うれぴっプルン戦記

性的主体性と添い寝とダンス

著名人の浮気騒動から考えるトラブらない性的関係

久々にツイッターを覗いた*1ら、『五体不満足』で有名な乙武氏の不倫騒動が並んでいて驚いた。中学一年生の頃、塾で『五体不満足』をテキストにして国語の授業が開始されたのを思い出す。若い女性教師が「乙武さんは、イケメンなので正直付き合いたい。手足はないけど!」と発言していたのを十年後の今も覚えている。顔面の出来栄え次第で他人からの妄想材料になってしまうのは障害云々関係ないんだなと当時の私でもしみじみと感心したものだ。大人になってから、軽度知的障害を持つ美少女・美少年が性的カモになっている事件を目にするときも、似たような事を思う。目の前の個体の意志(判断力)には目を閉ざし、欲望は多少の罪悪感を振りかざしながら青空の下を突き進んでいける。権力があればあるほど、欲望処理の道具・機会を手に入れやすい。しかし多くの障害者は非権力者である。故に弱者である場面が多い。欲望を持とうとすれば疎まれ、「善人面」を求められやすい。欲望を発散しようとするものなら差別的扱いをうけ「隔離しろ」と言われることもある。障害を持つ我が子の性欲を認められない親というのもよく聞く話だ(それが性教育へのバッシングにつながったり)。しかし時代は変わり、性欲処理目的の障害者用の風俗やNPO・ボランティア団体も活躍してきている。しかし今回の不倫騒動は、単なる性欲処理の話ではなかったようである。

 

法律や社会規範云々はさておき、パートナーの信頼・関係性を壊すという一点を重要視するべきという考えの私は、浮気自体に罪はなくても『パートナーがひどく傷つくのを知っていて「隠れて」浮気する』『パートナーや浮気相手を一方的に玩具にしたりコレクションする(相手の意志に反して人間扱いしない*2)』のであれば、アカンでしょうとハラハラした。乙武氏は、自分で尻拭いせず奥さんにも謝らせているらしいし(ポリアモリーやオープンマリッジ関係*3で奥さん合意の上の浮気ならばまだ理解はできるが…。)「夫の不貞は妻共々連帯責任」みたいな社会が前提になってしまったら、正直最悪だなと思った。そんな家族観要らんっつの。

 

 

kmnymgknunh.hatenablog.com

昔こんな記事を書いたことがある。複数恋愛・性関係に対しての内容で、根本的にこの理想は変わっていないんだけど、当時(2年前)と現在で違うのは、私も「状況次第では」浮気されると結構傷つく、ということ。嫉妬という感情には個人差があれど、浮気は(約束を軽んじるという意味で)不信感につながることもある。変に関係がこじれないためには、婚姻時あるいはお付き合い時に、浮気に対する考え方をお互い話すべきで、永遠に性的独占関係でいいならそれでいいし、それが難しい場合はどこまでが浮気か定義して、浮気に関するルールを作り、具体的に線引きしておくことが関係性破綻を防ぐと思うのだ。法律や社会規範や他人んちはどうだとかに囚われるんじゃなくて、目の前の個人(パートナー)は自分との関係性において何を望み、何を考え、何を譲れて、何は譲れないのか、具体的に話し合って、調整して、すり合わせて、個別のパートナーシップを結ぶことにエネルギーを割ければ、面倒臭いけど、長期的でオリジナリティあふれる関係性が結べる、はず、なのだ。(と思って人生実験&実践中である。*4

 

同様に、性的関係においても、目の前の個人(パートナー)が何を望み、何を感じて、何を我慢しているのか、など具体的に話し合えると、本来の性の楽しみを得られるのではないかと思う。そこで、面白い記事を見つけたので紹介したい(セックス嫌いな人や特定のセクシュアリティの人にとっては興味ない話題かもですが)。

理想は“リバ”のセックス!?これからの男女に必要な「攻めと受け」とは<一億総オクテ時代の恋愛学>アルテイシア/二村ヒトシ - 幻冬舎plus

 

■セックスって本来、気持ちよくて幸せなもの。支配/依存やマウンティングに使うのではなく、セックスそのものが好きな人にとってはね。お互いの身体に敬意を払いながら冒険していけるようになるといいし、それの方がエロチックだと思う。

ポイントは、女もリードし、関係性をマネジメントしてみること。そして男は自分を委ね、相手を受け入れること。最初は慣れないかもしれないけど、やってみると簡単だし、互いにその喜びを知っていくというのが理想的。

男女でも「レズビアンのリバ同士」みたいなセックスを推奨したい。おしゃべりして笑い合ってキスしてイチャイチャして……っていうセックスの幸福感を男子にも知ってほしい。男のオラオラ洗脳を解いて、その素晴らしさを教えられたらいい。

攻めと受けをめまぐるしく交代し、マウントを取り合うみたいなセックスは楽しい。そうやって役割を固定しない方が、幸せなセックス、興奮するセックスにつながる。

 

結果苦しんで、どちらかがすり減るセックスじゃなくて、権力関係の中での疑似売春(貢がれたから身体を「与える」)ではなくて『お互いやりたいときにやろう!』をベースに、楽しくて気持ちいい方向を目指せたら、性が起因する哀しみもある程度は減ると思うのだ。セックスという個人的経験によって、最終的に男/女はクソだーみたいな歪みが生まれるのも残念極まりない。性別云々の前にそもそも他人なので分かり合えないことは前提であるし、共感は難しいけれど、理解しようと伝えあい、知識と技術を学ぶことは出来る筈なのだから。*5

 

この記事で、一つだけ、違うかな?と思ったのは「男は女性にスキンシップされたら喜ぶ単純な生き物(喜ばない男は性的に潔癖!)」という部分。いやいや、女だって男だってそれ以外の性別の人だって、相手との関係性と状況次第で、意志に反した、不快な接触はいくらでも起こり得るよ。男性はセクハラ被害に遭いづらい、といった偏見を助長させてしまってはいけないと思った。その偏見が蔓延すればするほど、女性による性的加害も見過ごされてしまう。

 

ちなみに、乙武氏が身体障害者*6であることを引き合いに「乙武さんは手足がないので、相手の服を脱がせられない。女性は自発的に脱いだ。故に合意だ」といった擁護があったけど(今回の件で相手女性の合意があったかという話をしたい訳ではない)、そこで注意すべきは、性的場面において、常に身体的強者が性的権力者ではわけではないということだ。「女より男のほうが腕力がある。力では抗えない。よって女は常に性的弱者であり、主体性を奪われる」といった主張は部分的には正しいが、全体としては間違っていると思う。性的場面における力関係は、肉体的な強さだけでは測れない。もっと、心理的なもの、権力関係に注目したい。誘導の仕方や(相手にイエスを強要させるような)脅し方、恋愛感情や相手の社会的立場の弱さを利用した性的暴力は、肉体への暴力や拘束がなくとも簡単に成立する。加えて、事前に合意が取れたとしても、最中に性的暴力が起これば、それは性暴力としてカウントされるということは忘れずにいたい。「イエスと言ったなら、最後までイエスを貫くべき」といった信条を持つのは個人の自由であるが、加害者擁護の文脈では使ってはいけないということを、我が身に刻んで、加害者にならないように気を付けていきたいし、ビョークのCD届いてうれぴっプルだし、長すぎる前髪を切りたい(もどかしい)

*1:気になる話題があれば、今後は連続ツイートではなくブログにまとめていきたい

*2:お互いに人間扱いしないならニーズが一致していていいんだけど

*3:当事者全員が合意関係にある複数恋愛・性的関係のこと

*4:多くの人は恋愛関係内で自分と相手が変わっていく~!とかなんとか言うけど、正直恋愛関係じゃなくても、責任取り合えて、愛があって、お互いに変化をもたらす不思議な関係性は築けるのではないか?

「この人とパートナーとしてやっていく」という覚悟さえ持てるなら、恋愛は必須項目ではないんじゃないか、と個人的には思うのだけど、あんまり市民権は得られない

*5:知識と技術により非暴力に努めることは可能だが、コミュニケーション能力(察する能力&言語化する能力)に個人差は大きい

性的関係に限れば、体力・運動能力・嗜好や体の相性に左右されやすく、残酷な結末を迎えることもあるが、そればかりは相手を恨みようがない。運次第なので仕方ない。技術不足や相性の不一致を理由に相手を一方的に加害者扱いするのは卑怯だとも思うし、そこはお互い様である

*6:障害者基本法において、「障害者:身体障害、知的障害精神障害発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁(=日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のもの)により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」と定義される。また、2013年から障害者総合支援法においては難病疾患者(130疾患)も支援対象となった