うれぴっプルン戦記

性的主体性と添い寝とダンス

川原を走りながら性暴力に遭ったらと考える

近所に潮風の通り道という名を持つ川原がある。日が暮れると、濁った臭いだけが取り残される。暗闇の中、白い電燈に照らされたボート三隻を寂しそうに抱いている水辺がある。去年の夏から通い続けているジムにて四十分間トレーニングした後に、自転車を置き去りにして、スポーツブラジャーとTシャツ姿のままで川原へ続く階段を駆け下りた。中島みゆきダンスミュージックを交互に聴きながら走り抜ける。二つの鉄鋼の下を潜るとその先には回送列車の車庫がある。網をよじ登って、無人列車の通過を肌で感じる。車窓が内側から白く光って私の汗ばんだ肉体を無表情で横切る。ガタン、と線路が鳴るたびに引き締まる思いがする。体温がやさしく下がってゆく。春風が吹いている。

木蓮の花が咲いている。その白い花弁が白い電燈と交互に存在感を現す様が美しい。暗い水面もその配色に心躍るようだ。私は頬をゆるませながら、今宵の風景の中を三キロほど走った。

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わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

写訳春と修羅 | 齋藤 陽道, 宮沢 賢治 | 本 | Amazon.co.jp

 

音楽を聴きながら(両耳は塞がれて)深夜の川原を走っている自分を遠くから見つめる。頭に浮かぶのは、ここで変質者、性犯罪に遭ったら、外野から「なんでランニングなんてしたんだ。女の子が夜道を走るべきではない」と非難されるだろうなという考えである。百歩譲って他人にそんなことは言われなくても、周囲への不注意を増すような、音楽を聴いて耳を塞いでいる行為自体が、自衛とは真逆の行為なのだから、事後「せめて、音楽なんていていなければ、犯罪に遭わなくて済んだかもしれない」と自責するだろうと想像する。選択肢を広げればその分、リスクも増えるのは当たり前で、弱者として選別される者ほど選択肢の幅以上にリスクが膨らんでいく。そうやって、幾分もこの手の「自衛意識」に悩んだ自分がいる。それでも、音楽を聴きながら思いっきり夜を走ることの気持ちよさを私は知っている。リスクを最小限に抑える方向を選択できない自分が確かにいる。リスクを最小限に抑えた選択とは朝晩構わず一時もひとりで出歩かないことだ。しかしそれでは生きている楽しみを奪われないだろうか?。

ここでまた私の意識は加速していく。加害者視点でものを考えることもある。「無防備に見える女体は、恰好のカモに成り得る。」と。自己陶酔に浸り、ランニングしている私の背後に回ることはたやすいだろう。仮に、そのまま、殴られて、服を破られて、相手の体液をかけられたとする。それでも私は何が何でも絶対に生き残ろうと誓う。魂が引き裂かれても、「かならず加害者を社会的に殺し返そう。」という意志が重みを増す。反撃方法を少しでも学べれば迷いの中でも踏み出す一歩が力強くなる。性犯罪に遭ったら体液は洗い流さない。警察に差し出すのだよ。脳内で反芻する。

身体は夜風に流れこんなにも気持ちがいいのに頭の片隅に殺意をただしく残しておく。それが負けない生き方である。中島みゆきがファイト!と唄っているのが聞こえる。

こちら参考になる記事。どんな状況だろうと、どんな要因が重なった事件であろうと、性犯罪被害者に対して、本人の力をさらに奪うような言葉かけをしてはいけない。知識がないと、そこが難しい。沈黙が正解であることもある。

yk264.hatenablog.com

もうひとつ、こちらも参考になる。(被害後に出来る行動がチャート式になってます)

“被害に遭ったあなたに責任はありません。
そして、あなたの人生はあなた自身が決めることができます。
今のあなたに自信をもってください。”

shiawasenamida.org

 

ランニングの途中で無性に鮪が食べたくなって、近場のスーパーで刺身を購入した。

刺身を抱えて帰り道をまた走った。気持ちがよかった。

帰宅して、三日月型に切った南瓜に白髪葱、青葱、茗荷を散らして出来上がった味噌汁が、月夜の天の川みたいで再び心が躍った。他は春菊のピーナッツ和えと胡麻豆腐、桃のゼリーで5品目。翌朝は参鶏湯とブリ大根。とても美味しかった。

明日の朝食はバナナたっぷりのヨーグルトと小さなバターロールの予定である。