うれぴっプルン戦記

性的主体性と添い寝とダンス

感謝的生活

貸した金、人間関係終了時に請求した金が1年半かけて全額返済された。これで、貸し借りは一切なくなって、過去の関係性が清算されたように思う。今日を返済記念日と名付けたい。私は今とても幸せだ。お金の問題で、望まない他人とつながり続けることほど不幸なことはない。情が残っていると、それでも嬉しいと感じるのかもしれないが、恋愛感情を喪失した正気の頭で考えれば、そんな縁は切れたほうがいいに決まっていると理解できる。恋愛は精神の病である。判断力を失い、幻想に囚われ、過去の自分が塗り替えられ、新しい一面が誕生する。精神が崩れること自体は不幸ではないし、とても魅力的な経験だ。しかし、それが行き過ぎてしまい、相手に対する暴力を正当化したり、社会的存在としての自分を見失い、日常生活がままならなくなることは不幸だと自分は思う。どこかで折り合いをつけて、器用に線引きをして、精神的に、肉体的に、生活的に、「恋愛」をうまくやっている人ばかりなのかもしれないけど、それができない人間も一定数いる。それと私は「恋愛的状態」で心を麻痺させて現実逃避しようとする癖があるらしい。なので、「恋愛的状態」を選ばないほうがいい(実際恋愛を捨てたら最高に健康で平和な人生になった)んだけど、この間、性暴力の裁判云々で精神的に死んでいた日に、やけにハイテンションになって疑似恋愛に逃げそうになった(数日後現実に引き返せたけど)。他人を一方的に利用してはいけない。お互いに自覚しあいながら利用しあうなら健全だけど。私のダメな部分は、自分がしんどい時に、無自覚に、相手の精神(物語)を支配しようとするところだと思う。暴力を振るわないよう、正常な判断力がある人間と付き合うのに限る。もういい歳してる大人だものね・・。

3日前に、茗荷谷時代の女友達と4人で呑んだ。自分よりずいぶん年下の女性もいる集まりなんだけど、その日は、「俺は男だ!とやたらアピールする男は精神年齢が実年齢からマイナス10歳。幼い。」「逆に中性的(自分の男性性?をアピールしない)な男は実年齢と精神年齢が近いんだよ。わりと大人。」と20歳そこそこの女の子たちが熱弁していて面白かった。「でも中性的な男って、私を女性として愛してくれないから嫌だ。友達っぽい付き合いを望むし、独占してくれないくて嫌」みたいな意見もあった。中性的な男性ばかり好きだった過去の私は、女体/女性として愛されたくなくて、男性とは性の匂いのない友愛的な関係を望んでいたのを思い出し、なるほどだった。今は割と雑食というか、細かいことが気にならなくなった。それでも、『・・・!?この人だ!・・・イイ!存在がLOVE。添い寝だ。』っていう出会いが稀にあるっぽい。そういう出会いはこの歳になってからは特に貴重すぎるので、大切にしたい。あなたは私のソウルメイトだよと、真顔で語れる10代の私はいまだ健在、今後も健在である。