うれぴっプルン戦記

性的主体性と添い寝とダンス

ニンフォマニアック前編を観た

「孤独で寂しい」と「愛が欲しい」はイコールではなくて、分化しちゃっていいじゃん、という映画ですよね。

私も60、70歳になったら多分寂しくなると思うんですよ。そういうときのために一緒にいる人が欲しいなとも思うけど、でもそれが恋愛である必要性はないような気がしている。体の快楽のために生きている人がとても羨ましいと思うし、とにかく最近はなにかと恋愛を絡めてくるのが面倒臭いと思うようになってきていて…

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ラース・フォン・トリアーニンフォマニアック』の前編を観た。トリアー映画の割には明るいトーンだし真面目な場面なのに声を出して笑えてしまって鬱3部作とは思えない内容だった。彼の映画は長いけど、あっという間に観終わるので疲労しない。良い。反キリスト教なところや女性蔑視的(≒女性の神聖視/負の要素の象徴として、あるいはその元凶として描かれる)という根本は変わらずっぽくて、まず主人公:ジョー(女性)も自業自得とでもいうテイストで傷だらけになって真冬の路上に倒れている場面から始まる。だけど、男性に媚びず(男性を一人のパートナーとして扱わず、恋愛をくだらないと捨てながら)主体的に性を選び続けるジョーは確かにとても爽快だった。というかこの映画では主人公にとっては男性がただのマラ(完全に道具扱い*1)なので男性蔑視的とも受けとれる作品だと思ったし、そういう意味でも、そもそもトリアー監督は、性別を超えて人間が大嫌いで恋愛を美化し評価する社会を軽蔑しているのだと感じた。

 

 

孤独感の解消を恋愛に依存しすぎると危険だ

世の中がいかに恋愛至上主義思想に傾いているかを嘆きたい。恋愛を選ばない者/できない者を見下す風潮が不快だと嘆きたい。友人が恋愛に夢中になる姿をよろこぶ反面遠くにいってしまったと感じた瞬間に蝕まれる寂しさを嘆きたい。「嫉妬交じりの性欲を恋愛というんでしょう」という作中の台詞は概ね正解だと思う(性欲を伴わない恋愛もあるので全てではない)。強情も独占欲も暴力も「恋愛」の中では美化/正当化されやすい。一時的な振れ幅でしかないのに、代替不可能だと思い込み、曲解してしまう。それに無自覚なために、重大犯罪の多くが親密圏で起きる。愛のためなら何も恐れない、と言う人に出会うけど、その愛とやらは消費しやすい物語として最適なのであって、実際に誰かの人生や生活を壊すのにはリスクと責任が伴うし、恐ろしいと思う。まずその口が語る愛とやらは暴力のことじゃないの?なんで正直に暴力と言わないの?恋愛という言葉が免罪符になる現実っておとぎ話みたい*2だなと不貞腐れることがよくある。

 

 

 

 私自身は自分の意志で(相手に嫌われたくなくて不快な性的言動:性暴力を我慢するとかではなく)肉体的あるいは精神的に気持ち良くセックスを選択している人間が大好きだ。

突然だが私の愛するビッチを紹介する。

 私の愛するビッチ(彼女らは私を嫌ってるけど)

寂しさを恋愛ではなくセックスで埋めるメンヘラビッチMさん

私は彼女にめっちゃくちゃ嫌われているし、私も「心の大きな穴を一時のジャンクフードでごまかしても寂しさは埋まらないですよ」と説教したくなるわで相性は悪いんだけど、彼女に対して一目置いている部分がある。なぜなら、彼女は自分が欲しいと思ったイケメンとしかセックスしないのである(+必ず自らコンドームをつける)。彼女は美女だからイケメンとセックスできるわけではなくて、同じフィールドにいるメンヘライケメンを巧みに手籠めにする技術が高いというか、賢いのだ。そして好みでない男とはいくら寂しくても断固としてしない。断るし逃げる。その意志の貫き加減は誰も真似できないのではないかと思う。

手当たり次第に自分よりも若い男とセックスする既婚者Yさん

旦那とは別居中だと話すが、既婚者は相手のセックスハードルを下げるため嘘をつくことも多いので真実はわからない。この女性は同じ空間にいれば手当たり次第男性を誘って寝ている。猫撫で声も面白い。ニャンニャンオー。それに従順になっている男性の下心は傍からドン引きされている。大勢がいる空間でも、同性の目を気にせず、一匹狼で、30代で若い男性と遊びに興じているところも珍しい(あんまりこういうタイプは見かけない)。相手に思い入れせず、その場次第のノリの良さ、肉体の快楽に素直なところも好印象。ただ性病が怖いので、ピル飲んでるとはいえ手当たり次第の生セックスはやめたほうがいいと思うので今度会ったら伝えよう(諸々検査済みなら生でも罹患リスクは下げられるけどさ)

あと、処女童貞にゴムありセックスを教えてあげないヤリマン/チンは罪深いとも思う…。性教育の大切さを痛感する。

女性の性的決定権は蔑ろにされてきた歴史がある(男性の性欲に対して、受け身に/従属的に振る舞うことが求められてきたり)(性にオープンだったり、性を自発的に楽しむ女性は恥だという価値観が間接的に刷り込まれてきたり)けれど、自分や他人に対して貞操や恥という価値観を押し付けて性的選択や性的欲望を抑圧するのは時代遅れだと思う。自分の意志で誰とセックスしようがその人の勝手だよ。そこに性差はないはずだ。※避妊と性病の正しい知識があることを前提として書いてます

色情狂と形容される主人公に嫌悪感なんてちっとも抱かない。じめじめした官能性はなくとも、恋愛に流れず、肉体の快楽の追求を制限せず生きていく女体の艶めかしいこと。それが際立つ作品だった。*3

明日後半のDVD借りてこようっと! 

 

 

 

恋なんて、所詮娯楽だもの。なければ退屈だけど、べつに生きていけないわけじゃない。でも、夫の愛がなかったら、私はきっと生きていけないな。お互いに別の人に恋することはあるけれど、それによって二人の信頼や愛は揺らがない

映画鑑賞した後に、中村うさぎの言葉を思い出していた。異性愛者である彼女の夫はゲイであり、非恋愛/セックスパートナーである。恋愛やセックスに属さない愛の形が一つ、ここにあり。理想的すぎてスゲーナスゴイデス…。

『姥皮地獄』という彼女の著書の中に、なぜ女性の不貞ばかりが責められるのか、という話題があった。彼女はこう説明している。

恋と愛は別物である。「恋」は他者を排除して二者間の密室に閉じこもる習性を持つが、「愛」は広く他者を受け入れるオープンな性質のものだ。つまり、「恋」と「愛」は両立が難しい*4。「恋」をしている、情熱的な欲望に支配された視野狭窄状態の人間は子育てに必要な「母性」と呼ばれる「開かれた愛」を維持し続けづらい。家庭は「母性」によって支えられているため、「母性」を全面的に担当しなければならない(状況にある)女が「恋」をしてしまうと、家庭崩壊の危機となる。男の浮気よりも女の浮気が禁じられているのは、このためだ。

しかし、「母性」を女が担当しなければならない、という決まりはない。「母性」担当の人選は、性別ではなく資質の問題なので、男性が「母性」を担当していれば、女性が外で浮気をしていても、家庭はそれほど揺るがずに済む。子どもにとって不幸なのは「母性」担当者がどこにもいないことだ。(『姥皮地獄』189p)

▼この間のベッキー叩きも酷かったよね…

 

 

恋愛によって美しく正当化されたセックスがしんどい

恋とセックスは人間にとって麻薬のようなんものである。その快感は、しばしば人に悪徳すら犯させる。恋とセックスという魔物を飼い馴らすために、人々はそれを「愛」の概念にすり替えたんである。 (同著195p)

恋愛前提で“正当化”されるセックスとは、恋愛という言葉で覆い隠している部分の多い性関係のことだ。たとえ、恋愛関係/感情という正当化できる理由があったとしても性的接触周辺で自分が傷ついたらそれをなかったことにしちゃいけない。

正当化できる理由がなくても、欲望のままに行動すること自体は(相手の合意を得た上なら)何も問題ないはずだ。まあ、欲望のままに、というだけの理由では、トラブルがあったときに相手を丸め込めないし言い逃れできないしリスクも背負わなきゃいけないから避けたい、という人もいるのかもしれないな(逆に、判断力の低い状態の人*5を露骨に狙うような無責任なロクデナシを除き、欲望のままにセックスしているんだとオープンな人のほうが相手に対して誠実で紳士的であることは案外多いかもしれない)

 

 

恋愛前提以外のセックスを笑うな、非暴力的で在ろうと努力できる性関係ならいいじゃない

そもそも、裸になって(いや、裸でなくとも、)他人の身体に触れること自体が一種の浸食行為(≒暴力性を孕む)なのだ。だからこそ、恋愛関係/感情を理由にして思考停止したり「愛してる」だとかの言葉で誤魔化さずに、そこんとこのリスクは最低限引き受けなきゃアカンだろと吾輩は思うわけですよ。性的関係に恋愛なんてあってもなくてもいいんです。ただ、相手の心と身体を労わる気持ちを持って、自分自身もyes/noの意志表示をはっきりできるものであれと願っちゃうの~さ。

終わり。

 

 

追記:映画後編の感想はこちら

kmnym.hatenadiary.jp

*1:逆に女性/女体が性的処理道具扱いされる創作物はゾーニングもされずに有り余るほど存在する。男体も同程度の扱いを受けるようになれば公平な社会だと思う

*2:愛の暴力性については、キム・ギドク『弓』でどうしようもなく恐ろしくうつくしく描かれている。おすすめ映画の一つ。あと園子温愛のむきだし』も面白かった。漫画だと鳥飼茜『先生の白い嘘』がよかった。

*3:創作物に期待すること:非美人男性が登場するセックス描写と同じくらい非美人や中年女性のセックス描写も当たり前の社会になってほしいな~。恋愛要素薄いパートナーシップを描いた作品も増えてほしいな~。

*4:複数恋愛を許容しあうポリアモリーな人々同士なら成り立つかもしれない

*5:性知識と責任能力の不十分な子ども、精神的に落ち込んでいる人、泥酔している人など