人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

父の脱皮

ゴールデンウィークの最中、祖父が他界した。米寿のお祝いの席で、「曾孫の顔を眺められるのはいつかなあ?」という親族による善意の暴言が流れても「いいや、あなた自身が幸せならいいんだよ」と微笑むだけで決して暴言には加担しない、そんな祖父が大好きだった。

突然救急搬送された祖父、「保険証の持参忘れを病院受付に責められたので納得いかない」と苛々する母、「そうか…」と沈黙の父、「毎日お見舞いに行こう」と張り切る叔母。その二ヶ月後、延命治療の選択肢に懸けても、嗚呼、あっけなく、逝ってしまった、五月晴れでした。

 

既に四年前、祖母は逝ってしまっているので、どうやら父はついに両親を亡しくたというわけだ、今どんな気持ちだろうか、父の表情は大体いつも変わらなくて、それは通夜でも変わらなかった。それでも喪主として、皆の前に立つ父をはじめて主体的な存在と思えたのだから不思議だ。いままで一体彼をなんだと思っていたんだろう。幼い頃、この人は父親役割を全うすることも演じることもできない人なんだなと気付いて、それからは不思議な生き物だと思って接していた。自分のことでいつも精一杯で、「家庭」という枠の中に嵌っては生きられず、つねに芸術に親しんでいた父。さて、私は彼にとって何者だったのだろうか。娘というよりも、「たまたま同居することになった小人」であり「いつの間にか成長していた大人」であり「わりと趣味のあう他人」であったのかもしれない。私にとっても、父という呼称は便宜上/法律上でしかなく、実際は、沢山の作品を紹介してくれた教養人であり、The Beatlesを愛するミュージシャンであり、寡黙で無機質な変なおじさんであった。役割を担えなくたって、個として十分に関わることはできる。名付けられた関係性に縛られる必要はなくて、個と個の、人間としての関係性が豊かであればそれでいいのだと、私はいつの間にか学ばされていたのかもしれない。

 

通夜が終わり、葬儀場(に併設された大部屋)にて、祖父の遺体と共に一晩眠ることになった。そこには、父、叔母(父の妹)、私、が泊まりこむことになった。通夜で居合わせた祖父の甥が、私の夫の同僚だったということが発覚したので、当初その話題で持ち切りとなった。続いて叔母が「そういえばさ、お父さん(私視点では祖父)のきょうだい関係って」「末っ子だったのに、戦後も家族を養うために頑張っていたんだよね」「お父さんがお母さんと結婚してからは…」と語り出す。そこに居る私は良い意味で空気みたいで、兄妹が生きてきた長い歴史を穏やかに傾聴する。

 

それまで寡黙だった父が淡々と呟く。「そういや…、子供の頃は…、皆の家と比べて、自分の家は大分変なのだと気付いたんだよ」「あんなに親が怒鳴り散らしている光景は、他とはちがくて…、すごく嫌で…、わりとトラウマになっていたんだなあ」

そんな父の独白を、はじめて聞いた私は、得体の知れない感情が湧き上がってきたのだった。

「でも、私が実家にいた頃も、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは相当な喧嘩をしていたけれど」と、伝えると、「ええ…?そうだったっけか…」と驚いている。「もうその頃には、その環境に慣れすぎて、心が鈍くなって、おかしいとも気付けなくなっていたんじゃないの」と叔母が指摘する。生まれてから今までずっと両親と同居し、過保護なほど愛情を注がれた結果なのかどうかは知らないが、どこか受け身で無責任さがあって、騒音からそっと逃げ出すように、孤独を選ぶことが多かった父。勝手にカテゴラズするのも失礼な話なんだけれど、機能不全家族というか、アダルトチルドレンっぽさが否めない感じもあった。

しかし祖父が入院してから、父は少しずつ大人びていったそうだ(大人に大人びるという表現もおかしいはずだが彼にはぴったりである)。その結果、「私、この人が伴侶で良かったかもしれない」「なんだか、お父さんのことを見直した」と母がぼそっと呟いた。生まれてこの方二十年余り、こんな展開になるとは想像できなかった。呪いでもある親という存在を失うとき、まるで脱皮するかのように、前を向き始めた彼の微かな変化に逸早く気付いたのは母だった。

父の脱皮にも驚いたけれど、それと同様に、この母の発言にも驚かされた。三十年近く一緒にいれば、「この人はこういう人だから」という傲慢ともいえる「理解」が芽生えるものだと思う。それを塗り替えてしまう瞬間というものがあるのか、今確かにあったのだ、人と人はどんな瞬間でも出会い直せるのだ、新鮮なあなたを発見できるのだ、その事実が衝撃だった。

 

 

十代の頃、家族みんながちゃんと揃っていたとき、私はどうしてもこのコミュニティをあいせなかった。あいせなくてもいいのだし、自分の人生をただ充実させればいい、そう思って上京した。幸いなことに「好きに生きればいい、あなたはあなたなのだから」と両親や友人は見守ってくれていたし、最悪、地元に戻らなくても、家族の顔を忘れても、過去を抱きしめられなくても、別にいいのだ、そう気楽に構えられるようになっていた。ただ、亡くなってから初めて知る祖父母の歴史、その両親を失い変わっていく父、諦めていたはずの父という人間を再発見した母、どれもすべてが新鮮で、 いじらしくて、あたたかかった。変わるはずがなかった(そう思い込んでいた)ものが、一気に紐解かれ、再編集されていく、その理屈もトリックも説明がつかなくて、ただただその光景を前に、目頭滲ませ立ち尽くすしかなかった。陳腐な表現かもしれないけれど、ただただ感動するしかなかった。人の死は本当に不思議なもので、それはだれかにとっての再出発の儀式でもあり、生き続けるための必然でもある。四年前も同じことを感じたけれど、四年後の今日もそう感じたのであります。