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うれぴっプルン戦記

性的主体性と添い寝とダンス

「私を、あなたの眼にかなう抽象的な存在にしないで」

『私は常に当事者でありたかった。情報で知り、解析によってその事象を仮体験するのではなく常にその場に居て、実体験すること。自分を好奇心の向こう側にむりやり越えさせる唯一の手段。そこで勝ち得た情報だけが、私の細胞内に永遠にとどまることが出来るのだ。…

ヴァーチャル・リアリティは、当事者たりえなかった好奇心旺盛な永遠の少年、少女たちが一生つぶやきを続ける呪文のようなもので、それが真のリアリティとなって眼目に拡がることを望んでいる人が一体、何人いるであろうか。そのリアリティーを享受するときが我々が少年、少女であることをやめる瞬間なのであろうか。もし少年、少女が世界に対して遅れた人々であり、当事者になることが出来ないでいるアーティストの像と重なるのなら、私はなんとかもがいて大人になりたいのだ。表現の自由って本当に無責任で、時代遅れの言葉だと思う。アーティストは愛を語る人ではなく、愛そのものでなければならない。そしてそのために払わなければならない代償もはかりしれない。(古橋悌二)』

 

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 今日は学習院大学で行われた上映会(下記参照)に足を運んだ。思いがけない、思いがけない貴重な体験をさせてもらった。

パフォーマンス《S/N》初演の94年、当時私は3歳。20年以上も前に、関西でこのような素晴らしいアーティストが活躍していたなんてと驚いた、もっともっと知りたいと、憧れを抱いた……。

◆『S/N』は、京都を拠点とするアーティスト・グループ「ダムタイプ」が1990年代前半に展開したプロジェクトである。1992年、中心メンバーのひとりであった古橋悌二HIV陽性者そしてゲイであることをカムアウトしたことを機に始まった同プロジェクトは、セミナーショー、パフォーマンス、インスタレーション、本やCD制作へと展開。セクシュアリティアイデンティティ、個人と社会、愛と性、生と死などにダイレクトに言及し、波紋を投げかけた。
 パフォーマンス『S/N』はダムタイプのメンバーでもある高谷史郎の編集により映像化された。今回はこの映像版を上映するとともに、出演者のひとり、ブブ・ド・ラ・マドレーヌ氏のトークも行う。
【ゲスト】ブブ・ド・ラ・マドレーヌ:1961年大阪生まれ。アーティスト。時々ドラァグクイーン。90年代より国内外でパフォーマンスや映像、テキスト、ドローイング作品等を制作。dumb typeのパフォーマンス《S/N》(1994-96)に出演。同時にHIV/エイズと共に生きる人やセックスワーカーの健康や人権についての市民運動に携わる。1993年から2006年頃までセックスワークに従事。
 OTA FINE ARTS Home Page ; http://www.otafinearts.com/ja/artists/bubu-de-la-madeleine/
【聞き手】
 溝口彰子(学習院大学 身体表象文化学専攻 非常勤講師)

 上映会には、学生さんも沢山いて、ほぼ満員の教室で配布されたレジュメは、古橋悌二氏が自らが同性愛者でありHIV陽性者であるとカミングアウトの為に用いた手紙である『古橋悌二の新しい人生ーLIFE WITH VIRUS HIV感染を祝って』。

“真の友人様へ”という宛名で、手紙は綴られる。

「死というすべての人間にとって唯一の現実をポケットにしまいながら、今までの私は何が現実で何が非現実かはっきりしないまま彷徨っていた。芸術表現というありとあらゆる非現実の複合体の最大限の創造をもってぎりぎり私はこのポケットの中の現実の重みに耐える事が出来る。
 ある細胞が私の肉体を守ってくれている。ならば私の精神を守ってくれているのは創造力と愛だと思う。私の細胞がVIRUSを許容しているように、私は想像力と愛であらゆる人を許容したい。」(memorandum「#2 letters」より)

 かつては不治の病とされていたエイズ後天性免疫不全症候群)は、1996年を境に、新薬の成果あって死亡数が激減した。現在では医療技術が進み、死に直結する病気ではなくなった。発症前の早期発見と薬物療法により、長生きできるし、今までと同様の生活ができる(セーファ―セックスで性生活も持続できる)※補足*1

 しかし、古橋氏がエイズを発症したのは92年。つまり、死が確実に彼を待ちかまえていた。カムアウトされた友人たちも、彼の未来を受け入れ、その上で今まで同様にアート活動を続けた。そこで生まれたのがこの作品、パフォーマンス《S/N》である!

世の中にあふれるラブソングが、愛や性の形を固定化する中で、自分(たち)の在り方を問う勇気を、正しい知識を更新する勇気を持てるだろうか。「同性愛者」「障害者」「非白人」「セックスワーカー」という“レッテル”を自ら掲げて登場する人々によって、レッテルはポジティブに主体的に貼り替えることだってできる、という解釈が生まれる。ろう者(Deaf)であるメンバーが「(私を)あなたの眼にかなう抽象的な存在にしないで」と音声言語で綴る。そしてゲイでありエイズで亡くなった哲学者ミシェル・フーコー*2の「同性愛者かを見極める必要性はない。友情関係こそが問題なのだ」という言葉が舞台に響く…。

「私はあなたの愛に依存しない。私はあなたとの愛を発明するのだ」

「私はあなたの性に依存しない。私はあなたとの性を発明するのだ」

「私はあなたの死に依存しない。私はあなたとの死を発明するのだ」

「私はあなたの生に依存しない。私はあなたとの生を発明するのだ」

思わず手帳に殴り書きしてしまった。私が日頃悩み続けている、性的主体性やパートナーシップの答えそのものだと思った。自分と異なる他者とどうやってオリジナルな生活を、未来を、関係性を切り拓いていくか。諦めず、対等な関係性を模索し続けること…

 上映後、ブブ氏によるトークショーでは、当時の状況、「ダムタイプ」結成について、作品の補足説明、メンバーへの信頼と愛、作品が出来るまでのプロセス(脚本や衣装など役割を固定せず常にローテーションさせることで多様な価値観を活かした面白いものができるなど)、舞台演出についてなど、拝聴できてとても充実した3時間だった。

う〜〜〜〜〜文章では感動を表現できないので…是非みなさん観に行ってみて!!というかんじです!!

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 ◆10月10日追記:素晴らしい記事を拝見したので紹介します 

BuBu 悌二との関係が私の人生にあまりにも大きな影響を及ぼしているので、一体それが何だったのかということを言語化することに、かなり時間を要とするという気がしています。恋人ともいえないし、親友、パートナーといっても漠然としているし、私たちの関係を表す言葉が無かったんですね。彼が男で私が女、彼がゲイで私がヘテロセクシャルで、そういうふたりの関係というのは、ふたりでつくるしかない。悌二がHIV陽性だとわかった直後に風俗の仕事を始めました。最初はHIV陽性の人専門の売春婦になりたいと思ったんです。性的に他者と触れ合うことが、その人の生命力にいかに影響するかということを私はそれまでの人生で学んでいたから。HIVに感染したからといってセックスを禁じる今の社会は本末転倒だと思ったんですね。身体的にも精神的にもしんどい時こそ、専門家というかプロによる全面的なケアが必要だと考えました。社会福祉の進んだ北欧の国では、身体障碍者専門の売春婦がいるという話を聞いていたし、そういうことの必要性を感じて、それが私にできることであればしたいと思ったんですね。

 

  

いま生きる日常の中で性的に脅かされず

自らの選択肢を持てること

セックスワーク*3に従事していたメンバーがこう語る場面がある。「人を喜ばせるのが好きだからこの仕事を選んだ」「初めて自分が“体を売った”と感じたのは、結婚後だった。したくないセックスだったのに、夫にしたくないと言えなくて、夫もそれに気づかなかった。この関係性を自覚したときだった」

性に関することーー。この作品には、性労働者への偏見(リンク先参照)、性的場面で嫌だと言えない状況、パートナー間の性暴力(親密であるはずの相手との関係性の貧しさ/非対等さ)の問題もはっきりと提示されている。芸術でしかできない訴え方があった。

 

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会場を出て、目白駅から高田馬場駅まで歩いた。途中でブックオフがあったので店内を見渡すと、セクマイ当事者間で話題になっていた漫画を発見した(買った)

この前ロースクールで男性同性愛者の学生が自死してしまったことは記憶に新しい(この漫画の主人公も似た状況だったけど自分を受け入れてくれる居場所が出来て助かった)。今日の上映会の質疑応答でも、「性的少数者が生きやすい時代になったのだろうか?」というニュアンスの質問があった。アメリカでの同性婚可決。パートナーシップ条例を導入する都市、同性配偶者を認める企業も増えている。ネットを探せばLGBTについての情報が得れるし仲間も見つけられる時代。表面上は先進しているかのように見える。ただ、学校・職場・家庭…そういった日常生活が営まれる場所で、根強い偏見は変わらず残っていて、自分を偽って生きている/カムアウトを強制させられる状況の人がいる。「あなた異性愛者なの?」という質問を興味津々でぶつけられる人がいないように、同性愛者に対しても同様な社会であってほしい。悪気のない、無知による発言に心折られる日もある。性的多様性が認められる社会には、まだまだなっていないと私は思う。いま生きる日常の中で性的に脅かされず自分の選択肢を持てること。他人に貼られたレッテルがあっても、自分で剥がしたりポジティブに貼ることが出来ること。性的場面で自分の言葉を持てること。一つの属性にとらわれず、相手を抽象的な存在にせず、オリジナルで固有な、個人と個人が関係できること。遠い世界の話じゃなくて、今自分が生きる場所でそれを勝ち取っていけたらと思う。当事者として。

 

▼卑猥だというコメント貰った。超真面目に書いてるのにw

 

さらに追記!!

dumb type《S/N》上映とトーク

2017年5/28(日)国際基督教大学で上映決定とのこと!!

滅多にないチャンス!!行きましょう!!

*1:まだまだ誤解の多い病気だけど、男性同性愛者だけの病気というのは大きな間違い。性的感染の場合、コンドームを使用しなかった/できなかった場合の感染リスクは性的指向問わず誰にでもある。実は、異性愛者のほうが、検査に行く習慣の低さ等からエイズ“発症”率は高いというデータがある(http://hiv-hiv.net/?p=236)参考:HIV・エイズって何? | HIV検査・相談マップ 厚生労働省エイズ治療薬研究班 HIVマップ | すぐに役立つHIV(エイズ)の情報サイト / データで見る、ゲイ・バイセクシャルとHIV/エイズ情報ファイル

また、病院で働き始めて、HIVキャリアの人に出会うことも増えた。HIVの感染経路は①母子感染②血液感染③性的感染で、性的感染の占める割合が最多。異性間の性接触で感染することも勿論あるけれど、同性間の性接触が統計上は多い(同性との性経験がある=同性愛者とも限らないです)。しかし、異性愛を前提にその人を眼差してしまうことで、必要な場面でさえ、自分がHIVキャリアであることを言い出せない人もいるだろうと思う(ちなみに今はもう、早期発見して治療を開始すれば、長生きできる病気。治療継続でウイルス保有率は激減して感染リスクも殆どなくなる)。敢えて語らないかもだけど(語りを強いられるべきでもない)、目の前の人が「異性愛者ではない可能性」は常にあるんだよね。「“誰でも”異性に惹かれる」ことは事実ではなく、本当はもっと多様な性の形がある。保護者が理解していないなら尚更学校教育で教えないと、子どもは正確な情報に接する機会を奪われっぱなしになってしまう。そして、当事者(特にLGBTQである子どもたち)の孤立化や自尊心の低下の問題を少しでも教育関係者や親御さんたちに考えていってほしいと個人的には思います。

*2:Le Paradis - 『同性愛と生存の美学』 ミシェル・フーコー

*3:参照:SWASH: about us “性風俗産業や売春などの、性的なサービスを提供する仕事を「セックスワーク」と呼びます。性的な(sex)+仕事(work)という意味です。そこで働く人を「セックスワーカー」と言います。この言葉には、いくつかのよい点(以下)があります。”

・偏見や蔑視的な意味合いが少ない
・女性以外のセックスワーカー(男性やトランスセクシュアル・セックスワーカー)も含んでいる
・幅広い職種を含めることができる