うれぴっプルン戦記

性的主体性と添い寝とダンス

バッド・フェミニストとセックスワークのイベントに行った@本郷三丁目

鳥飼茜先生が描く、孤独な女同士の同居生活『地獄のガールフレンド』の最終巻が先週発売された。連載当初のインタビュー*1でもこんなことが書かれていたので印象的だった。

“女友だちいらない”って決めた。それ、1話の冒頭に描きましたね。そこから女の人と距離を取って生きるようになったんです。距離を取ったほうが友だちになりやすい。結びあえるときに結ばれればいい。いらない時はいらないという距離をとってつきあえば楽だと気づいたんですね。なので、マンガのなかでも徹底的にそうしてます。

 

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もうひとつ、 『先生の白い嘘』という漫画(連載中)でのインタビュー記事も読み応えたっぷりだ。これです!

いちいち「この人にレイプされるかもしれない」と思ってたらやっていけないから、当然ながら「男女は関係ない、相手を信頼している」ってことにしている。そうやっているうちにいろんなものが「なかったこと」になっていくような危機感があるんです。性被害とか性差別とか。それは女性から男性へのものも含めて。

でも実際にそういう被害は存在しているし、信頼ベースじゃないと進まないところにつけ込んでくる人もいるから、それをないことにしたままで「抑圧から完全に解放された」みたいな時代を迎えることは期待できないです。 

鳥飼先生って、「性」について、どちらかの性別だけにとりわけ甘い蜜を与えるわけでもなく、かといって厳しすぎもせず、きわどいながらも目を逸らしてはいけない話題を、近所のお姉さん的なポジションで気さくに問いかける人って感じがする。「男と女がどうやって共生していけるか」についてオリジナルな表現で鋭く見つめる、可能性に富んだ漫画家だと思うのです。 

 

 

異性に対してはっきり「違う」と物申せない自分にモヤっとするとき

『地獄のガールフレンド』最終巻で、こんなシーンがある。

可愛い自分が大好きで常時モテモテでビッチな女性、「奈央さん」に対して、「得してるんだから、嫌な目にあっても自業自得な部分もあるよね」とさらっと言う「石原くん」の回。

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(続きは是非読んでみてください!「奈央」さんの「嫌な目に遭ってもビッチで可愛い私を変えることはない」という逞しさが格好いいのと、女友達が正しさでは測れない彼女の魅力を全肯定するという流れが◎)

 

性被害の自己責任論を唱える人(被害者にも落ち度が…と繰り返す人)は性別問わず居るものなので、男性に限られた話ではない。ただ、性別が違うと、気づきにくい面や共感できない面があることも確かではある。「正論」「理屈」だけでは簡単に片付けられない(片付けてはいけない)「社会的性差」「背景」「感情」そして「被害者支援の在り方」というものがある。

異性に対して、同性以上に、「どう伝えても伝わらないから、笑って/黙って済ませた」みたいな経験を持つ人は多いかもしれない。たとえば職場で「これはセクハラっぽいな」「イヤな扱いだな」と思う場面でも、はっきり「それは違うと思います」と、怒れずに、曖昧に対応してしまった経験はわりとあるんじゃないかなと思う。

 

 

そんな中、こんな機会に恵まれて少しほっとできた。

今週金曜日に参加したイベント。

LOVE PIECE CLUB - トークイベント - 【3月ワークショップ】野中モモさん×ラブピースクラブ『バッド・フェミニスト』出版記念リーディングトーク

バッド・フェミニスト。ネットでも話題になったからご存知の方もいることでしょう。

ピンクが好きだし男も好き…。フェミニストなのに女性蔑視な歌詞が多いヒップホップをつい楽しんでしまう…。そうした矛盾も引き受けて尚、「私はこういう立場を取る」と態度をあらわにしています。その勇気!

フェミニストらしからぬからといって主張を引っ込めるのではなく、矛盾を認めながらもフェミニストであることを掲げる、だから、「バッド・フェミニスト」。

フェミニズムフェミニストに対して、「こうであらねばならない」と貼られるレッテルや過度な期待は、社会に根強くあります。ひょっとしたら、ときには、自分自身の中にも。しかし『バッド・フェミニスト』冒頭で著者はこう言います。「フェミニズムが完璧でないのだとしたら、それが人々による運動だからであって、人々にはどうしたって欠陥があるのです」。

矛盾を否定するのではなく完璧ではない自分や他人を受け入れ、分断を乗り越えることを目指す『バッド・フェミニスト』は、わたしたちが連帯し、力をつけることを応援してくれます。

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このイベントで、「自分がバッド・フェミニストだと感じる時について語る」というグループワークがあって、席の近い5〜6人が匿名で語り合うという時間があった。

フェミニズムについての勉強が不十分だから名乗っちゃいけない気がする(二波とか三波とかわからない)(フェミの定義さえわからない)」「(男性への服従と呼ばれやすい価値観があるので)フェラを乗り気でしたい時に少しモヤっとする」「結婚や出産の話題が振られて女性差別的だと感じても怒れずに見過ごしてしまう」「他人からフェミニストだと思われることに抵抗がある」etc…

 色んな方が、「フェミニズム的な考えを支持したいけど、自分はフェミニスト像とはかけはなれているんじゃないか」という葛藤や悩みを持っていることがわかって、「お互いに、完璧ではないことや矛盾も受け入れあって連帯していけるかも」という希望的観測を抱ける時間が、心地のよいものだった。

こういう機会が多くあれば、鳥飼茜先生が描いた『地獄のガールフレンド』のように、「持っているものや立場は違うけれど、どうしても男性とはわかりあえない部分があって、そこを女同士で愚痴りあえて、いざというとき助け合える空間」が発展していけるかもしれないなと思った。

 

 

しかし、性的決定権や性労働の話題になると、女性同士でも結構分断されている感がある…。

続けて、今日はこのイベントに参加

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講演会「セックスワーカーの安全、健康、権利――オーストラリアとアメリカの運動から」3月18日大阪・19日東京開催 | SWASH

五年前、大学学生時代の私は、セックスワーカーに対して偏見だらけだった(今無いとは決して言い切れないけど、昔はもっとダメだった。「当事者抜き」で物事を考えて「風俗はセーフティネットで必要悪(福祉で救済)」「望んで働いている人はいない(問題が解決されて他の労働が見つかれば皆辞めるだろう)」みたいな意識があって、無知のまま勝手な憶測で他人を乱暴に語っていた。*2

 

しかし、「権利」っていわゆる道徳や文化・価値観とは別のものなんだ。事情や背景は人それぞれだけど、それを引き受けた上で、性について自分で決めることは、その人の権利なんだ。だれとセックスしようと、セックスで稼ごうと、双方に合意があって、その人の意思によるものであれば、だれかにとやかく言われる筋合いはないし罰せられるのはおかしいこと(同時に、どんな状況であれ合意がなければ性暴力)なんだ。

自分が性に対して真正面から向きあえるようになってから、それにようやく気付けた。

性労働自体が悪いこと、早く脱出するべき、という保護の視点じゃなくて、劣悪な労働環境によって起こる暴力や犯罪を防ぐという労働者の権利の視点が必要なんだということ。他の労働者と同じく「自身の心身を守れて安全に働けること」「無理だと感じたら転職できること」「不当な扱いをされたらそれを訴えられて社会が一緒に怒ってくれること」が求められている。

 

「風俗の仕事は、技術が要るぶん、面白いよー」「妻が風俗嬢ってめっちゃいいじゃんね」と語る現役セックスワーカーの友人の明るい表情に憧れるようになった。他の労働同様に、やりがいもあれば、ポジティブな経験の引き出しだってたくさんあるんだよね。

 

「児童との性交渉(買い手と年齢や立場の差が大きい場合=明らかに合意形成が難しい)」「搾取」「暴力」はNGだという共通認識はあるかもしれない。(性被害者のケアが優先で大前提だともちゃんと前置きがあったうえで強調されていたが、)ただ、すべてのセックスワーカーが「自己決定できない可哀想な被害者」では決して無い、ということは認識差が大きい。自分の意思で性労働を選ぶ人だっている。そんな「自己決定して従事している当事者」にも、労働者として、人間として、安全と健康が守られる権利があること。それが理解されず対立が生まれることもある。被害の大きさやその人の心情を、支援が必要かどうかを、第三者がジャッジしてしまうことは大変危ういことだ。

(って私が言わなくても多くの人が指摘していることだけど。)

 

 

また、講演の中で、ポルノを「汚いもの」「恥ずかしいもの」「女性が虐げられるもの」「オナニー目的のもの」と毛嫌いしまう人もいると思うけど、「マイノリティな性指向/性嗜好を持つ人をサポートするもの」という見方もあるんだよ〜!!という話も良かった。それに、『ポルノが自分を貶めない』と思えれば、ポルノを楽しみたい女性はいる。「(女性への暴行が強調されない)女性向けポルノ」「(当事者が製作する)トランスジェンダー向けポルノ」も登場しているという話もあった。

「欲望への権利を誰もが持っている」「他人の欲望を自分の道徳観や価値観で否定してしまうことは危険」「性に関してポジティブ*3な環境がなければ自由に性を語れない。性暴力被害者にとっても沈黙を破れる環境がエンパワメントに繋がる」という部分も良かった。

 

 

性労働の非刑罰化が主流になっていくか

また、『性労働が刑罰化』されてしまうほど、セックスワーカー自身の安全が脅かされてしまうよねっという点が改めて語られていた。

内容は以下参照。

非犯罪化というモデルは、セックスワーカーの権利の保護を強化しやすい。具体的には、
・保健医療へのアクセス
・犯罪行為を受けたときに、警察などへの被害の届け出ができる
・安全性を高めるために、セックスワーカーが団結したり、一緒に働いたりできる
・家族が、セックスワークでの稼ぎに依存することで罪を問われないという安心感を得る

買春側も処罰の対象としない、という部分は、セックスワーカーを守るために、である。はっきりしておきたいのは、いかなるセックスも同意がなければならないということだ。権利としてセックスを要求することは、誰にも許されない。

 

 

 

さいごに、性産業で働く人を支援したいと考えている人へ是非読んで欲しい記事

 当事者やアライとして活動する人々の、力強い言葉に学ばされる機会が本当に多い。

素晴らしい記事をシェアします✨

 

 左が、貧困とかのネガティブな動機のセックスワーカー、一緒くたの考え方です。右が、労働環境や労働条件の改善によって搾取とリスクをなくすという考え方。

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前者だと、とにかくセックスワークをしなくて済むようにすることが主眼に置かれます。夜の仕事関係の人間関係しかないのは関係性の貧しい人々だとみなす考え方です。

後者の考え方であれば、性産業内での搾取や暴力をなくすことに主眼を置きますので、当然、夜の仕事関係者の多様性の広がりや、社会関係資本に開かれた業界を目指すことになります。

それから、これもよくある見方として、風俗をいやいやしている人が辞めれるようにとか、好きでやってる人は別にいいけど、みたいな見方があります。これも働いている人を二分する考え方でよくないと思います。

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実際には一般的な労働者がそうであるように、セックスワーカーも可変性のあるモチベーションです。

 

 

 

 

"自分が「生きるか死ぬかの苦境でなければ選択肢にのぼらないだろう」という偏見をセックスワークに対して持っていたのではないか。数多くある職業の中で特にセックスワークばかりが「なぜその職業を選んだのか」を問われ語られること自体が、セックスワークを他労働と分断し差別的に扱うことだった"

 

  

経験のあるなしに関わらず、すべての人はセックスワークに従事しうる―。

セックスワーカーの支援は、セックスワーカー自身によってつくられてきた。セックスワーカーでない支援者は、まずかれらの蓄積に敬意を払い学ぶ必要がある。  セックスワーカーにはさまざまな人がいる。プロ意識がある人もない人も、経済的に困難な人もそうではなく見える人も、心理的に落ち着いている人も取り乱している人も。「無防備」に見える人の心の中で何が起きているのかはわからない。大事なのは、その人の力を奪わず、よりよい支援を目指すことだ。

   

“ 「売春は悪くないけど買春はダメ」論に“イイネ!”していた私が、「買春者も罰しない形でのセックスワーカーの非犯罪化が現状ベスト」と思うようになるまでに考えたこと”

 

 

 

以上、おすすめエントリでした。他にも素晴らしい活動されている人や記事がたくさんあるので事ある毎に紹介していけたらと思います。

充実した週末だったな〜明日から仕事行きたくないな〜(お手上げ)

*1:『地獄のガールフレンド』鳥飼 茜インタビュー 女子ってなんか、めんどくさい。でも女子ってなんか、にくめない!  |  このマンガがすごい!WEB

*2:本当に本当に恥ずかしい過去だ

*3:セックスポジティブ=セックスは素晴らしいからセックスしよう!!ではなく、性や欲望をネガテイブに捉えないこと(性嫌悪の人を敵対視することではない。性嫌悪に至る辛い経験をした人を分断するのは間違いだと思う)、セックスをしないという選択も含め性に関して主体的に決められること、自分の選択に責任を持てること