 

●11月

(忙しさを理由に私がメール返信を滞らせたため時間超過)

・上記を踏まえて、行政書士A氏が契約書案作成

・A氏が性的マイノリティに理解のある公証人を探す

・A氏よりLGBT事例経験のある公証人を紹介

・公証人の先生から、不貞行為に関する取り決め部分を含め公序良俗には反しない=問題がないと判断がくだる(私、泣いて喜ぶ)

 

 

●12月

・夫、A氏と公証役場へ行く

~持ち物~

印鑑証明書(夫が「印鑑の制度は信頼していないため、提出はしない。」と物申したため、私しばらくパニックになる笑。最終的には慣習的なものなので不要ですと公証役場から回答があり、公的機関発行の身分証のみで事足りた)

実印(同理由で、認印で事足りた)

③顔写真付き身分証明書

④手数料(1万5000円くらい)

・公証人のB先生(当日初対面)に挨拶をする

 

 

●B先生「長年公証人をしてきましたが、こういうタイプの公正証書は初めての体験です。」

 

●B先生「何の目的でこの内容にしたのか教えていただけますか。本当にこの文言でいいのですか・・・?」

 

●B先生「財産権も貞操権も放棄だし、わりと民法に抗っている内容なのですが、本当にいいのですか。」

 

 

めちゃくちゃ疑問を投げかけられ突っ込まれる(笑)

 

男女夫婦として認識されているからか、なぜ法律婚でないのか(夫が夫婦別姓が認められていないことを理由の一つとして説明)&あらためてLGBTかの確認もされる(わざわざ説明が必要なことを理解しつつもちょっと不服でござるよ)

ワイ「この契約で問題ないです!(ちょっと投げやり)」

 

・公証人による契約書の読み聞かせ(内容の最終確認)

・内容承認の上、契約書原本に当事者の署名捺印

・原本を公証役場に保管

・手数料の支払い(これにて終了)

 

 

 

 

 

感想:初対面の赤の他人に婚姻契約を音読されるのは地味に恥ずかしかった

(でもちゃっかり録音済み)

 

そうして無事手続きが終わったので、A氏と別れ(その後プライベートでも付き合いがあるので嬉しい)&夫に日頃の感謝を述べ、すがすがしい気持ちで公証役場を出たのでした。

 

案外あっさりと完成してよかったです。

以上、ご報告でした。

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五年かかったけど有言実行したので褒めてくれ

 

*1:ただし公正証書作成には結構な額がかかるため、多くの批判が寄せられたのは記憶に新しいです。それが影響しているかはわかりませんが、無料・低予算な区のほうが多い。

しかし、そもそも「パートナーであること」を公に証明するにあたり、法律婚か否か、異性婚か否かで扱い(証明に伴う負担)が変わってしまうのは本当に不公平だと感じるのは私だけではないはず・・・。