人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

世帯合併をして事実婚運営について考えてみた

◆6組に1組が不妊。その原因は男女ほぼ半々確率といわれている

いつか子供がほしいと思っているあなたへ― 実は身近な不妊の話 ― 東京都福祉保健局

先日、呑みの席で、「結婚して二年になりました」と話す女性に対し、すかさず「まだ、お子さんいないんですか〜?(^^)」と満面の笑みでナイフを投げつける人がいたんだけど【それアカンかもよ?!】と即座にはつっこめず、少し間をおいてから「子は設けず二人で暮らすという選択をする夫婦も多いし、いろいろなパートナー関係がありますよね」と自己満足フォローを入れて終わった。事情があって、希望にそぐわず子どもを授かれない場合もあるし、わりと配慮が必要な質問だと思うんだけど、健常者の集いではこの手の話題はよく挙がるので内心ひやひやしてしまうのは私だけではないはずだ(上記リンク先に不妊に関する統計出てるのでよかったら参考にしてちょ)。

↑最新ニュース。事実婚同性婚が含まれるかは記載なし

 

◆「孫の顔を見せて」という圧力とリプロダクティブ・ヘルス/ライツ

祖父の米寿のお祝い会があって、親族が揃うことがあった。子や孫に囲まれ、あたたかく見守られ、歳を重ねる彼を見て「すごいぞ、模範的で理想的とされる老人の姿、ここにあり」と感激してしまった。祖母の生前は、機能不全家族だったのにかかわらず、四年前、彼女がぽっくりあの世にいってしまってからは、機能完全家族にあっという間に衣替えした我が故郷。毒親ならぬ、毒祖母であったが、根本の原因そのものだった彼女がいなくなってしまえば、きれいさっぱり全てが解毒され平穏な日々が舞い降りたという訳である。

長寿を祝福される祖父はとても幸せそうで、「ありがとう」「ありがとう」と笑顔でいっぱいだった。血縁者たちも、次々とお祝いの品を贈った。「いつまでも、自分を大事に思ってくれる孫がいる人生っていいな」と羨ましく思った。まあ、血縁関係問わなくてもいいかな、孫くらいの年齢の子が自分を慕ってくれる老後っていいなと思った。そうしたら「孫がいて良かったね」という話になり「ひ孫も見せてあげたいね」という話になり、想定内だったけれど、中年達から「まだ子ども作らないの」という質問が出る。「健常者の集い」、再び、である。こうした親戚からの結婚出産の圧を感じた若者たちが、少々困っている顔をしていたので、「これ職場ならマタハラだよ〜笑。どう生きるも、個人の自由よ〜。」と言った。続けて母が「そうそう、親のことは気にせず、自分の好きに生きていいんだよ」と救いの手を差し出してくれたので、無事話題が終了した。よかった。

リプロダクティブ・ヘルス/ライツ】という言葉がある。直訳で、【性と生殖に関する健康と権利】という。子どもを産むか産まないか、産めない状況があれば中絶を選べる、産むとしたらいつ何人産むかを決める権利のこと。それらを当事者である女性自身が、自由に、責任を持って決めることができると保障する内容だ。「産むのが当たり前」と期待されたり干渉されていては、リプロダクティブヘルス/ライツが守られているとは言えない。様々な生き方や家族の在り方がある。シングルの人、子を持たない家族、養子を迎える家族、気の合う仲間同士で暮らす家族。どんな選択であれ、性や家族に関するそれぞれの生き方を他人に軽視されない/尊厳を奪われない権利があるという内容でもある。

詳細:【用語】リプロダクティブ・ヘルス/ライツ | 基本概念・基本事項 | 比較ジェンダー史研究会

 

 ◆もっと経済力をつけないといざというとき夫を守れないなと考える

現在、私は事実婚という形で、知人男性と友情結婚をして二年弱経つけれど、字のごとく、「事実上の婚姻関係」に過ぎず、籍も財布も一緒にしていない。お互い生活能力もあり、精神的に自律しているため「夫婦として助け合う」という言葉は不吊り合いという感じもしてくる。お互い適当に自分の人生を生きているし、強靭な精神を持ち自立している夫が私に支えを求める状況は考えづらい。あるとしたら、何らかの理由で職を失い収入が減ること/あるいは無くなった時だろうか。しかし、私は夫と比べ十分に稼げていない。片方だけに経済的負担が強いられやすい状況は、不公平だとも思う。私がもっと稼げるようになれば、いざというとき、「対等なパートナーとして助け合う」ことが出来るのではと思う。男女の賃金格差は大きいし(日本の賃金格差は世界ワースト3で、女性管理職の割合も最下位)、女性が働きづらい環境もある。なので男性以上に稼ぐというのは難しくても、今より少しは収入を上げられるようよう頑張りたい。

 

◆籍は変えてないが、世帯合併をした

パートナーシップを結ぶことは、生存目的でも、依存目的でも、自己保存目的でもない。他者との共同生活は単純に面白いし、より充実すると感じる。しかし周囲からは「籍も入れないで結婚したとか意味がわからない」と困惑され、説明が必要な事も多い。他人への説明が面倒なので、いっそ籍を作ろうかと思うことが何度もある。誘惑に負けそうにもなるですよ。今月は有給消化中で時間の余裕があったのでわりと悩んだ。でも、夫が姓にこだわりがあったため、ジャンケン(※公平な決め方であれば何でも良かった)では決められなかったし、改姓の書類変更など面倒だとお互いに渋ったので保留のままだ。傍聴席を得て個人的に最高裁に応援にも行ったけど、夫婦別姓違憲審判も期待通りにはいかなかった。

ということで、結局、籍は、変えてない。

【29年5月追記】あと友人の結婚式に何回か出てみて家制度や戸籍に基づく考え方にかなりの抵抗がある自分がいることに気付いた。戸籍制度に加担したくないのも理由のひとつかもしれない。※ちなみに、籍を入れるという表現は嫁/婿として相手の戸籍に入るという意味だから、現代の夫婦の場合は(籍をつくる)が正しいです

(リンク先、同性カップルが、絶対に受理されないことを分かりながら、婚姻届提出に挑戦した話。ー具体的に動いてみると、婚姻届の問題は憲法以前に戸籍法の問題だと明確になり、夫婦別姓や外国籍問題など戸籍法に異論がある人とも共闘できると判明したという。)

 

新居に引っ越してきて、平和に一年半が経った。転入届を出す際は世帯別々だったんだけど、新しい職場に「事実婚してます」と報告した手前、社会的に夫婦っぽくしておこうと思って、世帯合併(住民票を一緒にする)に至った。

そうしたら、役所で、「再婚禁止令に該当しないか調べたいので本籍地を教えてください」と言われてしまった。法律婚じゃなく事実婚の場合も、再婚禁止令が関与するようだ。 

◆都合が悪くなった時には、いつでも世帯分離しましょう

そうして、世帯合併した(未届けの妻と記載された)けれど、扶養なし共働きの今は、特別デメリットもメリットもない。と、思う(勉強中)。しかし、介護保険制度や児童福祉制度、国民健康保険制度等を使う場合は、注意が必要だ。それらは「世帯収入」で支払い料金が変わる。他、公の法律相談所では無料相談の収入条件として、個人ではなく夫婦の手取り月収額が資力基準になったりもする(実際に相談できなかったことがあった)。同居はしているけど、共同財産管理やお小遣い制でもなく、財布別で、生計を共にしていないので、今後デメリットが生じる可能性はある。そうなったら不安なので「都合が悪くなった時は、いつでも世帯分離しましょうね」と帰り道に伝えたらなんだそりゃ、と笑われた。

 

事実婚の場合、確定申告の扶養控除書類 

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税制上、事実婚の場合(内縁の妻/夫)は、扶養(青い欄)には入れない。 

「法律上の夫婦でないと扶養家族にはなれない」ので、内縁関係含め同性カップルも扶養家族にはなれない。そこは勉強してあったんだけど、【配偶者の有無】 (赤い欄の右端)はどうしたらいいんだろう?!と思って、税務課に確認したら「事実婚はよくわからないです」と言われてしまって、税務署にTELした。すると、「法律上の夫婦を配偶者とカウントして処理するので、法律婚していなければ【配偶者・無】にしてください」と言われた。「世帯主は(内縁の)夫で、世帯主との続柄が“未届けの妻”の場合は」と聞いたら「えっ…?!住民票通りでいいんじゃないのかな」と困惑された。

「配偶者は無しに◯、世帯主は夫の名前、続柄は“妻(見届)”」と記入するというややこしい結果に。ネットだと『内縁の妻/夫を、扶養にするなどがなければ、社会保険も税金にも影響ないので、配偶者有に○つけても結局問題ないですよ。』という意見もあって、そうなんじゃないのかな、精神衛生上的にそっちのほうが楽だけどな、とも思った。

事実上夫はいるのに「配偶者はいない」と記入するのって少し寂しい。

事実婚の場合、健康保険や年金の取り扱いは?共稼ぎであれば?

前述の通り、所得税法では、婚姻届を提出していない場合、つまり法律上の夫婦関係でなければ、控除対象配偶者として認められないけれど、健康保険や年金制度内では、「届出をしていないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者」は、被扶養者として認められる。以下、関連情報。

双方で重婚?するのも手かなと思ってしまう(同居の事実婚夫婦のまま、それぞれ別に税優遇のための扶養パートナーを作るとか)

 

◆結婚契約書(婚前契約書)や準婚姻関係契約書(パートナー契約書)

当初、契約結婚にしようという目的があった。「契約」としたのは、婚姻内容を事前に話し合い、離婚条件や婚姻更新について、共同生活のルールを書面化したいという思いがあった。一応、話し合いは出来ているんだけど、書面化が出来ていない(法的効力がないので少し不安)。今後早いうちに(あるいは法律婚をするとしたら、必ず籍を作る前に)行政書士等と一緒にリンク先のような公正証書を作成しますぞい。


◆生殖について

子宮内避妊具としてもメリットの高い、子宮内黄体ホルモン放出システム(ミレーナ)を二年前に装着したので、最長五年間は放っておいても妊娠の心配は殆どない状態にある(もちろん定期検診は必要)。五年目である二十七歳になったら、今のミレーナを外して、妊娠についてどうするか選択が必要になる。結婚を決めた時は、「子どもを持たない夫婦関係でいたい」「母体になって出産/育児をしたくない(相談してくれれば、外で子どもを作ってきてもオッケー。私も育児手伝うよ)」と意思表示していたが、二年過ぎて、少し、揺れ動いている自分もいる。仮に、出産を考えるとしたら、高齢初産はリスクも高いから、「十年後でいいや」と楽観的には言えない。不妊治療が必要な可能性だってある。ミレーナを取り外すまで(残り三年間)に、パートナーと話し合って、自分の生殖に対する考えを具体的にまとめられるようにしたいな、と思う。昔と比べたら、妊娠の不安に悩まされずに心健やかに安定して過ごせているからこそ、妊娠について距離をおいて冷静に考えられるようになったなと思う(避妊具がゴムのみだった時は不安が勝りそれどころじゃなかった)。女体主導の避妊方法を勉強して実践して、避妊を主体的に考えられるようになって、個人的には本当によかったな。今後も、どうにかなんとか悩みつつ、自分の人生をカスタマイズしていきたい。

私的映画11選(2016)

新年明けましてあめでとうございます。昨年は「以前から気になってはいたけど手に取るタイミングがなかった…」作品(計45本)を鑑賞しました。

 

その中で印象に残った映画を11つ紹介します(ネタバレ度はとても低い)


 

まずはこれ!!

1.ジェーン・カンピオン『ピアノ・レッスン』


The Piano Beach Scene - The Heart Asks Pleasure First

19世紀の半ば、スコットランドからニュージーランドへ写真結婚で嫁ぐエイダ。旅のお供は娘のフロラと一台のピアノ。エイダは6歳の時から言葉を話すことをやめ、ピアノが彼女の言葉だった。夫のスチュアートはそのピアノを重すぎると浜辺に置き去りにし、原住民に同化している男ベインズの土地と交換してしまう。ベインズはエイダに“ピアノ・レッスン”をしてくれればピアノを返すというが……。第46回カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞受賞。

不倫物。痴情は怖い。しかしそれ以上にエイダの半神ともいえるピアノの存在感が圧倒的。一人の女性の、人間としての生き様が格好いいとも思う映画。なぜこの作品を手に取ったかというとグザヴィエ・ドラン監督のスピーチ*1がきっかけ。そこで、こう語られている

ピアノ・レッスン』は僕が16歳のときに、義母に「何を観ればいい?」と訊いて初めて観た映画です。あれを観て僕は、魂と意志と力を持った美しい女性を──被害者や被写体ではない女性を、映画で描きたいと思ったのです。あなたの『ピアノ・レッスン』は僕の人生を決定づけた映画の1本です。今この壇上であなたの前に立っていることに深い感慨を覚えます。

 これを読んで「観てみよう」となったんだよね(観てよかった…)

マイケル・ナイマンのサントラで挿入曲だけは既に知っていたんだけど、都度、「この曲がこの場面で使われるのか…」と感激。特にこの『All Imperfect Things』が流れる水中シーン。鑑賞後は、この音楽と映像とが絡まる美しさに放心してしまった……。

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「太ってる」とうまく伝える方法

この間「足太いね」ではなく「それ、全く筋肉のついていない細身の人が選ぶズボンだから、あなたには似合わない」と言われた。人を傷付けない、センスのある言葉選びだ。

学生時代と変わらず、公共機関を利用するのが厳しい(時間を守れず数分の差で乗り遅れる)私は自転車通勤が性に合っている。スカートばかり選んでいた過去が嘘みたいに最近はジーンズばかり穿いている。上半身に対して下半身がかなり太いのでいつも遠ざけていたジーンズだけどここ数年身体が冷えるし美しくはない自身の下半身にもわりと慣れてしまって半ば諦観したのである。そして今年の夏ユニクロのウルトラストレッチなんとかジーンズを二枚購入した。見栄を張ってウエスト58センチ(確か一番細いサイズ)を選んだはいいものの、めっちゃくちゃ太腿がピッチピチや。すこぶるピチピチ感。同居夫にも「見栄を張ったズボンだ」「身体に悪そうだ」「それはやめろ」と毎度つっこまれるほどピッチピチなのである。ダイエットすればなんとかなるレベルではない。生まれつき下半身が太い。言い訳に聞こえるかもだけど骨格がもうアウト。激ヤセすれば下肢も流石に変わるかもしれないけど、今は健康体重で低脂肪で筋肉量も平均以上で現状維持が望ましい。ということで特に何のアプローチも考えていない。どなたか、下肢限定で効果的な運動あったら教えてくださいな…。と、依存心だけはある。 

すこやかにやめる

半年前に転職先が決まって、早めに上司に相談して、同僚にも先月ついに報告をして、そろそろ有給消化に入る。その前に職場の皆にお礼をしたいと思って一言ずつ手紙を認め、焼き菓子と一緒に渡すことにした。就職して二年も経たないうちに五回引っ越しをしたものだから、はじめ住んでいた街の印象は薄らいでしまった。あの街には美味しいパティスリーがあって、看板印として掲げられた、海のように青い旗を眺めて通勤していたっけ。そんなことを思い出し、大きな橋を渡り、久々に東京湾の先の観覧車を眺め、青い旗まで自転車を走らせ、フィナンシェを調達した。クリスマスの時期なのでお目当ての商品がほとんど売り切れてしまっていた。

体裁を保つこと、社交辞令を時と場合に使い分けることで守られる世界がある。くだらないけど、必要なことなので、そういった儀礼的場面ではそこそこ役割を演じられると良いと思っている。学生時代、教育実習先の高校生に貰った色紙は全員分の言葉を読んだ後きれいさっぱり燃やしてしまったし、贈られた花束もすぐにゴミ箱に捨ててしまった。ほんの十四日間だけ私(教育実習生)と接した高校生側だって私の言葉を真に受けてはいなかっただろうし、昂ぶった表情は失笑ものだったと思う。それに、その時みずみずしく放たれた「先生、大好き」「先生、また会おうね」という言葉を保てること、たとえそれが一年であっても半年であっても―それは至難の業だと思う。人の感情は移りゆく。あっという間にすべてが過去となる。じゃがりこ三十個と自らの脇毛と鼻毛を渡してくれた子らのことはよく覚えているけど、連絡を取り合うほどの関係性には至らなかった。双方が「あんなこともあったかな」と取るに足らない曖昧さで、都合のよい綺麗な記憶として刻み込めれば上出来じゃないの。そんなことをいうと不満気にため息をつく人もいるけれど、私はそういう関係性も好きだよ。職場の人とも、この先、強烈に互いを懐かしむことも、連絡を取り続けることもきっと無いと思うけれど、働きやすい環境や連携体制を整えてくれたことに強く感謝しているし、あたたかく接してくださった感触が残るので、今はただ、なにか形にしたいと思って、そそくさと、手紙を菓子と一緒にラッピングする夜なのです。

手紙は読まれたら捨てられる前提で書く。十年後に「あの時の手紙だよ」と持ちだされても「そんなの知らないよ」と他人のふりをしてしまう自分を想像する。そもそも、過去の自分が何を書いたか思い出せない。その瞬間はとても切実な事実だったはずなのに、相手の身体に渡れば、その事実がどこかへ行ってしまう。そんな風に、私の言葉というものは、無責任で、軽やかで、時と共に変形していってしまうのに、時に、相手の掌中に残り続ける呪いとなることもあるから大変恐ろしいものだなと思う。一方的に存在を押し付けてひょいと逃げてしまうというのも姑息だなと思って、美味しいお菓子を添えた。包み紙と一緒に手紙が捨てられ同時に私も忘れ去られることを、ひそかに期待している。捨てられない手紙の束を眺めると、思春期の自分がひょっこり顔を出す、なんでかな、照れてしまいそうになる。できれば他人のそれも知らずにいたいなと思う。そんな自分勝手な感情ばかりが最近の私を支配しているのを自覚する、嫌な年のとり方をしてしまったな。

転職自体には不安も大きい。今の仕事とは少しリンクもするけど、立場が全然違う。責任も問われやすくなるだろう。『何事も、病まずにやめたい。自分で考えて、自分の意志で選びたい』ということが根底が揺るがないようにしたい。しかし、周囲を見渡すと、労働の中で病みそうになっている友達をちらほら見かける。様々な背景があるんだろう、それでも、自分の心身を一切自分でコントロールできなくなる状態がいかにしんどいことかを伝えたい。一度病んでしまうと、持ち直すのに想定外の時間がかかる。想定外だからこそ、ショックも大きいし、周囲の力が必要になるし、自身の根気が必要になる。肉体を失わない限り、人はいくらでもやり直せる。それは事実だけど、もし死んでしまったら、一度身体を失ってしまったら、残念ながら、やり直せない。必然に感じる意志や生活があってこそ働いている人はいるだろう、しかし後先考えず、まずは自身の心身を守ってほしい。

私自身も、すこやかにやめる=すこやかに選ぶ。転職後もそれを徹底して、やっていけたらなと思います。あまりの激務でSOSさえ言えなくなってたらお願い助けてね。

来年の抱負といえば、適当なタイミングで文章を残せたらということくらいかな(主にブログに移行したい)。のんびりと呼吸をしてがんばっていけたらなと思います。

擬態して生きる

いつの時代も、健やかな人に見えながら健やかでない自分と共に生きている人間なんてごまんといる。こう在りたいという意思の先に形成される「わたし」と、内側にいる等身大の「わたし」が乖離していることは、ちっともおかしな話ではない。口先と行動を一致させられる人間のほうが遥かに少ない。理想と現実を一致させられる人間のほうが遥かに少ない。自分にとって視えている世界なんてほんとうに狭い。自分の知らなかった、とある場面で/とある状況で/とある関係性において、想像したことのない他者が抱えている未知の世界そして文脈が広がっていることは当然のことだろう。

親しい友人から立て続けに人生相談のような連絡が入り、「うんうん」と聞いていたんだけど、それはそれは鏡に映し出されるかのように、自身にもはね返ってくる時間が生まれてしまって、少しうんざりしている。それを愚痴るのに適当な誰かも居ないしそもそも大した話でもないので、ブログに吐き出すとします。

私は人生で二度、「カウンセリング」というものを受けたことがある。結果、心療内科・精神科の世話にはならず、向精神薬を処方されたこともない。はじめのカウンセリング経験は、高校三年生の冬。誤魔化しつつ器用に生きているつもりだったけど所詮子どもだったので教師に見抜かれ勝手にカウンセリングの予約を入れられていた。高校には常勤の臨床心理士ソーシャルワーカーはおらず、不定期に専門相談が実施されていた。ちょうど一年前に別れた元カレも同じ日にカウンセリングを教師によって勝手に予約されており、似た者同士かよと内心笑ってしまったことを覚えている。当日は会議室のようなところに呼ばれ、「最近どうですか」みたいな質問からはじまった。特に話したいこともなく愚痴をちょこっと吐いて終わった。当時受験期だというのに父親が脳梗塞で倒れたり祖母が暴れたりで少々疲れていたが、具体的な話は出来なかった。

二度目のカウンセリング体験は大学三年生の夏だったと思う。バイト先で性暴力に遭い、ぼろぼろになっていたが、二年年経ち少しずつ回復してきた気がしたので自身で学内相談室でのカウンセリングを予約した。そこで、手頃な心療内科か精神科を紹介してもらおうと思った。当日現れた臨床心理士車いすユーザーの男性だった。ピア的臨床が展開されそうで経験豊富な第一印象もあり期待した。けれど結局「あなたのような健康な人は、うん、大丈夫ですよ」といわれて終了した。「あれ、こんなもんか」と思った。「被害者支援センターによる電話相談」的な機関に頼ってみたときも、まったくの手応え無しだったことを思い出して納得した。擬態が巧いだけのキメラ(のような私)でも、「支援者」からすると、微笑ましいくらい前向きで逞しいヒトにみえるらしいのだ。しかしあちらの都合で一方的に解決させてほしくなかった。せめて専門職であるならば、時間をかけて私との関係性を築き、「あなたが何者であっても構わない」「話したくなったときにいつでも来てほしい」と私を待っていてほしかった、ただその一言が欲しかったのだ。遅くはなったが、それに今日やっと気付いて腑に落ちるしかなかった。結局私は専門家に頼らず(頼ることが出来ず)、非専門家である人達の何気ない言動に支えられながら、自己治癒に臨んだのだと思う。それはそれで一つの才能というか自身の誇るべき長所でもあったと思う。しかし、もっと早く専門家が私の傷みと怒りに気付いてくれたなら、民事裁判まで間に合ったのかなとも思う。矛先を第三者に向けても無駄だとはわかっているのに、藁にも縋りたいとはこういうことなんだろう。他人のせいにはしたくないのに、でもそうしたがる、そんな自分が情けない。

 

最後に足掻いたのは今年の夏(二十五歳手前だった)。法テラスの無料電話相談を使って、過去をどうにかできないものか、光が差し込まないものかと挑み、言葉を連ねた。語りの途中で、胸の中がぐっちゃぐちゃになって、呼吸が苦しくなって、一切抑制が効かず、どうなることかと思った。そこで対応してくださった女性らしき人の声が、その応答が、あまりに完璧だったのでとても驚いていた。言葉それ自体は覚えていないんだけど、とにかく完璧だった。電話越しに、出会って3分も経っていないのにかかわらず寄り添い(それがほんとうに適切な距離感で)、残念ながら時効が来てしまいもう手がないこと(限界の提示)、それでも辛い時のための相談機関があるということ(逃げ道となる情報の提供)、穏やかで冷静な声が淡々と耳に響いた。お顔も拝見したことのないその方に、具体的な背景も一切語っていないのに、心が抱きしめられた気がして、わんわん泣いた。

この経験と、かつてのカウンセリング経験の違いはなんなのだろう。その答え合わせはまだまだ出来そうにないんだけど、自分も歳を取りながら、いつか、彼女のような、あの声色を持てる人間になりたいと強く思う。とりあえずそれを目標に生きていけるよう、ちょっとずつでいいから頑張りたい。自分を生き切ること、自由で在り続けること。先日逝去された雨宮まみさんの生み出した、宝石のような言葉を思い出しながらそんな決意をする。

「ただ私自身として生きたい。(中略)立場で生きるのではなく、意志で生きることだけが、人生を輝かせるのだと、私は思っています。」(『女の子よ銃を取れ』より)