人生、添い寝にあり!

添い寝の伝承

私的映画11選(2016)

新年明けましてあめでとうございます。昨年は「以前から気になってはいたけど手に取るタイミングがなかった…」作品(計45本)を鑑賞しました。

 

その中で印象に残った映画を11つ紹介します(ネタバレ度はとても低い)


 

まずはこれ!!

1.ジェーン・カンピオン『ピアノ・レッスン』


The Piano Beach Scene - The Heart Asks Pleasure First

19世紀の半ば、スコットランドからニュージーランドへ写真結婚で嫁ぐエイダ。旅のお供は娘のフロラと一台のピアノ。エイダは6歳の時から言葉を話すことをやめ、ピアノが彼女の言葉だった。夫のスチュアートはそのピアノを重すぎると浜辺に置き去りにし、原住民に同化している男ベインズの土地と交換してしまう。ベインズはエイダに“ピアノ・レッスン”をしてくれればピアノを返すというが……。第46回カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞受賞。

不倫物。痴情は怖い。しかしそれ以上にエイダの半神ともいえるピアノの存在感が圧倒的。一人の女性の、人間としての生き様が格好いいとも思う映画。なぜこの作品を手に取ったかというとグザヴィエ・ドラン監督のスピーチ*1がきっかけ。そこで、こう語られている

ピアノ・レッスン』は僕が16歳のときに、義母に「何を観ればいい?」と訊いて初めて観た映画です。あれを観て僕は、魂と意志と力を持った美しい女性を──被害者や被写体ではない女性を、映画で描きたいと思ったのです。あなたの『ピアノ・レッスン』は僕の人生を決定づけた映画の1本です。今この壇上であなたの前に立っていることに深い感慨を覚えます。

 これを読んで「観てみよう」となったんだよね(観てよかった…)

マイケル・ナイマンのサントラで挿入曲だけは既に知っていたんだけど、都度、「この曲がこの場面で使われるのか…」と感激。特にこの『All Imperfect Things』が流れる水中シーン。鑑賞後は、この音楽と映像とが絡まる美しさに放心してしまった……。

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「太ってる」とうまく伝える方法

この間「足太いね」ではなく「それ、全く筋肉のついていない細身の人が選ぶズボンだから、あなたには似合わない」と言われた。人を傷付けない、センスのある言葉選びだ。

学生時代と変わらず、公共機関を利用するのが厳しい(時間を守れず数分の差で乗り遅れる)私は自転車通勤が性に合っている。スカートばかり選んでいた過去が嘘みたいに最近はジーンズばかり穿いている。上半身に対して下半身がかなり太いのでいつも遠ざけていたジーンズだけどここ数年身体が冷えるし美しくはない自身の下半身にもわりと慣れてしまって半ば諦観したのである。そして今年の夏ユニクロのウルトラストレッチなんとかジーンズを二枚購入した。見栄を張ってウエスト58センチ(確か一番細いサイズ)を選んだはいいものの、めっちゃくちゃ太腿がピッチピチや。すこぶるピチピチ感。同居夫にも「見栄を張ったズボンだ」「身体に悪そうだ」「それはやめろ」と毎度つっこまれるほどピッチピチなのである。ダイエットすればなんとかなるレベルではない。生まれつき下半身が太い。言い訳に聞こえるかもだけど骨格がもうアウト。激ヤセすれば下肢も流石に変わるかもしれないけど、今は健康体重で低脂肪で筋肉量も平均以上で現状維持が望ましい。ということで特に何のアプローチも考えていない。どなたか、下肢限定で効果的な運動あったら教えてくださいな…。と、依存心だけはある。 

すこやかにやめる

半年前に転職先が決まって、早めに上司に相談して、同僚にも先月ついに報告をして、そろそろ有給消化に入る。その前に職場の皆にお礼をしたいと思って一言ずつ手紙を認め、焼き菓子と一緒に渡すことにした。就職して二年も経たないうちに五回引っ越しをしたものだから、はじめ住んでいた街の印象は薄らいでしまった。あの街には美味しいパティスリーがあって、看板印として掲げられた、海のように青い旗を眺めて通勤していたっけ。そんなことを思い出し、大きな橋を渡り、久々に東京湾の先の観覧車を眺め、青い旗まで自転車を走らせ、フィナンシェを調達した。クリスマスの時期なのでお目当ての商品がほとんど売り切れてしまっていた。

体裁を保つこと、社交辞令を時と場合に使い分けることで守られる世界がある。くだらないけど、必要なことなので、そういった儀礼的場面ではそこそこ役割を演じられると良いと思っている。学生時代、教育実習先の高校生に貰った色紙は全員分の言葉を読んだ後きれいさっぱり燃やしてしまったし、贈られた花束もすぐにゴミ箱に捨ててしまった。ほんの十四日間だけ私(教育実習生)と接した高校生側だって私の言葉を真に受けてはいなかっただろうし、昂ぶった表情は失笑ものだったと思う。それに、その時みずみずしく放たれた「先生、大好き」「先生、また会おうね」という言葉を保てること、たとえそれが一年であっても半年であっても―それは至難の業だと思う。人の感情は移りゆく。あっという間にすべてが過去となる。じゃがりこ三十個と自らの脇毛と鼻毛を渡してくれた子らのことはよく覚えているけど、連絡を取り合うほどの関係性には至らなかった。双方が「あんなこともあったかな」と取るに足らない曖昧さで、都合のよい綺麗な記憶として刻み込めれば上出来じゃないの。そんなことをいうと不満気にため息をつく人もいるけれど、私はそういう関係性も好きだよ。職場の人とも、この先、強烈に互いを懐かしむことも、連絡を取り続けることもきっと無いと思うけれど、働きやすい環境や連携体制を整えてくれたことに強く感謝しているし、あたたかく接してくださった感触が残るので、今はただ、なにか形にしたいと思って、そそくさと、手紙を菓子と一緒にラッピングする夜なのです。

手紙は読まれたら捨てられる前提で書く。十年後に「あの時の手紙だよ」と持ちだされても「そんなの知らないよ」と他人のふりをしてしまう自分を想像する。そもそも、過去の自分が何を書いたか思い出せない。その瞬間はとても切実な事実だったはずなのに、相手の身体に渡れば、その事実がどこかへ行ってしまう。そんな風に、私の言葉というものは、無責任で、軽やかで、時と共に変形していってしまうのに、時に、相手の掌中に残り続ける呪いとなることもあるから大変恐ろしいものだなと思う。一方的に存在を押し付けてひょいと逃げてしまうというのも姑息だなと思って、美味しいお菓子を添えた。包み紙と一緒に手紙が捨てられ同時に私も忘れ去られることを、ひそかに期待している。捨てられない手紙の束を眺めると、思春期の自分がひょっこり顔を出す、なんでかな、照れてしまいそうになる。できれば他人のそれも知らずにいたいなと思う。そんな自分勝手な感情ばかりが最近の私を支配しているのを自覚する、嫌な年のとり方をしてしまったな。

転職自体には不安も大きい。今の仕事とは少しリンクもするけど、立場が全然違う。責任も問われやすくなるだろう。『何事も、病まずにやめたい。自分で考えて、自分の意志で選びたい』ということが根底が揺るがないようにしたい。しかし、周囲を見渡すと、労働の中で病みそうになっている友達をちらほら見かける。様々な背景があるんだろう、それでも、自分の心身を一切自分でコントロールできなくなる状態がいかにしんどいことかを伝えたい。一度病んでしまうと、持ち直すのに想定外の時間がかかる。想定外だからこそ、ショックも大きいし、周囲の力が必要になるし、自身の根気が必要になる。肉体を失わない限り、人はいくらでもやり直せる。それは事実だけど、もし死んでしまったら、一度身体を失ってしまったら、残念ながら、やり直せない。必然に感じる意志や生活があってこそ働いている人はいるだろう、しかし後先考えず、まずは自身の心身を守ってほしい。

私自身も、すこやかにやめる=すこやかに選ぶ。転職後もそれを徹底して、やっていけたらなと思います。あまりの激務でSOSさえ言えなくなってたらお願い助けてね。

来年の抱負といえば、適当なタイミングで文章を残せたらということくらいかな(主にブログに移行したい)。のんびりと呼吸をしてがんばっていけたらなと思います。

擬態して生きる

いつの時代も、健やかな人に見えながら健やかでない自分と共に生きている人間なんてごまんといる。こう在りたいという意思の先に形成される「わたし」と、内側にいる等身大の「わたし」が乖離していることは、ちっともおかしな話ではない。口先と行動を一致させられる人間のほうが遥かに少ない。理想と現実を一致させられる人間のほうが遥かに少ない。自分にとって視えている世界なんてほんとうに狭い。自分の知らなかった、とある場面で/とある状況で/とある関係性において、想像したことのない他者が抱えている未知の世界そして文脈が広がっていることは当然のことだろう。

親しい友人から立て続けに人生相談のような連絡が入り、「うんうん」と聞いていたんだけど、それはそれは鏡に映し出されるかのように、自身にもはね返ってくる時間が生まれてしまって、少しうんざりしている。それを愚痴るのに適当な誰かも居ないしそもそも大した話でもないので、ブログに吐き出すとします。

私は人生で二度、「カウンセリング」というものを受けたことがある。結果、心療内科・精神科の世話にはならず、向精神薬を処方されたこともない。はじめのカウンセリング経験は、高校三年生の冬。誤魔化しつつ器用に生きているつもりだったけど所詮子どもだったので教師に見抜かれ勝手にカウンセリングの予約を入れられていた。高校には常勤の臨床心理士ソーシャルワーカーはおらず、不定期に専門相談が実施されていた。ちょうど一年前に別れた元カレも同じ日にカウンセリングを教師によって勝手に予約されており、似た者同士かよと内心笑ってしまったことを覚えている。当日は会議室のようなところに呼ばれ、「最近どうですか」みたいな質問からはじまった。特に話したいこともなく愚痴をちょこっと吐いて終わった。当時受験期だというのに父親が脳梗塞で倒れたり祖母が暴れたりで少々疲れていたが、具体的な話は出来なかった。

二度目のカウンセリング体験は大学三年生の夏だったと思う。バイト先で性暴力に遭い、ぼろぼろになっていたが、二年年経ち少しずつ回復してきた気がしたので自身で学内相談室でのカウンセリングを予約した。そこで、手頃な心療内科か精神科を紹介してもらおうと思った。当日現れた臨床心理士車いすユーザーの男性だった。ピア的臨床が展開されそうで経験豊富な第一印象もあり期待した。けれど結局「あなたのような健康な人は、うん、大丈夫ですよ」といわれて終了した。「あれ、こんなもんか」と思った。「被害者支援センターによる電話相談」的な機関に頼ってみたときも、まったくの手応え無しだったことを思い出して納得した。擬態が巧いだけのキメラ(のような私)でも、「支援者」からすると、微笑ましいくらい前向きで逞しいヒトにみえるらしいのだ。しかしあちらの都合で一方的に解決させてほしくなかった。せめて専門職であるならば、時間をかけて私との関係性を築き、「あなたが何者であっても構わない」「話したくなったときにいつでも来てほしい」と私を待っていてほしかった、ただその一言が欲しかったのだ。遅くはなったが、それに今日やっと気付いて腑に落ちるしかなかった。結局私は専門家に頼らず(頼ることが出来ず)、非専門家である人達の何気ない言動に支えられながら、自己治癒に臨んだのだと思う。それはそれで一つの才能というか自身の誇るべき長所でもあったと思う。しかし、もっと早く専門家が私の傷みと怒りに気付いてくれたなら、民事裁判まで間に合ったのかなとも思う。矛先を第三者に向けても無駄だとはわかっているのに、藁にも縋りたいとはこういうことなんだろう。他人のせいにはしたくないのに、でもそうしたがる、そんな自分が情けない。

 

最後に足掻いたのは今年の夏(二十五歳手前だった)。法テラスの無料電話相談を使って、過去をどうにかできないものか、光が差し込まないものかと挑み、言葉を連ねた。語りの途中で、胸の中がぐっちゃぐちゃになって、呼吸が苦しくなって、一切抑制が効かず、どうなることかと思った。そこで対応してくださった女性らしき人の声が、その応答が、あまりに完璧だったのでとても驚いていた。言葉それ自体は覚えていないんだけど、とにかく完璧だった。電話越しに、出会って3分も経っていないのにかかわらず寄り添い(それがほんとうに適切な距離感で)、残念ながら時効が来てしまいもう手がないこと(限界の提示)、それでも辛い時のための相談機関があるということ(逃げ道となる情報の提供)、穏やかで冷静な声が淡々と耳に響いた。お顔も拝見したことのないその方に、具体的な背景も一切語っていないのに、心が抱きしめられた気がして、わんわん泣いた。

この経験と、かつてのカウンセリング経験の違いはなんなのだろう。その答え合わせはまだまだ出来そうにないんだけど、自分も歳を取りながら、いつか、彼女のような、あの声色を持てる人間になりたいと強く思う。とりあえずそれを目標に生きていけるよう、ちょっとずつでいいから頑張りたい。自分を生き切ること、自由で在り続けること。先日逝去された雨宮まみさんの生み出した、宝石のような言葉を思い出しながらそんな決意をする。

「ただ私自身として生きたい。(中略)立場で生きるのではなく、意志で生きることだけが、人生を輝かせるのだと、私は思っています。」(『女の子よ銃を取れ』より)

平均顔女が豊かに生きていくということ

東京タラレバ娘の最新刊を買ったぞい

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本編については語る気はない。そして「東村アキコ」という文字を眺めるたびに、この人は漫画家が天職なんや〜才能や〜才能の塊や〜!!!という感想しか抱かない。

そして今回面白かったのは巻末タラレBar(東村先生が悩める子羊の恋愛相談に乗るというか辛辣にぶった斬るという企画)

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「本当はアイドルとかタレントになりたかった病の人」「自分は普通の女の子より可愛くて魅力的なはず」という自意識から男性にチヤホヤされる遊び(男性を自分の価値を確認させてくれる道具扱いする)(男性側の気持ちは一切無視)をこじらせてメンヘラっぽくなって彼女持ち男とエッチしまくるけど最終的には35歳くらいでどうでもいい男と結婚するって話

ある!ある!ってなったわ

東村先生は「こういう女の子、全国にいっぱいいる。」とさらに突っ込んでて笑った

周囲を見渡しても、たとえば大きな世界で活躍している女性は顔だけじゃない美しさや自分の武器をちゃんと持ってるし、たとえば自分の可愛さを賢く理解している女性は「私はいま若いから勝ててるだけ」「あと3年したらこの(顔面を売りにする)戦略じゃ、やっていけない」といってキラキラ遊ぶ傍ら、コツコツと資格取得の勉強してる。そういう友達が年齢問わずいるけど個人的に大好きだなって思う。私は男性以上に女性(心身問わず)が大好きで、女性であれば誰とでもフレンドリーだし性悪の強かな女性とか好みなんだけど、「35歳くらいでどうでもいい男と結婚する」タイプの人とはあんまり仲良くなれない傾向にある。オタサーの姫のような(自分以外の女を利益を奪う危険性があると一方的に認識して敵対視してくる)女性とは仲良くなれない(仲良くしてもらえない)。すべての女性LOVEな私としては、ほんとうに残念である。

 

中途半端に可愛い云々といえば2年前にこんな記事かいた

要約「チヤホヤして可愛がっているように見えて実際はあなたを玩具扱いしている“環境”に依存するとしんどいからやめろ(殴り返す力があるなら話は別)」です

 “中途半端に顔がいいと、対人関係がうまくいかない原因である内面をフォーカスしないまま、とりあえず、ちやほやしてくる人が現れ、なんとなく生きていけちゃった系みたいになる(残念ながら、歳を重ねるたびになんとかならなくなる)。また、あわよくば、と性的対象にもされやすいし、顔目当てで寄ってきた奴に「期待通りの人じゃない」と勝手に突き放されることもあるようだ。いい迷惑である。”

“顔面至上主義な価値観を持つ人にとっては他者を「かわいい・美人・イケメン」などと褒めることは全く悪いことではないらしい。単に思ったから、褒めているだけだという。ただ、「美しさは長所の一つ(他にも自分は素晴らしいところがいっぱいある)。ありがと!」とさらっと受け止められる人なら問題ないが、自尊感情が低い人の場合、その人が「容姿」に自分の価値の唯一を押し込んでしまう危険性があるんじゃないか?ある程度の年齢までなら市場価値としての「容姿」は充足されるが、人はかならず老いる。それ以降、どう生きていくか。他者に承認され難くなった「私」はどう生きていけばいいのか、どんな「私」であればいいのか、露頭に迷ってしまわないだろうか。”

 

あと性犯罪で被害者の外見を強調するのはアカンとも2年前に書いてた(同様に加害者の外見を強調するのももちろんNG。なぜかというと、偏見につながるから)

“美人=女性として魅力的=狙われやすいから仕方ないことだったんだよ=元気だして☆は決して正解じゃないのに、あたかも常套句のように囁かれる。これじゃ誰も「被害に遭いました」だなんて名乗り出れない。再度傷つくだけだもの。被害の原因を詮索されることなく、「つらかったね」「あなたは悪くない」と、ただあなたが寄り添ってくれたなら、どれだけ救われるか。”

 

このタラレBarの相談を読んで思い出したのは、2年前、恋人を寝取られたこと笑。しかも相手の女性と友好的でいられる浮気じゃなくて、敵対視される浮気だったのでしんどかった(友好的な浮気ってなんだよwって思うかもだけどとりあえずスルーでw)。セックスすることで恋愛感情や独占欲が出てきちゃうタイプの女性がパートナーの浮気相手だと泥沼ですね(粘着系女だと判断できないパートナーがむしろ残念ですね)。かなり面倒臭かった。私は浮気自体はそこまでダメージない(むしろ性的独占を約束することが無理)けど、そこでトラブって「生活が崩される」と暴れて凶器を持ちだしてしまうので、自分自身もつらかった。1年半で引っ越し5回もしたし。しかしその寝取りレディには「35歳くらいでどうでもいい男と結婚する女」でいてほしくないと思ってる。自分の納得のいくパートナーと非暴力的な関係を築いて幸せになっててほしい。性別とか顔とか性的価値にとらわれすぎると加齢で詰むので、人生豊かに生きれる方法を模索してほしい。もう二度と会うことはないんだろうけど。平均顔女という言葉は罵りだったんだろうけど、賛辞と解釈しちゃう。自分の限界を冷静に見極めて、他人を信頼して、お互いに自覚して利用しあう力を磨けば、そこそこやっていける。コンテンツ性の低い、沈黙の多い人生に移行し始めているなと思う。かつての性暴力被害から回復できなくてもいい、ただ、少しずつ解放されること(「魔術的な共同性/加害者との二者関係」から抜け出して自分の時間を生きること)。いつ死ぬかわからないけど死ぬまで歩いていかないと。添い寝しながら踊っていこう。女の身体で。そんなことを思う。