人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

十年の月日とカミングアウト

 2007年。当時15歳の私の毎晩の日課は、インターネットの大海を泳ぎ、似たような悩みを抱えたお兄さんお姉さんのブログを読むことだった。セクシュアルマイノリティ(≒LGBTs)に関することは特にそうだった。私は自分の言葉を持っていなかった。

 ある日、生理痛が重いという理由で中学校を休んだ。産婦人科受診した帰り道、大事件が起こった。何の脈絡もなく、外の景色を眺めていた母が、「私もさ〜、、、同性の先輩のこと特別に感じて大好きな時代もあったな〜。」と、私をさらっと言葉で抱きしめたのだ。「…へぇ。そうなんだ。」としか返せず、目を合わせることもできず、助手席で滲み出る涙をこらえた。沈黙しか選べなくて、自宅へ戻ろうとする軽自動車のエンジン音だけが耳に響いた。10年前のことなのに、それを今でも思い出す。15歳。私には、特別な存在と思える女の子がいた。それをかしこまって伝えたことはない。だからこそ、距離感を測りかねていた、それでもその日恐れながら一歩踏み出してくれた、母の不器用な勇気を、今でも思い出す。反抗期ということもあって対話なんて出来る状態ではなかったけれども、彼女は信頼できる人間かもしれない、と感じた瞬間だった。

 2017年。久々に帰省したら、50歳を過ぎた母が「トランスジェンダー」と書かれたメモを壁に貼っていた。驚いて、「これ、どうしたの」と聞いたら「TVで当事者の声を初めて聞いた。存在を忘れたくない」という。私は沈黙せずに、「忘れないで。」と、語ることができた。当事者か非当事者か、強調することはないけれど、当たり前のようにお茶の間で話題にできるようになったことが嬉しかった。10年前と比べて、LGBTsという言葉が一部の層以外にもようやく認知され始めたのだなと実感する。

 

 

異性愛者が「結婚」「出産育児」「種の保存」などでしか性愛や自己を語れないのだとすれば、私たちはもっと「悩む」べきだったのかもしれない”

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今年、出版10周年となる『カミングアウト・レターズ』(RYOJI・砂川秀樹編著)。

(リンク先にある感想文を一部引用させていただきます。)

 私は異性愛者ですが結婚せず子供もいない女です。
これから自分が結婚して子供を連れているビジョンも浮かばない人間です。
(中略)
好きでもないのに将来の安定や親の為に結婚できるほど打算的にもなれない私は子供を産める肉体的なタイムリミットが近づいてきた最近、特に焦りを感じていました。
そんな時にこの本のなかの村上剛志さんへ送られたお母様の手紙のくだりにあった
「あなたの遺伝子は、どこかの誰かが引き継いでいてくれるから、自分の血を引く子にこだわらなくてよい」という引用文を読んで、とても気が楽になりました。

 

いつか言わなきゃ、いつか言わなきゃ、と、思いながらも、言えないまま、ここまで生きてきました。
この本には、そんな「いつか」を経験した子どもと親が、或は、生徒と教師が、自分がゲイであること・自分がレズビアンであることを語った「いつか」のことを、思い返しながらやりとりした手紙が収められています。

 こんな自分だけど、あなたと一緒にこれからも生きて行きたい。
 どんなあなたでも、あなたと一緒にこれからも生きて行きたい。
 そんな風に互いを想いやり、確かめ合い、新しい関係を、これまでの関係を、これからも生きていくこと。
 カミングアウトをするということは、大切な誰かと一緒に生きていくことを考えるための、行為であり、プロセスである。そんなことが、この本には書かれています。

 この本手紙を書いた人たちは、あなたにとっては他人かも知れないし、あなたの家族に、或は友だちには、こういう“問題”を抱えている人は、なかなか“いない”かも知れない。けれども、これらの手紙は、確かに、いつかの僕へ、そして、いつかのあなたに向けて書かれた手紙でもあります。

 LGBT当事者の方は勿論ですが、特に、お子さんをお持ちの方・いつか子どもを育てたいと考えている方には、読んで頂きたい本です。

 

 私を変えた本、『カミングアウト・レターズ』(2007年出版)。

 この本は、上京してはじめて出会った、「セクシュアルマイノリティの人権」について問題提起しているアライ*1のお兄さんに紹介してもらったもの。すぐに図書館で借りて、クリスマス近くに、自宅で一人でこっそりと読んだ。たいした暖房器具もなく、真冬で凍えるほど寒い部屋だったのに、いい意味で興奮してしまって、体内が活発に動き出したのを感じた。読了後、すぐに携帯を取り出して、お兄さんに連絡をした。自分について、カミングアウトしたわけではない。内容は覚えていない。ただただ、「ありがとうございました」と泣きながらメールをしたんだと思う。19歳。それから視界が開けた。憑物が落ちたかのように。

 

 「カミングアウト」は、「すべき」ものだと強制される/するものではないし、したからと言って偉いとかすごいという訳ではない。告白自体を、おそれる人もいるし、容量オーバーする人もいるから、慎重にならざるを得ない側面もある。内容によってにはカウンセラーなど専門家ではないと対応しきれない告白もある。秘めていたほうがお互いにとって良いことだってあるかもしれない。だとしても、自分が一緒に生きていきたいと思える相手に、あるいはこれからの未来を生きていく若者に、自分が抱えてきたものを懸命に伝えようとする人の勇気に、敬意を払いたい。そして、それを静かに受け取って、その秘密を自分の胸の内から零さずに守れる人でありたいと思う。

 

Q.今日この記事を書こうと思ったきっかけ

A.先週、「いいな」と思えるサイトを見つけたこと。

NPO法人バブリングさんのブログ内にある『カミングアウトストーリー』。

 セクシュアリティのことはもちろん、それだけではなく、障害やご病気、マイノリティ要素を持つ自分の人生、それに伴う葛藤や選択が、人生の数だけ、語られている。特に、カミングアウトする本人と身近な他者との対話形式で綴られた記事は、読み終えるのに時間がかかった。何年もかけて関係性や自分自身が変化したり徐々にやわらいでいく描写が、こそばゆかった。「告白(カミングアウト)」するかどうかはタイミング次第であるけれど、代わり映えのない日常を諦めなければ、小さな関係でもそれを疎かにしなければ、目の前の相手との力関係に気付いて改めていければ、得られるものがありますようにと、私は祈る。何事も、始めるのに「遅い」ということはないと信じて、この先も、他者と関わり続けたいなとも思えた。自分の歩幅で、今出来ることをゆっくりやっていけたらいいねえ。

 

*1:LGBTレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の当事者ではない人が、LGBTに代表される性的マイノリティを理解し支援するという考え方、あるいはそうした立場を明確にしている人々を指す言葉。「同盟、支援」を意味するallyが語源。

女性限定シェアハウスが面白そうだ

 先月マンションの更新をした。夫は携帯を持ってないため賃貸契約ができず(保証人にもなれず)、結果、私が世帯主として事務手続きを担当している。

 上京して八年になるけれども、「同じ家に二年以上住み続ける」ことは今回が初めてで、あるゆることが、穏やかに収束したんだなあとしみじみ感じる。以前の私にとって「家」というのは、寝床に過ぎなかったけれど、いろんな「家」を経て、現在の私にとっては安全で安心できる生活拠点となった。同居している相手との相性が良いのかもしれないし、私自身の心境が変化していったのかもしれない。

 とはいえ、元々飽き性ではあるので、引っ越したい気持ちもムクムクと湧いてくる。近所の気になるお店は制覇できそうだし、散歩コースも幾つも開拓したし、近隣区はサイクリングした。スーパーの品物の並びも覚えたし、真横にあるコンビニ店員の名前と顔も一致するようになった。

 「引っ越し、したいねー」と語らうけれど、なかなか夫の腰が上がらない。ひとり暮らしのときならパパっと不動産屋に行って部屋決めて荷造りして行動しちゃうんだけど、相手を無視して引っ越したりお郷に帰るわけにもいかない。

 単身なら、東京に拘らずにどこへでも飛んでいったかもしれない。鎌倉や、京都あたりの物件情報を眺める日もある。東京のこと全然知らないくせに、八年住み続けている事実が重くて窮屈で、東京じゃない場所に逃げ出したいというのが本音ではある。ただ、相手の仕事の都合もあるし、都内しか選択肢がないのが現実だ。うーん。都内なー。家賃高いんだよな。

 

 近所に別居して暮らすという手もある。あるいは同マンションにそれぞれ部屋を借りるとか。同居は絶対ではない。お互いシェアハウス運営したっていい。

 

 

suumo.jp

 昨日、台東区の小規模なシェアハウス物件を見つけた。

 ここに、女友達2〜3人で住めたらどんなに楽しいだろう、と思った。

 部屋は狭いけど、トイレ各階にあるし、シェアすれば生活費計3万位で激安だし。

 ただ、女性の定義は不明。

 (女性=性自認女性なのか戸籍上女性なのか見た目女体であればいいのか等)

 もし興味ある人(最低1人は面識有りが望ましい)いたら連絡ください。笑

父の脱皮

ゴールデンウィークの最中、祖父が他界した。米寿のお祝いの席で、「曾孫の顔を眺められるのはいつかなあ?」という親族による善意の暴言が流れても「いいや、あなた自身が幸せならいいんだよ」と微笑むだけで決して暴言には加担しない、そんな祖父が大好きだった。

突然救急搬送された祖父、「保険証の持参忘れを病院受付に責められたので納得いかない」と苛々する母、「そうか…」と沈黙の父、「毎日お見舞いに行こう」と張り切る叔母。その二ヶ月後、延命治療の選択肢に懸けても、嗚呼、あっけなく、逝ってしまった、五月晴れでした。

 

既に四年前、祖母は逝ってしまっているので、どうやら父はついに両親を亡しくたというわけだ、今どんな気持ちだろうか、父の表情は大体いつも変わらなくて、それは通夜でも変わらなかった。それでも喪主として、皆の前に立つ父をはじめて主体的な存在と思えたのだから不思議だ。いままで一体彼をなんだと思っていたんだろう。幼い頃、この人は父親役割を全うすることも演じることもできない人なんだなと気付いて、それからは不思議な生き物だと思って接していた。自分のことでいつも精一杯で、「家庭」という枠の中に嵌っては生きられず、つねに芸術に親しんでいた父。さて、私は彼にとって何者だったのだろうか。娘というよりも、「たまたま同居することになった小人」であり「いつの間にか成長していた大人」であり「わりと趣味のあう他人」であったのかもしれない。私にとっても、父という呼称は便宜上/法律上でしかなく、実際は、沢山の作品を紹介してくれた教養人であり、The Beatlesを愛するミュージシャンであり、寡黙で無機質な変なおじさんであった。役割を担えなくたって、個として十分に関わることはできる。名付けられた関係性に縛られる必要はなくて、個と個の、人間としての関係性が豊かであればそれでいいのだと、私はいつの間にか学ばされていたのかもしれない。

 

通夜が終わり、葬儀場(に併設された大部屋)にて、祖父の遺体と共に一晩眠ることになった。そこには、父、叔母(父の妹)、私、が泊まりこむことになった。通夜で居合わせた祖父の甥が、私の夫の同僚だったということが発覚したので、当初その話題で持ち切りとなった。続いて叔母が「そういえばさ、お父さん(私視点では祖父)のきょうだい関係って」「末っ子だったのに、戦後も家族を養うために頑張っていたんだよね」「お父さんがお母さんと結婚してからは…」と語り出す。そこに居る私は良い意味で空気みたいで、兄妹が生きてきた長い歴史を穏やかに傾聴する。

 

それまで寡黙だった父が淡々と呟く。「そういや…、子供の頃は…、皆の家と比べて、自分の家は大分変なのだと気付いたんだよ」「あんなに親が怒鳴り散らしている光景は、他とはちがくて…、すごく嫌で…、わりとトラウマになっていたんだなあ」

そんな父の独白を、はじめて聞いた私は、得体の知れない感情が湧き上がってきたのだった。

「でも、私が実家にいた頃も、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは相当な喧嘩をしていたけれど」と、伝えると、「ええ…?そうだったっけか…」と驚いている。「もうその頃には、その環境に慣れすぎて、心が鈍くなって、おかしいとも気付けなくなっていたんじゃないの」と叔母が指摘する。生まれてから今までずっと両親と同居し、過保護なほど愛情を注がれた結果なのかどうかは知らないが、どこか受け身で無責任さがあって、騒音からそっと逃げ出すように、孤独を選ぶことが多かった父。勝手にカテゴラズするのも失礼な話なんだけれど、機能不全家族というか、アダルトチルドレンっぽさが否めない感じもあった。

しかし祖父が入院してから、父は少しずつ大人びていったそうだ(大人に大人びるという表現もおかしいはずだが彼にはぴったりである)。その結果、「私、この人が伴侶で良かったかもしれない」「なんだか、お父さんのことを見直した」と母がぼそっと呟いた。生まれてこの方二十年余り、こんな展開になるとは想像できなかった。呪いでもある親という存在を失うとき、まるで脱皮するかのように、前を向き始めた彼の微かな変化に逸早く気付いたのは母だった。

父の脱皮にも驚いたけれど、それと同様に、この母の発言にも驚かされた。三十年近く一緒にいれば、「この人はこういう人だから」という傲慢ともいえる「理解」が芽生えるものだと思う。それを塗り替えてしまう瞬間というものがあるのか、今確かにあったのだ、人と人はどんな瞬間でも出会い直せるのだ、新鮮なあなたを発見できるのだ、その事実が衝撃だった。

 

 

十代の頃、家族みんながちゃんと揃っていたとき、私はどうしてもこのコミュニティをあいせなかった。あいせなくてもいいのだし、自分の人生をただ充実させればいい、そう思って上京した。幸いなことに「好きに生きればいい、あなたはあなたなのだから」と両親や友人は見守ってくれていたし、最悪、地元に戻らなくても、家族の顔を忘れても、過去を抱きしめられなくても、別にいいのだ、そう気楽に構えられるようになっていた。ただ、亡くなってから初めて知る祖父母の歴史、その両親を失い変わっていく父、諦めていたはずの父という人間を再発見した母、どれもすべてが新鮮で、 いじらしくて、あたたかかった。変わるはずがなかった(そう思い込んでいた)ものが、一気に紐解かれ、再編集されていく、その理屈もトリックも説明がつかなくて、ただただその光景を前に、目頭滲ませ立ち尽くすしかなかった。陳腐な表現かもしれないけれど、ただただ感動するしかなかった。人の死は本当に不思議なもので、それはだれかにとっての再出発の儀式でもあり、生き続けるための必然でもある。四年前も同じことを感じたけれど、四年後の今日もそう感じたのであります。


 

鳥飼茜とバッドフェミニストとセックスワーク

鳥飼茜先生が描く、孤独な女同士の同居生活『地獄のガールフレンド』の最終巻が先週発売された。連載当初のインタビュー*1でもこんなことが書かれていたので印象的だった。

“女友だちいらない”って決めた。それ、1話の冒頭に描きましたね。そこから女の人と距離を取って生きるようになったんです。距離を取ったほうが友だちになりやすい。結びあえるときに結ばれればいい。いらない時はいらないという距離をとってつきあえば楽だと気づいたんですね。なので、マンガのなかでも徹底的にそうしてます。

 

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もうひとつ、 『先生の白い嘘』という漫画(連載中)でのインタビュー記事も読み応えたっぷりだ。これです!

いちいち「この人にレイプされるかもしれない」と思ってたらやっていけないから、当然ながら「男女は関係ない、相手を信頼している」ってことにしている。そうやっているうちにいろんなものが「なかったこと」になっていくような危機感があるんです。性被害とか性差別とか。それは女性から男性へのものも含めて。

でも実際にそういう被害は存在しているし、信頼ベースじゃないと進まないところにつけ込んでくる人もいるから、それをないことにしたままで「抑圧から完全に解放された」みたいな時代を迎えることは期待できないです。 

鳥飼先生って、「性」について、どちらかの性別だけにとりわけ甘い蜜を与えるわけでもなく、かといって厳しすぎもせず、きわどいながらも目を逸らしてはいけない話題を、近所のお姉さん的なポジションで気さくに問いかける人って感じがする。「男と女がどうやって共生していけるか」についてオリジナルな表現で鋭く見つめる、可能性に富んだ漫画家だと思うのです。 

 

 

異性に対してはっきり「違う」と物申せない自分にモヤっとするとき

『地獄のガールフレンド』最終巻で、こんなシーンがある。

可愛い自分が大好きで常時モテモテでビッチな女性、「奈央さん」に対して、「得してるんだから、嫌な目にあっても自業自得な部分もあるよね」とさらっと言う「石原くん」の回。

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(続きは是非読んでみてください!「奈央」さんの「嫌な目に遭ってもビッチで可愛い私を変えることはない」という逞しさが格好いいのと、女友達が正しさでは測れない彼女の魅力を全肯定するという流れが◎)

 

性被害の自己責任論を唱える人(被害者にも落ち度が…と繰り返す人)は性別問わず居るものなので、男性に限られた話ではない。ただ、性別が違うと、気づきにくい面や共感できない面があることも確かではある。「正論」「理屈」だけでは簡単に片付けられない(片付けてはいけない)「社会的性差」「背景」「感情」そして「被害者支援の在り方」というものがある。

異性に対して、同性以上に、「どう伝えても伝わらないから、笑って/黙って済ませた」みたいな経験を持つ人は多いかもしれない。たとえば職場で「これはセクハラっぽいな」「イヤな扱いだな」と思う場面でも、はっきり「それは違うと思います」と、怒れずに、曖昧に対応してしまった経験はわりとあるんじゃないかなと思う。

 

 

そんな中、こんな機会に恵まれて少しほっとできた。

今週金曜日に参加したイベント。

LOVE PIECE CLUB - トークイベント - 【3月ワークショップ】野中モモさん×ラブピースクラブ『バッド・フェミニスト』出版記念リーディングトーク

バッド・フェミニスト。ネットでも話題になったからご存知の方もいることでしょう。

ピンクが好きだし男も好き…。フェミニストなのに女性蔑視な歌詞が多いヒップホップをつい楽しんでしまう…。そうした矛盾も引き受けて尚、「私はこういう立場を取る」と態度をあらわにしています。その勇気!

フェミニストらしからぬからといって主張を引っ込めるのではなく、矛盾を認めながらもフェミニストであることを掲げる、だから、「バッド・フェミニスト」。

フェミニズムフェミニストに対して、「こうであらねばならない」と貼られるレッテルや過度な期待は、社会に根強くあります。ひょっとしたら、ときには、自分自身の中にも。しかし『バッド・フェミニスト』冒頭で著者はこう言います。「フェミニズムが完璧でないのだとしたら、それが人々による運動だからであって、人々にはどうしたって欠陥があるのです」。

矛盾を否定するのではなく完璧ではない自分や他人を受け入れ、分断を乗り越えることを目指す『バッド・フェミニスト』は、わたしたちが連帯し、力をつけることを応援してくれます。

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このイベントで、「自分がバッド・フェミニストだと感じる時について語る」というグループワークがあって、席の近い5〜6人が匿名で語り合うという時間があった。

フェミニズムについての勉強が不十分だから名乗っちゃいけない気がする(二波とか三波とかわからない)(フェミの定義さえわからない)」「(男性への服従と呼ばれやすい価値観があるので)フェラを乗り気でしたい時に少しモヤっとする」「結婚や出産の話題が振られて女性差別的だと感じても怒れずに見過ごしてしまう」「他人からフェミニストだと思われることに抵抗がある」etc…

 色んな方が、「フェミニズム的な考えを支持したいけど、自分はフェミニスト像とはかけはなれているんじゃないか」という葛藤や悩みを持っていることがわかって、「お互いに、完璧ではないことや矛盾も受け入れあって連帯していけるかも」という希望的観測を抱ける時間が、心地のよいものだった。

こういう機会が多くあれば、鳥飼茜先生が描いた『地獄のガールフレンド』のように、「持っているものや立場は違うけれど、どうしても男性とはわかりあえない部分があって、そこを女同士で愚痴りあえて、いざというとき助け合える空間」が発展していけるかもしれないなと思った。

 

 

しかし、性的決定権や性労働の話題になると、女性同士でも結構分断されている感がある…。

続けて、今日はこのイベントに参加

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講演会「セックスワーカーの安全、健康、権利――オーストラリアとアメリカの運動から」3月18日大阪・19日東京開催 | SWASH

五年前、大学学生時代の私は、セックスワーカーに対して偏見だらけだった(今無いとは決して言い切れないけど、昔はもっとダメだった。「当事者抜き」で物事を考えて「風俗はセーフティネットで必要悪(福祉で救済)」「望んで働いている人はいない(問題が解決されて他の労働が見つかれば皆辞めるだろう)」みたいな意識があって、無知のまま勝手な憶測で他人を乱暴に語っていた。*2

 

しかし、「権利」っていわゆる道徳や文化・価値観とは別のものなんだ。事情や背景は人それぞれだけど、それを引き受けた上で、性について自分で決めることは、その人の権利なんだ。だれとセックスしようと、セックスで稼ごうと、双方に合意があって、その人の意思によるものであれば、だれかにとやかく言われる筋合いはないし罰せられるのはおかしいこと(同時に、どんな状況であれ合意がなければ性暴力)なんだ。

自分が性に対して真正面から向きあえるようになってから、それにようやく気付けた。

性労働自体が悪いこと、早く脱出するべき、という保護の視点じゃなくて、劣悪な労働環境によって起こる暴力や犯罪を防ぐという労働者の権利の視点が必要なんだということ。他の労働者と同じく「自身の心身を守れて安全に働けること」「無理だと感じたら転職できること」「不当な扱いをされたらそれを訴えられて社会が一緒に怒ってくれること」が求められている。

 

「風俗の仕事は、技術が要るぶん、面白いよー」「妻が風俗嬢ってめっちゃいいじゃんね」と語る現役セックスワーカーの友人の明るい表情に憧れるようになった。他の労働同様に、やりがいもあれば、ポジティブな経験の引き出しだってたくさんあるんだよね。

 

「児童との性交渉(買い手と年齢や立場の差が大きい場合=明らかに合意形成が難しい)」「搾取」「暴力」はNGだという共通認識はあるかもしれない。(性被害者のケアが優先で大前提だともちゃんと前置きがあったうえで強調されていたが、)ただ、すべてのセックスワーカーが「自己決定できない可哀想な被害者」では決して無い、ということは認識差が大きい。自分の意思で性労働を選ぶ人だっている。そんな「自己決定して従事している当事者」にも、労働者として、人間として、安全と健康が守られる権利があること。それが理解されず対立が生まれることもある。被害の大きさやその人の心情を、支援が必要かどうかを、第三者がジャッジしてしまうことは大変危ういことだ。

(って私が言わなくても多くの人が指摘していることだけど。)

 

 

また、講演の中で、ポルノを「汚いもの」「恥ずかしいもの」「女性が虐げられるもの」「オナニー目的のもの」と毛嫌いしまう人もいると思うけど、「マイノリティな性指向/性嗜好を持つ人をサポートするもの」という見方もあるんだよ〜!!という話も良かった。それに、『ポルノが自分を貶めない』と思えれば、ポルノを楽しみたい女性はいる。「(女性への暴行が強調されない)女性向けポルノ」「(当事者が製作する)トランスジェンダー向けポルノ」も登場しているという話もあった。

「欲望への権利を誰もが持っている」「他人の欲望を自分の道徳観や価値観で否定してしまうことは危険」「性に関してポジティブ*3な環境がなければ自由に性を語れない。性暴力被害者にとっても沈黙を破れる環境がエンパワメントに繋がる」という部分も良かった。

 

 

性労働の非刑罰化が主流になっていくか

また、『性労働が刑罰化』されてしまうほど、セックスワーカー自身の安全が脅かされてしまうよねっという点が改めて語られていた。

内容は以下参照。

非犯罪化というモデルは、セックスワーカーの権利の保護を強化しやすい。具体的には、
・保健医療へのアクセス
・犯罪行為を受けたときに、警察などへの被害の届け出ができる
・安全性を高めるために、セックスワーカーが団結したり、一緒に働いたりできる
・家族が、セックスワークでの稼ぎに依存することで罪を問われないという安心感を得る

買春側も処罰の対象としない、という部分は、セックスワーカーを守るために、である。はっきりしておきたいのは、いかなるセックスも同意がなければならないということだ。権利としてセックスを要求することは、誰にも許されない。

 

 

 

さいごに、性産業で働く人を支援したいと考えている人へ是非読んで欲しい記事

 当事者やアライとして活動する人々の、力強い言葉に学ばされる機会が本当に多い。

素晴らしい記事をシェアします✨

 

 左が、貧困とかのネガティブな動機のセックスワーカー、一緒くたの考え方です。右が、労働環境や労働条件の改善によって搾取とリスクをなくすという考え方。

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前者だと、とにかくセックスワークをしなくて済むようにすることが主眼に置かれます。夜の仕事関係の人間関係しかないのは関係性の貧しい人々だとみなす考え方です。

後者の考え方であれば、性産業内での搾取や暴力をなくすことに主眼を置きますので、当然、夜の仕事関係者の多様性の広がりや、社会関係資本に開かれた業界を目指すことになります。

それから、これもよくある見方として、風俗をいやいやしている人が辞めれるようにとか、好きでやってる人は別にいいけど、みたいな見方があります。これも働いている人を二分する考え方でよくないと思います。

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実際には一般的な労働者がそうであるように、セックスワーカーも可変性のあるモチベーションです。

 

 

 

 

"自分が「生きるか死ぬかの苦境でなければ選択肢にのぼらないだろう」という偏見をセックスワークに対して持っていたのではないか。数多くある職業の中で特にセックスワークばかりが「なぜその職業を選んだのか」を問われ語られること自体が、セックスワークを他労働と分断し差別的に扱うことだった"

 

  

経験のあるなしに関わらず、すべての人はセックスワークに従事しうる―。

セックスワーカーの支援は、セックスワーカー自身によってつくられてきた。セックスワーカーでない支援者は、まずかれらの蓄積に敬意を払い学ぶ必要がある。  セックスワーカーにはさまざまな人がいる。プロ意識がある人もない人も、経済的に困難な人もそうではなく見える人も、心理的に落ち着いている人も取り乱している人も。「無防備」に見える人の心の中で何が起きているのかはわからない。大事なのは、その人の力を奪わず、よりよい支援を目指すことだ。

   

“ 「売春は悪くないけど買春はダメ」論に“イイネ!”していた私が、「買春者も罰しない形でのセックスワーカーの非犯罪化が現状ベスト」と思うようになるまでに考えたこと”

 

 

 

以上、おすすめエントリでした。他にも素晴らしい活動されている人や記事がたくさんあるので事ある毎に紹介していけたらと思います。

充実した週末だったな〜明日から仕事行きたくないな〜(お手上げ)

*1:『地獄のガールフレンド』鳥飼 茜インタビュー 女子ってなんか、めんどくさい。でも女子ってなんか、にくめない!  |  このマンガがすごい!WEB

*2:本当に本当に恥ずかしい過去だ

*3:セックスポジティブ=セックスは素晴らしいからセックスしよう!!ではなく、性や欲望をネガテイブに捉えないこと(性嫌悪の人を敵対視することではない。性嫌悪に至る辛い経験をした人を分断するのは間違いだと思う)、セックスをしないという選択も含め性に関して主体的に決められること、自分の選択に責任を持てること

おばさん心、自分がもうひとりほしくなる心

都内の水族館を巡っていた時期があった。十代に別れを告げて間もないあの頃、不慣れな東京の街を散歩するようになったあの頃の話だ。
ちょうどその頃、齢四十位の友人ができた。感性が瑞々しく、流行に乗ったファッション、少年にも見えるあどけない顔立ち、長年積み上げてきた社会人としての振る舞いがバランスよく組み合わさった男性という印象だった。
三十歳前後の女性が自身を「おばさん」と表現したり、五歳しか違わない年齢の相手を遠ざけるかのように「おじさん」と呼ぶような風潮、加齢を「うつくしくないもの」「避けたいもの」「自虐が必要なもの」とするような風潮に疑問だらけの私は、二十歳差という事実に特別な意味を持たず、彼を「おじさん」と呼んだことも感じたこともなかった。

 

そんなある日、池袋のサンシャイン水族館に同行する約束をした。普段は複数人で高円寺の喫茶店や水道橋で鍋を囲む事が多かったし、単独での外出は初めてだったので、緊張しつつも前日の夜は楽しみで仕方がなかった。
当日、彼はいつも通りお洒落な格好で(華奢な襟付きシャツ、そして半ズボンに柄タイツだった)私を待っていてくれた。

水族館に向かう途中、ガードレール下を歩きながら、彼が呟いた。「ああ!なつかしいな。十年前、彼女とここを歩いたんだよ」
「そうですか」と相槌を打つ。すると、次々と「彼女はこういう子でさ、名前はこういう漢字で、あの日はこんな事があって…」と開口したきり止まらない。
現在にはさほど関心がないのか、彼は昔話をひたすら続ける。過去の思い出を恍惚とした表情で語る姿に驚いた。膨大なノスタルジーが感じられた。そこまでの熱い想いがわからなかった。一切共感も出来なかった。

そのとき初めて、『ああ、この人は、「おじさん」なんだ』と気付いて、なんていうか、拍子抜けした。

水族館に到着しても、彼の思い出話は続く。時系列も不明だし、話にオチもないし抑揚もないし、自分の立ち位置に悩まされる。意中の相手の思い出話ならば輝かしく傾聴できる。しかし単なる友人であったので、出来ればお互いの現在について、具体的に言えば目前の水槽内の魚について、話題を広げたかった。「うんうん」と笑顔を振り向け続けるだけの、無料キャバ嬢役は疲れてしまったし、「興味がないんです」ともはっきり言えない自分にもまったく呆れた。

 

「自分の輝かしい過去」「自分の甘酸っぱい切ない過去」を語ることはそんなにも楽しいものなのか、と不思議な気持ちでいっぱいになった。

高齢者と関わる時にも、似たような光景がある。普段どんなに腑抜けているような表情でも、自身の歴史、思い出を語る時は人が変わったように生き生きするのだから面白い。

自分の生まれていない時代について傾聴することは楽しい。その人に興味があれば尚更だ。しかし同様に、同じ内容の自分語りが延々と続けば、疲れてくるのも事実だった。

 

 

 
そんな私も二十五歳になった。
わりと楽しい人生だったな、これからどういう生活を送ろうか、どういう最期を迎えたいか、そんなことを考えることが増えた。結婚していく人もいれば、亡くなる人もいる。私を忘れてしまった人もいれば、私が忘れてしまった人もいる。
過去を随分思い出すようになった。瑞々しい思い出を辿って、あの時あの人と一緒に唄った曲を聴いてみたり、あの時あの人と語り明かした一晩の思い出がよみがえってくる。歳を重ね、出会った頃のあの人の年齢に近づいていく、そう気づくと妙にそわそわしてしまう。
それすごくなつかしくて、すごく恋しくて、もう味わえないと思うとすごく切ない。
あの時の私のあの記憶を、誰か共有してくれないかなあ、なんてふと思うのだ。

だれか私の話を延々と聴いてくれないか、なんてふと思うのだ。
ああ、サンシャイン水族館へ向かう途中のあの彼も、過ぎ去った人を悼み、自分のいのちを自覚するあの爺ちゃん婆ちゃんにも、こういう過程があったのかと腑に落ちてくるものがあった。

 

「(突然無償で)一方的に傾聴する側」の負担を考えれば、自分語りに他人を巻き込む行為は本来は危ないことだ。そこまで他人は他人に興味がないのだから。自伝を出したって、多くの人に愛される作品になったって、隅々まで自分を共有してくれる人なんて現れない。自分が辿ってきた道は自分だけの道だ。たとえ古びた町の廃れた線路上を一緒に歩いたとしても、交差することはないかもしれない。どうしても感じ方や受け止め方には差が出てしまう。そう在りたかった(そう在ったはずの)自分は、他人から生まれることはない。
自分の人生を一番知っているのは自分だけなのだ、そう思い直し、「あんなこともあったね」「そうだねえ」と眠りにつくまでのあいだ、自分自身と対話ができたらどんなに心安らぐだろう。
自分がもう一人ほしい。それが叶えばこの心の内がどんなに解(ほぐ)れるだろうと。

こんなような、自分がもうひとりほしくなる心を、おばさん心と呼んでみよう。
この、おばさん心をどう解せるか、時にはどうやって昇華できるのか、それに悩み続けることが思春期を過ぎた大人たちの醍醐味であればいい。だれとも共有できないそれを、自分の心身から手放せる方法を発見してから息絶えられれば、いいのだが……。

平坦な寂しさをこれからもずっと、抱えて生きていくのだ。寂しさを忘れられる日なんてきっとないのだねと、先に寝入った人の呼吸数を数えながら思う。久しぶりに思いっきり泳いで、鱗を撫でるふりをして、でも水面に上がるしかなくて、イヤになっちゃうことばかりでもしょうがないねと頷いて最寄り駅の灯りに照らされる梅の花を見つける夜でした。

 

(29年8月若干加筆修正)